江口のりこさん44歳「いくつになっても自分のことなんて、わからないことだらけ」

存在感のある佇まいと演技力で数多くの映画やドラマで活躍する女優、江口のりこさん。8月30日には主演映画『愛に乱暴』が公開されるなど、今や日本の映画界に欠かせない存在に。15歳の頃から描いていた女優という生き方を実現した彼女の、ユーモア溢れる人生で得た気づきと生き方とは。

江口のりこさん

小学生の頃の将来の夢は 「男になって、プロ野球選手になる」

近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒にドッヂボールをしたり、田んぼに秘密基地を作ったり、探検したり……幼少期の私は外で遊ぶのが大好きな女の子でした。

あの頃の私が憧れていた仕事といえば“役者”ではなく“探偵”。たぶん、テレビかなにかを見て知ったんでしょうね。「人のあとをつけている仕事がある!」、「めっちゃ面白いやん!」そして「私もやりたい!」と思うようになったんですよ。

小学生の頃、“将来の夢”をテーマに作文を書いたことがあって。今でもその内容を鮮明に覚えているんですけど、私ね、そこには“男になりたい”と書いたんです。‟子供の頃に多くの女子がピアノを習うのに、実際にピアニストになるのは男ばかり。女の子のものと思っていたものも、大人になると男の子のものになってしまう。だったら、私は男になりたい。男になってプロ野球選手になりたい”って。当時は本気でそう思っていましたからね。

 我が家は5人兄弟で、私の上には兄が二人。兄から「ハサミを持ってこい」と命令されたら見つかるまで家中を探し、それでも見つからないときは「隣の家から借りてこい!」と命令される……。「兄の言うことは絶対!」な環境で育ったのも「男になりたい」と思うひとつのきっかけになったのかもしれませんね。

この町を早く出たいから。 「高校には進学しない」と決めていた

江口のりこ

中学校では陸上部に入部。野球選手になりたかった私はソフトボール部への入部も考えたのですが、「お前が下投げしてたらめっちゃダサいねん」という兄の一言で断念。ほら、我が家では兄の言うことが絶対なんでね(笑)。

部活はすごく楽しかった。練習はしんどかったけど、先生も仲間も楽しくて面白くてね。中学生の頃の私は、部活のために学校に通っていたようなもの。そもそも、勉強は好きじゃなかったし、する気もなかったんです。なぜなら、私は「高校に進学しない」と決めていたので。そう決めたのは小学校4年生の3学期、それまで住んでいた町から新しい町へと引っ越したときでした。家の周りは田んぼだらけで、駅に行くにも車で40分かかる、そこは本当に何もない町で。「お父さんとお母さんはなんでこんなところに家を建てたんだろう」と恨めしく思ってしまうほど、私はその町が大嫌いでした。だからこそ「早くここから出ていきたい」と、「義務教育が終わったら街を出る」と心に決めたんです。

15歳の夏に決めた 「東京に行って、役者になって、映画に出る」

 中学3年生の夏、大好きな陸上部を引退。何もない町で、何もすることがなくなり、いよいよ楽しいことがひとつもなくなってしまったとき、私が出合ったのが映画でした。放課後、家に帰ってテレビをつけると、B Sでよく映画が放送されていて。映画の中にはいろんな世界が広がっていて、そこに登場する人達もいろんなことを楽しんでいる、それがとても面白く思えたというか。何もない町で、何もすることがない、毎日が面白くなかったからこそ。私の目には映画の中の世界がキラキラとより魅力的に見えたんでしょうね。

 「東京に行って、役者になって、映画に出る」そう決めたとき、周りとは違う道を選択する怖さのようなものは特に感じませんでした。そもそも、我が家は一番上の兄が高校に行かずに働いていたので。そんな兄を近くで見ていたからこそ、自分の選択を特別なものとは思いませんでしたし。両親も反対することはなく、むしろ、父に関しては「自分も高校生活が全然楽しくなった。あんな楽しくないことをするんやったら、別に行かんでええぞ」と言ってくれましたからね。

 ただ、一人だけ反対した人がいて。それは担任の先生でした。毎日、放課後になるたび「今日も話し合おう」と。そこからはずっと「なんで高校いかへんの? 行ったほうがいいよ」「いや、でも私はいかないから。やりたいことがあるから」という押し問答の繰り返し。初めて「女優になりたい」と伝えたときは「何いうてんの!」と怒られたのを覚えています。結果、先生は最後の最後まで納得してくれなかったんですけど、卒業したあとも私のことを心配してしばらく連絡をくれたんですよね。あのときは「しつこい先生やな」と思っていたけど、今思えば嬉しいことだなって思う……。先生、私の作品見てくれているかな。見てくれていたら嬉しいなぁ。

江口のりこ

19歳、住み込みで新聞配達をしながら劇団で芝居を学ぶ

中学を卒業後、アルバイトでお金を貯めて2〜3ヶ月で上京する予定だったのですが。そのアルバイトが全く続かず、結局、上京したのは中学を卒業してから約3年後。映画に出たいけどその方法がわからない、当時の私が「劇団に入ったら映画に出られるかも」と受けたのが「劇団東京乾電池」のオーディションでした。数ある劇団の中でも「劇団東京乾電池」を選んだのは映画でよく見る柄本(明)さんが主宰していたから。「あの人のいるところに行ったら、いいことがあるんじゃないかな」と思ったからなんです。

 合格の知らせを受け、なけなしの2万円を握り締めて上京。劇団の入所式は偶然にも私の19歳の誕生日でした。そこからは、住み込みで新聞配達のバイトをしながら、劇団の研究生として芝居を学ぶ日々。家賃の安い部屋はオンボロで、風呂ナシなうえに狭い部屋のすみにはキノコが生えていたことも。当時はとにかく貧乏だったけど、それでも、私はすごく楽しかった。

 女優になれるとは限らないですし、芝居の世界で食べていける保証もない、普通はそこで不安になるのかもしれませんよね。でも、私は不安を感じませんでした。高校に進学しないと決めたときも、上京するときも、今も昔もずっとそうなんですけど。私ね、基本的にまだ何も起きていない未来に対して不安を抱くってことがないんですよ。考えないように意識しているわけでなく、単純にその機能が抜け落ちているんでしょうね。でも、そのおかげで不安に足を引っ張られることもなく、自分の心の赴くままに前進することができるので、個人的には悪いことではないのかなって思っています。

江口のりこ

20代、現場では“得体の知れないヤツ”だった

20代に突入したとき、私は何かのインタビューで「自分を大事にすること。やりたいことをやる、それだけです」と語っていたそう。だがしかし、実際はほぼ真逆。当時の自分に言葉を届けることができるなら「嘘をつけ!」と言ってやりたいですね。やりたいことができている毎日は新鮮で楽しかったけど、同時に、大変なことも多々ありました。お芝居の世界に飛び込んだばかりの私は誰にとっても“得体の知れないヤツ”で。芝居に関して未熟なのはもちろん、何をするにもやり方がよくわからない、現場ではスタッフさんからよく怒られていましたしね。

 なかでも、一番大変だったのがテレビドラマです。劇団の舞台は楽しいけれど、テレビドラマだけはどうしても好きになれなくて……。今でもよく覚えているのが初めて出演した2時間ドラマです。私の役はそうめんを作りながら警察の聞き込みを受ける、そうめん工場で働く女性だったんですけど。何も知らない私は、そうめん作りをいつ辞めたらいいのかがわからない。でも、現場は忙しく、私のことなんて気に留める人もいないわけで。結果、やめどきがわからず、みんなが昼休憩に行っている間も延々と一人でそうめんを作り続けていたっていうね(笑)。

映画『月とチェリー』メインスチール

↑24歳の時に主演を務めた映画『月とチェリー』

30代、テレビドラマの現場を好きになれた

テレビドラマの現場は、いつまでたっても居心地が悪く、自分の居場所とは思えなかった。

30代、自分にとっての大きな出来事といえば、そんなテレビドラマを好きになれたことなのかな。そのきっかけになったのがドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』とプロデューサー小田玲奈さんとの出会いでした。小田さんは作品への愛はもちろん、良い意味で周りを巻き込む力を持っている方で。それまで、現場では下ばかり向いていた私にいろんな景色を見せてくれたんですよ。ドラマは時間がタイトだからこそ、芝居を詰める時間を持つのが難しく、私はそれも好きじゃなかったんですけど。パッと顔を上げたら、自分だけじゃなく、全員がタイトな時間の中で一生懸命に仕事と向き合っている姿が見えた。現場にいる一人一人の顔をちゃんと見れるようになったときに「テレビドラマも悪くないな」と思えるようになった気がします。

40代、「どんな人と出会えるか」が仕事の楽しみになっている

40代の今、私が仕事をするうえで大切にしているのは“人”です。当たり前ですが、映画もドラマも舞台も自分一人では作れないですし、人との出会いは自分に新しい視点や発見を届けてくれることも。だからこそ、今の自分の中には「こういう役がしたい」とか「あんな役をしたい」とかいう思いはあまりなくて、「どんな人や作品と出会うのか」が一番大事な気がしています。

 今回主演を務める映画『愛と乱暴』で私が演じるのは専業主婦の桃子です。彼女は夫の心が離れていることに気づいているのに、夫を手放すことができずに気づかないふりを続けてしまうんですけど。その夫を演じているのが小泉孝太郎さんで。実は私、10年前も孝太郎さんを追いかける役を演じているんですよ。で、めぐりめぐって今作品でも彼を追い続けているっていう(笑)。また10年後にも追いかける役がくるんじゃないかと思うような、そういう、共演者とのめぐりあわせも面白いですし。作品を重ね、いろんな方々と出会うたびに「この人がいるならきっと面白い」、「この人がいるなら参加したい」そう思える人も増えていく。スタッフさんの中に知っている名前を見つけると嬉しくなりますし、心強い気持ちにもなれる。そういう人が増えていくっていうのは、この仕事を続ける喜びのひとつでもありますよね。

江口のりこ

あの頃の自分に伝えたいのは 「これでいいのか分からない、でも、それでいい」

若い頃って、まだまだ経験値が少ないからこそ「これでいいのかな」って考えてしまうことが多いと思うんです。でも、それって考えても仕方ないんですよね。立ち止まって「本当はどうしたいの?」って自分に問いかけたところで明確な答えなんて簡単には出てこないし。どの決断や選択が正解なのかなんてやってみないと分からないですしね。

私自身、自分で考えて決めたことは「劇団に入る」、「上京する」くらい。そもそも、役者の仕事はオファーをいただいてこそ成立するもの。どんな役を演じるかは周りが決めることですから。舞い込んできた役に対して「今はこれをやるときなんだな」という気持ちで向き合うだけ。流されるまま、ここまできたような気がします。

「趣味が欲しい」と言いながら、今も趣味が見つからない私は、本当は趣味が欲しくないのかもしれないし。「引っ越したい」と思いながら、もう5年も今の家に住んでいる私は、本当は引っ越したくなくないのかもしれない……。いくつになっても自分のことなんて、分からないことだらけです。だからこそ、20代だった頃の自分に言葉を届けることができるなら「これでいいのか分からない、でも、それでいい」と伝えたい。あともうひとつ、「しっかり寝ろ」も伝えたいですね。睡眠はシンプルに疲弊した体や心を休めてくれる。それは「昨日これだけ寝たから大丈夫」、「じゅうぶんに寝たからやれるはずだ」と自分に自信も届けてくれる。だからこそ、考えても仕方のないことを夜な夜な考えたりしない。そんな時間があるなら「しっかり寝ろ」なんですよ。

 

Noriko’s 44years

19歳 「劇団東京乾電池」のオーディションに合格し上京

22歳 『金融破滅ニッポン 桃源郷の人々』で映画デビュー

24歳 映画『月とチェリー』で本編初主演をつとめ注目を集める

26歳 映画『お姉ちゃん、弟といく』にて第2回シネアスト・オーガニゼーション・大阪エキシビション(CO2)女優賞を受賞

41歳 映画『事故物件 恐い間取り』にて第44回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を受賞

江口のりこ

えぐち・のりこ●1980年4月28日生まれ、兵庫県出身。2000年に「劇団東京乾電池」に入団、以降数多くの映画やドラマで活躍。2021年に映画『事故物件 恐い間取り』にて第44回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を受賞。8月30日公開の映画『愛に乱暴』で主演を務める。

8月30日公開 映画『愛に乱暴』

愛に乱暴

ⓒ2013 吉田修一/新潮社 ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

『悪人』、『怒り』など数多のベストセラー作品が映画化されてきた人気作家・吉田修一による、愛ゆえのいびつな衝動と暴走を描いた同名小説を実写化。夫(小泉孝太郎)の実家の敷地内に建つ‟はなれ”で暮らす桃子(江口のりこ)は、結婚して8年目。‟丁寧な暮らし”に勤しみ毎日を充実させていた彼女の周囲に、近隣のゴミ捨て場で相次ぐ不審火、愛猫の失踪、不気味な不倫アカウントなど不穏な出来事が起こり始める。平穏だったはずの日常が崩れ始めた時、彼女がとった行動とは…… ●8月30日全国公開 ⓒ2013 吉田修一/新潮社 ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

映画『愛に乱暴』オフィシャルサイト 2024年8月30日公開

撮影/SAKAI DE JUN ヘア&メイク/草場妙子 スタイリスト/清水奈緒美 取材・文/石井美輪

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