からだに刻まれた傷をめぐる10の物語

グリフィスの傷書影画像

「グリフィスの傷」¥1760/集英社

新刊の短編小説集『グリフィスの傷』の装丁に合わせ、白とベージュの衣装で取材に応じてくれた千早茜さん。からだに刻まれた傷をめぐる10の物語は「傷をテーマにした短編を書きたい」という、長年抱いていきた思いが込められています。

昨年、直木賞を受賞した人気作家の傷に対する意外なフェティッシュ、そして「仕事よりも生活が大事」と断言する素敵な暮らしぶりについても聞きました。

傷痕はからだががんばって治そうとした証

──どの物語も痛みを伴う不穏な雰囲気で始まりますが、読み進めていくうちに「あ、そうだったんだ!」と意外な着地点に行き着く深みのあるストーリーに引き込まれました。傷をテーマに書こうと思われたきっかけは?

千早:傷が好きなんです。怪我や火傷をした時には、毎日皮膚の色の変化や傷の乾きかたを写真に撮って記録するくらい(笑)。それこそ、本の装丁に使わせていただいた石内都さんの『Scars』という傷痕の写真集も大好きです。

 今回は分厚い医学書に載っている症例を見ながら、「この話は切創でいこう」「今度は低温火傷で」というように、分類されている章ごとに傷を取り上げてストーリーを作りました。

 症例の写真を見ても石内さんの写真集を見ても、同じ傷はひとつもないんです。それぞれの傷を見ていたらどんどん違う物語が浮かぶので、これなら永遠に書けそうだなと感じました。

千早茜さん

──登場人物は性別も置かれた環境も傷の種類もまったく違う人たちですが、最後には彼らが救われる展開が多いことにグッときました。

千早:私は傷が好きだけど、一般的にはネガティブなイメージがあるものです。でも、そうは描きたくなかった。そもそも傷痕は死体にはできません。からだが傷を治そうとがんばった証だし、生きた証でもある。傷を受け入れて生きていけたらいいなという、希望を持って書きましたね。

──表題作の「グリフィスの傷」は、SNSをテーマに心の傷を描いています。そもそもこの言葉は、ガラスの表面にできる目に見えない傷のことだそうですね?

千早:ガラス作家の松本裕子さんに教えてもらった言葉です。人間にも当てはまるなと思っていつかタイトルにしたいと思っていました。傷について書いていくと、やっぱり見えない傷に繋がっていくと感じました。

 最後に収録されている「まぶたの光」を書く際、形成外科の先生に取材したのですが、「患者さんが傷を見てネガティブな気持ちになるうちは、傷は治ったとは言えない」とおっしゃっていて。からだの傷は勝手に細胞が治していくけれど、心はそうはいかない。難しいですよね。

──千早さんなりの心の傷との向き合いかたは?

千早:私は嫌なことは嫌とはっきり言葉にしますしため込まないので、あまり傷にはならないかな(笑)。たぶん、我慢して言いたいことを言えないと、低温火傷みたいに心の傷口がじゅくじゅくしていく気がします。SNSも自分の状態が悪いときは見ないんです。ありがたいことに私のSNSのコメント欄はすごく治安がいいけれど、やっぱり精神状態が悪いときはつぶやいて終わり、にしています。

千早茜さん

生活を乱さなくても、幸せであっても、小説は書ける

──Xでは大好きなスイーツのこと、食のこと、恋人(夫)や猫との日常を積極的に発信されていますね。投稿から垣間見える暮らしぶりが本当に素敵です!

千早:がんばって良い部分を選んでいるだけです(笑)。

 ──お仕事をすることはもちろんですが、千早さんにとって日々の生活もすごく重要なのだろうなと感じます。

 千早:非常に重要ですね。そもそも自分が心地よい暮らしをするために仕事をしているので、生活が侵されたら何の意味があるかよくわからないですから。

──理想の暮らしは?

千早:仕事の合間に好きなお茶を淹れて、好きなお菓子を食べて、夜食べるものは朝のうちにちょっと仕込みをする。そして19時か20時には仕事を終えて30分くらいで夕食を作り、ワインを開ける……みたいな。できない日もありますけどね(笑)。

 ──小説家は私生活を犠牲にして表現するイメージがありました。

 千早:昔の文豪は家族を泣かせたり、人の道を外れたことをしたりする人もいましたよね。でも私はやっぱり幸せになりたいんですよ。生活を乱さなくたって、幸せであったって、小説は書けると思うんです。恋愛していないときに『神様の暇つぶし』(2019)というドロドロの恋愛小説を書いたこともありました。実際に経験していなくてもリアルに書くのがプロだと思います。

 ──MORE読者は、仕事も恋愛も日々の暮らしも全部がんばりたいと思っている人が多いと思います。

 千早:全部は難しいので、優先順位をつけたほうがいいと思います。私の場合は生活、仕事、恋人(夫)の順番。そもそも生活を乱す恋人はいらないですしね。生活を大事にすることは、イコール自分を大切にするということ。自分は大切にしたほうがいいと思います。夫は私と同じく生活を大事にするタイプなので、とても気が合います。

千早茜さん

人生にはバリバリ仕事をする時期が必要だと思う

──では、20代のうちに経験しておいたほうがいいことはありますか?

 千早:今まで言ってきたこととは矛盾するのですが、人生には何もかも投げ打ってバリバリ仕事をする時期があったほうがいいと思っていて。私の場合は『男ともだち』(2014)を書いていた時期なのですが、「仕事に集中したい時期って恋人とか邪魔だよね?」と編集者と盛り上がり、がんばりたい女性に向けて作った物語ですね。

 当時は連載を5本抱えて四六時中仕事をしていたんです。そうすると眠れなくなってくるので、外に飲みに行ってますます疲れるみたいなことをしていました。荒んでいたからあまり振り返りたくはないけれど、その経験があったからこそ、生活や睡眠がどれだけ自分にとって大切か気づくことができました。若いうちに自分の最大容量を知ることも大事だと思います。

 ──『男ともだち』はまさにMORE読者必読ですね。ほかに、20代のうちに読んでおくといいおすすめの本は?

 千早:私の本と並べるのは申し訳ないのですが、角田光代さんの『私のなかの彼女』(2013)でしょうか。主人公も小説家として仕事をがんばっている人で、もちろん恋愛も描かれます。そして自分の中にあるさまざまな問題を翻っていくと、家や母親、女性蔑視につながっていくところが「あ、わかる」と思いました。20代の頃に読んでいたかったなと思った小説です。

 ──ありがとうございます。最後に、スイーツ好きの千早さんがおすすめする、春の“おもたせ”を教えてください!

 千早:異動などのご挨拶なら個包装がいいですよね。石川県のうら田という和菓子店の「桜花」がすごく好きなんです。求肥入りのあんが入った最中で、春だけの期間限定です。もし今年間に合わなかったら、ぜひ来年にでも(笑)。手に入れやすいお菓子ならフランセのレモンケーキもおすすめ。おいしいし北澤平祐さんのパッケージもかわいいですよ。


Profile 
ちはや・あかね●1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。翌年、同作にて第37回泉鏡花文学賞を受賞。2013年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、2021年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。著書に、『ひきなみ』『赤い月の香り』『マリエ』食エッセイ『わるい食べもの』シリーズなど多数。

撮影/三浦晴  ヘア&メイク/金岡沙梨奈 取材・文/松山梢