12星座全体の運勢

「存分に自分をぬかるませる」 

大地が目覚め、うるおい始める時期とされる「雨水」に入る直前である2月17日には、しし座の27度(数えで28度)で満月を迎えていきます。 

寒さがゆるんだり、厳しくなったりと、もしかしたら一年のうちでもっとも大地の息づかいを意識させられる時期にもあたるタイミングですが、そんな今回の満月のテーマは「不思議なほどの気持ちの明るさを楽しむこと」。 

冬が終わると光あふれる春の日が訪れるように、多大なフラストレーションや深い暗闇の後には、必ずふわふわとした浮遊感や解放感を伴うような回復期がやってきます。今回のしし座満月の時期もまた、厳しい冬の終焉と本格的な春の到来とをつなぐ過渡期であり、寒さと乾燥で張りつめていた神経や身体の末端のこわばりをどれだけゆるめていけるかということが大切になっていきます。 

ちょうどこの時期に雪解けや霜解けで土壌がぬかるむことを、昔から「春泥」と呼んでいたように、積極的にアクビをしたり、特に上半身の緊張や指先のとどこおりをほぐしていくことで、存分に自分をぬかるませていくイメージで過ごしてみるといいかも知れません。 

涙や鼻水もどんとこい。春への始動は、まずは身体の中から。全身がアクビそのものであるかのような赤ちゃんになったつもりで、たっぷりとゆるんでしまうことを自分に許してあげてください。 
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蠍座(さそり座)

今季のさそり座のキーワードは、「深い宗教的要請」。

蠍座のイラスト
現在形で進行する過酷な現実に代わる、「いずれこうなったらいいな」という集合的理想の結晶化として“ユートピア”が、もはや近い未来において投影されることさえ極めて難しい状況となってしまった今の時代は、ある意味で人びとは騙されやすくなったのだとも言えるのではないでしょうか。 
 
つまり、少しでも気持ちを楽にしてくれるものなら、すすんで自分から騙されようとする心性がきわめて強まっており、それは歴史を鑑みれば俗にカルトと呼ばれる狂信的な集団倒錯が発生しやすい条件に他ならず、そうした状況がいつの間にか巧妙に準備されているように思えてならないのです。ただ、ここで同時に思い出されるのが、精神医学者で文化人類学者でもあったグレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』において、父と娘の対話形式で構成されたメタローグ「それで?」の中の一節です。 
 
父 私は長いこと宗教のためには一種の低能さが必要条件だと思っていた。そしてそれが耐えられないほど嫌だったのだが、しかしどうもそうではないらしい。 
娘 ああ、それがこの本のテーマなの。 
父 いいか、彼らは信仰を教え、降伏せよと説教する。しかし私の望みは明晰さにある。(…)私の宗教観に転換をもたらしたことに、フレイザー流の魔術観が逆立ちしている、あるいは裏返しになっているという発見があった。魔術から宗教が発生したという伝統的な考え方があるが、あれは逆だ。宗教が堕落して魔術になった、そう考えるのが正しいと思う。 
娘 じゃあ、パパの信じないことなって何なのか、それをお聞きしようかしら。 
父 うん、例えばだな、雨乞いダンスの本来の目的が雨を降らせることになったとは、私は信じない。そんな浅薄なもんじゃない。もっと深い、何というか、人間もまたエコロジカル・トートロジー―つまり生命と環境を一まとめにした不変の真理だね―その中にちゃんと属しているんだというメンバーシップの肯定、そういう深い宗教的要請があるはずだよ。それを「雨が降りゃいい」などというレベルで見るのは、こっちが宗教的に堕落しているからだ。/宗教ってものは、いつも堕落に向かう傾きを持つ。堕落が要請されるとさえ言っていい。みんなして寄ってたかって、宗教をつくり変えてしまうわけだ。娯楽だとか政治だとか魔術だとか“パワー”だとかに。 
娘 ESPとか、霊魂顕現とか、霊魂遊離とか、降霊術とか? 
父 みんな野卑な物質主義を安易に逃れようとする誤った試みだ。病める文化の症候だよ。奇跡とは、物質主義者の考える物質主義脱出法さ。」 
 
今期のさそり座もまた、ベイトソンのいうように現代文明の野卑な物質主義から逃れる道として「奇跡」を求めるのではなく、もっと「深い宗教的要請」(例えば「醜を含めた美」の追求など)に従ってみるといいでしょう。 
 
 
参考:グレゴリー・ベイトソン、佐藤良明訳『精神と自然』(岩波文庫) 
12星座占い<2/6~2/19>まとめはこちら
<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ