• 天秤座のイラスト
    今期のてんびん座のキーワードは、「体内に流れ込むもの」。 川端康成の最も有名な作品といえる『雪国』は、文字通り寒い季節の北国が舞台の作品ですが、寒い季節は星がひときわ鮮やかで、それを川端は「寒気が星を磨き出す」とユニークな比喩で捉えています。

    そして、この作品のフィナーレである火事の場面では、主人公である島村の視点から圧倒的なまでの天の川体験を描き出します。

    「火の子は天の河のなかにひろがり散って、島村はまた天の河へ掬い上げられてゆくよう」に感じられ、また、「天の河は島村の身を浸して流れて、地の果てに立っているかのようにも感じさせ」る。そうして、「さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった」と物語の幕を閉じていくのです。

    確かに、無数の星の一団を川の流れに喩えるのは伝統的な表現ではありますが、それをここまで見事に身体性と結びつけたという一点でも、読者を驚かすには十分でしょう。

    ひるがえって、あなたは今どんな環境でなにを身体に取り入れているでしょうか。

    自分をできるだけどっしりとした基盤や物語に結びつけ、落ち着かせていくことがテーマとなっている今期のてんびん座もまた、さながら『雪国』の主人公・島村のように、できるだけ悠久として、あくせくしていない時間の流れを体内に流れ込ませていきたいところです。


    出典:川端康成『雪国』(新潮文庫)
  • 蠍座のイラスト
    今期のさそり座のキーワードは、「弾力性を取り戻す」。 。 都会を逃れた田園生活での、自らの病的な心理や心象風景を描いた佐藤春夫の『田園の憂鬱』では、さまざまな川の描写が登場します。

    そこでは「浅く走つて行く水」は、「ぎらりぎらりと柄になく閃いた」かと思うと、今度は「縮緬(ちりめん)の皺のやうに」という繊細なイメージに変わり、それらは交互にまじわって「小さなぴくぴくする痙攣の発作のやうに光つたりする」といった思いがけない描写が出てきます。

    また、その一方で「流れ出て来た水」は、「うねりうねつて、解きほぐした絹糸の束のやうにつやつやしく、なよやかに揺れながら流れた」という描写も出てきて、こちらは「絹糸の束」というイメージに託してそこに穏やかな精神の流れが感じとられています。

    こうした絶えず変転していく比喩の連鎖は、それ自体が佐藤の精神の不安定さを物語ると同時に、まったく自由に解き放たれた精神の伸びやかな可能性を書くことでみずから取り戻していかんとする作家としての意地をも感じさせます。

    やはりピチピチとした精神の弾力性を取り戻していくことがテーマとなっている今期のさそり座にとって、こうした佐藤の自己蘇生への試みは大いに参考になっていくのではないでしょうか。


    出典:『ちくま日本文学全集 013 佐藤春夫』(ちくま文庫)
  • 射手座のイラスト
    今期のいて座のキーワードは、「無理のない満足」。 岡本かの子の代表作『金魚繚乱』は、崖上の広大な邸宅に住むお嬢様と崖下で金魚屋を営む家のせがれという分かりやすい階級格差を軸に、男女の一生の交錯劇を描いた小説です。

    ただ、男と女は絆を感じこそすれ、結局は現実に結ばれることはありませんでしたが、男は最後に生涯かけての悲願であった至高の金魚の創造に偶然にもたどり着きます。

    その現実離れした美しさについて、作家は豊麗かつ唯一無二の比喩を駆使して、これでもかこれでもかと描き出していくのですが、ここで取り上げたいのはそんな絢爛たるフィナーレではなく、次のような物語の中盤に出てくる研究所の日常での一コマです。

    水を更えてやると気持よさそうに、日を透けて着色する長い虹のような脱糞をした。

    ここには、泥をすすってでも一途に生きる人間の苦悩や格闘を描くという、この作品の根底にある真のテーマが、金魚に置き換えられ、さりげなく示されているのではないでしょうか。

    見かけの華やかさや一時的な評価ではなく、疑いようのない実質としての真の満足ということがテーマとなっている今期のいて座にとって、こうした何気ない日常の中に配置された満足の無理のなさ、美しさこそ、いま改めて追求していくべきお手本のように思われます。


    出典:『ちくま日本文学全集26 岡本かの子』(筑摩書房)
  • 山羊座のイラスト
    今期のやぎ座のキーワードは、「自己主張する美」。 美というものを論じようとすれば、日本ではどうしても調和や静謐さが称揚され、声高な自己主張や、奇抜さや外連味(おおげさなごまかし)のようなものは「邪道」で「正統でない」と考えられがちです。

    しかし、例えば三島由紀夫は代表作である『金閣寺』の中で、「美というものは、そうだ、何と云ったらいいか、虫歯のようなものなんだ。それは舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張する」と書いています。

    「虫歯」を比喩に、三島はここで周囲がどうしたって無視できないよう「自分の存在を主張する」というきわめて異例な美についての見解を説いている訳ですが、この「自己主張する美」というモデルは、どうしたって注目を集めやすくなっている今期のやぎ座の人たちにおいて大きな指針となっていくのではないでしょうか。

    歴史的にも、日本社会では応仁の乱で京都の街が灰燼に帰す前は、絢爛たる極彩色の美が競われた訳で、何も「余白の美」や「自然体の美」だけが美ではない訳です。

    体を震わせてでも一歩前に出ていく美や、即座に斬り返す美、ソリッドで的確な言葉選びで核心に迫っていく美というものがもっと肯定されてもいいし、自分の中にそうした美の姿かたちを積極的に認めてもいいはず。

    今期のやぎ座はそうした自分自身の打ち出し方について、あらためて問われていくことになるでしょう。


    出典:三島由紀夫『金閣寺』(新潮文庫)
  • 水瓶座のイラスト
    今期のみずがめ座のキーワードは、「脳味噌の手術」。 小林秀雄は自身の集大成であり、批評という形式に潜むあらゆる可能性を提示した『モオツァルト』の中で、若き日の神秘体験について語っています。

    ある冬の日、大阪の道頓堀あたりを犬のようにうろついていると、突然頭の中でモーツァルトの交響曲四十番ト短調のテーマが鳴り出しました。その時、音楽のことなどまるで考えていなかったため、自分の働きかけで脳裏に思い浮かべたメロディーとは思えかったものの、誰かが演奏しているかのようにはっきり聴こえたのだと言うのです。

    小林はそのときの衝撃について、「脳味噌に手術を受けたように驚く」と書いていますが、無意識的な想像であれ幻聴体験であれ、いずれにせよ人間は耳だけでなく皮膚でも音を聞いていますから、道頓堀の街の喧噪やそこを行き交う人々とのふれあいの中で、もしかしたら何か共感できるものを見出して、それがたまたま知っている曲のメロディーに変換されたのかも知れません。

    つまり、本来なら単に触覚的体験で終わるだけのものを聴覚的体験へと変換して体験していくことで、小林はそれ以前と以後とで人生を分けてしまえるような決定的な体験をした訳です。

    今のみずがめ座の人にも、そうしたこれまで経験したことのないような感覚の取り合わせや融合(いわゆる「共感覚」体験)を通して"驚き”がもたらされやすいはず。

    できるだけ感覚を研ぎ澄まし、そこに集中していける自分だけの時間を確保していきましょう。


    出典:小林秀雄『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)
  • 魚座のイラスト
    今期のうお座のキーワードは、「霊魂の門」。 6月下旬から7月下旬にかけて、太陽は昼の空の中をかに座とともに移動しており、実際にかに座を観測することはできないものの、その中央あたりにはぼんやりと青白く光る小さな雲のような「プロセペ星団」が存在します。

    かつて古代ギリシャのプラトンやその弟子たちは、この星団は霊魂の出てくる門であり、霊魂はここから下って人間の身体に宿ると説いていましたが、民俗学者の野尻抱影はそんなプロセペ星団について触れながら次のように述べました。

    私はポリネシアの土人が死ぬ前に、思い思いの星を指さして、「自分が死んだらあの星に住む」と言って息を引き取るという話を思い出した。そう心から信じられることは死ぬ者にも、その周囲に幸福に違いない。また科学がどんなに進んでも、これを否定し、霊魂の門を閉めきるほどの断案は永久に下せないはずだ。

    これからの未来や現状の行き着く先を、すこし俯瞰的に見通していくことがテーマとなっている今期のうお座にとっても、こうした野尻の空想はどこか他人事ではないはず。

    あなたなら、死んだらどんな星に行きますか?また、自分が行けると心から信じられる場所はあるでしょうか?

    今回の満月にはそんなことを考えてみるといいでしょう。


    出典:『野尻抱影 星は周る(STANDARD BOOKS)』(平凡社)