12星座全体の運勢

「持ち越して行くべきもの」 

いよいよ激動の2021年も終わり、年が明けてすぐの1月3日にはやぎ座12度(数えで13度)で2022年初となる新月を迎えていきますが、そんな今回の新月のテーマは「超越への意志」。 

ちょうどこの時期は七十二候で言うと「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」にあたり、この雪の下で芽を伸ばす麦のことを、別名「年越草(としこしぐさ)」と呼んだりするのですが、これは秋に発芽して冬を越し、次の年になって実を結ぶ植物(一年草に対して越年草とも言う)の代表が麦であるということに由来しています。 

同様に、年が改まったからと言って、それまでのものが何もかも終わってしまう訳ではなく、むしろ次の年へと何が何でも持ち越していかなければならないものが必ずあるはず。それは大切な人との縁であれ、経験を通じて得られた学びであれ、まだ解決できないままくすぶっている問題であれ、事柄の種類は何であっても構いません。いずれによせ大切なのは、それが確かに在るからこそ自分が強くなれたり、エネルギーが一気に引き揚げられたり、また、人生が未来へと開けていきそうだと心から感じられるかどうかなのです。 

もしそういうものが一つでも見つかったならば、改めて今回の新月の期間には、岩に忘れてはならない教えや掟を刻むがごとく、旧年から持ち越していくべきものとの合一や血肉化を試みてみるといいでしょう。 
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獅子座(しし座)

今期のしし座のキーワードは、「普通を志す」。

獅子座のイラスト
中学生のころ、『普通を誰も教えてくれない』という本を図書館で借りて読んだことがあったが、その時は結局生きていく上で本当に拠り所となる「普通」というのがどういうことなのか、よくわからなかった。 
 
しかし、その後いくらか生きてみて、少なくとも社会によっていったん色づけされ、ラベルを貼られた存在が「普通になる」ということがとても難しいこと、そしてラベルを引き剥がし、捨てたりして「無徴」になることもまた、みずからの出自や生きてきた軌跡を隠し、否定しながら生きなければならないという意味でとても辛いことなのだということがわかるようになってきた。 
 
では、その先は? ということがなんとなくあやふやになっていたところを、丁寧に継いでくれたように感じたのが、社会学者・岸政彦の『断片的なものの社会学』の「普通であることへの意志」に取り上げられたある高齢の異性装者のブロガーの話だった。 
 
そのブログは個人がひっそりとやっているもので、天気の話やその時々の時事問題や身近な社会問題への感想や苦言が時に昔の思い出話を交えて淡々した筆致で書かれているのですが、ただ、どの記事にも最後にさまざまに背景や衣装を変えて写るブログ作成者本人の写真が、何の説明もなく、ただ静かにそこに並んでおり、それが「全体として、このブログを、なにか独特のものにしている」のだという。 
 
岸は、いったんラベルということについて、普通はそうした「差別を乗り越える、ということは、ラベルについて「知らないふりをする」ということではなく、「ラベルとともに生きる」ということなのだ」と指摘しつつ、異性装者のブロガーについて次のように述べている。 
 
彼女は誰とも、何とも闘ってはいない。そうした闘いを飛び越えて、最初からそういうしんどい闘いが存在していなかった世界を、自分だけの小さな箱庭で実現しているのである。/誰も、誰からも指を指されない、穏やかで平和な世界。自分が誰であるかを完全に忘却したまま、自由に表現できる世界。それは、私たちの社会が見る夢である。」 
 
今期のしし座もまた、自分がただなんとなく多数派的な意味での普通に甘んじているのか、それとも、異性装者のブロガーのように普通であることに意志をもって臨んでいるのか、あるいは、どのような「普通」を夢見ているのか、改めて考えてみるといいでしょう。 
 
 
参考:岸政彦『断片的なものの社会学』(朝日出版社) 
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<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ