【双子座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<2/6~2/19> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「存分に自分をぬかるませる」
大地が目覚め、うるおい始める時期とされる「雨水」に入る直前である2月17日には、しし座の27度(数えで28度)で満月を迎えていきます。
寒さがゆるんだり、厳しくなったりと、もしかしたら一年のうちでもっとも大地の息づかいを意識させられる時期にもあたるタイミングですが、そんな今回の満月のテーマは「不思議なほどの気持ちの明るさを楽しむこと」。
冬が終わると光あふれる春の日が訪れるように、多大なフラストレーションや深い暗闇の後には、必ずふわふわとした浮遊感や解放感を伴うような回復期がやってきます。今回のしし座満月の時期もまた、厳しい冬の終焉と本格的な春の到来とをつなぐ過渡期であり、寒さと乾燥で張りつめていた神経や身体の末端のこわばりをどれだけゆるめていけるかということが大切になっていきます。
ちょうどこの時期に雪解けや霜解けで土壌がぬかるむことを、昔から「春泥」と呼んでいたように、積極的にアクビをしたり、特に上半身の緊張や指先のとどこおりをほぐしていくことで、存分に自分をぬかるませていくイメージで過ごしてみるといいかも知れません。
涙や鼻水もどんとこい。春への始動は、まずは身体の中から。全身がアクビそのものであるかのような赤ちゃんになったつもりで、たっぷりとゆるんでしまうことを自分に許してあげてください。
寒さがゆるんだり、厳しくなったりと、もしかしたら一年のうちでもっとも大地の息づかいを意識させられる時期にもあたるタイミングですが、そんな今回の満月のテーマは「不思議なほどの気持ちの明るさを楽しむこと」。
冬が終わると光あふれる春の日が訪れるように、多大なフラストレーションや深い暗闇の後には、必ずふわふわとした浮遊感や解放感を伴うような回復期がやってきます。今回のしし座満月の時期もまた、厳しい冬の終焉と本格的な春の到来とをつなぐ過渡期であり、寒さと乾燥で張りつめていた神経や身体の末端のこわばりをどれだけゆるめていけるかということが大切になっていきます。
ちょうどこの時期に雪解けや霜解けで土壌がぬかるむことを、昔から「春泥」と呼んでいたように、積極的にアクビをしたり、特に上半身の緊張や指先のとどこおりをほぐしていくことで、存分に自分をぬかるませていくイメージで過ごしてみるといいかも知れません。
涙や鼻水もどんとこい。春への始動は、まずは身体の中から。全身がアクビそのものであるかのような赤ちゃんになったつもりで、たっぷりとゆるんでしまうことを自分に許してあげてください。
双子座(ふたご座)
今季のふたご座のキーワードは、「喪失の記憶の再浮上」。
フロイトは自分の中で無意識に抑圧していることがらが、失言、言い間違い、言い損ない、つまり口を滑らせるという形で表に出るのではないかという仮説を立てましたが、主人公である語り手がつい口を滑らせることで大事な、忘れていけない何かが浮き上がってくるという仕立てが印象的な短編小説に、村上春樹の「象の消滅」があります。
ここでは、村上春樹の作品を直接引用する代わりに、文芸評論家の加藤典洋がその“浮き上がり”を焦点に、ごく自然な手つきであらすじを解説した文章を引いてみたいと思います。
「「僕」がつい「象の話をし」てしまうと、これに雑誌編集者の女性が「どんな象だったの?どんな風にして逃げたんだと思う?いつも何を食べていたの?危険はないのかしら?」と矢継ぎ早に質問を投げかけ、「僕」が話をそらそうといくら「それに対して新聞に書いてあるようにごく一般的なありきたりの説明をし」ても、彼女はだまされない、という場面が出てきます。(中略)象がいなくなり「びっくりしたでしょ?」、そんなこと「誰にも予測できないですものね」と何気なく訊いてくるのに、「僕」がつい迂闊に「そうだね。そうかもしれない」と答えると、その言葉尻をとらえて、彼女は「そうかもしれない」というのは、とても奇妙な答えようではないか、と言い、「いい?私が『象が消えてしまうなんて誰にも予測できないもの』と言ったら、あなたは『そうだね。そうかもしれない』って答えたのよ。普通の人はそういう答え方はしないわ。『まったくね』とか『見当もつかないな』とか言うものじゃないかしらと彼に迫ります。そしてそこまで理路整然と問いつめられた彼は、ついには兜を脱ぎ、いよいよ「君の耳はおかしくないよ」と降参し、話をはじめるのです。」
ある日、町のアイドルだった象が飼育員とともに忽然と消えた話の詳細はここでは省きますが、その出逢ったばかりの若い男女が交わすにはあまりに奇妙な話題について会話する二人について、加藤は次のようにも描写しています。
「かつては「ないこと」があった。でもいまはその「ないこと」もない。喪失の経験がない。そこには二つの「ないこと」があり、そのことに前者は気づいているが、後者はまだ気づいていないのです。二人の間で話題はすぼみ、ついに二人は黙る。三十分後、二人は別れます。」
しかし、話した男にとっても、それを聞いた女にとっても、この「ないこと」の記憶は、そう遠くないうちに何か忘れてはいけない大事な意識の表面に再び浮上するでしょう。今期のふたご座もまた、こうした失言、言い間違い、言い損ないを見逃さないことです。
参考:加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011 上』(ちくま学芸文庫)
ここでは、村上春樹の作品を直接引用する代わりに、文芸評論家の加藤典洋がその“浮き上がり”を焦点に、ごく自然な手つきであらすじを解説した文章を引いてみたいと思います。
「「僕」がつい「象の話をし」てしまうと、これに雑誌編集者の女性が「どんな象だったの?どんな風にして逃げたんだと思う?いつも何を食べていたの?危険はないのかしら?」と矢継ぎ早に質問を投げかけ、「僕」が話をそらそうといくら「それに対して新聞に書いてあるようにごく一般的なありきたりの説明をし」ても、彼女はだまされない、という場面が出てきます。(中略)象がいなくなり「びっくりしたでしょ?」、そんなこと「誰にも予測できないですものね」と何気なく訊いてくるのに、「僕」がつい迂闊に「そうだね。そうかもしれない」と答えると、その言葉尻をとらえて、彼女は「そうかもしれない」というのは、とても奇妙な答えようではないか、と言い、「いい?私が『象が消えてしまうなんて誰にも予測できないもの』と言ったら、あなたは『そうだね。そうかもしれない』って答えたのよ。普通の人はそういう答え方はしないわ。『まったくね』とか『見当もつかないな』とか言うものじゃないかしらと彼に迫ります。そしてそこまで理路整然と問いつめられた彼は、ついには兜を脱ぎ、いよいよ「君の耳はおかしくないよ」と降参し、話をはじめるのです。」
ある日、町のアイドルだった象が飼育員とともに忽然と消えた話の詳細はここでは省きますが、その出逢ったばかりの若い男女が交わすにはあまりに奇妙な話題について会話する二人について、加藤は次のようにも描写しています。
「かつては「ないこと」があった。でもいまはその「ないこと」もない。喪失の経験がない。そこには二つの「ないこと」があり、そのことに前者は気づいているが、後者はまだ気づいていないのです。二人の間で話題はすぼみ、ついに二人は黙る。三十分後、二人は別れます。」
しかし、話した男にとっても、それを聞いた女にとっても、この「ないこと」の記憶は、そう遠くないうちに何か忘れてはいけない大事な意識の表面に再び浮上するでしょう。今期のふたご座もまた、こうした失言、言い間違い、言い損ないを見逃さないことです。
参考:加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011 上』(ちくま学芸文庫)
<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ