レスリング界のみならず日本を代表するスーパーウーマンである吉田さん。そんな彼女もモア読者たちと同じく、“なりたい私”のために努力し続けてきたひとり。その強さを支えたパワフルでポジティブな人間性に迫ります。 【取材・文/松山梢 撮影/北浦敦子 ヘア&メイク/中村未美(ロライマ) スタイリスト/森由美江】

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五輪3連覇に向け がむしゃらだった 27 歳

 吉田沙保里さんを語る時、どうしても「世界大会16連覇」、「個人戦206連勝」、「五輪3連覇」、「国民栄誉賞受賞」などなど、すごすぎる経歴を並べたくなってしまう。けれど、撮影現場に現れた彼女はビックリす るほど小柄で気さくで明るくて、“霊長類最強女子”という異名とのギャップに、スタッフの誰もが驚いた。 「キレイにしてもらえるのがうれしい」と笑う姿は、女性であることを楽しむ私たちと何も変わらない。そんな彼女が、いつ、どんなタイミングでレスリングと出合い、世界一になるという“なりたい私”を見つけたのか。そしてどんな努力をして、誰もマネのできない偉業を成し遂げたのか。今回、「モアチャレ」のスペシャルサポーターに就任していただいた偉大すぎる先輩に、“なりたい私になる方法”を聞いてみました。 「私がモア世代の27歳だった頃は、2008年の北京五輪で2連覇をした後。ロンドン五輪での3連覇を目指していた真っただ中でした。当然、周りの人たちからは『結婚した』とか、『子どもができた』という話をいろいろ聞くようになる時期でしたけど、私自身は全然そういう夢が描けていなくて(笑)。女性磨きよりも〝五輪3連覇〟という目標に向けてひたすら突っ走っていました」 「3連覇」という言葉を初めて口にしたのは、実は北京五輪で金メダルを首にかけた優勝インタビューでのこと。その決断の速さと、目標をハッキリと口に出す潔さはさすが。 「試合が終わってすぐに、『まだできそうだな』と思ったんですよね(笑)。思ったことはすぐに口に出しちゃうので、自然と『3連覇したいです』という言葉が出てきました。そして、言ったからには有言実行したいタイプ。自分で決めたことを最後まで諦めない気持ちは、子どもの頃から染みついているんです」  元全日本チャンピオンである父の影響で3歳からレスリングを始め、実家に併設された道場でトレーニングを積んでいた吉田さん。ところが小学生の頃、レスリングは「やらされている」という感覚だったそう。 「家に道場があったので、練習することはやらなければいけない日常のひとつ。当然やめたいと思ったことは何度もありました。けれど中学生になった時、アトランタ五輪で柔道の田村(現:谷)亮子選手が活躍している姿、外国人選手を勢いよく投げ飛ばしている姿を見てカッコいいと思ったんです。当時、女子レスリングはまだ正式種目ではありませんでしたが、『私もオリンピックに出たい。オリンピックのメダルが欲しい』という夢ができました。目標を持ってからは、“やらされている”感覚から“やろう”という前向きな気持ちに変わったんです」

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共に戦う仲間がいたから がんばることができた

 目標を決めたら一直線。たとえ「じゃんけんでも負けたくない」と言う根っからの負けず嫌いな性格も、目標に向かってがんばり続ける原動力になった。ただし、生まれ持った性格と練習に耐え続けた精神的な強さだけで、夢を叶えたわけではない。 「今も母校の至学館大学(旧・中京女子大学)で後輩たちと練習しているんですが、社会人の私がいつ参加するかは自由。朝練だって『今日は寒いからサボろう』と決めてもいいんです。けれど、みんなが練習しているから『私も行かなきゃ』と思える。個人競技ですけど、仲間と同じ目標に向かって力を合わせたからこそ、がんばれたと思います。3連覇がかかったロンドン五輪の時も、実は、すごく調子が悪くて。『なんとか3位までに入れればいいや……』という弱気な気持ちに初めてなりました。でも私の試合の前日に、伊調馨選手や小原日登美先輩が金メダルを取った姿を見て、『ふたりが取ったんだから私もできる! 私も金メダルが欲しい!』と思ったんです。もちろん積み重ねがあったからこそ自信を取り戻すことができたと思いますが、人間は気持ち次第で一瞬で変わることができると実感しました」

負ける経験をしたからこそ より強くなることができた

 2008年のワールドカップ団体戦で敗戦した際には、連勝記録が119でストップ。昨年のリオ五輪では銀メダルに終わり4連覇を逃すなど、負けることの悔しさも痛いほど経験している吉田さん。 「負けた時はとにかく悔しくて〝わー!〟って泣くんです。でも勝った時よりも負けた時のほうが、いろんな人からいろんな言葉をかけてもらえるんですよね。08年に負けた時に、母は『あなたが119連勝してきた裏で、119人の選手たちが泣いてきたのよ。オリンピックで恩返しをすればいいじゃない』と言ってくれたし、リオで負けた時も、『うちにはオリンピックの銀メダルがなかったからよかったじゃない』と言ってくれて。自然と背中を押してくれる人がたくさんいることに感謝しましたし、負けて得ることは、すごく多かったなと感じています」  失敗や挫折はもちろん、周囲からの大きすぎる期待を背負いながらも挑戦することを続ける理由を尋ねると、「人生は一回きり。叶えたい夢、なりたい目標を持たないと楽しくないじゃないですか!」とキッパリ。 「『こうしておけばよかった』と思っても、過去には戻れませんからね。私は高校時代に同じ男子に6回告白して6回フラれたことがあるんです(笑)。でも失敗を恐れてアクションを起こさなかったら、『男性はその人だけじゃない』と思うこともなかったし、同じ失敗をしないためにどうすればいいかを考えることもできませんでした。今ではいい想い出です(笑)。そして、何かを成し遂げようとした時に試練はつきもの。『もっと成長したい』と思っている人にしか、試練は与えられないものなんです。挑戦してみて本当にダメなら、またその時に考えればいい。試練は生きている限り何度も訪れるので、一段一段クリアしながら試練と友達になって楽しむことができれば、きっと大きく成長できている自分に気づくはずです」

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これからは女性としての 幸せをつかみたい!

 そんな「なりたい私」を実現してきた吉田さんが今“なりたい私”は、「恋愛して、結婚して、幸せな家庭を築く」こと。 「ずっとレスリング一本で突っ走ってきたので、やっぱり女性の幸せもつかみたいなと思って(笑)。星占いを見ると、今年の私は12年に一度の大幸運期みたいなんです! 彼氏をつくるためにも、まずは料理ができる女性にならなきゃなって。実は私、すごく小食なうえにお菓子が大好きな偏食で、『栄養士さん泣かせ』ってよく言われるんです。当然、料理もまったくしてこなかったので、包丁の使い方も危なっかしい(笑)。生きていくために“食”は大事ですし、未来のだんなさんや子どものためにも、おいしくて見た目もかわいい料理が作れるようになりたいです。私にとっていちばん苦手な分野ですが、“なりたい私”に近づくために、みなさんと一緒にがんばりたいと思います!」

<プロフィール> よしだ・さおり●1982年10月5 日生まれ、三重県出身。女子レスリング選手としてアテネ、北京、ロンドン五輪で金メダル、リオ五輪で銀メダルを獲得。現在は現役を続行しつつレスリング女子日本代表コーチとして活躍