1980年──、いまから40年前。女性の「性」の本音を語る「モア・リポート」が誕生し、2017年までに延べ1万2千人を超える女性たちの性を見つめてきました。

そして、恋愛やセックスがいっそう多様化している現在。MORE世代の体験談を取材した新「モア・リポート」をお届けします!

入社3か月でまさかの妊娠

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
ーDATAー
岡山さん(仮名)29歳 /既婚 /主婦
初体験:19歳/経験人数:3人/セックスとは:変化があるもの
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
妊娠検査薬のイメージ写真
ーー22歳の時に妊娠が発覚したんですか?

はい。大学を卒業し、新卒で会社に入社して3ヵ月目に妊娠が発覚しました。

彼氏の拓也(仮名・当時23歳)と付き合って9か月目でした。(以下、岡山さん)

ーーそのとき、どう思いましたか?

就職したばかりだし、「ヤバい……」と思いました。「まだ自分も子どものようなものなのに、赤ちゃんを産むなんて……」と。最初は正直どうしていいか分からず、拓也といっしょにさんざん悩みました。

ーー避妊はしていなかった?

していなかったんです。付き合ってから妊娠するまでの9か月間、いつもお腹の上に出していて……。私も彼も、まさかそれで妊娠するとは思っていませんでした。今思えば、若く考えも幼かったとしか言いようがありません。

ーー拓也さんはどんな反応を?

拓也も私と同じく衝撃を受けていました。2人でどうしていいか分からず、悶々として。週末、ドライブにでかけ、えんえんと話し合いましたが、いくら悩んでも、2人では「産む」という答えを出せなかったんです。

家族に妊娠報告。彼の父の一言で出産を決意

恋人のイメージ写真
ーーその後どうしましたか?

まずは、拓也のお母さんに電話で妊娠報告をしました。「息子が二十代前半で、彼女を妊娠させてしまった」と、お母さんはショックを受けたようでした。一方で、拓也のお父さんはとても冷静だったんです。

「お互い好き同士で付き合っていたんだろう。それなら産んでほしい。大切な命だ」と。

それまでふたりとも目の前が真っ暗な状態でしたが、拓也のお父さんの言葉に背中を押してもらい、私たちは産むことを決意したんです。

ーー岡山さんの家族への報告は?

実は私、大学生の時に母をがんで亡くしていて。明るく、社交的だった母と対照的に、口数の少ない父とはあまり会話をすることがなかったんです。

当時、私は関西で就職をしていたのですが、実家は香川県だったので、父に「帰省するね」と電話をしました。「実は結婚しようと思っている人がいて、お腹の中に赤ちゃんもいる。相手を紹介するね」と。

――お父さんはどんな反応を?

「わかった」の一言でした。拓也と一緒に報告に帰った時も「わかった」と、ひと言。

三ヶ月後、交際一年の日に、籍を入れました。

自転車が白馬に見えた?拓也さんとの出会い

ーー妊娠が発覚する前から、拓也さんとは結婚を考えてはいたのですか?

好きだったし、いつかは結婚できればと考えていましたが、妊娠を理由にあんなに早く結婚することになるとは思ってもいませんでした。

――拓也さんとの出会いは?

拓也とは大学時代、共通の友人の紹介で出会いました。

はじめてのデートの時、拓也は待ち合わせ場所に自転車でやってきたんです。拓也が乗っていた白い自転車が白馬に見えて、白馬の王子様だ!って(笑)。

当時この話を友達にしたらすごく笑われたんですけど、今では「本当に運命の人だったんだね」と言われます(笑)。

夫婦になってからは、恋愛してたて頃のトキメキとか「好きだー!」って全身で感じるような感覚はなくなりました。でも、拓也は何よりも家庭が一番好きな人なので、平和な毎日を過ごしています。

無事、女の子を出産

出産のイメージ写真
ーーその後、無事に女の子が産まれたんですね。

はい。仕事を入社8か月で辞めて、娘を出産しました。

今振り返ってみれば、なのですが……、妊娠したタイミングは、就職した職場の業務内容が合わずストレスで拓也に当たってしまうことが多い時期でした。

「もしあのまま、拓也に当たり続けていたら、今の幸せはなかったかもしれない」。

そう考えると「あのタイミングで妊娠したのは運命だったんだ!」と、プラスに捉えることができました。

子育てをしていると、母のことを思い出します。

この娘は、亡くなった母からのプレゼントだと思うんです。娘が産まれた日は、私の23歳の誕生日でした。今月の誕生日で、私は30歳、娘は7歳になります。

拓也が白馬の自転車(笑)で登場したことも、娘が私の誕生日にやってきてくれたことも。

全て運命だと思うんです。
取材・文/毒島サチコ