『TBS』を退社したばかりの宇垣美里さんに緊急インタビュー

『TBS』のアナウンサーとして活躍していた宇垣美里さん。話題の番組に数多くレギュラー出演していた彼女が、4月からフリーランスに転身し、働き方を変えた理由とは? そこには、驚くほど堅実で論理的な“働く哲学”があった。

貯蓄も保険も……考えうるリスクヘッジはすべてしました!

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「なんでもできる」可能性に期待した私の転職

仕事が絶好調に見えた今年の3月、27歳で宇垣美里さんは『TBS』を退社し、“局アナ”の肩書を捨てた。“会社員最終日”となった31日も、『サンデージャポン』でMCを勤め上げ、翌4月1日より人気女優を多数抱える『オスカープロモーション』に所属。フリーアナウンサーに転身したのだ。

「今の肩書は……難しいですね。むしろ、肩書って必要なのかな? と思っていて。『アナウンサーなのに……』って言われることが窮屈だったので、今は肩書に引っぱられずになんでもやりたいし、何にもなりたくないなあと思っています」

ただし、アナウンサーという職種から離れたくて、転職を決意したわけではないと語る。

「会社にも人にも恵まれて、素晴らしい場所で仕事ができました。アナウンサー時代に培ったもの、たとえば朗読の仕事がとても楽しかったので、そういったスキルはこれからも伸ばしていきたいと思っています。

ただ、まだ染まりきっていない、頭の柔らかいうちにいろんな可能性を試してみたかったんです。アナウンサーという職種は、30歳を過ぎてから転職する人が多い。裏を返せば、30歳までやって一人前。完成したからこそ、そこで次のステップを考える人が多いということだと思います。でも、私の場合は未完成のうちに場所を変えたほうが、自分には合っていると思いました。私は同じ場所にいると仕事をこなすようになってしまうタイプだったので、いろんな挑戦ができる外の世界に身を置いたほうが、きっと楽しいだろうなと」

とはいえ、誰もが憧れる職を手放すことに不安はなかったのだろうか。

フリーになって仕事がなかったら、別の仕事を探せばいいと思ってたんです。パンが好きなのでパン屋さんになるのもいいなあと思うし、『営業職で』と言われたら頑張ります。もともと『絶対にこの仕事じゃなきゃイヤだ』という執着心がないので、なんでもできると思ってるんですよ。

それに、“局アナ”は『安定した職業』だと言われますが、テレビ局がずっとあるかなんて、わからないですよね。それはほかの職業でも同じこと。“不安定な安定”のためにやりたいことをあきらめるのは違うと思うんです。私は何より、“やらなかった後悔”をしたくない。それだったら、『思いきってやってみたけど、失敗しちゃった』というほうが、得られるものは多いと思います」
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“不安定な安定”のためにやりたいことをあきらめたくなかった

入念な準備は絶対に必要。惜しまれる存在でやめる

こうした言葉の背後には、「こんなに定期預金してるアナウンサーはいないと思う(笑)」と言うほど入念に行ってきた、準備がある。

「転職するにあたって、準備とリスクヘッジは絶対に必要だと思っていました。不安は抱えたくないし、誰だって生活水準は落としたくないですよね。そのための担保となる貯蓄や努力はしないといけない。

私は会社員時代、入社1年目からできるだけ貯蓄をするようにしていて、何かあっても貯蓄だけで1〜2年は生活できるように準備していたんです。それに、先の仕事に不安がなかったわけではありません。なので、信頼する関係者には早めに相談して、フリーになっても続けさせてもらえる仕事を確保していました。

同時に、やめる時に『惜しいなあ』、『いなくなっちゃうの?』って言ってもらえるような存在になっていたかった。だから、最後の最後まで自分の仕事に手を抜くことはしませんでした。その姿勢が、上司に『半年間、キミは本当に頑張った』と言ってもらえたような、結果につながったんじゃないかなと思います」

人に判断を預けない。自分で探したやりたいこと

宇垣さんの「なんでもできる」という言葉は、「なんでもできるように努力する」という意志の表れだ。

「私は、自分で振り返って『ダサいな』と思うようなことはしたくないんです。上司に言われたことも、それは違うと思ったらきちんと言う。自分の責任を取れるのは自分だけですから、人に判断を預けることはしないようにしてきました。

学生時代に読んだおかざき真里さんの漫画『サプリ』の中に、会社説明会で『配属されて自分のやりたかったことじゃないと思ったら?』と質問した学生に、主人公が『自分のやりたいことがあらかじめ社会に用意されているわけない』という趣旨の答えを返すシーンがあるんです。その言葉にすごく共感して、『やりたいことは自分で探さなきゃ』と思ってきました。フリーになり、これからは海外での仕事もしてみたいし、文章を書く仕事も続けていきたい。可能性は今、無限大です。もちろん、まだ始まったばかりでこの決断がよかったかどうかはわかりません。でも、今はとにかく毎日新鮮で、刺激的。働くことが楽しいですよ!」
MISATO UGAKI
うがき・みさと●1991年4月16日生まれ、兵庫県出身。同志社大学卒業後、2014年にTBSに入社。 アナウンサーとして活躍する。2019年3月31日をもって同社を退社し、オスカープロモーションに所属。 今後は肩書にこだわらず、フリーのアナウンサー業のほか、女優業や文筆業などにも挑戦していく予定。 4月には、『週刊プレイボーイ』での連載エッセイ(現在も連載中)をまとめたフォトエッセイ『風をたべる』を上梓した
取材・原文/千吉良美樹 国分美由紀 撮影/北浦敦子 ヘア&メイク/Chisa(ROI/宇垣さん分) スタイリスト/梅林裕美