2021年10月3日から10月16日のSUGARの12星座占い
[目次]
  1. 【SUGARさんの12星座占い】<10/3~10/16>の12星座全体の運勢は?
  2. 【SUGARさんの12星座占い】12星座別の運勢
    1. 《牡羊座(おひつじ座)》
    2. 《牡牛座(おうし座)》
    3. 《双子座(ふたご座)》
    4. 《蟹座(かに座)》
    5. 《獅子座(しし座)》
    6. 《乙女座(おとめ座)》
    7. 《天秤座(てんびん座)》
    8. 《蠍座(さそり座)》
    9. 《射手座(いて座)》
    10. 《山羊座(やぎ座)》
    11. 《水瓶座(みずがめ座)》
    12. 《魚座(うお座)》

【SUGARさんの12星座占い】<10/3~10/16>の12星座全体の運勢は?

「快活さの追求」 

暑くも寒くもない、過ごしやすい時期ではあるものの、暦の上ではもう晩秋に入っていく10月6日にてんびん座13度(数えで14度)で新月を迎えていきます。 

今回の新月のテーマは、「力の抜き方を知ること」。人間は、というより、生物は、休息なしに健全な生活サイクルを維持できませんが、コロナ禍が長期化してきた今だからこそ改めて、質の良い休息の仕方だったり、休息にどれだけ創意工夫を凝らしていけるかということに取り組んでいきたいところ。 

例えば、一日のなかで感情的に落ち着かせるためにゆるむ時間をきちんと作るということだったり、そもそも身体のリズムを尊重することだったり。いずれにせよ、ただでさえしんどい現実のなかで喜ばしくない側面を追い払い、生命としての健全なリズムに入っていくための自分なりの切り口をひとつでも明確にしていくことが大切になってくるはず。 

スポーツの秋というように、今では秋の季語になっているものに「運動会」がありますが、官僚としての最高職まで昇りつめた富安風生が引退後に詠んだ「秋晴の運動会をしてゐるよ」という、まるで子どもみたいな一句などは、力の抜け加減としては大いに参考にしていきたいところ。 

そうして、今期はすこしでも朝起きたときにざらりとした不快な目覚めを迎える瞬間を減らし、自分のために快活な人生を組み立てていくことを大事にしていきましょう。 

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今期のおひつじ座のキーワードは、「絶景感覚」。

牡羊座のイラスト
かつて俳人の永田耕衣は昭和三十年頃に出した句集『吸毛集』のあとがきで、「出会いは絶景である」と書きました。自然が絶景であるけれども、人間の方が、そして何よりも人間同士こそが絶景であると。それについて、永田は『独特老人』というインタビュー集の中で次のように語っています。 
 
誰と会っても絶景だとは言えない。だけど、今日あんたと会うたのは絶景かも知れん。そういう出会いによって人間は個別に、自己の環境を広げていって、その環境を広げるだけじゃなくって深めていって、その人の影響というかな、仏教で言う「善縁」というものを得る。つまり、そういう感覚が絶景感覚よね。出会いの絶景。」 
 
永田はそれを宮崎奕保(えきほ)という後に曹洞宗の管長や永平寺の貫首をつとめた禅僧との出会いを通じて感じ取ったのだと言います。「善縁」というのも仏教の言葉ですが、とはいえ物を欲しがるな、無欲無心というのが仏教の基礎的な目的です。ただ、永田からすればやはり欲しいものがあったら買いたい訳で、ある時に欲しいものを欲しいだけ買っていけば、そのうち欲しいものもなくなるんじゃないかということを、あるとき奕保和尚に言ったのだそうです。そうしたら「いいことを言うじゃないか」って。てっきり「ばかやろう」と言われると思っていたら、そんなふうなこと言われたんで、これはなかなか懐の広い人だと思って親しみを感じたのだと。 
 
存在の有難さと言ってもいいんだろうね。自分の力だけでは生きていくことはできないという、そういう環境に恵まれながら自分が生きていて、生きておる価値というか、生きがいというようなものを、だんだん深めていくことができると。出会いの絶景によって人間は個々に成長していくんだ。(…)求める。それは喜びを求めること。ただ生きておるだけじゃなくて、何かそこに手応えのある、これこそ人生だというような、立体的なものに突き当たっていく。あるいはそういうものに埋もれていくというか、掘り出していくというか、どう言ったっていいんだけど、そういう世界を求めている。」 
 
今期のおひつじ座もまた、やはり自分の力だけではどうこうできないというところに、むしろ価値を見出して、「出会いの絶景」ということに自分が生かされているんだ、という感覚をあらためて磨いていくといいかも知れません。 
 
 
参考:後藤繁雄編『独特老人』(ちくま文庫) 

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今期のおうし座のキーワードは、「種子を寝かせる」。

牡牛座のイラスト
オンラインでのリモートワークが増え、電車に乗ったり、歩いたりといったことも自然と仕事の前後にはさむ機会が減ったことで、アイデアが創発されることも減ってきているのではないでしょうか。 
 
というのも、英語には「sleep it over(一晩寝て考える)」という成句がありますが、これは「発見」とか「創造」とか大それたことでなくても、深夜に何事か思い悩んだとき、そのまま無理に結論を出すのではなく、一晩寝て朝起きてから得られる考えの方が結果的に優れていることが多いことを生活の知恵でとらえた言葉であり、それは洋の東西と問わず、クリエイティブな人々のあいだではよく知られてきた創意工夫だからです。 
 
 例えば、史上最大級の大数学者のひとりとされるガウスがある発見の記録の表紙に「1835年1月23日、朝7時、起床前に発見」と書き入れていたように、確かに着想のあらわれ方の“くせ”を知っていただろう歴史上の天才たちが、こうした“待ち伏せ”を成功させてきた例は枚挙に暇がありません。 
 
『知的創造のヒント』を書いた外山滋比古もまた、「アイデアよ出てこい、アイデアよ出てこい、とばかり、たえず追いかけ廻しているとかえって、ろくでもない考えばかりひっかかる」と述べた一方で、「どうも考えは一度水にくぐってくる必要があるように思われる」とか、「“しばらく忘れるともなく忘れている”と、おそらく無意識のうちに熟していたであろう考えが突然踊り出る」などとした上で、やはり「考えの種子はしばらくそっと寝かせておくのである。その間に種子は精神の土壌の中で爆発的発芽の瞬間を準備する」のだと書いていました。 
 
同様に、今期のおうし座もまた、無意識の力の意図的な活用とそのために、業務と直接関係のない無駄な時間をスケジュールに組みこんでみるといいでしょう。 
 
 
参考:外山滋比古『知的創造のヒント』(ちくま学芸文庫)

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今期のふたご座のキーワードは、「長いつきあい」。

ふたご座のイラスト
自己啓発や仕事術の本をいくら読んでも大工にはなれませんが、大工の話を幾らか聞いてみると、そこには現代の就労文化に行き詰まりを感じている人たちの思考をブレイクスルーさせてくれるヒントが詰まっているのではないでしょうか。 
 
例えば、『直観を磨くもの』に収録されている批評家の小林秀雄と小説家の永井龍男の対談「芸について」では、大工とかんなの関係性をめぐって二人のあいだで次のようなやり取りがなされています。 
 
永井 あなた、あれ読んだかな、如是閑さんの「日本さまざま」という本。 
小林 読まないな。  
永井 これもなかなかおもしろい本ですよ。あの中に、明治十年に世界博覧会というのがローマであった。それに行っているのね、日本から大工が。日本館みたいなものを建てたんでしょうね。そのまま向うにいついちゃってね。五十年前に如是閑さんがロンドンに留学していたときに、その大工のおじいさんが如是閑さんの下宿へ訪ねてきたというんだ。そうしたら、宿のおかみさんがね、「あれはサムライか」と聞いたというんだ。「いや、あれはさむらいじゃない。クラフトマン(職人)だ」と答えたら、おかみさんびっくりしちゃって「あまり立派な態度のジェントルマンだから、有名なサムライかと思った」と言ったというんだ。そのクラフトマンだが、クラフトというものがなくなっちゃって、みんなサラリーマンになっちゃったわけでしょう、このごとはどこの世界もね。 
小林 サラリーマンにはかんなはいらないからな。頭の才覚さえあればいいんでしょう。頭で計算して、計画を立てて、そのとおりやれば、それですむ。だけど、今のかんなのおやじの場合は、頭で考えたって、かんなの方で、ウンと言わなければ、事ははこばない。(…)だから、まあ言ってみれば、かんなとのつきあい、長いつきあいというものが、どうしても要るんだな。まるで女房とのつきあいみたいなものが、出来上がらなければならないのではないかな。女房はおれの計画どおり動くわけじゃないが、だけど動いてくれるでしょう、あきれるほど上手に動くかも知れない、つきあいによって。大工の名人が、仕事をしたのが、自分かかんなか知っているわけがない。いい職人さんというものは、みんな自分の仕事に驚いているものなんだ、きっと。 
永井 かんなに従うために、年季を入れなければならないという訳ですからね。 
 
今期のふたご座にとって、長いつきあいのできる仕事道具や、どうしたらそれを通じて、自分を驚かせてくれるような仕事ぶりを引き出していけるかを考えてみるといいでしょう。 
 
 
参考:小林秀雄『直観を磨くもの 小林秀雄対談集』(新潮文庫) 

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今期のかに座のキーワードは、「汝自身を知れ」。

蟹座のイラスト
ギリシャ哲学は近代ヨーロッパ思想の源泉として、今もなおあらゆる場面で影響力を持ち続けており、日本社会もまた例外ではありませんが、そんなギリシャ哲学を代表する人物であるソクラテスについて、特にその執拗に相手に食い下がり、黙らざるを得ない相手のゼロポイントまで追い詰めていく問答スタイルについて、哲学者の古東哲明は「人間主義、つまりソフィスト(近代)の根幹」に対するアンチテーゼだったのだと言及しています。 
 
ちなみに、一般にソフィストは単なる詭弁家と誤解されがちですが、実際には各方面の教養や最新の学識をもち、人の世の道にも通じた当世一流の知識人たちでした。ただし、「世界や生を、人間という間尺で解釈する立場」に立って、「人間の関心や生存を中心にして、非知・無関心のこの自然や世界を切断する」点で、ソクラテスとは立場が異なっていたのです。 
 
すなわち、この宇宙の人知や道徳を超絶した中立性(無関心)や、その根本的な分からなさ(非知)を半ば無自覚に認めていなかったことにこそ、ソクラテスは頑として対抗し、「汝自身を知れ」を自身の真理探究の出発点としたのです。古東によれば、その意味するところは以下のようになると。 
 
意識主体(自我、理知的主観)を可能にし裏づけながら、そんな主体の専制を同時に脅かすような両義性をもつのが、「汝自身」。反省し意図し意識するぼくたちの顕現的な自己性(理知性)というものが、いつもすでにソレに先を越されており、しかもソレに支えられているのが、汝自身(自己)というもの。だから原理的に意識主体(顕現的自己)には収まりがつかない自己自身。」 
 
ソクラテスの問答とは、そんな「非知で、意識下の、不断に人間的理知や意志や対象化の作用から逃れていく」ようなリアリティへと沈黙ととともに連れ出していくための術だったのです。 
 
同様に、今期のかに座もまた、意識を呑み込む無意識な衝動や生きられた身体性の位相へと、どれだけ自身のたましい=実存姿勢を向け変えていくことができるかが試されていきそうです。 
 
 
参考:古東哲明『現代思想としてのギリシャ思想』(ちくま学芸文庫)

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今期のしし座のキーワードは、「うまくいくこと」。

獅子座のイラスト
コロナ禍を通して、人間関係の在り方がそれまでとガラリと変わった今、私たちはもはや虚勢や見栄をまとった強く鈍感な存在者でいることが以前より難しくなってしまったように思います。そして改めて、「弱く敏感な存在でありながらも、互いにぎくしゃくしたり、緊張することなく、いかに他者と良好な関係を結んでいくことができるか?」といった問題をひとつの課題として取り上げる必要に迫られているように思います。 
 
ただしそれは、個別の相手に応じた単なる攻略ノウハウや取り扱い説明書のような、対症療法的な仕方での応答ではなく、他者と関わることについての考え方そのものにおけるより根本的な次元でのモデルチェンジが不可欠になってくるはず。 
 
例えば、キリスト教思想研究者である柳澤田実は、論文「馬に乗るように、ボールに触れ、音を奏でるように、人と関わる」のなかで、「世界は配置(disposition)であり、人間は自らを取りまく配置によってたえず態勢づけられている(disposed)」という言い方で、「世界を認識主体の構成物あるいは表象として捉える近代的な世界観」を相対化するために「配置(disposition)」的に世界を理解していくというアプローチを提唱しています。 
 
それは「意識や主体に先行/潜行する世界を、しかも意識や主体をも包摂しつつ先在/潜在するその世界を、認めるという態度」から出発しており、それでいてあらゆる「主体」を単に無効化し、「何でもあり」な相対主義や、非人間主義的な思想に帰着しようとするのではなく、「①身体から独立した自己意識の優位、②心の私秘性、そして③効率化優先の自然科学的な世界観」を批判しつつ、非人称的な「うまくいく(going well)」が成り立つとき、そこで一体何が起こっているのかを明らかにする試みなのだ、と。 
 
「うまくいく」ための関わりには、「調和」や「統一」といった強い概念を使った説明は不自然であり、むしろ理性的判断や“高い意識”に還元されることのない微妙な調整を実現している「配慮」や「気配り」のようなものが欠かせず、柳澤はそこにこれまでの強い概念体系では捉えられなかった「幸福な倫理の可能性」があるのではないかと述べています。 
 
今期のしし座もまた、自己自身の固有性を心のうちにばかり求めるのではなく、むしろ微妙な配置の仕方やその調整においてこそ求めていきたいところです。 
 
 
参考:柳澤田実編『ディスポジション 配置としての世界』(現代企画室) 

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今期のおとめ座のキーワードは、「生成的コミュニケーション」。

乙女座のイラスト
コロナ禍以降、夫婦間の家事負担などが原因で離婚相談が増えているという話をよく見聞きするようになりました。大抵は共働きの家で、夫も家にいる時間が増えたにも関わらず、相変わらず妻ばかりが家事を負担しているというケースが目立つようです。 
 
これは男性一般の母親幻想の投影が男性に都合のいいように行われているということも大きいとは思うのですが、それだけで終わる話ではないように思います。つまり、一方が過剰に受動的であるということは、もう一方が過剰に能動的であるということで、その方が楽だからということであって、これは言い換えればその中間的なコミュニケーションが成立しにくい状況になっているということなのではないでしょうか。 
 
この点について、たとえば美学者の伊藤亜紗は『手の倫理』のなかで触覚の倫理性ということを取りあげて、「さわる/ふれることは、避けようもなく「他人のことに口を出す」行為なのです。他者を尊重しつつ距離をとり、相対主義の態度を決め込むことは不可能。この意味でさわる/ふれることは、本質的に倫理的な行為」なのだと述べているのですが、ではこうすれば正解です、問題ありませんという教科書がない中で、どのような積極的な立場が取りうるのか。 
 
伊藤は、全盲の女性ランナーと目の見える伴走者との伴走体験の解説する中で、こうも述べています。 
 
「伴走」というと、見える人が見えない人をサポートする、福祉的な行為だと思われがちです。いかにも「介助」といった感じ。ところが実際の身体感覚としては、そこに「伴走してあげる側」と「伴走してもらう側」というような非対称性はない。つまり、伝達ではない、生成的な関係が生まれているのです。」 
 
つまり、ここでは一方が<主>で他方が<従>のような上下関係に基づく一方的な伝達によるコミュニケーションとは一線を画した、互いのやり取りのなかで物事の意味を作り出していくような「生成的」なコミュニケーションが生み出されているのだと。 
 
その意味で、今期のおとめ座もまた、難しい状況でこそ、互いのする/されるが反転していくような「ふれあい」をこそ大切にしていきたいところです。 
 
 
参考:伊藤亜紗『手の倫理』(講談社選書メチエ) 

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今期のてんびん座のキーワードは、「一・五人称的知性」。

天秤座のイラスト
自分が人工知能ではない証拠を見せろと言われたら、あなたは何と答えますか?恐らく、誰かがどこかで言っていたようなありきたりなことではなく、他ならぬ自分自身が思いがけず感じたことやその際の状況について伝えようとするのではないでしょうか。 
 
しかし、それをデータや根拠に基づいてわかりやすく、説得力を持たせて伝えようとするほど、あなたにかけられる人工知能ではないかという疑いはますます強くなっていくはず。 
 
今まで私たちは、あまりに人工知能的知性を人間に課し過ぎていたのではないでしょうか。「知覚可能な全てを考慮して、総合的に判断する能力」、これのみを追い求めてきたのではないでしょうか。しかし、もはやそういうことは人工知能に任せておけばいい。」 
 
そう書いていたのは、生命をテーマに科学者と哲学者の中間的な立場からアプローチしている郡司ペギオ幸夫でした。郡司は『天然知能』のなかで、ここでいう人工知能的知性を、空間把握の仕方から、一人称的知性という言葉にも置換え、それをカーナビで地図の方を動かしていくシステムに喩えています。 
 
この一人称的知性にとって、知覚される対象や現象は必ず運転手=「わたし」に関係づけられ、逆に無関係であるものは知覚されず(カーナビに映らず)、知覚されるものはすべからく「わたし」によって判断ないし評価されていきます。なお、紙の地図を見ながら、自分から見た風景(一人称的風景)を断片的に、バラバラに集めてきて、それをパズルのように辻褄があうように貼り合わせ、客観的な地図(三人称的景色)を作り出す三人称的知性もまた、情報が十分にそろっている状態へ向かっていくという意味で、一人称的知性と同じものに収斂していきます。ここまでが人工知能的なものの捉え方という訳です。 
 
そして、郡司はそうした人工知能的な捉え方の対極として、あなた(二人称)に向き合っている「わたし」としての一・五人称的知性という概念を打ち出します。これは「知覚されないものに対しても、存在を許容する」態度であったり、「ほかに何かあるんじゃないか」という思いなど、様々な表現で説明されるのですが、そんな一・五人称的知性だから接続できるものにはいずれも「幸福感を伴う懐かしさがある」のだそうで、これなどは私たちが日頃「こころ」や「たましい」と呼んでいるものそのもののように感じます。 
 
今期のてんびん座もまた、改めてそんな一・五人称的知性をみずからに取り入れてみるといいでしょう。 
 
 
参考:郡司ペギオ幸夫『天然知能』(講談社選書メチエ) 

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今期のさそり座のキーワードは、「大いなる同一性」。

蠍座のイラスト
ステイホームの常態化によって日本社会では分断と孤独とが以前よりグッと深まったように感じますが、宗教学者の上田紀行によれば、悪魔祓いの儀式が今でも残っているスリランカにおいても悪魔は「孤独な人に憑く」のだと言います。 
 
具体的には、生気を失い、魂の抜かれた姿でさまよい続ける人を見ると、あちらでは「悪魔が憑いた」と見なし、すぐに村人総出で「悪魔祓い」の儀式を行い、治してしまうのだとか。一方で、上田は帰国後に日本人を見て、「何かが憑いている」と感じたのだとも述べています。人ごみの中で感じる、生気のなさやピリピリ感、何とも言えない息苦しさや抑圧された感じ。その謎を解くヒントを上田はスリランカでみつけたと感じたのだと。 
 
その成果をまとめた『スリランカの悪魔祓い』では、孤独に陥りがちな現代日本人に、社会や人とのつながりや、何よりある種の儀式の重要性を問いかけているのですが、例えば次のような箇所には今読んでも示唆に富んでいるように思います。 
 
なぜ宗教的な儀式のはじまりには意味不明の呪文が置かれているのだろう。悪魔への供えものの段も意味不明の呪文からはじまっていた。そしてなぜ、古より人々は聖なる場所に入っていく前に呪文を唱えたのだろう。それは呪文によって左脳の分析的な流れを止めることで、感覚的な右脳の働きを活性化させるためではなかったか。そして呪文によって活性化された右脳は、ふだんは見えない悪魔を呼び寄せ、ふだんは感じられない聖域に漂う何ものかをキャッチするアンテナとなるのだ」 
 
ここで「右脳」という言葉が使われているのは、多分にニューエイジの影響も感じるのですが、上田は他のものとの差を見つけ出して分析する左脳に対して、右脳は同一性に基づいたアイデンティティを導きだすのだと述べた上で、右脳の働きがたどり着いていく先にあるのが「大いなる同一性」としての「いのち」であり、「同一性に焦点が合わされたとき、そこには「つながりあったいのち」というもうひとつの世界が開けてくる」のだとも述べています。 
 
今期のさそり座もまた、自分自身を寛がせる何よりの方法として、そうした「いのち」の感覚の滋養ということを考えてみるといいでしょう。 
 
 
参考:上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(講談社文庫) 

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今期のいて座のキーワードは、「資本主義の源流」。

射手座のイラスト
人類の歴史はどこでも基本的に富と権力を握る者の悪が栄える弱肉強食の歴史であり、それは現代社会においてもまったく変わっていませんが、総裁選のマスコミ報道やSNSでの反応などを見ていると、私たちは次第にそうした歴史の教訓を忘れ去り、ますます権力側にいいように踊らされやすくなっており、みずから進んで搾取される側へとはまり込みつつあるように感じます。 
 
例えば、「我慢すれば、頑張れば、きっといつか報われる」といった考え方などはそうした奴隷根性の典型例ですが、ひと昔にくらべ情報インフラやIT技術、人工知能などが普及し、圧倒的に便利になっているはずなのにも関わらず、実際に働いている人たちの労働時間はどんどん増えて、自分の時間が少なくなっているように感じるのはなぜでしょうか。 
 
たとえば思想史家の関曠野は、その答えを資本主義の根本に、ヨーロッパによるアメリカの土地と金銀の略奪、そして事実のすり替えがあったということの中に見つけています。 
 
勤勉に働いて、才覚を発揮したので資本主義が発達しましたなどというものではなかった。初めに略奪があったという点で、資本主義と商業一般を区別しなければならないのです。江戸時代の大阪商人もアコギな商売をした者もいたでしょうが、略奪をしていたわけではない。ヨーロッパ資本主義社会には最初に略奪があった。膨大な金銀を対価なしに手に入れるというタナボタがあった。資本主義は一貫して略奪の要素を持っている。だから資本主義なのです。」 
 
近代ヨーロッパの資本主義は、アメリカ大陸の略奪なしにはありえなかった。(中略)結局、宗教戦争で破綻したヨーロッパがアメリカの略奪によって物質的に裕福になり、それが救いに代わって進歩を信仰する世界を生みだしたということです。(中略)宗教の破局がもたらした精神の空白は、アメリカの征服による経済の空前の繁栄によって埋め合わされた。そこから経済の発展が宗教的な祝福や救済の意味を持つことになった。これが近代欧米の「進歩」の理念の正体なのです。」 
 
「進歩」や「経済発展」の先に、もはや幸せな未来像を見出せなくなってきた今、資本主義の根底にあった「精神の空白」に、私たちは改めて直面しているのだとも言えるのではないでしょうか。今期のいて座は、そうした歴史的な文脈の見直しのなかで、改めて自分が囚われていたものの輪郭をつかんでいきたいところです。 
 
 
参考:関曠野『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』(NTT出版) 

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今期のやぎ座のキーワードは、「自然と自然はよくなじむ」。

山羊座のイラスト
ただ「くつろげ」とか「休日を増やしました」などと言われても、実際のところ空いた時間や休日に、何をどうしたらいいのか分からないという人は少なくないのではないでしょうか。 
 
ただ、質のよい暮らしにおいて大事なのはリズムを作ることであり、その柱となるのは食事と睡眠でしょう。特に、自分自身のこころの置きどころや、心地よい居場所となってくれるのは一回一回の食事です。 
 
とはいえ、一人暮らしだと自分で食べるためだけに手の込んだ料理をするのは億劫ですし、誰かのためとはいえ、何品もおかずを用意しなければいけないという出自不明の呪縛は大いに負担となります。そうした意味で、現代日本の食事文化における大きな転換点となったのは2016年に出版された土井善晴の『一汁一菜でよいという提案』でした。 
 
土井は昔の庶民の暮らしでは、おかずはつかないことの方が多く、実際には「味噌汁」「ご飯」「漬け物」だけで一汁一菜の型を担っていたと指摘しつつ、こう述べています。 
 
一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。」 
 
それは具体的には、いったい何を考え、どのように感じることなのか。「食べ飽きないもの」という章で、人工的に味をつけられたものは、食べてすぐにおいしいと感じる一方、またすぐに違う味つけのものを食べたくなるのだとして、次のように続けています。 
 
食べ飽きないご飯とお味噌汁、漬け物は、どれも人間が意図してつけた味ではありません。ご飯は、米を研いで、水加減して炊いただけ。日本で古くから作られてきた味噌は未生物が作り出したもので、人間の技術で合成したおいしさとは別物です。人間業ではありません。(中略)自然は自然とよくなじむ、このことを心地よいと感じます。その心地よさに従って、命を育んできたのです。」 
 
今期のやぎ座もまた、そうした二つの自然を無理なく重ねたり、繋いでいく営みを改めて大切にしていくといいでしょう。 
 
 
参考:土井善晴『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社) 

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今期のみずがめ座のキーワードは、「人間的魅力を磨く」。

水瓶座のイラスト
長期にわたるコロナ禍を通して少しずつ、しかし決定的に何かが変質しつつある社会のなかに生きる私たちはいま、どこかしらでまだ名前のついていない病いが進行中ないしその治療の過程にある患者のようなものと言えるかも知れません。 
 
精神科医の中井久夫はかつてエッセイ「世に棲む患者」のなかで、「病気をとおりぬけた人が世に棲む上で大事なのは、その人間的魅力を摩耗させないように配慮しつつ治療することであるように思う」と書きましたが、私たちが互いに求めあっているのは、まさにこうした配慮の実践なのではないでしょうか。 
 
たとえば、先のエッセイにおいて、中井は治療者と患者とのあいだで陥りがちな固定観念で、元患者が世に棲む妨げになるものとして、大きく二つの傾向を挙げています。 
 
第一は、「治るとは働くことである」という哲学あるいは固定観念」であり、これは容易に逆転して「「働くと治ったことになる」という命題となって患者をあせらせる」が、その患者は「治るという大仕事をしている」のであり、「ぶらぶら」しているくらいでちょうどいいのだと中井は言います。 
 
第二には、「健康人」とは、どんな仕事についても疲労、落胆、怠け心、失望、自棄などを知らず、いかなる対人関係も円滑にリードでき、相手の気持ちがすぐ察せられ、話題に困らない」という命題」であり、これは「「完全治療」以外のものを治癒と認めない傾向」とも言い換えられています。 
 
この二つをまとめるならば、世に棲む患者として生きたり、他の患者への配慮の上で大切なのは、(暇な時間などないと言わんばかりに)働くこと=正常ではないのだということ、そして、ほどほどに「病い」や「調子の悪さ」を抱えつつ生きることを受け入れていくこと、という風にも言えます。 
 
今期のみずがめ座もまた、感染リスクやワクチン接種の有無に終始するばかりでなく、「人間的魅力の摩耗」を防ぐという観点から自身の生活を見直していきたいところ。 
 
 
参考:中井久夫『世に棲む患者』(ちくま学芸文庫) 

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今期のうお座のキーワードは、「博奕は心によい」。

魚座のイラスト
入院などして急に筋肉を使わなくなると、短期間でどんどん落ちて、しまいには歩けなくなるほどに弱ってしまうように、心というのも油断して放っておくと。一気に萎んだり枯渇してしまうものです。 
 
例えば、紀元前6世紀の孔子の言行を死後約400年かけて編纂した『論語』のなかに、心の使い方についてふれた次のような箇所があります。 
 
子曰わく、飽くまで食らいて日を終え、心を用うる所なし。難いかな。博奕なる者あらずや。これを為すは猶お已むに賢(まさ)れり。」 
 
飽食の時代を生きる現代人にとって冒頭の「飽食終日」の言葉は耳が痛いのではないでしょうか。確かにお腹がいっぱいになるとボーっとして頭が働かなくなりますが、どうも孔子はそこから一歩踏み込んで、心もうまく使えなくなると考えていたようです。そして、そんな孔子が心をじょうずに使っていく上でお勧めの習慣として「博奕(ばくち)」を挙げてるのですから、なんともおもしろいじゃないですか。 
 
能楽師の安田登は『身体感覚で「論語」を読む』のなかでこの点について触れて、孔子のいう「博奕」とは「麻雀や双六など(…)参加者間の勝ち負けのプラスマイナスがゼロになるゼロサムゲーム」のことであり、いずれも相手がいるゲームで、その「相手の心を読んだり、自分の心を隠したりする駆け引きと、そして運の流れを知ることによって、まさに心を用いる訓練ができる」のだと述べています。 
 
安田は能を大成した世阿弥の言葉である「男時(おどき)、女時(めどき)」を引いて、運には「自分の方に運が向いているとき(男時)」だけでなく、「何となくいろいろなことが裏目裏目に出るとき(女時)」もあるのだと指摘していますが、確かに特に後者のときの振る舞い方であったり、やり過ごし方について、現代人はずいぶん下手になってしまったのではないかと思う事はたくさんあります。 
 
今期のうお座もまた、生活や人付き合いをひとつの「博奕」と考えて、自分なりの「男時女時」のうまい過ごし方を追求してみるといいでしょう。 
 
 
参考:安田登『身体感覚で「論語」を読む』(新潮文庫) 
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。



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文/SUGAR イラスト/チヤキ