京本大我 新境地

忘れられない7つの通過点とともに。

SixTONESのメンバーとしての活動はもちろんのことミュージカルの舞台上での活躍も高く評価されている京本さん。彼はなぜ、歌と舞台を愛するようになったのか——。歩みを振り返りながら語る、大切な通過点。いつか“本物”になることを夢見て、挑む新境地と未来。

2022年MORE9月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
京本大我 新境地

Profile

きょうもと・たいが●1994年12月3日生まれ。SixTONESのメンバーであり、ミュージカルにおいてもその実力が高く評価されている。8月2日の新橋演舞場公演を皮切りに舞台『流星の音色』が始まる

12月3日

京本大我が生まれた日

子供の頃、僕が憧れたのは大工さんとヒーローだった。当時は自分が芸能界で活躍するなんて想像もしていなかったけど、ものづくりに関わり誰かのヒーローになることもできる、アイドルという仕事をしている今の僕はある意味、子供の頃の夢を叶えているのかもしれない。でも、27歳の僕はまだまだ未熟だ。何度ステージに立っても本番前はいつも緊張で震える。だからこそ、音を、台詞を、自分の中に叩き込む。それはほんの少しだけ僕の緊張を和らげてくれる。

 京本大我は“好きなものにとことんハマる男”だと思う。最近は大好きな漫画『HUNTER×HUNTER』が連載再開するらしいという噂を耳にして、寝る間も惜しんでアニメを一気に100話以上見返した。集中力には自信があるけど、同時に、集中してしまうと周りが見えなくなる悪いクセが僕にはある。この間も右手にソフトクリーム、左手にスマホを持ったまま友達との話に夢中になってしまって。危うく、スマホをなめてしまいそうに……。そんな“うっかりミス”があまりにも多いからなのか、京本大我は周りから“天然”とよく言われる。

5月4日

ジャニーズ入所日

お店で僕の写真を見かけたジャニーさんが父(京本政樹さん)に連絡。ジャニーさんから「一度、コンサートを観にこないか」とKAT-TUNのコンサートに誘われたのが11歳の頃。当時はドラマ『ごくせん』や『野ブタ。をプロデュース』が大人気で。最初は「KAT-TUNに会える!」「学校で自慢できるかも!」くらいの軽い気持ちで東京ドームに向かったんです。なのに、ジャニーさんの「出てみる?」のひと言でなぜかステージに立つことに。ジャニーズJr.の仲間たちと一緒に踊った『ノーマター・マター』。気づいたら「もう一度、ここで踊りたい」と思っている自分がいた。京本家の家族会議で「ジャニーズに入りたい」と直談判している僕がいた。2006年5月4日、ステージから見た景色とたくさんの歓声が、人見知りで人前に立つのも苦手だった僕の人生を大きく変えた。

15歳

音楽に夢中になった瞬間

僕が音楽にのめり込むようになったきっかけはジャニーさんからの「ユー、歌うまいじゃん」というひと言。確か、先輩のコンサートに出演した時、楽屋で鼻歌を歌っている僕にこの言葉をかけてくれたんだよね。そして、急にソロタイムをもらって。テゴマスの『砂時計』をひとりでステージで歌ったんです。今でこそ、歌をほめてもらう機会が増えた僕だけど、昔は歌が苦手だった。苦手どころか音痴だった。でも「歌うまいじゃん」のひと言が僕の心に火をつけた。その日から、僕は死ぬほど練習した。ジャニーさんの「歌うまいじゃん」のひと言を信じて。あの日、あの言葉があったから、今の僕はここにいる。

19歳

ミュージカルとの出合い

それまで、ミュージカルをまともに観たことがなかった僕が、『エリザベート』のオーディションを受けたのは19歳の頃。その結果は当たり前だけど不合格。演出家の小池(修一郎)先生からは「素質はあるけどまだまだ未熟。またいつか受けにきて」の言葉をいただき、僕自身も受かると思っていなかったので「了解」の気持ちで帰ったんです。でも、課題曲でもあった『闇が広がる』が頭から離れなくて……。その後も、いろんな役者さんが演じている『エリザベート』の映像を探して観たり、自分でも何度も口ずさんで練習したりして。そして、迎えた20歳の誕生日。僕はまた、『エリザベート』のオーディション会場にいた。「ルドルフ役が決定せず再考したい」との連絡を受けて。そこで歌った『闇が広がる』を聴いて、小池先生は少し驚いた顔をしてこう言ってくれました。「前よりもうまくなっているね。まだまだ未熟だけど合格」と。あの日、僕の中で新しい扉がギイと音を立てて開いた。SixTONESとはまた別の場所に、一生立ち続けたいと思うステージを見つけた。外の世界にはまだまだ恐ろしいほどの歌の猛者たちがいる。それを知るたび、自信を失うばかりだし、本番前の舞台袖ではいつもお腹が痛くなってしまう。でも、求められる限り、僕はこのステージに立ち続けたいと思う。ミュージカルは偽りのない世界だから。本物しか立ち続けられない場所だから。諦めず臆せず挑戦して、いつか僕も、本物に近づきたい。

8月8日

SixTONESのデビュー発表日

僕たちがデビューを告げられたのはジャニーさんの病室でした。そして、そのデビューが発表されたのはジャニーズJr.のライブ会場。一緒に切磋琢磨してきた仲間の前での発表は、ただうれしいだけじゃなく、どこか苦く、申し訳なさもついてくるような感じで。いろんな気持ちがこみ上げてきた、あの日のことは今でも忘れることがない。SixTONESはよくも悪くもドラマティックなグループだと思う。自分たちの思うように物ごとが進まなくて腐っていた時期もあるし、グループ内がバラバラになってしまいそうな時期もあった。でも、そんな時期を乗り越えてきた経験は僕たちの血となり肉となっている。下積みが長かった分、実力を積み重ねてスタート地点に立てたから、バラエティにしても、ドラマにしても、結果を出せる可能性も高い。それは6人全員の強みだと思っているし。いろんなことをともに乗り越えてきた6人でいる空気感も、いい意味で大きくなったのを感じている。SixTONESは仲よく見えると思うし、実際に仲がいいと思う。でも「あなたにとってSixTONESは?」と聞かれたら僕は「友達」ではなく「パフォーマンス仲間」と答える。「6人で一緒にいて楽しい」と感じるのは、やっぱりステージの上だから。僕は歌うことが好きです。でも、僕ひとりではSixTONESにはならない。ジェシーのハモリが、(田中)樹のラップが、みんなの表現力があってこそ。互いへの信頼感とリスペクトがあるから唯一無二のステージになるんだと思う。友達には誰とでもなれる。でも、SixTONESはこの6人じゃないとダメなんです。

7月7日

流星の音色

この夏、僕は新しい舞台『流星の音色』に挑戦します。今作は1年に1度だけ橋が架かる日、7月7日の七夕を舞台に純愛を描くミュージカル。僕は主演だけでなく音楽も担当させてもらっているんです。実はこの舞台が立ち上がったのは、僕と滝沢秀明君との雑談がきっかけ。ふたりで舞台を観にいった時に、何気なく僕が「2022年はまだ舞台の仕事が入っていないんですよ」と言ったら、「じゃあ、つくろうよ。どんな舞台をやりたいか言ってみてよ」と。僕は実現するとは思わずに、滝沢君と話し続けた。そうしたら後日「劇場はもう押さえたから」というまさかの連絡がきて。いや、もうビックリしましたよ(笑)。ジャニーズJr.の頃から『滝沢演舞城』や『滝沢歌舞伎』に出演。生意気にも「いつかこの舞台で義経を演じたい」と口にしたことも。そんな新橋演舞場で、義経ではないけど、座長として戻ってきた。滝沢君のもとで培ったジャニーズイズムと外部のステージで培ってきた武器を手に、たくさんの想い出が詰まった新橋演舞場で滝沢君に恩返しできたらと思っています。

30歳

僕の引退

最近、自分の中にハングリーさが足りない気がする。デビューしてからどこか安心感が増してしまっている自分を感じる。そんな心に火をつけたくて、自分の中にリミットをつくることにした。「京本大我は30歳で芸能界を引退する」と。いや、実際は引退するつもりなんてないし、この仕事をずっと続けていきたいなと思っている。でも、それくらいの気持ちで、本気で、死にもの狂いで、30歳までの2〜3年を過ごせたらいいなと。だからね、今はけっこう大変なんですよ。ミュージカル『モーツァルト!』に出演したい。Mr.Childrenの桜井和寿さんと同じステージで歌いたい。アニメ『名探偵コナン』の声優をやるか主題歌をSixTONESで歌いたい。僕の“三大ドリーム”をあと2〜3年で叶えなくちゃいけないから(笑)。
取材・原文/石井美輪