2021年11月28日から12月11日のSUGARの12星座占い
[目次]
  1. 【SUGARさんの12星座占い】<11/28~12/11>の12星座全体の運勢は?
  2. 【SUGARさんの12星座占い】12星座別の運勢
    1. 《牡羊座(おひつじ座)》
    2. 《牡牛座(おうし座)》
    3. 《双子座(ふたご座)》
    4. 《蟹座(かに座)》
    5. 《獅子座(しし座)》
    6. 《乙女座(おとめ座)》
    7. 《天秤座(てんびん座)》
    8. 《蠍座(さそり座)》
    9. 《射手座(いて座)》
    10. 《山羊座(やぎ座)》
    11. 《水瓶座(みずがめ座)》
    12. 《魚座(うお座)》

【SUGARさんの12星座占い】<11/28~12/11>の12星座全体の運勢は?

「闇への畏敬を取り戻す」 

今年も残すところあと約一か月。占星術的には太陽がいて座に移ると、冬も深まり冷え込み厳しくなる仲冬に入ったのだと感じますが、そんな中、12月4日にいて座12度(数えで13度)で新月を迎えていきます。 

今回の新月のテーマは「新しいサイクルの到来と過去のカルマの噴出」。これはヒット作に恵まれて一躍売れっ子になったスターが、若い頃の苦労話や子供の頃のエピソードを掘り起こされて、波乱万丈ストーリーが作りあげられていくのに似ています。そうして、後者が前者に取り込まれるようなかたちで、壮大な叙事詩を織りなしていこうとするのです。 

例えば、詩人の高橋睦郎はかつて21世紀の第二年を迎える年頭に際して書いたエッセイの中で、「前世紀への反省をこめての今世紀の第一の課題は、光への過信に対する闇への畏敬ではないだろうか」と書いていました。 

ここで「光」と言っているのは、人類の進歩への無邪気な信頼であると同時に、尽きることのない人類の傲慢な欲望のこと。そして、「闇」とは人間がどうしたって暴くことのできないこの世界の不可解さであり、そういう不可解さや、簡単には説明のできないことも、この世にはあるのだと受け入れ、判断を保留にしておくだけの余白を残しておくことこそ、先に述べたような叙事詩的な感性の要となるのではないでしょうか。 

今季のあなたもまた、華やかに賑わい始める街の光景のかたわらで、冬ならではの鮮やかさで心に浮かび上がってくる数々の思い出とともに、闇の感覚を研ぎ澄ませてみるといいでしょう。 

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今期のおひつじ座のキーワードは、「隠れた川をたどる」。

牡羊座のイラスト
日本は明治以降、いろんな意味で水路を止め、捉えどころのないものに蓋をし、世界を安定化させ、確固とした近代国家となるよう苦心してきました、しかし、150年以上もの時が経過したいま、かえってどこにも逃げ場のない息苦しさだけが顕著になってきてしまっているように思います。 
 
それだけの期間にわたって水の流れに蓋をしてきたことが、そうした社会に暮らす人びとの感覚や世界観にどう影響するのか、ということについて、宗教学者の中沢新一と俳人の小澤實は次のように言及しています。 
 
中沢 移動をする時、僕らはタクシーに乗ったりしますが、江戸時代の人は自分の家の前から猪牙舟(ちょきぶね)に乗って移動するのが基本だったでしょう。わりあい身近なところに水路が動いているという生活感覚がありました。しかし、現代人はその水路を暗渠にしてしまいました。これがいろいろな意味で日本人の想像力に損傷を与えたのではないでしょうか。 
小澤 水の動きは自然を目に見えるものとして感じさせてくれる大切なものなんですね。水が見えるだけで心が解放される感じがあります。 
中沢 感覚を言語で表現する場合でも、陸地にいて海を見ているのと、舟に乗って動きながらとでは、根本的に違うと思います。 
小澤 そうですね。(中略)舟に乗るということには、命を担保にして風景と向かい合うところがあると思います。それは陸上にいるだけの、安定した見方とは違いますね。」 
 
現代社会ではタクシーはお金の力によって、それこそ水のように動いていますが、このお金の動きはある地層から下へは行きません。江戸時代にももちろんお金は動いていましたが、その下には実際の水が流れていて、それはお金よりももっと底なしのものでした。 
 
おひつじ座から数えて「想像力の最果て」を意味する9番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、そうした底なしのものの気配や痕跡を身の回りに感じていくところから、闇の感覚を取り戻していくといいでしょう。 
 
 
参考:中沢新一、小澤實『俳句の海に潜る』(角川書店) 

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今期のおうし座のキーワードは、「受け止める」。

牡牛座のイラスト
現代社会はインターネットや書籍などから得られる情報が人類史上でも比較にならないくらい格段に増えた一方で、自身の直接的な体験や五感を通した素の体験が極端に希薄化してしまいました。 
 
その影響は例えば人間関係の希薄化ということとも相関関係があるように思うのですが、そうしたことと関連して思い出されるのが、「素の体験」を重視した精神科臨床医の塚崎直樹氏が実際に体験した患者のエピソードです。 
 
氏はある女性の患者さんを受け持ったとき、症状が安定せず、入退院を繰り返していたため、家族に来てもらって治療の仕方について相談したいと思ったが、家が遠方で来院が難しいということだったので、家を訪問することを申し出たのだといいます。 
 
患者さんは気乗りしない様子でしたが、最後には了解して、電車とバスと徒歩あわせて2時間あまりかけて山の中の部落内にあった患者さんの家を訪ねたが、いくら声を出してもなしのつぶてで、物陰から見られている気配はあったもののついぞ反応なく、帰ってきた。 
ところが、それからその患者さんは氏の顔を見る度に「気持ち悪い奴」「泥棒」「乞食」などと罵声を浴びせるようになり、関係が悪化したため担当医を交代したものの、病院の廊下などで激しい叫び声とともに罵声を浴びせられる理不尽な日々が2年間も続き、ある日突然それが終わったのだそうです。 
 
あの2年間が何であったかは、ついに説明がなかった。反省の声を聞くこともなかった。始まったのも唐突で、終わるのも思いがけなかった。(中略)いろいろ予想することは可能だが、詳細はわからない。無理にわかろうとすると、逆に事態を悪化させるように思える。私は、このことがあってから、わからないことを、そのまま引き受けていくことが医者の仕事だと思うようになった。医者がこういう考えを持っていることは、たぶん患者の側からはわからないだろう。」 
 
おうし座から数えて「受容」を意味する8番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、人と人との間にもこうした根源的な「闇」の入り込む余地があるのだということを思い出してみるといいでしょう。 
 
 
参考:塚崎直樹『虹の断片』(新泉社) 

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今期のふたご座のキーワードは、「ラディカル・ウィル」。

ふたご座のイラスト
現代人はなぜ「弱さ」を無視したり軽視したりするようになってしまったのでしょうか。こうした問いに対し、『フラジャイル』における松岡正剛の見方はじつに明確です。 
 
それは「われわれはいつかどこかで「強さ」の神話を刷り込まれたにすぎ」ず、「ほんとうは人類は「弱さ」をめぐる大事な神話をいろいろもっていたはずだった。それがいつのまにか忘れ去られ、すべての神話と伝説に「強さ」が君臨するようになった」。特に、近代において「強さ」の神話は「“科学”や”学問”の衣装をまとっていたために、われわれはすっかり「強さ」にあこがれることになり、ついには弱者や最弱者の立場にたつ視点を失ってしまった」のだと言うのです。 
 
さらに松岡は現代人に「弱さ」の大切さや価値を思い出させてくれるものについて、「ラディカル・ウィル」という概念を使って説明しています。彼はこの言葉を「根が自発的に速い意志」と解釈し(ウィルは仏語の意志volontとも繋がってボランティアの語源ともなっている)、「根本意向」とも言い直した上で、「仮に気分のシンクロニシティ(同期性)というものがあるとするなら、それはニュートリノ(中性微子、いわゆる宇宙線)の貫通のおかげかもしれない」などと言いつつ、「微細な疾走者」であり「光になり損ねた高速疾走者」であるところのラディカル・ウィルの働きを次のように示唆するのです。 
 
自発とはそういうことである。なにも自己意志に頼っているのではない。そんなものに頼れば、ただ自分が重たくなるだけだ。そうではなく、「むこう」からやってくる何者かの速度に乗ってそのまま加速の流れに入り、いっとき自己の他端に降りてみて、そこから急速にどこかへ飛び出してしまうことを、自発といい、発根というのでなければならなかった。けれどもそのとき、ほんのすこしのことなのだが、悲しくなるときがある。寂しくなるときがある。弱音を吐きたくなるものなのだ。しかし、そのときこそ唯一の時熟であった。弱音とともにわれわれは、「よそ」や「ほか」という未知の音信にやっと出会っているからである。」 
 
こうして、弱弱しい微細なものにひょいと乗っていくことこそが、まわりまわって見知らぬ他者に声をかけたり、安全な領域から半歩踏み出したり踏み込まれたりすることを自分に許すきっかけとなっていくのではないでしょうか。ふたご座から数えて「他者への開かれ」を意味する7番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、強がろうとするのではなく、なにかを微細に感じる弱さを引き受けてみるといいでしょう。 
 
 
参考:松岡正剛『フラジャイル』(ちくま学芸文庫)

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今期のかに座のキーワードは、「水平」。

蟹座のイラスト
日本もそのど真ん中を行く家父長制的な社会では、結婚して家庭を持って家を買うべきとか、女は貞淑でエロスを持たない良妻賢母となるべきとか、「正統」とされていることから逸脱するセクシュアリティや生き方をしていると、これでもかと言うくらいに蔑まれたり、下に見られたり、時になかったことにさえされたりしますが、そうした「言葉の暴力」に抗していくには、やはりもう一つの現実を浮かび上がらせるだけの想像力と言葉とが必要となってくるように思います。 
 
例えば、多和田葉子の小説『星に仄めかされて』では、北欧に留学中に日本とおぼしき母国を失ったHirukoが同郷人のSusanooに会うために国境を越え、彼女を慕うクヌート、ナヌーク、ノラ、アカッシュら言語も性的志向もばらばらの面子とともにコペンハーゲンに集結します。 
 
彼らはそれぞれが周囲の無理解や自身の抑圧と葛藤しているのですが、例えばHirukoは「いつもクヌートとくっついているのに恋人関係にはならない。他に恋人がいるわけではないし家族も一人もいない。それなのに飄々として生きている」し、一方のクヌートは「母親に性欲があることがどうしても許せない」ことを誰にも話せないでいたりする。しかしそれでも、彼らは「正統」なセクシュアリティや生き方からの逸脱をめぐって対話しながら、何らかの解決を模索していこうとする態度では共通しており、それはHirukoとクヌートの次のような会話に象徴的に表れています。 
 
深い、は違う。深い、は垂直。奥は水平。」 
「そうか。水平か。地面に穴を掘って入っていくんじゃなくて、遠くに歩いていけばいいんだ。僕らは一緒に遠くに歩いて行こう。」 
 
多様性を排除する家族愛ではなく、友情で「水平」に繋がっていくふたりの関係性は、小説内で重要なモチーフである因幡の白兎の神話とも重層的に響きあっていくのですが、クィアで異質な人間がこの異性愛中心のこの社会で生きていく上で、「一緒に遠くに歩いて行こう」という言葉は一つの光明ともなるのではないでしょうか。 
 
かに座から数えて「ケア」を意味する6番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、他者への関わりを通して、自分なりの「水平」を広げていけるといいのですが。 
 
 
参考:多和田葉子『星に仄めかされて』(講談社) 

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今期のしし座のキーワードは、「不可避な幸福」。

獅子座のイラスト
現代はいわゆる奇人変人の類の人間がだいぶ生きやすくなった一方で、誰もが認めるような客観的な人生の良さとは異なる幸福の在り方ということが、「みんな違ってみんないい」といった相対主義の中でかえって分かりにくくなってしまったようにも感じます。 
 
しかし『水木しげると幸福の哲学』の著者である甲田烈によれば、世の幸せになるための方法論は主に収入結婚お金その他の「上昇」を説くものと、いま与えられているものに価値を見出し味わっていく「充足」を説くものとの二つに分かれるのに対し、漫画家の水木しげるは間違えようのない「不可避」なものとして幸福を説いたのだと言います。 
 
それは水木の死後、SNSなどを通じて「幸福の七か条」として広く知られるようになった、以下のような水木なりの幸せになるための知恵によく現れています。 
 
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。 
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。 
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。 
第四条 好きの力を信じる。 
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。 
第六条 なまけ者になりなさい。 
第七条 目に見えない世界を信じる。 
 
甲田によれば、これは「「幸福」の条件というより、人生訓のふりをしながら、いかにして人間は「幸福」であるしかありえない、という、その際を説いて」おり、特に第二条と第七条を中心に読んでみるとき、信じざるを得ないものや、そうとしか思えないものを、好奇心の塊となって、我が道を狂信的にまで追求していれば、誰もが避けようもなく幸福でしかありえないのだという、いわゆる欲求充足型の「幸福」論とは決定的に異なる「不可避」説がくっきりと浮かび上がってくることに気付くはず。 
 
もちろんそれは水木が自身の戦争体験を通じて「「生かされている」という深い身体感覚」を培ったからこそ追求できた道でもある訳ですが、しし座から数えて「生きる喜び」を意味する5番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、どうしたら不可避な幸福を追求できるか、あるいは、すでにしていたかに気付いていくべし。 
 
 
参考:甲田烈『水木しげると幸福の哲学』(イースト新書)

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今期のおとめ座のキーワードは、「加害者像の構築」。

乙女座のイラスト
ここのところ京王線の事件など、社会的孤立や社会的なつながりの欠如によって生まれた「無敵の人」による犯罪が続き、大きな社会問題と化してきつつあります。 
 
「無敵の人」とは、恋人や友人関係が破綻していたり、職を失うなどして、他に失うものがない状態で犯罪を実行する者を指しますが、先に問題と言ったのは今の社会状況では「普通の人」がいつ何どき「無敵の人」になるか分からず、また逆に誰もが凶悪事件の被害者になりえる状況を生きているという事態に、まだ多くの人の認識や準備が追いついていないように見えるからです。 
 
例えば、現行の日本の法制度では、殺人事件の被害者の家族は、加害者との一切の接触を法的に禁じられており、資料を読むことでしか、加害者との接点を得ることができないようになっていますが、カウンセラーの信田さよ子は、『家族と国家は共謀する』のなかで、被害者となって大きな喪失と世界観の分裂・崩壊にまで至らしめられた人にとって、実質的に救済の糸口となるのは、加害者について深く知ることだけだと述べています。 
 
逆に、「いつまでも過去の経験にこだわっていないで、前向きの姿勢で、プラス思考で、未来を見つめつつ生きよう」といった、あまりにベタなアドバイスはほとんど効果を持ちません。 
 
信田は被害者が「どうしてまた?」「他でもないこの私に」このような信じがたい出来事が起きてしまったのか、という「なぜ」を解きたい衝動にようやくたどり着いた先で、やっと「自らの受けた被害・苦しみに「意味」を与える信念体系を再建」するという段階に入ることができるのだと強調した上で、その実際の中身は、どうしても加害者像の構築という「遠大でエネルギーを要する作業」となるしかなく、それはときに「グロテスクで哀れな行動をとることによってしか再び積み上げられることない」場合もあるのだとも述べています。 
 
おとめ座から数えて「心の支え」を意味する4番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、ケアという言葉から連想される甘やかな慰撫や優しさからはほど遠い、壊れたものの再建や支援のリアルについて思いを馳せてみるといいでしょう。 
 
 
参考:信田さよ子『家族と国家は共謀する』(角川新書)

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今期のてんびん座のキーワードは、「エロス的な関係」。

天秤座のイラスト
ここのところ行政よりも民間が頑張っている、いや頑張らざるを得ない領域が目立つようになってきましたが、「援助」という分野は特にその傾向が強いのではないでしょうか。 
 
ちょっとした悩みを聞いたり、壁打ちを手伝ったりする浅い援助から、精神分析や心理療法などの専門家の一歩手前にいたる深い援助まで、今や誰しもが援助する人にもされる人にもなりえる時代となりつつあるのだと言えますが、そうした援助にひもづく関係性に潜む影や悪の問題に光を当てた書物に、分析心理学の専門家として名高いグーゲンヴィル―クレイグの『心理療法の光と影』があります。 
 
中でも今回注目したいのが、援助する側である「精神療法家の混乱を和らげてくれたり、あるいはすっかり解決してくれたりすることのできる」ものは「なによりもまず友情である」という指摘です。 
 
これはごくありふれた意見のように見えますし、実際多くの分析家たちにもその真の価値が見過ごされているのだそうですが、グーゲンヴィル―クレイグは「分析家に必要なものは対等の関係なのであり、彼に太刀打ちできるパートナーたちとの関係なのである。友人というのは、分析家をあえて攻撃もするものだし、分析家の笑止千万なところも有能なところも指摘するというようなことも、あえてしてくれるものなのである」と述べた上で、次のように続けています。 
 
友人も持たないで分析活動をしていて、硬ばった態度にも陥らず、世の中からも閉じこもらないでいることができるためには、分析家は心理学的に、特別大きな天賦の才能を持っていなくてはならない。しかしながら、多分友情という言葉は何かしら少し狭すぎるかも知れないので、あるいは次のように言うのがよいかも知れない。つまり、分析家は分析の仕事以外にもエロス的な関係を必要としているのだと。」 
 
てんびん座から数えて「コミュニケーション」を意味する3番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、ときに相手からの挑戦を受けることがあるような、いきいきとしたエロス的な関係が足りているか、ないしどれだけ展開してけるかということが改めてテーマとなっていくでしょう。 
 
 
参考:A・グーゲンヴィル―クレイグ、樋口和彦・安渓真一訳『心理療法の光と影』(創元社) 

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今期のさそり座のキーワードは、「非を知り、過を改める」。

蠍座のイラスト
令和の時代にあって、政治家の品格はみる影もなくなってしまったように感じますが、それはひとえに政治家を指導するだけの精神的指導者にあたる大人物がいなくなってしまったからなのかも知れません。ここで思い出されるのが、かつて昭和の時代に多くの政治家や財界人の御意見番の位置にあった安岡正篤という人物です。 
 
安岡は東洋古典の研究と人材育成に尽力した教育者であると同時に易学、すなわち易経にもとづく運命学の第一人者でもありましたが、運命学の本質は「変る世界を易(か)えてゆく」ことにあり、それは「陰騭録(いんしつろく)」という明の時代に書かれた古典にも深く記述されているとして、『「陰騭録」を読む』という講義録を残していました。 
 
現代社会では因果応報というのは古い考えとして、捨てて省みられなくなりつつありますが、安岡は「陰騭録」を通して、単なる勧善懲悪としてではなく、自己を超えた絶対者の意志を畏れ自己の行動を慎しむという陰騭思想は、現代においてこそより一層大切にされるべき思想であるように思われるのです。 
 
「外、人の急を救はんと思はば……」まず自分の邪念をふせぐことを考えよ。そうして日々に自分の非を知り、日々に過を改めることが肝要である。一日自分の非を知らなければ、一日自分を是として安んじてしまう。一日何の過も改めることがないというのは、とりもなおさず一日の何の進歩もないということである。」 
 
さそり座から数えて「徳」を意味する2番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、うかうかと享楽に過ごして折角の一生を無駄にしてしまうのではなく、天啓を習熟玩味して勉めてこれを実行していくべし。 
 
 
参考:安岡正篤『「陰騭録」を読む』(致知出版)

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今期のいて座のキーワードは、「ぼろぼろ」。

射手座のイラスト
何かがゆっくりと、時に急速に、そして決定的に自壊していく音がする時代を、今私たちは生きているように思います。では、それはどんな音をしているのか。 
 
近い表現をオノマトペで考えてみると、きりきり、という段階はとうに過ぎたし、ボッカーン、というほど偶発的な事故のように起きたことでもなく、どろどろ、という程にはまだひどくない。 
 
そうすると、ぼろぼろ、というくらいが、いまの世界の感触として適切なのではないだろうか、とまで考えたところで、哲学者の鷲田清一がさまざまなオノマトペについて考察してみせた『「ぐずぐず」の理由』を開いてみると、そこにはちゃんと「ぼろぼろ」という項目があったので、以下にいくつか引用していきます。 
 
「ぼろぼろ」と崩れる……。それは言ってみれば自壊するのであって、高所から突き落とされたり、墜落したりするのではない。いやというほどひとに触られて、身を削られ、摩滅してゆくというのでもない。構造というものを失ってたんなる集積に変わり、足許からしだいに崩れてゆく。」 
 
「支えを失い、柱を失い、内部と外部の差異も消え、粉々になって、やがて塵埃と化す。じぶんで身を支えられなくなるのである。夢どころか想い出も崩れれば、姿勢どころか顔じたいが崩れてくる……。ぼろぼろと。」 
 
「「ぼろぼろ」には、からだを横たえ、俯し、あるいは仰むけて、肉も皮膚もだらんと垂れたまま、口許だけを微かに動かして、最後の吐息のように音を出す、そんな低い声が似つかわしい。」 
 
人間が往生する瞬間も、最後はふーっと息を吐いて死んでいくと言いますが、もしかしたら私たちは、決定的に何かが死んで終わっていくそんな時代に居合わせているのかも知れません。そして、自分自身の星座であるいて座で新月を迎えていく今期のあなたもまた、そうした時代精神と不思議と同期していきやすくなるでしょう。 
 
 
参考:鷲田清一『「ぐずぐず」の理由』(角川選書) 

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今期のやぎ座のキーワードは、「共感覚と霊的体験」。

山羊座のイラスト
インターネットの浸透によって、ある意味で霊界が具現化してしまった現代社会では、昔よりもずっと、誰もが容易に霊的な体験、いわゆるオカルト体験をするようになってきましたが、そうしたインフラ側の発達に対して、まだまだそれを使う側の意識が追いついていないのではないでしょうか。というより、使わされているどころか、不用意に巻き込まれてネガティブな方向で誘導されてしまうケースが後を絶たないように思います。では、なぜそうしたことが起きてしまうのか。 
 
その内在的なプロセスについて、神秘学者でシュタイナー思想の日本への紹介者でもある高橋巌は『神秘学講義』の中で、次のように述べています。 
 
このようにして感覚が互いに融合しあうことによってこそ、オカルティズムで言うところの霊的体験が可能になるのだ、とも考えられるわけです。しかしもしもこの融合が(中略)「自我」によって統御されることなく、霊的体験にいたったとしますと、それはなんらかの意味で病的な体験になりかねません。それはいわば先祖返り的なヴィジョンだと、その単なるヴィジョンが外界の事物に投影されて、実際に外なる現実にあるかのようにそれを体験してしまい、幻覚と知覚の区別がつかなくなってくるのです。ドラッグ体験でもおそらくは同じことで、もしもドラッグによって体験された或るヴィジョンが、知覚と幻覚の区別をあいまいにするようなヴィジョンだとすれば、それもやっぱり病的であると言えます。」 
 
ここで「感覚」と言われているのは、単に通常の五感についてのみ言っているのではなく、R・シュタイナーの考えにしたがって、熱感覚、均衡感覚、運動感覚、生命感覚、言語感覚、概念感覚、個体感覚などの微妙で説明しにくいものも含めた、ちょうど占星術の12星座と同じ12の感覚のことで、高橋はそれらが共感覚を通じて生動化し、融合していくことで、私たちはさまざまなバリエーションの霊的/病的体験を経験しているのだと考えた訳です。 
 
やぎ座から数えて「夢見」を意味する12番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、自分がどんな感覚と感覚の結びつきを体験しやすいのか、改めて自己観察を深めてみるといいでしょう。 
 
 
参考:高橋巌『神秘学講義』(角川選書)

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今期のみずがめ座のキーワードは、「ヒトと動物の境界」。

水瓶座のイラスト
舞踏評論家の石井達郎が、北京から南に280キロの場所に位置している中国河北省の石家荘市で開催された国際雑技大会で審査員をつとめた経験をもとに「アクロバットの人類学」という紀行エッセイを書いたのは90年代半ばのことでした。 
 
世界中から集まった芸人たちによって披露されるアクロバット、道化芸、動物芸などについて触れていくなかで、石井がひときわ魅力的に感じたと綴っていたのがカザフ共和国の曲馬、そしてたくさんの犬を使った芸でした。 
 
「調教師はできるだけひっこんでいて、あるいは脇役になり、犬たちが自分で楽しんで競技をしているというような構成で演出されていた。犬たちが自由に走りまわり、ユーモアもたっぷりであり、従来のサーカスの動物芸という枠から外れたオリジナルな発想が際立った。」 
 
考えてみれば、数々の動植物を絶滅に追いやり、それに飽き足らず同種間でも殺戮を繰り返しているのはヒトという種だけであり、しかもヒトは地球上で自分たちこそが最も高等な生き物で、ほかの種にはない複雑で繊細な「心」を持っていると固く信じて疑っていないのですから、タチが悪いと言わざるを得ません。 
 
サーカスの動物芸も未来に向けて発想の転換が望まれる。たとえば、ヒトが強圧的に動物を調教するのではない、たんにふつうの動物ができそうもないことをやらせて観客を驚かすのではない、ヒトと動物が和やかに共存しているのをみせてくれる芸。強者/弱者、命令/服従、知性/獰猛……という図式ではなく、「一緒にやってます」という共生の原理である。将来のサーカスの動物芸――なにか新鮮な展開の可能性がありそうな気がする。」 
 
ヒトの絶滅や自滅のシナリオがもはやフィクションとは言えなくなってきている今、私たちは同種の人間を変えようとするよりも、まず従来のヒトと動物、ヒトと植物の線引きや壁を崩したり、解消していくことが急務となっているように思えます。 
 
みずがめ座から数えて「ネットワーク」を意味する11番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、かつて石井が感じ取った「新鮮な展開の可能性」が今どれだけ具現化しているか、改めて周囲を見回してみるといいかも知れません。 
 
 
参考:石井達朗『アジア、旅と身体のコスモス』(青弓社)

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今期のうお座のキーワードは、「虚構はいずれ崩れ去る」。

魚座のイラスト
夢がいつかは醒めるように、無理に作り上げた虚構というのは必ず現実に復讐されるタイミングが来るものですが、その一つに「男らしい男がわんさかいたはずだ」という幻想があり、それが長らく日本の家父長制社会をいい意味でもわるい意味でも支えてきたように思います。 
 
しかしながら、2012年12月号の『新潮45』に掲載された歴史学者の与那覇潤とNHKのドラマ番組部のチーフ・プロデューサーである屋敷陽太郎との対談のなかで、与那覇は「男らしい男」という神話を唯一思い込める時代が戦国だったはずなのに、今ではドラマの世界でさえ男らしい男を描くことが少なくなったことに触れ、「ちょっと弱さを見せる男」の方がむしろ日本の伝統的な男性像であり、「自律的な強い男という幻想自体が、日本人には本来合っていないの」ではないかと指摘しています。 
 
「マッチョな男という類型自体がもともと日本の文化に乏しくて、近代に入って背伸びしてつくろうとしたものではないかなと。なよなよしたままでいたら植民地にされかねないというプレッシャーで、むりやり強い男をつくろうとした結果、最後に破綻したのが戦前の経験です。」 
 
だから戦後も、三島由紀夫が戦前をモデルに強い男を演じようとしたら、割腹するまでいかないと止まらなかった。江藤淳の場合は、日本の近代がいかに他律的で、母性原理から引き離されてゆく過程だったかを描きながらも、「でもやっぱり自立して強い日本にならねば」と転回して、しかし最後は奥さんを亡くしたら生きていけなくて後を追ってしまう。」 
 
ひるがえって、2021年のNHK大河『青天を衝け』では実業家として近代日本の礎を築いた渋沢栄一が、そして2022年の『鎌倉殿の13人』では、源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男、二代執権・北条義時が主役となり、いずれも派手なイメージはないものの、時代の節目で着実に新たな時代の土台を築いた男という印象を受けますが、それは「男らしい男」という虚構の崩壊とどのようなバランスのもとで、現代を生きる人々の映し鏡たり得るのでしょうか。 
 
うお座から数えて「偶像」を意味する10番目のいて座で新月を迎える今期のあなたもまた、自身や身近な人間に重ねつつ、そうした虚像の新陳代謝を自分事として考えてみるといいでしょう。 
 
 
参考:与那覇潤ほか『史論の復権』(新潮新書)



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文/SUGAR イラスト/チヤキ