1980年──、いまから約40年前。女性の「性」の本音を語る「モア・リポート」が誕生し、2017年までに延べ1万2千人を超える女性たちの性を見つめてきました。

そして、恋愛やセックスがいっそう多様化している現在。20代、30代の体験談を取材した新「モア・リポート」をお届けします!

男性上司に言われた「子どもを産んでから存在感がない」

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ーDATAー

藤木さん(仮名)32歳 / 職業:中学校教員

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藤木さん(仮名・32歳)は、2人目の子どもをなかなか授からず、不妊治療をはじめた。私立中学校の教員として働く彼女は、仕事と治療の両立で葛藤する。男性上司の理解が得にくい現場で、同僚のアドバイスにも衝撃を受けて……。

軽くとらえていた「生理不順」から不妊治療へ

中学校の女性教員が不妊治療する難しさ。男の画像_1

――藤木さんは仕事をしながら、不妊治療をされた経験がある?

私立中学の教員としてフルタイムで働きながら、不妊治療をした経験があります。29歳の時、第2子をのぞむも、1年以上妊娠することができませんでした。(以下同、藤木さん)



――1人目のときは自然妊娠でしたか?

はい。26歳の時、結婚してまもなく妊娠しました。学生時代に激しいスポーツをしていたことも影響してか、私はずっと生理不順でした。だから、すぐに妊娠できた時は驚きましたね。




――生理不順であることを病院に相談したことはありますか?

いいえ。むしろ生理はだるいし、「来なくてラッキー」と思っていました。だけど結婚する前になって、「もし妊娠できなかったら……」という不安がよぎるように。

1人目をすぐに妊娠したことで、「生理不順でも大丈夫なんだ!」と安心していました。それが2人目になると一変、定期的な性行為はあっても妊娠しませんでした。





――出産後も、生理不順はずっと続いていたのですか?

続いていました。それもあり、まずは生理不順の相談をかねて職場近くのクリニックへ行くことに。だけど、このクリニックの雰囲気が悪かったんです。

周囲に相談しづらい「2人目不妊」

中学校の女性教員が不妊治療する難しさ。男の画像_2

――どういうところに雰囲気の悪さを感じましたか?

産婦人科と婦人科が一緒になったクリニックだったため、さまざま感情を持った女性が同じ空間にいました。

待合室に妊娠中で幸せそうな表情の人もいれば、不妊治療の結果を聞いて落胆する女性もいることに居心地の悪さを感じて。さらに診察では、医者に「1人いるなら不妊治療は焦らなくても」と言われたんです。




――「1人いるなら焦らなくても」という言葉に、どのような気持ちになりましたか?

実は、夫に不妊治療をしたいと相談した時に言われた言葉でもあるんです「2人目不妊は贅沢な悩み」だと捉えられてしまってもしょうがない、という気持ちが自分の中にありました。

だけど、子どもには兄弟がいたほうがいいんじゃないかという思いがありましたし、周囲の友人が2人目を出産していることで焦る気持ちもありました。

また、一度出産を経験しているからか、周りから当然のように「そろそろ2人目?」という声をかけられます。誰にも悩みを共有できずにいました。




――そんな中で、クリニックに相談したのですね。

はい。意を決して行ったクリニックで医者から言われるとショックでした。




――その後、どうなりましたか?

初診で医者から「次は基礎体温はかってきて」と言われ、二度目に行くと「まだ体温がガタガタだから排卵日がわかりません」の一言。

待合室の雰囲気や医者の対応にも不安を感じ、このクリニックに通うことはやめました。

仕事と治療の両立へのアドバイスが「正規雇用から非正規雇用に切り替えたら?」

中学校の女性教員が不妊治療する難しさ。男の画像_3

――その後、別のクリニックに移ったのですか?

はい。口コミで評判のいい不妊治療専門のクリニックを見つけ、通うことにしました。だけどそこは職場から一時間以上かかる場所だったんです。




――職場からクリニックへ通ったのですか?

そうです。私は教員のため、日中の授業を抜けることは絶対にできません。治療は自分の授業に支障の出ない時間帯の朝か、早退するか、いずれかで行いました。

クリニックでは、生理不順改善のための薬を飲んだり、ホルモン注射をするようになり、多い時は、3日に1回のペースで通っていました。




――職場の人に不妊治療のことを話しましたか?

いいえ。上司にあたる人は男性が多く、言えませんでした。私が理由を明かさず、遅刻や早退することを伝えると「めっちゃ早く帰るやん」、「そんなに有給を使ってる人おらんけど」と嫌味を言われたこともあります。




――それでも治療のことは隠し続けていたのですか?

はい。1人目の子どもを産んで復帰した際、男性上司に「藤木は子どもを産んでから存在感がないぞ」と言われたんです。そんな現場で「不妊治療してます」とは言えません。たしかに子どもを産んでから、自身の働き方が変わったとは思いますが。




――働き方はどのように変わりましたか?

教員を目指していた学生時代や教員になったばかりの頃は、お金よりもやりがいを一番に考えていました。仕事に対する熱意は誰よりもあったと思うし、サービス残業なども進んでしていました。だけど出産してからは、自分でも驚くくらい「子ども中心」に変わりました。担任や部活は持たないポジションで、自身の授業を淡々とこなし、給料分をちゃんと働いたらすぐ帰るというスタイルです。

もちろん教員なので、生徒にしっかり向き合った授業をやることは心がけていました。だけど昔の私を知っている上司からすると、熱意がないように感じたのかもしれません。


――では、職場の人には一切相談せずに不妊治療を続けたのですか?

話しやすい事務員の女性の方がいたので、その方にこっそり相談したことがあります。その方からのアドバイスは「正規雇用から、非正規雇用に切り替えればいいんじゃない?」でした。

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取材・文/毒島サチコ

ライター・インタビュアー
毒島サチコ

MORE世代の体験談を取材した「モア・リポート」担当のライター・インタビュアー。

現代を生きる女性のリアルな恋愛観やその背景にひそむ社会的な問題など、多角的な視点から“恋愛”を考察する。