【獅子座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<7/26~8/8> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「引いた視点で俯瞰する」
暦の上で秋となる「立秋」の直前、まさに夏真っ盛りの8月4日に水瓶座で満月を迎えていきます。この時期にはお盆をひっくり返したような激しい雨(覆盆の雨)が降るとされてきましたが、今回の満月は変革と普及をつかさどる「天王星」と激しい角度をとっており、まさに意識の覚醒を促されるタイミングとなりそうです。
テーマはずばり、「現時点での自分のレベルの把握」。2020年の年末にはいよいよ約200年単位の占星術上の時代の移り変わりがあり、モノの豊かさの「土」の時代から、情報や繋がりの多様性が価値基準となる「風」の時代へなどと言われていますが、今回の満月はそうした時代の変化にどこまで同調できているか、またできていないのかということが浮き彫りになるはず。
そこにはかなりの個人差が生じるものと思われますが、とくに痛みや違和感、プレッシャーの感じ方などは、これまでの生き様やその蓄積、ふだん触れている情報や立ち位置、周囲の人間関係、属するコミュニティなどによってまったく異なってくるでしょう。
ともに地球に生き、一見同じ位置にあるように見える人間同士でも、進化における種類と段階の違いは厳然と存在するのだということを、今期はよくよく念頭に置いていくべし。
テーマはずばり、「現時点での自分のレベルの把握」。2020年の年末にはいよいよ約200年単位の占星術上の時代の移り変わりがあり、モノの豊かさの「土」の時代から、情報や繋がりの多様性が価値基準となる「風」の時代へなどと言われていますが、今回の満月はそうした時代の変化にどこまで同調できているか、またできていないのかということが浮き彫りになるはず。
そこにはかなりの個人差が生じるものと思われますが、とくに痛みや違和感、プレッシャーの感じ方などは、これまでの生き様やその蓄積、ふだん触れている情報や立ち位置、周囲の人間関係、属するコミュニティなどによってまったく異なってくるでしょう。
ともに地球に生き、一見同じ位置にあるように見える人間同士でも、進化における種類と段階の違いは厳然と存在するのだということを、今期はよくよく念頭に置いていくべし。
獅子座(しし座)
今期のしし座のキーワードは、「我は我として」。
激動の昭和に数多くの歴史小説を書いた作家・中山義秀の遺作となったのは『芭蕉庵桃青』という、風狂の俳人・松尾芭蕉を描いた歴史小説でした。
その冒頭にて、賑やかな日本橋界隈に住み俳句の宗匠(マスター)となっていた芭蕉が、当時は辺鄙な場所であった深川の粗末な小屋に移り住み、それまでの俳句とはちがった独自の作風を確立し始めた頃に詠まれた「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」という句について、次のように指摘しています。
「芭蕉としては三十七歳を期に、一切を放下して世捨人の境涯に入り、あらたに自分の句境をきりひらこうとする、意気込みだったことと思われる。/彼はその頃からして、体内になにやらうごめく力を感じていた。小我をはなれ眼前の現象を離脱して、永遠の時のうちに不断の生命をみいだそうとする、かつて自覚したことのない活力である。/その活力が「烏(カラス)のとまりたるや」という、字あまりの中十句に、余情となってうち籠められている。」
こう書いた中山もまた、早咲きの同級生を横目に、中学校の教師生活や校長とのトラブル、妻の闘病と死、貧困といった生活上の困難を経て、37,8歳頃にようやく自身の文学の道を確立したのでした。
中山にとっての文学の道とは、時代や状況に流されることのない、独立自尊の気風であり、芭蕉を描いた筆致にも、自然と自身のたどってきた道への思いが重ねられていたように思います。
中山というひとりの作家にとって、芭蕉はヒーローでもなければ天才でもありませんでした。「おのれの才能はともあれ、孤独に耐えられることだけが、自分の取柄だということ」の覚悟と信念をもって一生を歩んでいった“もうひとりの自分”だったのではないでしょうか。
そして、こうした過大評価するのでも、過小評価に陥るのでもなく、ありのままに自分自身を捉えていくためのまなざしこそ、今のしし座に必要なものでもあるはずです。
誰に媚びるでもなく、時代に流されるのでもない。どんなに素朴でささやかなものであれ、そんな自身の歩むべき道を見出していきたいところです。
出典:中山義秀『芭蕉庵桃青』(講談社文芸文庫)
その冒頭にて、賑やかな日本橋界隈に住み俳句の宗匠(マスター)となっていた芭蕉が、当時は辺鄙な場所であった深川の粗末な小屋に移り住み、それまでの俳句とはちがった独自の作風を確立し始めた頃に詠まれた「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」という句について、次のように指摘しています。
「芭蕉としては三十七歳を期に、一切を放下して世捨人の境涯に入り、あらたに自分の句境をきりひらこうとする、意気込みだったことと思われる。/彼はその頃からして、体内になにやらうごめく力を感じていた。小我をはなれ眼前の現象を離脱して、永遠の時のうちに不断の生命をみいだそうとする、かつて自覚したことのない活力である。/その活力が「烏(カラス)のとまりたるや」という、字あまりの中十句に、余情となってうち籠められている。」
こう書いた中山もまた、早咲きの同級生を横目に、中学校の教師生活や校長とのトラブル、妻の闘病と死、貧困といった生活上の困難を経て、37,8歳頃にようやく自身の文学の道を確立したのでした。
中山にとっての文学の道とは、時代や状況に流されることのない、独立自尊の気風であり、芭蕉を描いた筆致にも、自然と自身のたどってきた道への思いが重ねられていたように思います。
中山というひとりの作家にとって、芭蕉はヒーローでもなければ天才でもありませんでした。「おのれの才能はともあれ、孤独に耐えられることだけが、自分の取柄だということ」の覚悟と信念をもって一生を歩んでいった“もうひとりの自分”だったのではないでしょうか。
そして、こうした過大評価するのでも、過小評価に陥るのでもなく、ありのままに自分自身を捉えていくためのまなざしこそ、今のしし座に必要なものでもあるはずです。
誰に媚びるでもなく、時代に流されるのでもない。どんなに素朴でささやかなものであれ、そんな自身の歩むべき道を見出していきたいところです。
出典:中山義秀『芭蕉庵桃青』(講談社文芸文庫)
<プロフィール>
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
文/SUGAR イラスト/チヤキ