【天秤座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<10/17~10/30> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「幻想の外へと飛び出して!」
日増しに気温の下がり始める「霜降」が近づき、蟋蟀の鳴き声もいつの間にか聞こえなくなってくると、ますますひんやりとした秋の夜長を愉しめるようになってきますが、そんな中10月20日にはおひつじ座27度(数えで28度)で満月を迎えていきます。
「大胆な行動」を促す火星や「根本的な変容」を司る冥王星を巻き込む形で配置される今回の満月のテーマは、「子宮内幻想からの脱皮」。これまで無意識的に調子をあわせてきた理想像だったり、なんとなく正しいとされ従ってきた決め事だったり、それらいつの間にか色あせてきつつあった馴染みの「幻想」をいよいよ破棄し、もっとおのれの欲望に忠実になっていくためのきっかけや実感を掴んでいくにはもってこいのタイミング。
ちょうど秋の日の暮れやすいことの喩えで、よく「秋の日はつるべ落とし」などと言いますが、人によっては「つるべ」を井戸の中に落とすときのように、急速に意識が切り替わっていきやすいでしょう。
さながら一度も離れたことのない塔から脱け出していくラプンツェルのように、「こうしておけば無難で安全」という領域の“外”へと思い切って飛び出していきたいところです。
「大胆な行動」を促す火星や「根本的な変容」を司る冥王星を巻き込む形で配置される今回の満月のテーマは、「子宮内幻想からの脱皮」。これまで無意識的に調子をあわせてきた理想像だったり、なんとなく正しいとされ従ってきた決め事だったり、それらいつの間にか色あせてきつつあった馴染みの「幻想」をいよいよ破棄し、もっとおのれの欲望に忠実になっていくためのきっかけや実感を掴んでいくにはもってこいのタイミング。
ちょうど秋の日の暮れやすいことの喩えで、よく「秋の日はつるべ落とし」などと言いますが、人によっては「つるべ」を井戸の中に落とすときのように、急速に意識が切り替わっていきやすいでしょう。
さながら一度も離れたことのない塔から脱け出していくラプンツェルのように、「こうしておけば無難で安全」という領域の“外”へと思い切って飛び出していきたいところです。
天秤座(てんびん座)
今期のてんびん座のキーワードは、「覚悟をもってエネルギーを贈る」。
今回のコロナ禍を通して、人間の知性と解き明かされる自然のあいだには改めて深い断絶が広がった一方で、結果的にはそこにより深く目に見えない可能性が示され、これまでにない仕方での結びつきが生じていくことになったように思います。
つまり、そうした人と自然の結びつきの実現というものが、実に様々な協力の上で成り立っているということが思い出されていく契機になったのではないかと。そもそも私たちは、個人として誕生してくる以前に、競争相手であり分身でもある無数の精子と唯一つの卵子との和合によって創りだされる受精卵としてあり、その前提には必ず生殖があった訳です。
例えばフランスの思想家ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』において、生命体としての個体は太陽光に由来する無限の贈与に対し、必要に応じて欲求するのではなく、成長や生殖といった過剰なエネルギーを「消費」していく存在であるとして、次のように述べていました。
「真っ先に目につくのは分裂生殖が予告したもの、すなわち分化であり、それを通じて個的存在はみずからのための成長を断念し、個体を増やすことによって成長を生命の非個体性へ移し変える。なぜなら、もともと性は貪婪な成長とは異なるからだ。よしんば、種に関して眺めるとき、それは一つの成長のように見えるにせよ、原則的には、やはり各個体の奢侈(度を過ぎてぜいたくなこと)であることには変わりない。この特徴は有性生殖においていっそう際立っており、そこでは生み出される個体は―そしてあたかも他者に与えるように、それに生命を与える個体からはっきり分かたれている。」
ここでバタイユは、生殖を個体の奢侈と捉えており、またあたかも贈与であるかのように論じてもいます。つまり、役に立つか立たないかといった有用性に還元しえない事象であり、ここで言う贈与とは、みずからが用いることができるはずだったエネルギー=富を、二度と返ってこないという覚悟をもって贈る(消失する)ということに他ならないのです。
つまり、個体というのは、本質的にエゴを越えたところにある覚悟を伴った贈与の結果として存在しているのであり、連綿と繰り返されてきたその連続性に基づくことで初めて成立しているのです。今期のてんびん座もまた、そうした意味での贈与、すなわち覚悟をもって他者にエネルギーを贈っていくことがテーマになっていくでしょう。
参考:ジョルジュ・バタイユ、酒井健訳『呪われた部分』(ちくま学芸文庫)
つまり、そうした人と自然の結びつきの実現というものが、実に様々な協力の上で成り立っているということが思い出されていく契機になったのではないかと。そもそも私たちは、個人として誕生してくる以前に、競争相手であり分身でもある無数の精子と唯一つの卵子との和合によって創りだされる受精卵としてあり、その前提には必ず生殖があった訳です。
例えばフランスの思想家ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』において、生命体としての個体は太陽光に由来する無限の贈与に対し、必要に応じて欲求するのではなく、成長や生殖といった過剰なエネルギーを「消費」していく存在であるとして、次のように述べていました。
「真っ先に目につくのは分裂生殖が予告したもの、すなわち分化であり、それを通じて個的存在はみずからのための成長を断念し、個体を増やすことによって成長を生命の非個体性へ移し変える。なぜなら、もともと性は貪婪な成長とは異なるからだ。よしんば、種に関して眺めるとき、それは一つの成長のように見えるにせよ、原則的には、やはり各個体の奢侈(度を過ぎてぜいたくなこと)であることには変わりない。この特徴は有性生殖においていっそう際立っており、そこでは生み出される個体は―そしてあたかも他者に与えるように、それに生命を与える個体からはっきり分かたれている。」
ここでバタイユは、生殖を個体の奢侈と捉えており、またあたかも贈与であるかのように論じてもいます。つまり、役に立つか立たないかといった有用性に還元しえない事象であり、ここで言う贈与とは、みずからが用いることができるはずだったエネルギー=富を、二度と返ってこないという覚悟をもって贈る(消失する)ということに他ならないのです。
つまり、個体というのは、本質的にエゴを越えたところにある覚悟を伴った贈与の結果として存在しているのであり、連綿と繰り返されてきたその連続性に基づくことで初めて成立しているのです。今期のてんびん座もまた、そうした意味での贈与、すなわち覚悟をもって他者にエネルギーを贈っていくことがテーマになっていくでしょう。
参考:ジョルジュ・バタイユ、酒井健訳『呪われた部分』(ちくま学芸文庫)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ