あがき、戦い続けた5人の物語 DEEP DIVE INTO THE “ZONE”
見る人を幸せにする笑顔、メンバーも絶賛するアイドル性、そして、才能と努力で築き上げた表現力を武器にステージの上で眩しいほどの輝きを放つ松島聡さん。「ここに来るまで何度も諦めそうになったことがあった」と本人が語る言葉そのままに、彼の人生にはよくも悪くもたくさんのドラマがあった。舞台裏で抱えていた苦悩、暗闇の中から救い出してくれた光、迷い、悩み、遠回りしながらたどり着いた“ありのままの自分”。松島さんが語る10年の歩み。2021年11月16日、デビュー10周年を迎えるSexy Zone。連載特別版として、メンバーそれぞれが10年の軌跡を振り返るロングインタビュー。

2021年MORE10月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
  • Sexy Zone松島聡さんインタビュー
    松島聡さんロングインタビュー
    松島「僕がジャニーズ事務所に入ろうと思ったのは、姉が見せてくれたHey! Say! JUMPさんのライブDVDがきっかけなんです。そこで、“こんな世界があるんだ!”と衝撃を受けて。“僕もあの世界の一員になりたい!”と好奇心の赴くままに自分で履歴書を送ったんですよ」

    松島さんがジャニーズ事務所に入所したのは13歳の頃。その一枚のDVDに出合うまで「芸能界のことはもちろん、ジャニーズのこともよく知らなかった」と振り返る。

    松島「だからね、入所当時の僕の夢は Hey! Say! JUMPさんのバックダンサーになることだったんです。自分がアイドルとしてデビューすることではなくて(笑)。そもそも、ジャニーズJr.の中から選ばれた人がデビューするという仕組みすら知らなかったので。自分がデビューできるなんて想像もしていなかったからこそ“あの世界の一員になりたい”という願いが叶っただけで大満足。よくも悪くも野心や欲が全然なくて。みんなと歌ったり踊れる毎日がただただ楽しくてしかたなかったんですよね」

    そんな松島さんの人生が一変したのが、2011年9月29日に行われたSexy Zoneの結成会見。それは彼がジャニーズ事務所に入所してから、わずか数カ月後の出来事だった。

    松島「たしか、その日はKis‐My‐Ft2さんの舞台に出演していて。楽屋に戻ったら衣装が5着並んでいたんです。わけもわからずその衣装に着替えると“今からステージに立つよ。そこで、フラッシュをたくさん浴びると思うけど驚かないでね。胸を張って堂々と自分の名前を言うんだよ”と言われて……。そこで初めて知ったんですよ、自分がSexy Zoneというグループの一員になることを。でも、実は僕自身はあまり驚いていなくて。これもまた無知ゆえなんですけど、“バックダンサーの新しいユニットが生まれた”くらいにしか思っていなくて。華やかな結成会見も“世間を楽しませるためにジャニーさんが考えた新しい演出かな”と思っていたんです(笑)。家に帰ると家族は“大変なことになった”とアワアワしているし、翌日の学校も大騒ぎだったんですけど、そこでも僕はまだ“次のJUMP兄さんたちのコンサートもバックで踊れたらいいな”しか考えていなかったっていうね(笑)」

    入所後、数カ月でデビュー。“戸惑い”でいっぱいだった
    松島「ただ“楽しい”だけだった毎日に“戸惑い”や“不安”が生まれ始めたのは、やっぱりデビューしてからなのかな。まず、僕は入所して一年もたたないうちにデビューしたので、圧倒的に経験が足りなかったんだよね。何が正解なのか、何が間違っているのか、何がわからないのかすらもわからない。もちろん、そんな未熟な僕をメンバーはサポートしてくれるんだけど……。罪悪感みたいなものがずっと自分の中にあったかな。そもそも、僕はデビューを目指してこの世界に飛び込んだわけではなかったから。本気でデビューを目指し頑張っている仲間たちに対して“申し訳ない”って、どこか後ろめたさを感じてしまう自分がいたんですよね」

    ステージの上に立つたびに感じていたのは「自分はここにいていいのか」という思い。「あの頃は、自分に自信を持つことができなかった」と松島さんは振り返る。

    松島「当時の僕からするとメンバーさえも“すごい人たち”だったんですよ。まず、ケンティ(中島健人)や(菊池)風磨君は大先輩であり、僕にとってはいつも優しくしてくれる“大好きなお兄さん”でもあって。ふたりのいる楽屋に遊びにいくのが楽しみでしかたがなかった。マリウス(葉)もジャニーズJr.の中では生粋の愛されキャラで。ドイツから日本にやってきた彼がリハ室に入ってくると、全員がマリウスだ! って駆け寄り先輩までもが笑顔になる、そんな光景を目にして“いったい、この子は何者なんだ?”と。驚いた初対面の記憶は今も鮮明に残っていますからね(笑)。(佐藤)勝利もまたジャニーズJr.の中では特別な存在でした。ビジュアルも存在感も圧倒的で、みんなから一目おかれる人だったんです。だからこそ、そんなメンバーについていくために、当時の僕はいつも必死で……」

    そこで飛び出したのが、デビュー当初のこんなエピソードだった。

    松島「あの頃の僕は勝利とぶつかることが多かったんです。今振り返ると、年齢も近いし、どこかライバル視してしまう自分がいたのかな。どんなに頑張っても追いつけない、彼のいる場所に届かない気がして。勝利の持っているものすべてが羨ましかったし、悔しかったんだよね」

    実は、前号のインタビューで同じエピソードを語っていた勝利君。そこで彼が言った「歌もダンスも、自分にはない才能を持っている松島が羨ましかった」という言葉を伝えると「勝利もそうだったんだ……。なんかうれしいな」と松島さんは感慨深げに呟き照れくさそうに笑った。

    ステージを降りなかったのは大切な仲間がそばにいたから
    松島「実はあの頃、何度も思ったことがあるんですよ。もう、やめたほうがいいんじゃないかって。僕はこのステージに立つべき人間じゃないのかもしれないって。それでもやめずに続けたのは、支えてくれる大切な人がいつもそばにいたからなんだと思う。メンバーはもちろんだけど、僕にとってマリウスはとても大きな存在で。シンメであるのと同時に、経験が少ない環境も同じで、共有できるものがたくさんあったというか。何度も助けられたし、一緒にいくつもの壁も乗り越えてきた、僕たちの間には強い絆があって。うまく言葉にできないんですけど、マリが隣にいるだけで僕は安心できるし、頑張ろうという気持ちになれるんですよ。今でもたまに思うんです、マリがいなかったら、最初の数年で僕は諦めてしまっていたかもしれないなって」

    過去にはそんなマリウスさんと離れて活動した時期も。その時もまた「支えてくれたのは周りの大切な人たちだった」と松島さんは続ける。

    松島「僕とマリはSexy Zoneから少し離れてそれぞれ別のユニットで活動していた時期があるんです。それは、ジャニーさんが経験の浅い僕たちを成長させるために用意してくれた時間だったと思うんですけど。正直最初は戸惑ったし、不安だった。でもそんな僕を救ってくれたのが、同じユニットのメンバーである松倉海斗と松田元太(2人ともTravis Japan)だったんです。ふたりからの“また聡と一緒にやれてすごくうれしい”というまっすぐな言葉は、仲間たちに対して申し訳ない気持ちを抱えていた僕の心にとても強く響いた。そう言ってくれるふたりの存在が“ここで諦めちゃダメだ”と僕の背中を押してくれた。ふたりの思いに応えたい、このユニットを盛り上げたい、そのためにもジャニーズJr.歴の長いふたりからいろんなことを教えてもらおうって」

    実際、ふたりと過ごした時間は「大切な経験になったし、とても大きなプラスになった」と振り返る。

    松島「Sexy Zoneに戻り5人で活動するようになった時も、デビュー当時とは違って堂々とステージに立てる自分がいたし。自分の中にたくさんの引出しを蓄えることができたからこそ、その引出しを早く開けてグループに貢献したいという気持ちがさらに高まった。今でもふたりには本当に感謝しているんです」

    ずっと自信を持つことができなかった松島さんのSexy Zone創成期。

    松島「でもね、5人で活動するようになってから、自信を持てるようになったのかと聞かれたら……。それはまた別の話で。僕が本当の意味で100%自分に自信を持てるようになったのはきっと休養期間を終えてから。実は本当に最近の話なんです」

    “ありのままの自分”がいい。もう嘘をつくのはやめました
    松島さんが病気療養のため活動休止を発表したのは、2018年の出来事。仕事から離れ心と体を休めることに専念していた彼がステージに戻ってきたのはその約2年後、2020年の夏だった。

    松島「ここで伝えておきたいのが、僕がお休みしたのは仕事のせいだけじゃないってことなんです。それまでの僕の中には見ないふりをしていたことやふたをしてしまっていたことがたくさんあって。それが積み重なってパンクしてしまったのが、あの頃の僕だったんです。自分と向きあえていなかったからこそ、僕には時間が必要だった、それが僕にとっての休養期間で。実際、時間をかけて自分と向きあったことで、心が整理されたし、自分とのつきあい方もわかるようになって、すごく強くなれたとも思う。そしてそれが今の自分の大きな自信にもなっていて」

    休養期間を経て、松島さんの中ではさまざまな変化があったそうだ。

    松島「変わったと感じることはいろいろあるけど。いちばんはやっぱり“ありのままの自分”で周りと接することができるようになったことなのかな。以前の僕は遠慮ぎみだったというか。自信がないからこそ“嘘”が多かった気がするんです。たとえば、相手を傷つけないために自分の意見を引っこめたり、心の中では違うと思いながらも相手の意見に賛同してしまったり……。でも、嘘が多い関係は長続きしないし、何も生み出さないし、自分の負担にもなってしまうんだよね。違うことは違う、うれしいことはうれしい、メンバーに対する愛情もちゃんと“好き”と言葉にして伝える。復帰後の僕はものすごく素直になれていると思う。そして、それは仕事に対する姿勢にも通じていて。僕ね、デビュー当時は自分のキャラクターがよくわからなかったんです。僕たちはジャニーさんから“自分で考えなさい、自分で行動しなさい、他人と同じことをするのをやめなさい”と育てられた。でもそれが僕には難しくて。誰ともかぶらない“自分”を見つけるために、生意気にイキってみたり、おバカを突き通してみたり、可愛い弟キャラを演じてみたり。でも、それって結局は“自分”じゃないんだよね。だから、復帰後はもう迷走するのをやめました。そこもまた“ありのままの自分”でいいじゃんって。遠回りしたけれど“自分らしくいることがいちばんの個性なんだ”って、ようやく気づくことができました」

    遠回りしたかもしれないけど大切なものをたくさん見つけた
    今の彼は無理せず背伸びせずありのままの自分で毎日を楽しんでいる。

    松島「実は僕、今まで目標を持つことができなかったんです。そもそも“バックダンサーになりたい”からすべては始まっているので。その夢を叶えてからは、自分がどこにいるのかも何を目指しているのかもわからないまま、激流の中をグルグル回っていた。でも、今はちゃんとその目標も持つことができている。自分の固定観念を捨てて、スタッフのみなさんが用意してくれた世界に染まる、カメラの前に立つ被写体の仕事をもっとしたいし。自分ではない誰かを演じる役者の仕事ももっと追求したい。僕はやっぱり“表現”が好きなんです。自分らしく歩めるようになってから、あらためてそこに気づくことができた。実はこんな欲が出てきたのは初めてのことで。それがすごくうれしかったりして」

    自分の武器や個性や願いがわからないと進む道が見えない。自信がないと「したい」、「やりたい」が言えない。それができている「今の自分はすごく好き」と彼は言葉を続ける。

    松島「本当の意味での僕のスタートラインは復帰した昨年だと思うんです。そこから、やっと自分らしい人生が始まった。だから、僕はまだ1歳なんですよ(笑)。でも、それは決して悪いことではなくて。10年やってきているのに、まだまだ新鮮に感じることがたくさんある。それってすごく幸せなことだと思うんだよね」

    グルリと遠回りしてしまったかもしれない。でも「だからこそ、見つけたものもたくさんある」と微笑む。

    松島「人生にはいろんな道があるから。正直、違うプランを考えたこともあるんです。でも、やっぱり違う道を歩く自分は自分じゃないと思った。ジャニーズ人生しか、5人で歩む未来しか、僕は考えることができなかった……。休養中、家のテレビで4人を観た時もそこに自分がいないことが寂しかった、4人に会いたかった、また一緒にものづくりをしたいと思った。そこでも強く感じたけど、僕にとってはSexy Zoneって“当たり前”な存在なんです。考えない日はないし、夢にも出てくるし、家族の会話にも出てくる。人生の、日常の、体の一部みたいな感覚で。今も昔も頼れる存在のケンティと風磨君も、今では親友のような勝利も、強い絆で結ばれているマリウスも大切な僕の一部。だからね、今はマリがお休みしているけど寂しくはないんです。遠く離れていたとしても、いつも感じるし、いつも僕の中にいるから。そう思えるのはきっと、決して平坦ではない道のりを一緒に歩んできた10年があるからこそ。こんな関係はなかなか築けないと思う。だからね、やっぱり僕は5人で歩む未来しか考えられないんですよ」