【天秤座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<9/6~9/19> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「白紙にかえす」
「暑さ寒さも彼岸まで」の秋分直前の9月17日に、おとめ座で新月を迎えていきます。
夏のにぎわいが遠のき、秋らしくなるにつれ、次第に風が透き通っていくように感じられてくる頃合いですが、そうした時に吹く風を昔から「色なき風」と呼んできました。
中国から伝わった五行説によると、秋の色は白。日本人は、その白を、「色無き」と言い換えた訳です。本来は華やかさがないという意味でしたが、言い換えられていくうちに、しみわたるような寂寥感を言い表すようになっていったのだそうです。
そして、今回のおとめ座新月のテーマは「初心に返る」。能の大成者である世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉と共に知られる「初心」は、普通に考えられているような“最初の志”のことではなく、自分が未熟であった頃の“最初の試練や失敗”の意ですが、これは試練に圧倒されたり、失敗の前に膝をついたりしたことのない者には、本当の成功はいつまでもやってこないのだということを指します。
そうした失敗や挫折を不当だとか、相手や世間が悪いと思い込むのではなくて、そこから人間としての完成に近づくための新たな挑戦が始まるのだと気付くこともまた「初心」なのです。人生には幾つもの初心がある。そんなことに思い至ることができた時には、きっと心のなかをとびきりの「色なき風」が吹き抜けていくはず。
夏のにぎわいが遠のき、秋らしくなるにつれ、次第に風が透き通っていくように感じられてくる頃合いですが、そうした時に吹く風を昔から「色なき風」と呼んできました。
中国から伝わった五行説によると、秋の色は白。日本人は、その白を、「色無き」と言い換えた訳です。本来は華やかさがないという意味でしたが、言い換えられていくうちに、しみわたるような寂寥感を言い表すようになっていったのだそうです。
そして、今回のおとめ座新月のテーマは「初心に返る」。能の大成者である世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉と共に知られる「初心」は、普通に考えられているような“最初の志”のことではなく、自分が未熟であった頃の“最初の試練や失敗”の意ですが、これは試練に圧倒されたり、失敗の前に膝をついたりしたことのない者には、本当の成功はいつまでもやってこないのだということを指します。
そうした失敗や挫折を不当だとか、相手や世間が悪いと思い込むのではなくて、そこから人間としての完成に近づくための新たな挑戦が始まるのだと気付くこともまた「初心」なのです。人生には幾つもの初心がある。そんなことに思い至ることができた時には、きっと心のなかをとびきりの「色なき風」が吹き抜けていくはず。
天秤座(てんびん座)
今期のてんびん座のキーワードは、「“隠れみの”を用意する」。
生活するためには何らかの職につかなければなりませんが、かと言ってあんまり無理をして職にかじりついているようでは、そうそう長くは続かないもの。
ましてや、小説であれ俳句であれ絵であれ音楽であれ、自分自身のための愉しみを別に持っている身であれば、どこかで出世や見栄には見切りをつけて、世間の目を逃れるための「隠れみの」を用意する算段をつけなければなりません。
そういうことを考える上で非常に興味深いのが、夏目漱石が40歳の時に行われた「文芸の哲学的基礎」という講演。何やらものものしいタイトルではありますが、これは彼が一切の教職を辞し、朝日新聞社に入社した直後のもので、その胸の内のホンネについて触れたじつに味わい深い一節が出てくるのです。
「私なども学校をやめて、縁側にごろごろ昼寝をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実は羨ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝も致します。しかし寝ながらにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ばして電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。私はただ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。不幸にしてまだ考えつかないだけである。」
当時の大学教授の社会的地位の高さと、ジャーナリズムの地位の低さを考えると、これは大決断だった訳ですが、当の本人にとってみれば「えらい事を考えようと思って寝ている」生活こそが最高の生き方だったのであり、「国家有用の才よりえらいかも知れない」という箇所などは、どうも本気で思っていたのではないでしょうか。
いや、自己に忠実に生きるという点では、実際に「はるかにえらい」のです。そして、今期のてんびん座の人たちもまた、多かれ少なかれ世間からの隠れ先を見つけたり、何らかの隠れみのを用意したりすることで、何をしてもよい自由で暇な時間を工面していくことが一つのテーマとなっていくはずです。
参考:「夏目漱石全集10」(ちくま文庫)
ましてや、小説であれ俳句であれ絵であれ音楽であれ、自分自身のための愉しみを別に持っている身であれば、どこかで出世や見栄には見切りをつけて、世間の目を逃れるための「隠れみの」を用意する算段をつけなければなりません。
そういうことを考える上で非常に興味深いのが、夏目漱石が40歳の時に行われた「文芸の哲学的基礎」という講演。何やらものものしいタイトルではありますが、これは彼が一切の教職を辞し、朝日新聞社に入社した直後のもので、その胸の内のホンネについて触れたじつに味わい深い一節が出てくるのです。
「私なども学校をやめて、縁側にごろごろ昼寝をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実は羨ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝も致します。しかし寝ながらにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ばして電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。私はただ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。不幸にしてまだ考えつかないだけである。」
当時の大学教授の社会的地位の高さと、ジャーナリズムの地位の低さを考えると、これは大決断だった訳ですが、当の本人にとってみれば「えらい事を考えようと思って寝ている」生活こそが最高の生き方だったのであり、「国家有用の才よりえらいかも知れない」という箇所などは、どうも本気で思っていたのではないでしょうか。
いや、自己に忠実に生きるという点では、実際に「はるかにえらい」のです。そして、今期のてんびん座の人たちもまた、多かれ少なかれ世間からの隠れ先を見つけたり、何らかの隠れみのを用意したりすることで、何をしてもよい自由で暇な時間を工面していくことが一つのテーマとなっていくはずです。
参考:「夏目漱石全集10」(ちくま文庫)
<プロフィール>
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
文/SUGAR イラスト/チヤキ