ブレイディみかこさん連載vol.01「たぶん愚痴から革命は始まる」
ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』
がんばったのにまだ週の半分……。ため息が出そうな水曜日のあなたを解放するエッセイ連載。
vol.01 たぶん愚痴から革命は始まる
「MORE」読者世代のみなさんとオンラインでお話させていただく機会があった。約四半世紀を英国で暮らしてきたわたしにとり、日本の20代、30代の女性たちの生の声を聞くのは、レア中のレアと言ってもいい体験である。
「日常の中で、なんとなくモヤつきを感じていることをざっくばらんにお話ししましょう」。それがその日のテーマだったが、最初はみなさん、どことなく硬かった。どこまで言ってOKか互いに探り合いながら、慎重に言葉を選んでいる感じ。だが、時の経過とともに自由に愚痴が飛び交い始めた。
例えば、男性ばかりの職場で働いているAさん。どうも周りのおっさ……、いや男性たちがしょっちゅう揉めているらしい。怒鳴り合いの喧嘩になることもあり、やんわり仲裁できるAさんがオフィスの潤滑油になっていて、「君がいないと困る」と頼りにされている。勤務時間外まで職場から電話がかかってきて、誰それと誰それが険悪になっているのだがどうしようと相談されたりするようだ。
いわゆるホモソーシャル(同性間の人づきあい。とくに男性間を意味する)な空間における女性の問題は、職場のイシューとして古典的だ。例えば、昔の刑事ドラマなんかでも、男性ばかりの捜査課に秘書みたいな若い女性が一人いて、ときに険悪になる刑事たちの関係を和らげる存在になっていた。しかし、ここで問題なのは、彼女には事務処理、電話応対などの本来の業務があり、それに加える形で、職場を円滑に回し、人々の関係が悪化しないようクッションの役割を果たすという追加業務まで求められている点である。本来、これは管理職の仕事である。社員どうしが怒鳴り合っている状況では各々が仕事に集中できないので、責任者は何らかの策を講じなければならない。そもそもコロナ禍で唾がとんでいるだけでも、衛生上、大問題ではなかろうか。
ひょっとすると責任者が講じた策が「場を和ます女性を雇用する」なのかもしれない。だが、こうした気配り、やさしい仲裁などはりっぱな感情労働(業務を行う上で、感情の抑制や緊張、忍耐などが必要な労働。いつも笑顔で乗客の要望に応えるキャビン・アテンダントなどが有名な例)であり、責任者は職場の女性社員にそのような労働を無償でさせているのだ。
この種の感情労働への報酬は、「頼りになるいい娘だ」という称賛の言葉であることが多い。が、往々にして「いい娘」というのは「誰かにとって都合のいい存在」のことであり、グッド・ガールは搾取されやすい。例えば日本では、「愚痴ってないで、がんばれ」「愚痴は後ろ向き」とよく言われる。グッド・ガールは愚痴など言わず、ネガティブな感情は自分の中で処理して黙ってがんばるものだという、固定観念のテンプレに自分自身が囚われていることもある。
だが、例えば週の真ん中の水曜日がやってくる。
シャワーを浴びていたら、熱いお湯に心の筋肉までふと緩んで、なぜか泣きたくなったり、「やってらんねえ」と軽く叫びたくなる瞬間。
グッド・ガールの心はそろそろ愚痴りたがっているのだ。
「愚痴」は、「愚かな痴(し)れ者」になると書く。だから、文字通りに愚痴らなくてもいいのだ。ヒップホップを聴きながら激烈にダンスするも良し、一話ずつ見ようと思っていたNetflixのドラマを徹夜で見倒すのも良し。愚かな痴れ者になれる時間を持つのは、誰かが作ったテンプレからはみ出して、自分自身をケアする時間を持つことだ。
そして鋳型から外れた心の筋肉が緩んできたら、誰かと話してみるのがいい。愚痴の輪を広げるのだ。あんな愚痴もあるのか、こんな愚痴もあるのかと語り合ううちに共通の問題が見えてくるかもしれない。手を繋いで変化を起こしたくなるかもしれない。革命を始めるのは、いつだってノット・ソー・グッド・ガールズなのである。
「日常の中で、なんとなくモヤつきを感じていることをざっくばらんにお話ししましょう」。それがその日のテーマだったが、最初はみなさん、どことなく硬かった。どこまで言ってOKか互いに探り合いながら、慎重に言葉を選んでいる感じ。だが、時の経過とともに自由に愚痴が飛び交い始めた。
例えば、男性ばかりの職場で働いているAさん。どうも周りのおっさ……、いや男性たちがしょっちゅう揉めているらしい。怒鳴り合いの喧嘩になることもあり、やんわり仲裁できるAさんがオフィスの潤滑油になっていて、「君がいないと困る」と頼りにされている。勤務時間外まで職場から電話がかかってきて、誰それと誰それが険悪になっているのだがどうしようと相談されたりするようだ。
いわゆるホモソーシャル(同性間の人づきあい。とくに男性間を意味する)な空間における女性の問題は、職場のイシューとして古典的だ。例えば、昔の刑事ドラマなんかでも、男性ばかりの捜査課に秘書みたいな若い女性が一人いて、ときに険悪になる刑事たちの関係を和らげる存在になっていた。しかし、ここで問題なのは、彼女には事務処理、電話応対などの本来の業務があり、それに加える形で、職場を円滑に回し、人々の関係が悪化しないようクッションの役割を果たすという追加業務まで求められている点である。本来、これは管理職の仕事である。社員どうしが怒鳴り合っている状況では各々が仕事に集中できないので、責任者は何らかの策を講じなければならない。そもそもコロナ禍で唾がとんでいるだけでも、衛生上、大問題ではなかろうか。
ひょっとすると責任者が講じた策が「場を和ます女性を雇用する」なのかもしれない。だが、こうした気配り、やさしい仲裁などはりっぱな感情労働(業務を行う上で、感情の抑制や緊張、忍耐などが必要な労働。いつも笑顔で乗客の要望に応えるキャビン・アテンダントなどが有名な例)であり、責任者は職場の女性社員にそのような労働を無償でさせているのだ。
この種の感情労働への報酬は、「頼りになるいい娘だ」という称賛の言葉であることが多い。が、往々にして「いい娘」というのは「誰かにとって都合のいい存在」のことであり、グッド・ガールは搾取されやすい。例えば日本では、「愚痴ってないで、がんばれ」「愚痴は後ろ向き」とよく言われる。グッド・ガールは愚痴など言わず、ネガティブな感情は自分の中で処理して黙ってがんばるものだという、固定観念のテンプレに自分自身が囚われていることもある。
だが、例えば週の真ん中の水曜日がやってくる。
シャワーを浴びていたら、熱いお湯に心の筋肉までふと緩んで、なぜか泣きたくなったり、「やってらんねえ」と軽く叫びたくなる瞬間。
グッド・ガールの心はそろそろ愚痴りたがっているのだ。
「愚痴」は、「愚かな痴(し)れ者」になると書く。だから、文字通りに愚痴らなくてもいいのだ。ヒップホップを聴きながら激烈にダンスするも良し、一話ずつ見ようと思っていたNetflixのドラマを徹夜で見倒すのも良し。愚かな痴れ者になれる時間を持つのは、誰かが作ったテンプレからはみ出して、自分自身をケアする時間を持つことだ。
そして鋳型から外れた心の筋肉が緩んできたら、誰かと話してみるのがいい。愚痴の輪を広げるのだ。あんな愚痴もあるのか、こんな愚痴もあるのかと語り合ううちに共通の問題が見えてくるかもしれない。手を繋いで変化を起こしたくなるかもしれない。革命を始めるのは、いつだってノット・ソー・グッド・ガールズなのである。
PROFILE
ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数
イラスト/Aki Ishibashi 構成・企画/渡辺真衣(MORE)