【魚座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<12/26~1/8> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「持ち越して行くべきもの」
いよいよ激動の2021年も終わり、年が明けてすぐの1月3日にはやぎ座12度(数えで13度)で2022年初となる新月を迎えていきますが、そんな今回の新月のテーマは「超越への意志」。
ちょうどこの時期は七十二候で言うと「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」にあたり、この雪の下で芽を伸ばす麦のことを、別名「年越草(としこしぐさ)」と呼んだりするのですが、これは秋に発芽して冬を越し、次の年になって実を結ぶ植物(一年草に対して越年草とも言う)の代表が麦であるということに由来しています。
同様に、年が改まったからと言って、それまでのものが何もかも終わってしまう訳ではなく、むしろ次の年へと何が何でも持ち越していかなければならないものが必ずあるはず。それは大切な人との縁であれ、経験を通じて得られた学びであれ、まだ解決できないままくすぶっている問題であれ、事柄の種類は何であっても構いません。いずれによせ大切なのは、それが確かに在るからこそ自分が強くなれたり、エネルギーが一気に引き揚げられたり、また、人生が未来へと開けていきそうだと心から感じられるかどうかなのです。
もしそういうものが一つでも見つかったならば、改めて今回の新月の期間には、岩に忘れてはならない教えや掟を刻むがごとく、旧年から持ち越していくべきものとの合一や血肉化を試みてみるといいでしょう。
ちょうどこの時期は七十二候で言うと「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」にあたり、この雪の下で芽を伸ばす麦のことを、別名「年越草(としこしぐさ)」と呼んだりするのですが、これは秋に発芽して冬を越し、次の年になって実を結ぶ植物(一年草に対して越年草とも言う)の代表が麦であるということに由来しています。
同様に、年が改まったからと言って、それまでのものが何もかも終わってしまう訳ではなく、むしろ次の年へと何が何でも持ち越していかなければならないものが必ずあるはず。それは大切な人との縁であれ、経験を通じて得られた学びであれ、まだ解決できないままくすぶっている問題であれ、事柄の種類は何であっても構いません。いずれによせ大切なのは、それが確かに在るからこそ自分が強くなれたり、エネルギーが一気に引き揚げられたり、また、人生が未来へと開けていきそうだと心から感じられるかどうかなのです。
もしそういうものが一つでも見つかったならば、改めて今回の新月の期間には、岩に忘れてはならない教えや掟を刻むがごとく、旧年から持ち越していくべきものとの合一や血肉化を試みてみるといいでしょう。
魚座(うお座)
今期のうお座のキーワードは、「「周縁」を担う」。
2021年はオリンピックやさまざまな政治情勢を通じて、国家をも飲みこんだ新自由主義経済が、決して人間に幸せを約束してくれるものではないということが、改めて浮き彫りになった1年だったとも言えますが、その上で、2022年のうお座の人たちは、“からめ手”から世の中に変動をもたらしていく急先鋒となっていくのではないでしょうか。
からめ手とは、人々の注意があまり向かない裏門や裏手のことを指しますが、そのことを文化人類学の立場から説いたのが山口昌男でした。山口は、社会構造を日常的な「中心」と非日常的な「周縁」とに分け、両者の葛藤から文化の力強さは生まれるという「中心と周縁」論を説き、負けは勝ちの、よそ者は共同体の、異常は正常の、闇は光の本質を反映的に深くあらわしており、その物語の深部を示しているのだと主張したのです。
例えば、明治元年にあたる1868年に始まった薩長を中核とした新政府軍と旧幕府軍と東北諸藩の連合軍が戦った日本最大の内戦である戊辰戦争で破れた諸藩側の出身の人物は、藩閥や軍閥などの階層秩序からことごとく排除されたことはよく知られていますが、山口の『「敗者」の精神史』の「敗者の生き方」という章では、さまざまな人物を取りあげることでその後の近代日本の歴史を逆照射していきます。
「例えば東条英機の父英教(ひでのり)も岩手藩出身であったため、主流から排除され、せいぜい陸大教官どまりの中将、理論家としての枠に閉じ込められる生涯を送った。このような場合、子弟の反応は一般的に、やや反体制の側に赴くか、逆に、さらに体制に忠誠を尽くすことによって父祖の汚名をそそごうとする方向に赴く。東条英機の場合は後者の途を執った。そして、それは、昭和日本に破滅的な結末を与えることになった。」
山口は他に、文部省に出仕する形で働きながら日本初の近代的国語辞典である「言海(げんかい)」を編纂した大槻文彦や、早々に官職を引退して自由奔放な知識人としての生き方を貫いた兄の大槻如電、作家の幸田露伴をはじめ知的遊び人集団である根岸党の一員であった人物、日本浮世絵協会の創設に尽力し、明治文化研究会の設立に関わった文化史家の石井研堂に加え、同志社大学の創立者としても知られ、初期の京都府政を初代の府議会議長として指導した山本覚馬を取りあげた上で次のように述べています。
「さて、これまで敗け派、東北同盟の諸藩の中からのさまざまに屈折した反応が、日本近代に独特の陰翳を添えてきたことをたしかめてきた。(中略)結局、覚馬も先に挙げた人物たち同様、近代日本の公権力を中心に築かれた空間の異人にとどまったと言うべきであろうか。」
こうした敗け派の人たちは、明治以降の社会において中心に対する「周縁」を結果的に担っていった訳ですが、その背景にあったであろう「どうせ」から「いっそ」への転換こそが、その後に栄えた文化のダイナミズムの原動力ともなっていったのではないでしょうか。
その意味で、今期のうお座もまた自身の「負け」「よそ者」「異常」をきちんと背に回した上で、自分なりの社会参加の流れを中長期的に展望していきたいところです。
参考:山口昌男『「敗者」の精神史』(岩波書店)
からめ手とは、人々の注意があまり向かない裏門や裏手のことを指しますが、そのことを文化人類学の立場から説いたのが山口昌男でした。山口は、社会構造を日常的な「中心」と非日常的な「周縁」とに分け、両者の葛藤から文化の力強さは生まれるという「中心と周縁」論を説き、負けは勝ちの、よそ者は共同体の、異常は正常の、闇は光の本質を反映的に深くあらわしており、その物語の深部を示しているのだと主張したのです。
例えば、明治元年にあたる1868年に始まった薩長を中核とした新政府軍と旧幕府軍と東北諸藩の連合軍が戦った日本最大の内戦である戊辰戦争で破れた諸藩側の出身の人物は、藩閥や軍閥などの階層秩序からことごとく排除されたことはよく知られていますが、山口の『「敗者」の精神史』の「敗者の生き方」という章では、さまざまな人物を取りあげることでその後の近代日本の歴史を逆照射していきます。
「例えば東条英機の父英教(ひでのり)も岩手藩出身であったため、主流から排除され、せいぜい陸大教官どまりの中将、理論家としての枠に閉じ込められる生涯を送った。このような場合、子弟の反応は一般的に、やや反体制の側に赴くか、逆に、さらに体制に忠誠を尽くすことによって父祖の汚名をそそごうとする方向に赴く。東条英機の場合は後者の途を執った。そして、それは、昭和日本に破滅的な結末を与えることになった。」
山口は他に、文部省に出仕する形で働きながら日本初の近代的国語辞典である「言海(げんかい)」を編纂した大槻文彦や、早々に官職を引退して自由奔放な知識人としての生き方を貫いた兄の大槻如電、作家の幸田露伴をはじめ知的遊び人集団である根岸党の一員であった人物、日本浮世絵協会の創設に尽力し、明治文化研究会の設立に関わった文化史家の石井研堂に加え、同志社大学の創立者としても知られ、初期の京都府政を初代の府議会議長として指導した山本覚馬を取りあげた上で次のように述べています。
「さて、これまで敗け派、東北同盟の諸藩の中からのさまざまに屈折した反応が、日本近代に独特の陰翳を添えてきたことをたしかめてきた。(中略)結局、覚馬も先に挙げた人物たち同様、近代日本の公権力を中心に築かれた空間の異人にとどまったと言うべきであろうか。」
こうした敗け派の人たちは、明治以降の社会において中心に対する「周縁」を結果的に担っていった訳ですが、その背景にあったであろう「どうせ」から「いっそ」への転換こそが、その後に栄えた文化のダイナミズムの原動力ともなっていったのではないでしょうか。
その意味で、今期のうお座もまた自身の「負け」「よそ者」「異常」をきちんと背に回した上で、自分なりの社会参加の流れを中長期的に展望していきたいところです。
参考:山口昌男『「敗者」の精神史』(岩波書店)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ