あがき、戦い続けた5人の物語 DEEP DIVE INTO THE “ZONE”

2021年11月16日、デビュー10周年を迎えるSexy Zone。彼らは何を思い考えながら歩いてきたのか——。メンバーそれぞれが、10年の軌跡を振り返るロングインタビューを実施。第1回は最年長メンバーである中島健人さんが登場し、グループへの熱い思いを語ってくれました。

2021年MORE8月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
Sexy Zone中島健人
なかじま・けんと●1994年3月13日生まれ、東京都出身。2011年にSexy Zoneとしてデビュー後、音楽業だけでなく俳優としても活躍。主演ドラマ『彼女はキレイだった』(フジテレビ系・火曜21:00〜)が7月6日よりスタート!

中島健人さんロングインタビュー

甘いルックスと甘い言葉、完璧なパフォーマンス、そして、ユーモアあふれるおちゃめな素顔で世の女性たちを虜にする現代の“王子様”。ステージ上はもちろんのこと、ドラマや映画やバラエティ番組でも圧倒的な存在感を放ち、最年長メンバーとしてグループを牽引してきた中島健人さん。彼がSexy Zoneとしてデビューしたのは17歳の頃。当時の記憶を振り返ってもらうと、まず飛び出したのがこの言葉だった。

中島「2011年9月29日、帝国劇場で行った結成&デビュー会見。それがSexy Zoneの始まりだったんですけど。そこで思ったのは“オレはなんでここにいるんだろう。こんなはずじゃなかった”。それが当時の自分の正直な感想だったんですよ」

「こんなはずじゃなかった」その思いからすべては始まった

中島さんがジャニーズ事務所に入ったのは14歳の頃。所属して間もなく、菊池風磨、松村北斗、髙地優吾と共にB.I.Shadowとして活躍するように。『Myojo』の投票企画「あなたが選ぶJr.大賞」では2年連続で1位を受賞。中島さんはデビュー前から注目を集める存在だった。

中島「偉そうな言葉に聞こえてしまうかもしれないけど……。自分でも、そのために死ぬほど努力もしていた。オレ、Sexy Zoneの前に中山優馬 w/B.I.ShadowやNYC boysとしてCDデビューしているんですけど。そこでの立ち位置は端っこか後列で。正式デビューする時は真ん中に立ちたい、その強い思いを糧に突き進んできたんですよ。なのに、デビュー時自分が立っていたのはまたもや後列。しかも、目の前にいるのはついこないだ事務所に入ったばかりの“可愛い後輩”だった年下3人。17歳の自分にはその現実を受け入れることができなくて……。悔しくて、悔しくて、何度も家でひとりで泣きましたからね」

平均年齢約14歳、ジャニーズ史上最年少グループとして華々しくデビューしたSexy Zoneだが、世間の注目度とは裏腹に「メンバーの関係性はガタガタでした」とデビュー当時を振り返る。

中島「話し合おうと思っても、松島(聡)は13歳、(佐藤)勝利は14歳、最年少のマリウス(葉)に関しては11歳。Jr.経験も短く、年も離れていて話し合いすらまともにできなくて。今でこそみんな大人になって年齢差を感じることはなくなったけど、当時はそれをすごく大きく感じた。さらに、菊池(風磨)に関しては反抗期の真っ最中(笑)。そういうオレも同じでまだまだ未熟で幼かった。今思えば、年下チームも大変な思いをしていたと思うんですよ。経験もノウハウも少ないままデビューしてしまったからこそ戸惑うことも多かっただろうし、勝利に関してはまったくかみあわないグループのセンターという重荷を背負わされて苦しい思いをしていたと思う。大人になった今ならそれがわかるんだけど。当時は自分の悔しさばかりに目がいって、メンバーのことまで考える余裕が自分にはなかったんですよね」

念願のデビューを果たしたものの「この先、どうなってしまうのか。どうしたらいいのかすらもわからない」そんな不安を感じる毎日。

中島「デビュー当時の映像を観てもらえればわかると思うんですけど。あの頃のオレ、無理して笑ってるんですよ。それが伝わってしまったのか、ジャニーさんから“ユーの笑顔、気持ち悪いよ”と言われて落ち込んだこともあったりして……。何をしてもうまくいかない、それがオレにとっての“Sexy Zone創成期”でした」

ずっと後ろ向きだった気持ちが前を向き始めたのは、デビューから約1年半後、ドラマ『BAD BOYS J』の主役を演じた時だった。

中島「初めて作品の真ん中に立ったことで、それまでグループの立ち位置にこだわっていた自分を捨てることができたというか。前とか後ろとか関係なく、自分が立っている場所で輝けばいいんだって、そう思えるようになったんですよ。そこで、自分ではなくグループのことをあらためて真剣に考えるように。このままだとグループはダメになる、自分にできることはなんなのか……。そこで、決意したんです。最年長である自分がしっかり引っぱっていこう、グループのことを、メンバーのことを、より多くの人に知ってもらうために自分が“入口”になろうと。外に出る時はその思いで戦うことを心に決めたんです。Sexy Zoneという名刺を大量に抱え、多くの人にばらまくために」

自分の個性を探し見つけた「セクシーサンキュー!」

その言葉どおり、そこからの中島さんはドラマからバラエティ番組までジャンルレスに活躍。特に注目を集めたのが“王子様”なキャラクターと「セクシーサンキュー」をはじめとする唯一無二の語彙センスだった。

中島「ちなみに、このキャラはすでにデビュー前からあったもの。ジャニーズJr.時代から“『iPod touch』を買ったから、今日はみんなの愛にタッチしちゃうぞ”とか、そんなことばかり言っていましたからね(笑)。誕生のきっかけは、コンサートの前説に出た時にジャニーさんから言われた“ユーつまらないよ、もっと自分を出しなよ”という言葉。そこで、自分ってなんだろうと考えた時にあふれ出てきたのがこのキャラで。ジャニーズJr.の仲間からは“変なヤツ”という目で見られることもあったけど、そんなオレをジャニーさんや先輩たちは面白がってくれたんですよ」

実は「セクシーサンキュー」にもこんな誕生秘話が。

中島「初めてそれを口にしたのは新聞社の方々とのインタビュー会で。“セクシー時代にはどんな言葉がはやりますか?”という質問にこう答えたのが最初なんです。でも、会場はシーンとしちゃってだだスベり(笑)。笑ったのはジャニーさんだけだったんだけど、使い続けていたらそれが自分の武器になっていたんですよ」

誰かと同じではなく自分だけの何かを探し築き上げた個性。それが多くの人に伝わるきっかけになったのが、デビュー直後に行った8万人握手会。初めて会った喜びを口にする女の子に対して「夢の中で会ったじゃん」、靴が脱げてしまった子には「気をつけて、シンデレラ!」、甘い言葉をひとりひとりに投げかけた、その神対応は今でも語られる伝説に。

中島「握手会ってひとり1秒くらいで終わってしまうんですよね。でも、その1秒のためにみんなは何時間も並んでくれるわけで。その感謝の思いもこめて、ひとりひとりの1秒を“特別な一秒”にしたかった。自分としては当たり前のことをしていただけなんだけど、ネットやSNSでそれが広がって。気づいたらそれが自分の個性になっていた。この個性を築き上げたのは自分だけの力じゃなく、ファンのみんなのおかげでもあるんです」

すべては「グループのため」爪あとを残すのに必死だった

そんな唯一無二の個性を武器に活躍の場をグンと広げた中島さんだが、常に心の中にあったのは「グループのため」という思いだった。

中島「とにかく爪あとを残すのに必死で、ひとつひとつの仕事に全力で挑みました。その裏にあったのは、Sexy Zoneの名刺を配りたいという強い思いだったんだけど……。それがメンバーにうまく伝わらず悩んだ時期もありました。彼らにはオレがひとりで突っ走っているように見えたのかもしれない。でもオレはオレで〝こんなに頑張っているのに、なんでわかってくれないんだよ〟と思ってしまう部分もあったりして……」

そこで飛び出したのが「今だから言えるけど、オレね、当時はメンバーのことが嫌いだったんです。〝嫌い〟という言葉は語弊があるかもしれないけど……。温度が違う、合わない、そう感じることが多かったんですよね」という言葉だった。

中島「あの頃は、生まれた溝を埋めるための話し合いができるような関係性でもなかったし、オレもまた思いをうまく伝える方法がわからずに自分の理想ばかりを押しつけていたのかもしれない。きっと、メンバーはメンバーでそんなオレに不満を持っていただろうなって、これもまた大人になった今ならわかるんだけど。当時は理解してもらえないことが、悔しかったしつらかったんだよね」

そんなグループ内の関係性が変化したのは、それぞれが自分のフィールドで活躍するようになってから。

中島「そこでやっと、お互いの大変さやそれぞれの思いを感じ取れるようになったのかもしれないし、それぞれが大人になったというのも大きいと思う。ちゃんと話し合うことができるようになって……。そこからなんだと思うんですよ、本当の意味でグループの関係性がよくなっていったのは」

そんな過去があるからこそ「今のメンバーの活躍がうれしくてしかたがない」と中島さんは言葉を続ける。

中島「ドラマ『青野くんに触りたいから死にたい』で勝利が主役を演じます、ドラマ『コタローは1人暮らし』に松島が出ます、そんな知らせを聞くたびに、オレね、今でもちょっと泣きそうになるんですよ。うれしくて。今、メンバーのことを好きかと聞かれたら……オレにとってメンバーはもう、好きとか嫌いとかそんな小さな次元で考える存在ではなくて。ただ、言えるのは誇りに思っているということ。ね、うちのメンバー面白いでしょ、みんなもっと気づいてよって、オレの中にあるのは今もそんな気持ちなんです」

オレはパパ、菊池はママ。5人は“家族”なんだと思う

中島「B.I.Shadowの頃から、約13年間ずっと一緒に人生を歩んできた、オレにとって菊池は人生の相棒のような存在。オレの喜怒哀楽を隣でずっと見てきた人だから。たまに思うんですよ、中島健人をいちばん知っているのは彼なんじゃないかなって。それだけに、彼に対しては特別な思いがある。そして、そんな菊池がバラエティ番組を中心に、ウイットに富んだ才能を生かしている姿は本当にうれしくもあって。年下3人に関してはまた菊池に対する思いとは違う思いがオレの中にある。なんだろう、Jr.経験が浅いままデビューした彼らの成長過程を身近で見てきただけに、少し父親のような目線で見てしまうことがあるというか。松島は本当に才能豊かで。そのなかでもアイドル能力がずば抜けて高い。出会った頃はお猿さんみたいだったのに、今ではイケ散らかしちゃって、色気まで漂わせていますからね(笑)。ベイビーだったマリウスも今では“カッコいいな”と見とれるほどの立派な大人に。インテリジェンスな姿勢や知識を武器に自分の道を見つけて歩んでいるなって思う。勝利はセンターという重荷を背負わされたうえに、上と下にはさまれて、いろんなことと戦ってきたから。本当に強くなったなって思う……。その成長を感じるたびに感慨深い思いでいっぱいになることもあって」

そして「勝利からも言われたことがあるんですよ。“ケンティはパパだよね”って。その理由を尋ねたら“いつも仕事頑張ってるから”って。それを聞いて的を射ているなと思った」中島さんは笑う。

中島「で、オレがパパなら、そのママはやっぱり菊池なんだよね。メンバーのケアをしてくれていたり、オレの知らないところでグループを支えてくれていたのはやっぱり彼で……。Sexy Zoneってグループであり家族だったんだと思うんですよ。よく“親も最初から親だったわけじゃない。子供と一緒に成長していく”って言うけど、新米パパと新米ママだったオレと菊池もきっと同じなんだと思う。で、10年後にようやく家族らしい家族になれたっていう。そこがSexy Zoneの面白いところだよね(笑)」

今はそんな家族と一緒に過ごす時間が、とても心地いいそうだ。

中島「以前は“全部、自分で背負わなきゃ”と思っていたものを、今ではメンバーが分担して背負ってくれていると思えるようになった。さらには、それぞれが担っている役割がどんどん豊かに大きくなっている気がする。そこには信頼感しかない。だからこそ今、オレの中に自分のことに集中できる余裕が生まれて。30歳までの3年間は攻めまくりたいと思っているんですよ。10周年を目前に控えた今、グループとしても、個人としても、新しいスタート地点に立ったような気持ちで。“これから”が本当に楽しみなんです」

最後に、あらためて「中島健人にとってSexy Zoneとは?」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。

中島「やっぱり家族なのかな。でも、今はもう親子ではなく横並び、友達みたいな兄弟になっていると思う。年下メンバーを頼ることもあれば、彼らに教えてもらうことも多いしね。昔は同年代のグループをうらやましく思ったこともあるけれど、そうじゃなかったから、悩み迷った時期があるからこそ今の自分がいる。今は心から思っていますから。Sexy Zoneでよかったって」
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取材・原文/石井美輪 構成・企画/渡部遥奈(MORE)