12星座全体の運勢

「二元論的枠組みからの脱却」 

天文学には春の始まりであり、占星術的に一年の始まりである特別な節目の「春分」をいよいよ直前に控えた3月18日に、おとめ座27度(数えで28度)で満月を迎えていきます。 

前回3月3日のうお座新月は、冥王星(パワーへの飽くなき欲求)と火星(アクション)が重なる日でもあり、現在の緊迫した世界情勢がどちらへ傾いていくのかを占う上でも非常に大切な節目でしたが、18日の満月はそんな冥王星を緩和させる形で配置されており、「二元論の否定」ということがテーマとなってきます。 

すなわち、善か悪か、光か闇か、神か悪魔かという二元性の世界にどっぷり没入して、「〇〇〇〇が悪い」「こっちが良くて、あっちはダメ」「制裁、消去」と単純に決めつけていくのではなく、そうした二者択一的/二元論的な枠組みそのものから脱却するべく、否定できない真実をえぐり出していくのです。 

もちろんそれは「言うは易く行うは難し」ではありますが、ちょうど春分をはさんだ七日間を春の「お彼岸」といい、中日である春分が煩悩に満ちたこの世界(此岸)を超えた極楽浄土(彼岸)に最も近づける日だとされてきたように、混迷にみちた現在のこの世において、見失ってはいけないポイントを自分なりに見出し、感じ入っていくには今回の満月前後がもってこいのタイミングなのだとも言えるでしょう。  

その際、春の陽気をぞんぶんに取り入れて、できるだけ世の中や自分自身に対して冷笑的にならないよう努めることが大切であるように思います。世間一般からすれば些細なこと、つまらないことでもいい。自分にとって、これだけは忘れないでおこうと思える何かを見つけ出していきたいところ。 
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蟹座(かに座)

今期のかに座のキーワードは、「我、書く、故に我在り」。

蟹座のイラスト
今回のロシアによるウクライナ侵攻をめぐって改めて実感したことのひとつに、私たちは無数の人によって「書き込み」「書き出された」コンテクストの共同世界を生きており、自分自身もまたせっせと書いているのだということがあります。 
 
実際、私たちは不安に駆られたり、思い悩んだり、危機に直面したりするほどに、ますます場所を選ばずに何かを書こうとしますが、なぜ、そうまでして私たちは書く、すなわちテクスト(文脈)を紡ごうとするのでしょうか。 
 
こうした問いについて、哲学者の井筒俊彦は、現代哲学の巨人であるデリダを参考に、「現実」という言葉を「テクスト」に、「存在する」ことを「テクストの織り出し」へと読み変えてみることで、今まで全然見えていなかった側面が露呈してくるのだと述べています。 
 
「書く」とは、デリダにとって、心のなかに生起している想念を文字で書き写すことではない。(…)そうではなくて、「書く」とは書き出すこと、何かを存在にまで引き出してくること、つまり、存在そのものを我々の目の前に引き出してきて見せるための術策なのだ、と。」 
 
「書く」と「テクスト」と「存在」が奇妙な形で結びつけ、テクストの織り出しを現実現出の術策とするこの解釈においては、「一切は「テクスト」であり、「テクスト」内の事態」であって、そうすることで「我々は我々自身を、流動的可変的な「テクスト」として織り出して」いるのだと井筒はいいます。 
 
これは、かつての百科全書のように、あらゆるものが整然と整理され、あるべきところにあるべきものがあって、すべてが全体の中心としての神のまわりで見事な秩序をなしているといった世界像が現代ではとうに失われ、私たちの生がもはや、体系的で自足的で、自己完結している「本」のようではありえないということの裏返しでもあります。 
 
現代において、悪を懲らしめる善を象徴する水戸黄門や大岡越前は、いくら待っていても登場してこないのであり、現実が「テクスト」であり、そこに自分が存在することを自覚しようとする限り、私たちは実際に起きた出来事に折り合いつけるべく、みずからの手でテクストを織り出し、たぐりよせ、「なぜ」と問い続けていく他ないのでしょう。 
 
自分の星座から数えて「情報の受発信」を意味する3番目のおとめ座で満月が起きていく今期のかに座もまた、困難に陥ったときほど手を動かし続けることを忘れないよう、心がけていきたいところです。 
 
 
参考:井筒俊彦『意味の深みへ』(岩波書店) 
12星座占い<3/6~3/19>まとめはこちら
<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ