12星座全体の運勢

「死に寄り添う生」

8月7日の「立秋」はまさに真夏の盛りですが、日本の伝統的な季節感では夏がピークに達するときに秋がスタートし、人びとは小さな秋の兆しを探し始めてきたのです。そして、そんな立秋直後の8月8日にしし座の新月を迎えていきます。 

今回の新月は土星(体制、課題)と天王星(転覆、改革)と二等辺三角形を形成するため、今年一年を通じて進行していく既存の権威やこれまで機能してきた体制側の自己防衛や無意識の視野狭窄を破壊して再構築プロセスにかなり直結していくものとなるでしょう。 

その上であえてそれを端的にテーマ化するなら、「死に寄り添う生の在り方を探る」といったものになるように思います。例えばこれは、これまでのように社会を強固で一枚岩的な現実に統合せんとしてきた近代的な考え方においては、死は完全な敵であり、それに対して断固として立ち向かうか、徹底的に視界から排除されるべきものだった訳ですが、超高齢化が進展するポスト成長時代のこれからは、老いのプロセスの中で、徐々に死を受け入れ、和解し同化していく中で、生と死のゆるやかなグラデーションを取り戻していくことが求められていく、ということともリンクしてくるはず。 

ちょうど芭蕉の句に「閑(しづか)さや岩にしみ入る蝉の声」という句がありますが、短い一生ながら懸命に鳴いている蝉とその声はまさに「いのち」の象徴であり、一方で、奥深い山の池のほとりで苔むして黒々としている「岩」とは「死」の象徴とも言えるのではないでしょうか。 

そして、蝉の声が岩に「しみ入る」というのは、まさに意識の静寂のさなかで「生と死」が融合し、その連続性を取り戻していく宇宙的とも言える世界観を表現したもの、とも解釈できます。今期の私たちもまた、そんな句のように、死を敵と考えたり、排除するのではなく、どうしたら和解していけるか、また、個人的なものであれ社会的なものであれ、死とは何かをいかに問い直していけるかが問われていくように思います。 
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水瓶座(みずがめ座)

今期のみずがめ座のキーワードは、「阿呆ばかりのこの大舞台」。

水瓶座のイラスト
シェイクスピアの『リア王』(1606年推定初演)は、王室内の骨肉の争いがたちまち国家の規模をこえて、宇宙的な広がりを感じさせるダイナミックな展開へと進んでいく比類なき芝居ですが、その話の副筋であるグロスターとその子エドガーのたどる残酷な運命は、劇全体をじつに味わい深いものにしてくれているのと同時に、そうした逆境においてこそ、平穏な生活中では到底見えなかったものが見えてくるという意味で、現在の日本人の置かれた状況にも通底しているように思います。 
 
グロスター伯爵は、庶子エドマンドの奸計により、その兄にあたる嫡出のエドガーを反逆者と思い込み、追手を差し向けるのですが、グロスターは両目をくりぬかれて荒い荒野を彷徨することになります。 
 
そしてエドガーは頭のおかしい物乞いのトムに身をやつし、父にもそれと気付かれずにドーヴァー海峡に向かう父の手を引いていく。盲目のグロスターは、すぐ目の前に息子がいるのに気付かず、つぶやくのです。 
 
わしには道などないのだ。だから目はいらぬ。目が見えたときにはよくつまづいたものだ」 
 
よくあることだが、ものがあれば油断する、なくなればかえってそれが強みになる。ああ、エドガー、お前は騙された愚かな父の怒りの生贄になった!生き永らえていつかお前の体に触れることができたら、そのとき、俺は言うだろう、父は目をふたたび取り戻した」 
 
そしてこの後、グロスターがドーヴァーの崖から身を投げようとしたのを、エドガー(トム)が一計を案じて救い、二人が狂乱のリア王と出会って、王の口からことばを聞いたとき、一連の場面は普遍的なものとなったように思います。いわく、 
 
ひとはみな、泣きながらことの世にやってきたのだ、そうであろう、誰でも初めてこの世の大気に触れるとき、必ず泣きわめく」 
 
生まれ落ちるや、誰も大声をあげて泣き叫ぶ、阿呆ばかりのこの大きな舞台に突き出されたのが悲しくなる」 
 
今期のみずがめ座もまた、狂気のなかで理性をよみがえらせた『リア王』の面々のごとく、改めて”心の眼”を取り戻していきたいところです。 
 

参考:松岡和子訳『チェイクスピア全集 5』(ちくま文庫) 
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<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ