あがき、戦い続けた5人の物語 DEEP DIVE INTO THE “ZONE”

2021年11月16日、デビュー10周年を迎えるSexy Zone。メンバーそれぞれが10年の軌跡を振り返るロングインタビュー、第2回は結成当初からグループのセンターとして活躍し、ステージの真ん中で輝きを放ち続けてきた、佐藤勝利さん。彼は今、何を思い、10年の歩みをどう振り返るのか? そこから見えてきたのは、華やかな舞台裏で抱えていた苦悩と葛藤そして、グループへのあふれんばかりの熱い想いと愛だった——。

2021年MORE9月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
Sexy Zone佐藤勝利さんインタビュー
さとう・しょうり●1996年10月30日生まれ、東京都出身。Sexy Zoneの頼れるセンター。主演を務めるWOWOWオリジナルドラマ『青野くんに触りたいから死にたい』が2022年春に放送予定など、俳優としても活躍の幅を広げる

佐藤勝利さんロングインタビュー

佐藤「僕、芸能界にはまったく興味がなかったんです。この世界に入る前は音楽番組すらまともに観たことがなかったし、自分の外見を気にしたこともなかった。そんな自分がまさかエンターテインメントの世界に飛び込むことになるなんて、本当に想像もしていなかったんですよ」

デビューから約10年、Sexy Zoneのセンターとして、ステージの真ん中で圧倒的な輝きを放ち続けてきた佐藤勝利さん。彼の物語はそんな意外な言葉からスタートした。

佐藤「ジャニーズ事務所のオーディションも自分からではなく、母に半ば無理やり連れていかれて参加したんです。ただ、その会場でスイッチが入った。扉を開けた先は夢や目標に向かって突き進む人たちの強い意志と熱気にあふれていて。幼い僕にとって、初めて目にしたその光景はとても衝撃的でした。そんな人たちの前で何もできない自分が悔しかった、負けたくない、勝ちたいと思った……。その思いがこの世界に飛び込む大きなきっかけになったんです」

まったく興味のなかった世界に足を踏み入れたのは「ジャニーさんの存在も大きい」と佐藤さんは続ける。

佐藤「僕は幼い頃から“誰かと同じ”が好きじゃなくて。変わっているもの、面白いもの、普通じゃないものが好きでした。そんな僕の興味を引いたのがジャニーさんだったんです。今までつくり上げてきたものも唯一無二なら、ジャニーさんという存在も唯一無二。すごいな、面白いな、変わっている人だなって(笑)。そんな大人に出会ったのが初めてだったので。何を考えているのか、気になったし知りたかった。また、ジャニーさんはそれまでエンタメに触れたことがなかった僕にいろんな世界を見せてくれたんです。そのひとつひとつが僕にとっては衝撃的で、それもまた僕の好奇心や探究心をかき立てたんですよね」

デビューして砕け散った幼さゆえの“根拠なき自信”

14歳の誕生日にジャニーズ事務所に入所、そして、その11カ月後にはSexy Zoneが結成。異例とも言えるスピードでデビューへの階段を駆け上がった佐藤さん。

佐藤「周りからは“早い”と言われたけど、デビューが決まった時に僕は正直あまり驚かなかったんです。その理由は“自分はデビューできる”と信じていたから。強気というか、無邪気というか、当時の僕は妙に根拠のない自信を持っていて。センターを任された時も同じ。ジャニーさんから“YOUは真ん中だよ”と言われ続けていたのもあって、なんの疑問も持たずに“そうですよね”とすんなり受け入れている自分がいたんですよ。今振り返れば、そんなふうに思えたのはきっと、無知だったからなんだと思う。よくも悪くも何も知らなかったからこそ、ある意味、純粋にすべてを受け入れることができたというか。でも、それは決して悪いことではなくて。あの頃の写真を見返すと、当時の僕はすごく“強い目”をしているんですよ。まあ、それも経験を積み重ねる中で自分の無力さを痛感して、しだいに変わっていくんですけどね(笑)」

未知なる世界に飛び込んだ佐藤さんを支えていた“無知ゆえの根拠なき自信”。しかし、それはデビューして間もなく砕け散ることになる。

佐藤「デビューするということは、グループ名の看板を背負い、佐藤勝利という名前を掲げ、表舞台で勝負すること。もちろん、何をするにも評価を伴うようになるわけで。そこで、僕は自分が何もできないということを痛感することになるんです。今でも忘れられないのが、サポーターを務めさせていただいたバレーボール大会の生放送。時間内にコメントを収めることも、VTRの振りすらまともにできなくて。進行を間違えてあわや放送事故が起きそうになったことも。僕だけでなく最年長のケンティ(中島健人)まで一緒に怒られてしまい落ち込むこともあったし……。初めてのドラマ『ハングリー!』も挫折の嵐でした。求められることに応えることができない、柔軟に対応できない、まともな芝居ができない。それはもう、かなり落ち込んで。15歳ながらに思いましたからね。もうドラマの仕事は来ないかもしれない、僕の人生終わったなって」

気づけば攻撃から守備へ。臆病になっている自分がいた

センターポジションと華やかな経歴ゆえに“恵まれたアイドル”というイメージを持たれがちな佐藤さんだが、実はその歩みの裏側にはたくさんの苦悩や葛藤が存在している。

佐藤「今でこそ、松島(聡)とは親友みたいに仲がいいんだけど。実はデビュー前後、彼と少しバチバチしていた時期があったんですよ。年齢が近い彼に対しては負けたくないという想いもあったし、ある意味、ライバルみたいな存在だったのかもしれない。一時期、ジャニーズJr.の間で“すごい歌がうまいヤツがいる”と話題になったことがあって。それが松島だったんですよね。さらに、彼はダンスのうまさでもすでに注目を集めていて。それが悔しかったんだと思う。歌もダンスもできない、そんなコンプレックスが僕の中にずっとあったから……」

ここで、佐藤さんが続けたのが「僕は決して器用な人間ではないんです」という言葉だった。

佐藤「自分はいろんなものが足りない、できないことがたくさんある、それを自覚するようになってからはグループの中での意識も変わりました。ひと言で言うと“攻撃”ではなく“守備”に回るようになったというか。メンバーはよく僕のことを“グループを俯瞰することのできる、Sexy Zoneのバランサー”と言ってくれるんですけど。それは、僕にできることがそこしかなかったからなんです。歌やダンスがうまければ、もっと前に出て攻撃に徹することもできたかもしれない。でも、僕にはその力がない。だからこそ、欠けている能力を補填するように守備に徹したというか。それが正解だったのか不正解だったのか、今でもよくわからないけれど……。あの頃の僕にとっては、それが“自分がグループの中でできること”の最大級のベストだったんです」

年上メンバーと年下メンバーの懸け橋となり、ときにはグループの意見を事務所に伝える役割を担うことも。自分よりも常にグループのことを考え優先して考えて動く、それが当時の佐藤さんの姿だった。

佐藤「ひとりではなく仲間と何かをつくりたい、仲間と力を合わせて前に進みたい。単純に“集合体が好き”っていうもともとの性格も影響しているんだろうけど。そうすることで、自分がグループにいる意味を、存在意義を、つくりたかったんだと思うんです。そうやって、あの頃の僕は自分を保っていたんだと思う。でも、それが少し行きすぎてしまったというか。“引くのが美学”みたいなものが自分の中に生まれ、それが悪いくせとなって身についてしまい……。しだいに気づくわけですよ、“このままじゃダメだな”って」

当時、初めて会う人によく言われたのが「勝利君は話すと意志があるし、内側に秘めた炎を持っている人なんだね」そんな言葉だった。

佐藤「つまりそれは、僕という人間が周りにちゃんと伝わっていないということなんです。“引く美学”と言ったら美しく聞こえるかもしれないけど、実際は臆病なだけ。また、その自分の中で勝手につくり上げた美学を貫けば貫くほど、さらに臆病になっていくんですよね。自分はベンチからバッターを見守るばかりで、バッターボックスに立とうとしないから、いざそこに立った時にはうまくボールを打つことができない。だからこそ、思いきりバットを振るのがどんどん怖くなってしまって……。
そんな僕が変われたのは、時間もあるし、経験もあるし、ジャニーさんが亡くなったのもきっと大きいんだと思う。今まではジャニーさんが思い描く理想を目指していたけれど、これからは自分たちが思う理想を描き出していかなければいけない、そんな思いも背中を押してくれた気がします。それまではから振りするのが怖くて、バントばかりしていた僕ですが、しだいに大きくバットを振ることができるように。ホームランを打つためには思いきりバットを振らなくてはいけない。から振りしてしまう可能性もあるけれど、それを恐れずにまずは自分らしく思いきりバットを振ってみようって」

Sexy Zoneがいるから僕は今ここに立っている

そう語りながら「そもそも“みんなと同じ”が好きじゃない僕は安全策や平均点を狙うようなタイプではないのにね。自分らしく歩けるようになるまで、ずいぶん時間がかかってしまいました」と笑った佐藤さん。

佐藤「デビュー前の話になるんですけど。僕はジャニーズのこともよくわからないままこの世界に飛び込んだので。入所してから、レンタルCDショップに通って、そこで借りることができるジャニーズの先輩たちの楽曲を1から100までほぼ全部聴いたんです。知らないと何も始まらない、ジャニーズになれないと思ったから。
僕はその場でポンとできないタイプというか。準備をして、学んで、理解して、納得しないと前に進むことができない。妙に生真面目なところがあるというか。また、この仕事には“こうすればそれっぽく見える”というテクニックがたくさん存在すると思うんだけど。僕はそれを選択したくなくて。そんな僕に対して“もっと上手にやればいいのに”ともどかしく感じる人もいるかもしれない。でも、僕はそれができないし、したくない。それは、今も昔もブレずに変わらない僕の美学でもあるんだけど……。僕が何よりしたくないのが、その美学に反することをグループに持ち込むことなんです。Sexy Zoneが好きだから、心からいいグループだと思っているから、ひとりではなくこの5人で“勝ちたい”とずっと思い続けているから」

そこで佐藤さんから飛び出したのが「自分では想像もしていなかった芸能界という世界に今もい続けているのは、Sexy Zoneがそこにいるからなんです」という言葉だった。

佐藤「Sexy Zoneはよくも悪くも型にハマらない、枠にとらわれない、個性豊かなメンバーが集まっているグループで。僕はそこがこのグループの面白いところだと思っていたし、最大の魅力だと感じていた。結成当初はまだふわっとした感覚だったけど、5人で共に歩めば歩むほど、それはどんどん確信に変わっていった。うまくいかなかったり、結果を出せないこともあったけど、僕は自分のその感覚を間違っていないと思ったし信じてきた。その熱が自分の中にずっとあったからこそ、今までも何が起きようとも走り続けることができたんです。『この5人で勝ちたい』。それが僕の原動力のすべて。勝ちたいからこそ、自分らしくない歩き方をしたこともあった。本来は面倒くさがり屋な僕が歌やダンスを頑張るのも、自分が評価されたいからではなく、グループの一員として戦いたいからなんです。誤解を恐れずに言うと、今もまだ僕は芸能界にも自分にもあまり興味がなくて。Sexy Zoneにしか興味がないんです。デビューするのが早かったのもあるかもしれないけど、ある意味、僕にとってSexy Zoneは人生そのもので。たまに思うんです、ひとりでやっていくことになったら、続かないかもしれないって。それくらい、自分にとっては当たり前のものであり大切なものなんです」

佐藤さんが見ているのは常に“ひとり”ではなく“5人”の未来。その歩み方は「これからもきっと変わらないと思う」とまっすぐな目で語る。

佐藤「僕が勝つことにこだわるのはこの名前もあるのかな。“勝利”は亡き父がつけてくれた名前。僕は姉とふたりの兄がいるんですけど、忙しい父が出産に立ち会えたのは末っ子の僕だけで。その感動と衝撃がこの名前になったらしいんです。生まれたこと、そのものが人生の勝利だと。その人生を僕は同志と共に歩んでいきたい。喜びも悔しさも分けあいながら、その歩みをかけがえのないものにしていきたいなって思うんです」
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取材・原文/石井美輪 構成・企画/渡部遥奈(MORE)