【蠍座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<5/29~6/11> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「いっそヒラリと宙返り」
夏のじめじめとした暑さと梅雨の不安定な天候との合わせ技で、服装選びに悩む衣替えの時期に入った5月30日には、ふたご座9度(数えで10度)で新月を迎えていきます。
サビアンシンボルは「アクロバット飛行」であり、これは自然のもっとも基本的な働きである"重力”に逆らう力を象徴化した度数です。
すなわち、年齢を重ねるごとに身体は老化し、体力は落ち、新しいことに挑戦する気概も失せ、心身ともに昔とった杵柄にすがりつき、なるべく現状を維持することに心血を注ごうとする傾向にあり、こうした“重力”はしばしば呪縛ともなってしまう訳ですが、今回の新月ではそうした当たり前のように人生にふりかかってくる呪縛を、いかに解き放っていけるかがテーマになっていくのだと言えます。
さながら、梅雨の不快な空気感を吹き飛ばす「青嵐(あおあらし、せいらん)」という季語が、青葉を吹きわたる清らかな空気を意味するように、「この年齢ならば」「この立場ならば」こうなって、こうして当然という流れに反するようなアクションやチャレンジを取り入れ、停滞した人生状況に風穴をあけてみるのもアリでしょう。
いずれにせよ、分かりやすいしがらみから思い切って離れ、地図にない未知の領域へと飛び込んでみることで得られる見晴らしは、あなたの人生をよりエキサイティングなものにしてくれるはず。
とりわけ、剣の上を渡るとき、氷の上を行くときは。そぞろ歩きを諦めて、いっそヒラリと宙返り。今期はそんなアクロバットを決めていけるかどうかが問われていくでしょう。
サビアンシンボルは「アクロバット飛行」であり、これは自然のもっとも基本的な働きである"重力”に逆らう力を象徴化した度数です。
すなわち、年齢を重ねるごとに身体は老化し、体力は落ち、新しいことに挑戦する気概も失せ、心身ともに昔とった杵柄にすがりつき、なるべく現状を維持することに心血を注ごうとする傾向にあり、こうした“重力”はしばしば呪縛ともなってしまう訳ですが、今回の新月ではそうした当たり前のように人生にふりかかってくる呪縛を、いかに解き放っていけるかがテーマになっていくのだと言えます。
さながら、梅雨の不快な空気感を吹き飛ばす「青嵐(あおあらし、せいらん)」という季語が、青葉を吹きわたる清らかな空気を意味するように、「この年齢ならば」「この立場ならば」こうなって、こうして当然という流れに反するようなアクションやチャレンジを取り入れ、停滞した人生状況に風穴をあけてみるのもアリでしょう。
いずれにせよ、分かりやすいしがらみから思い切って離れ、地図にない未知の領域へと飛び込んでみることで得られる見晴らしは、あなたの人生をよりエキサイティングなものにしてくれるはず。
とりわけ、剣の上を渡るとき、氷の上を行くときは。そぞろ歩きを諦めて、いっそヒラリと宙返り。今期はそんなアクロバットを決めていけるかどうかが問われていくでしょう。
蠍座(さそり座)
今期のさそり座のキーワードは、「先覚者として」。
近代化以降の社会の特徴として、社会の巨大化・複雑化・流動化ということが挙げられますが、そうした社会に適応しようとすればするほど、人はより大きく、より根深い欲望に憑りつかれ、まるで操られるようにそこで抱いた夢や欲動につき動かされていくのではないでしょうか。
それが結果的に幸福か不幸のどちらを人間にもたらすことが多いのかはさておき、そこでは少なくとも「夢みる自分」から「夢に生かされる自分」という主客の逆転が起きているのだと言えます。そして、こうした逆転劇はそのまま「個体が先か種が先か」という二者択一的立場から、「個体はすなわち種であり種はすなわち個体である」という生態学者・今西錦司が提唱した「種の主体性」への転換とパラレルに対応しているように思います。
今西は『生物の世界』のなかで、ダーウィンの自然淘汰の考えを全面的に否定して「種は変わるべくして変わる」と主張し、「種自身が変わっていく場合には、早く変異をとげた個体はいわば先覚者であり、要するに早熟であったというだけで、遅かれ早かれ他の個体も変異するのである」とし、さらに「形態的・機能的ないしは体制的・行動的に同じようにつくられた同種の個体は、変わらねばならないときがきたら、また同じように変わるのでなければならない」と述べ、それゆえにこそ「種の起源は種自身になければならない」と結論づけました。
こうした今西進化論は、あきらかに生命ないし「生きること」に定位した思想であり、これが対象としての生物や生命物質に定位したダーウィニズムと相容れなかったのも致し方ないことだったのでしょう。
両者はそれぞれ問題にしている「事実」の大きさが違うのであって、たとえば今西の「生物が生きるということは働くということであり、作られたものが作るものを作っていくということである」とか、「こうして生物の世界は全体としてどこまでも一つのものでありながら、それはまたつねにそれぞれの生物を中心とした世界の統合体でもあった」といった言葉からは、今西が「客観的な観察」によって生命活動を傍観者的に分析しようとしているのではなく、あくまで生命それ自身の内側から、ひとりの実践者として生命活動を考えようとしていることが伺えます。
その意味で、現代社会において欲望に憑かれ、突き動かされることで、人生の新たな扉を開けていった者たちというのは、いわば種の主体的な変異の先覚者にならんとしているのであって、それは種が消滅の危機に瀕した際に環境との境界面にのばした触手のようなものなのだとも考えられるのではないでしょうか。
5月30日にさそり座から数えて「否応なく巻き込まれること」を意味する8番目のふたご座で新月を迎えていく今期のあなたもまた、ひとりの「先覚者」のひとりとして、ぜひとも突き抜けるところまで欲望にとりつかれていくべし。
参考:今西錦司『生物の世界 ほか』(中公クラシックス)
それが結果的に幸福か不幸のどちらを人間にもたらすことが多いのかはさておき、そこでは少なくとも「夢みる自分」から「夢に生かされる自分」という主客の逆転が起きているのだと言えます。そして、こうした逆転劇はそのまま「個体が先か種が先か」という二者択一的立場から、「個体はすなわち種であり種はすなわち個体である」という生態学者・今西錦司が提唱した「種の主体性」への転換とパラレルに対応しているように思います。
今西は『生物の世界』のなかで、ダーウィンの自然淘汰の考えを全面的に否定して「種は変わるべくして変わる」と主張し、「種自身が変わっていく場合には、早く変異をとげた個体はいわば先覚者であり、要するに早熟であったというだけで、遅かれ早かれ他の個体も変異するのである」とし、さらに「形態的・機能的ないしは体制的・行動的に同じようにつくられた同種の個体は、変わらねばならないときがきたら、また同じように変わるのでなければならない」と述べ、それゆえにこそ「種の起源は種自身になければならない」と結論づけました。
こうした今西進化論は、あきらかに生命ないし「生きること」に定位した思想であり、これが対象としての生物や生命物質に定位したダーウィニズムと相容れなかったのも致し方ないことだったのでしょう。
両者はそれぞれ問題にしている「事実」の大きさが違うのであって、たとえば今西の「生物が生きるということは働くということであり、作られたものが作るものを作っていくということである」とか、「こうして生物の世界は全体としてどこまでも一つのものでありながら、それはまたつねにそれぞれの生物を中心とした世界の統合体でもあった」といった言葉からは、今西が「客観的な観察」によって生命活動を傍観者的に分析しようとしているのではなく、あくまで生命それ自身の内側から、ひとりの実践者として生命活動を考えようとしていることが伺えます。
その意味で、現代社会において欲望に憑かれ、突き動かされることで、人生の新たな扉を開けていった者たちというのは、いわば種の主体的な変異の先覚者にならんとしているのであって、それは種が消滅の危機に瀕した際に環境との境界面にのばした触手のようなものなのだとも考えられるのではないでしょうか。
5月30日にさそり座から数えて「否応なく巻き込まれること」を意味する8番目のふたご座で新月を迎えていく今期のあなたもまた、ひとりの「先覚者」のひとりとして、ぜひとも突き抜けるところまで欲望にとりつかれていくべし。
参考:今西錦司『生物の世界 ほか』(中公クラシックス)
<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ