ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』

がんばったのにまだ週の半分……。ため息が出そうな水曜日のあなたを解放するエッセイ連載。

vol.04 セクハラの境界線

ブレイディみかこさん連載『心を溶かす、水曜日』
MORE読者や20代の女性たちとの愚痴会が定期的になりつつある。驚くこともあれば、しんみりすることもあり、次が楽しみになってきた今日この頃だが、最近の愚痴会であぜんとさせられたことがあった。日本の職場における「セクハラそんなにひどいんかい」問題である。

男性が多い職場で働くDさんは、セクハラに悩む女性が多いと語る。いちおう社内にはホットラインもあるし、こうした事態に対処するためのシステムはできている。実際、ひどいセクハラで懲戒解雇された人もいるのだが、それでもまだ行動を起こさない女性たちが多すぎるという。

いったいどういうセクハラが横行しているのかと聞いてみると、帰るときに車でしつこく待ち伏せをするおっさ……、いや、上司がいるそうで、既婚者だというのに執拗にSNSにメッセージを送ってきたりして、ほとほと迷惑していた同僚がいるという。しかし、この同僚が髪を切ると、たちまち別の女性社員を追い回すようになったそうだ。

こうした被害は、体を触られるとかいった犯罪型のハラスメントではない。だからこそ、どこからが通報の対象になるのかわからないし、そういうことをしてくる男性はだいたい自分より上の立場であることが多いので、同僚の女性たちは何もせずに黙っているのだと思うとDさんは言っていた。

「そういうセクハラ上司がうちの会社にもいます」と発言したのがEさんだ。こちらも帰りに女性社員を車で待ち伏せする上司がいて、複数の被害者が出ている。しかし、Eさんの会社の女性は声をあげた。そのため、この上司は懲戒処分の前段階である「注意・指導」の対象になったが、なぜか自らそれをネタにして不敵に笑っているという。「セクハラで注意されたオレ」のどこに自慢できる内容があるのかは不明だが、ひょっとすると、「女性が好きなオレ」を「やんちゃなオレ」へと変換し、「男っぽいだろオレ」の自己アピールを行っているのかもしれない。これは一歩間違うと「セクシーなオレ」「モテるオレ」という壮大な勘違いにつながりかねないし、このタイプの上司は「注意・指導」を勲章ぐらいに思っている可能性もある。

日本の労働問題のサイトでチェックしても、「食事やデートに執拗に誘う」や「酒の席でお酌やカラオケのデュエットをさせる」などの行為は、立派な「職場環境レベルのセクハラ」と定義されている。「車で送ると誘う」の事例は明記されていないが、密室の中で男性と二人きりになれと誘う行為でもあるので、さらに危険な状況を招きかねない。しかも、待ち伏せして誘うというのは、ストーカー行為でもあり、女性たちは自分の身を守るために行動を起こすべきだ。

というようなことは、被害に遭っている女性たちも、実はわかっているのかもしれないと思う。「セクハラの境界線がわからない」という言葉の裏側に、「ことを起こして職場の雰囲気を変えてしまう境界線を越えたくない」という心理が潜んでいるから行動を躊躇するのではないか。

また長い一週間が始まり、真ん中あたりまで来た水曜日。もしもあなたがいまセクハラに悩んでいるとしたら考えてみてほしい。セクハラの境界線って何? 場の空気を変える境界線って何? そのラインは誰が引いたもの?

もしかしたら、その線を引いたのはあなた自身かもしれない。自分が引いた境界線を基準にして「どちら側かよくわからない」とか「一線を越えたくない」とか言っているだけかもしれない。そしてその境界線は「面倒くさいことにならないため」の言い訳として使われていることだってあるのだ。

一番たいせつなのは生身のあなたであり、あなた自身のハピネスのために「えいやっ」とあなたは行動を起こすべきなのだ。

勇気とは、自分で引いた境界線を溶かすことである。

PROFILE

ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数
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イラスト/Aki Ishibashi