【蠍座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<10/31~11/13> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「一石を投じる」
暦の上で冬に入る「立冬」直前の11月5日、いよいよ紅葉も深まって、冬支度を急いでいくなか、さそり座の12度(数えで13度)で新月を形成していきます。
「危機と変革」を司る天王星へと思いっきり飛び込んでいく形で迎える今回の新月のテーマは、「リスクを引き受ける力」。
それはすなわち、普通に日常生活を送っている分にはまず見つからないような可能性を徹底的に追求し、そのために必要な材料をかき集め、まだ誰も試みていないことに手を出してみる勇気であったり、たとえそれがその界隈のタブーを破る行為であったり、厄介な相手に睨まれることになったとしても、ある種の「賭け」に出ていく姿勢に他なりません。
私たちの心の深層に潜んでいる集合的な変革衝動というのは、社会や現実の屋台骨を担う恒常性(ホメオスタシス)を維持したいという欲求にかならず切断・阻止・妨害される運命にある訳ですが、その意味で今期はこうした葛藤や対立に伴う緊張をヒリヒリと感じつつも、ひょんなことから「不満を大きく」したり、「自分を黙らせておけなくなって」、「もっとよりよくなるはず」という誘惑がどうにもできないほどに強烈なものなっていきやすいのだと言えるでしょう。
ギリシャ神話では、トロイア戦争に参加した女神エリスが「戦いの兆し」を持って軍船の上に立って雄叫びを上げると、兵士たちは闘争心と不屈の気力が湧き、戦いを好むようになったとされていますが、今期の私たちもまた、そうしたこれまでの膠着状態を破るための「一石を投じる」行動や企てが促されていくはずです。
「危機と変革」を司る天王星へと思いっきり飛び込んでいく形で迎える今回の新月のテーマは、「リスクを引き受ける力」。
それはすなわち、普通に日常生活を送っている分にはまず見つからないような可能性を徹底的に追求し、そのために必要な材料をかき集め、まだ誰も試みていないことに手を出してみる勇気であったり、たとえそれがその界隈のタブーを破る行為であったり、厄介な相手に睨まれることになったとしても、ある種の「賭け」に出ていく姿勢に他なりません。
私たちの心の深層に潜んでいる集合的な変革衝動というのは、社会や現実の屋台骨を担う恒常性(ホメオスタシス)を維持したいという欲求にかならず切断・阻止・妨害される運命にある訳ですが、その意味で今期はこうした葛藤や対立に伴う緊張をヒリヒリと感じつつも、ひょんなことから「不満を大きく」したり、「自分を黙らせておけなくなって」、「もっとよりよくなるはず」という誘惑がどうにもできないほどに強烈なものなっていきやすいのだと言えるでしょう。
ギリシャ神話では、トロイア戦争に参加した女神エリスが「戦いの兆し」を持って軍船の上に立って雄叫びを上げると、兵士たちは闘争心と不屈の気力が湧き、戦いを好むようになったとされていますが、今期の私たちもまた、そうしたこれまでの膠着状態を破るための「一石を投じる」行動や企てが促されていくはずです。
蠍座(さそり座)
今期のさそり座のキーワードは、「無のほうへ開いておく」。
日本という国は万葉集の昔から現代まで、一貫して決められた形式の歌を、しかも身分の上下に関係なく作り続けてきたという、非常に大きな文化資産を有している訳ですが、ただそこにも時代の経過によって不可逆的な変化というのは起きていて、たとえば俳人の小澤實は、宗教学者の中沢新一との対談のなかで、それを近代に入ってから「俳句が独立し過ぎている」という言い方で表しています。
「中沢 優れた近世の俳句では底のところで無のほうへ開いていて、まるで幽霊みたいに足が消え去るような作りをしている。明治以降はそういう行き方が難しくなってきて、ヨーロッパ音楽みたいに底の開部を埋めてしまうんじゃないかな。そうすると一個一個の俳句が粒となって自立、独立してしまう。
小澤 現代の俳句は独立し過ぎているのかもしれません。
中沢 それは俳句の中だけで起こっていることではなくて、実は人間の生きている世界の構造が変わってしまったのだと思います。今作っている俳句と芭蕉が作っていた俳句はおのずから構造が違う、ということになります。だから、小澤さんが「芭蕉に帰る」と言っている時は、世界の構造を変えていかなきゃいけないという意思が同時にあるんでしょうね。」
これは「俳句」というところを「人間」に置き換えても通用する話ではないでしょうか。ただ「自立、独立」と言えば聞こえはいいですが、それは使うことばやそれを発する心身の「硬直」であり「死に体」に他ならず、人間としての「振れ幅」や「しなやかさ」が失われつつあることの何よりの表れという風にも受け取ることができるように思います。
今期のさそり座は、少なくとも詩であれ音楽であれ、何かが心の琴線に触れた時に軽く踊れるくらいには、自身をゆらいだ状態にしていくこと、すなわち、自身の存在の根底を「無のほうへ開いて」いくことで、いざとなれば何者にも変貌できるくらいの余地を与えていくことがテーマとなっていきそうです。
参考:中沢新一、小澤實『俳句の海に潜る』(角川書店)
「中沢 優れた近世の俳句では底のところで無のほうへ開いていて、まるで幽霊みたいに足が消え去るような作りをしている。明治以降はそういう行き方が難しくなってきて、ヨーロッパ音楽みたいに底の開部を埋めてしまうんじゃないかな。そうすると一個一個の俳句が粒となって自立、独立してしまう。
小澤 現代の俳句は独立し過ぎているのかもしれません。
中沢 それは俳句の中だけで起こっていることではなくて、実は人間の生きている世界の構造が変わってしまったのだと思います。今作っている俳句と芭蕉が作っていた俳句はおのずから構造が違う、ということになります。だから、小澤さんが「芭蕉に帰る」と言っている時は、世界の構造を変えていかなきゃいけないという意思が同時にあるんでしょうね。」
これは「俳句」というところを「人間」に置き換えても通用する話ではないでしょうか。ただ「自立、独立」と言えば聞こえはいいですが、それは使うことばやそれを発する心身の「硬直」であり「死に体」に他ならず、人間としての「振れ幅」や「しなやかさ」が失われつつあることの何よりの表れという風にも受け取ることができるように思います。
今期のさそり座は、少なくとも詩であれ音楽であれ、何かが心の琴線に触れた時に軽く踊れるくらいには、自身をゆらいだ状態にしていくこと、すなわち、自身の存在の根底を「無のほうへ開いて」いくことで、いざとなれば何者にも変貌できるくらいの余地を与えていくことがテーマとなっていきそうです。
参考:中沢新一、小澤實『俳句の海に潜る』(角川書店)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ