12星座全体の運勢

「<新しい日常>への通過儀礼」

暦の上では秋が始まる「立秋」を過ぎて最初の新月を迎えるのが8月19日。それは、暑さが落ち着く「処暑」すなわち太陽が乙女座に入る直前、体感的にも夏の終わりを感じさせてくれる蜩(ひぐらし)の鳴く獅子座終盤あたりで起きていきます。

そんな今回の新月のテーマは、「新しい日常へ」。それはどこか空々しく響いてしまう上からの号令によってみな一斉に同じところから始まるものではなく、あくまでここしばらくの悪戦苦闘や悶え苦しむ期間をやっとの思いで抜け出した結果、流れ着いた先で自分がもうすでに新しい日常に立っていることを後から実感していくはず。夢から醒めた後の起き抜けの朝のひとときのようにおごそかに、しかし、確かにこれまでとは決定的に違う世界にいるという確信を胸に、新たな門出の仕度を整えていきましょう。

「もはや夜はなく、<救い主である神>が人間たちを照らすが故に、ランプや太陽の光は要らなくなる」(『ヨハネ黙示録』第二十二章、5節)

この場合の<神>とは、他でもない自分自身であり、あるいは古い自分を先導する新しい自分のことなのだと思います。

水瓶座(みずがめ座)

今期のみずがめ座のキーワードは、「きびしい鏡としての顔」。

水瓶座のイラスト
むかしは「人間、四十になったら自分の顔に責任を持て」ということがよく言われたものですが、平均寿命がぐんと上がり、社会の不安定性が増し続けている現代においては、こうした責任論はいささか厳しすぎる印象があります。

とはいえ、顔がその人間の本質に関わることを物語るという視点自体は非常に重要な示唆をはらんでいます。この顔の問題について、例えばユダヤ人哲学者の泰斗レヴィナスは、「ひとの顔は、ただそれだけで意味がある」と言及する一方で、本質的に<貧しい>のだと言います。

これは顔というものはおよそ正直だが無防備で、<慎み深い露出>を行っており、人がことさら気取った態度をとったり平静を装ったりするのも、どうしたって露呈してしまう<貧しさ>を隠すためなのだと言葉を続けるのです。

この<貧しさ>とは、「傷つきやすさ(ヴァルネラビリティ)」であり、受難や運命を能動的に受け入れ人間的な広がりを持とうとする性質とも言い換えられるかも知れません。

いずれにせよ、そうであるがゆえに、他人の顔とのかかわりには倫理的な態度が大いに求められるのであり、この点についてレヴィナスは「顔とは殺すことのできないものであり、少なくとも『汝殺すなかれ』と語りかけてくるところに、顔の意味がある」のだと付け加えます。

今期のみずがめ座もまた、自身の在り様を正直に表してしまう「きびしい鏡」としての自分の顔とどう折り合いをつけていけるか、少なくとも直視を避けずに受け入れるところから、「新しい日常」ということを始めてみるといいでしょう。


出典:レヴィナス、原田佳彦訳「倫理と無限」(朝日出版社)
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<プロフィール>
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
文/SUGAR イラスト/チヤキ