【timelesz(タイムレス)】MORE歴代表紙、独占インタビューを総まとめ!
2019年の4月号から2023年11月号まで「セクゾトイロハニホヘト。」という連載をMOREで担当してくれていたSexy Zone。発売中の『MORE Spring 2024』からは「君がいる季節に…」という新連載をスタートさせた彼らですが、グループも新たな道へ。
「timelesz」とグループ名を新たにし、佐藤勝利さん、菊池風磨さん、松島聡さんという3名体制でスタートした彼らのグループ名発表時のMCルポに加え、歴代のMOREでのカバーや、インタビュー記事を特別にプレイバック!
これまでも、これからも。MOREはSexy Zoneの5人に愛と尊敬の意をこめて、そしてtimeleszも応援したい! という思いも込めて、連載やインタビュー記事を配信していきます。ぜひ振り返りとともにチェックしてみて。
- 新グループ名「timelesz(タイムレス)」として活動スタート!
- 【Sexy Zone】雑誌『MORE』歴代表紙プレイバック!
- 【Sexy Zone】初の3大ドームツアー、東京公演はクリスマス!
- MORE企画【Sexy Zone検定】あなたは全問正解できる?
- 【2020年版】夏をテーマにメンバーを深堀り!おもしろトーク&プライベート秘話も
- 【ロングインタビュー】中島健人「今だから言える、メンバーへの思い」
- 【ロングインタビュー】佐藤勝利「原動力は"メンバー5人で見る未来"」
- 【ロングインタビュー】菊池風磨「5人で見てみたいんだよね。売れなきゃ見られない風景ってヤツを」
- 【ロングインタビュー】松島聡「遠回りしたからこそ“5人で歩む未来”へ」
- 【Sexy Zone対談】中島健人×菊池風磨
- 【Sexy Zone対談】佐藤勝利×松島 聡
- メンバーそれぞれの「アイドル論」
新グループ名「timelesz(タイムレス)」として活動スタート!
『MORE』で2019年4月号より長年連載を担当してくれている我らがSexy Zone。3月31日をもって「Sexy Zone」というグループ名を終了すると共に、メンバーの中島健人さんが卒業。全員でSexy Zoneを卒業するという決断をした彼ら。
佐藤勝利さん、菊池風磨さん、松島聡さんの3名体制で新たにスタートするグループ名は「timelesz(タイムレス)」になることが4月1日に発表されました。4月1日(月)20:00より行われた生配信での様子をルポ!
Sexy Zone 5人の思い、歴史を継承できるグループ名に
新グループ名の発表は、公式Youtubeにて生配信発表されました。配信の視聴者は約50万人! 配信中のMC内容をお届けします。
(※内容は一部省略、簡素化している部分もございます。ご了承ください)
菊池 聡ちゃんひざ触りすぎじゃない?笑
松島 ずっと緊張してやばい……
菊池 いったん帰る?笑 昨日はSexy Zoneとして最後のライブ配信が
ありましたが、二人は帰ってからどうだった?
松島 なかなか寝れなくて4:30くらいまで起きてた。
佐藤 分かる。昨日のライブがなんか夢の中みたいで、
ここまでやってきた12年の卒業式みたいだったからね。
松島 達成感があったよね。風磨くんは何したの?
菊池 家帰って洗濯機まわしました(笑)
松島 ちゃんと生活してる(笑)
菊池 ちゃんと洗濯機見ながら余韻に浸ったよ(笑)僕らにとって
Sexy Zoneを一度たたむって結構大きなことだと思うんですよ。
でも、日常ってこうやって過ぎ去っていくんだなって。
これまた洗濯機回しながら思いましたよ。普通の日々、戻れる場所が
あるからこそ自分を保てたり幸せを感じられたりすると思うから、
これからもかけがえのないひと時を提供できたらと思います。
って……昨日のこと話したら2時間はいっちゃうね(笑)
菊池 まずはグループ名! 聡ちゃん、書いてもらってもいいですか?
佐藤 エイプリルフールだけど、全部ちゃんと本当のことです。(笑)
松島 では、筆を入れます!(ボードに書き込む)
菊池 グループ名決まったのはいつになるっけ。11月頃かな?
佐藤 LINEとかでやりとりしてね。
松島 え、もうこれ発表するの!?どうする!?
菊池 「はじめまして〇〇です!」じゃない?
佐藤 そうだね、3人でやろっか
菊池 おしゃれなやり方がよくない?
松島 「WE are〇〇は?」
菊池・佐藤 いいね! いける? じゃあ「We are」でみんなも一緒にね!
全員 「We are timelesz!」
菊池 (聡ちゃんの)字、すげーきれいじゃん!
佐藤 映像とかでも使いたいくらい。 名前の由来は……
菊池 僕たちSexy Zone時代の5人は、マリウスが卒業のタイミングで
「timeless」という曲を5人で作りまして。今回のグループ名を
考えた時にみんなで考えたものがいいなって思って。
だからといって中島とかマリウスに相談するのはあれだし、
でもみんなの想いが乗っているものがいいなって。
あとSexy Zoneの歴史とか、みなさんに見せていただいていた夢とか
思いも継承したいということで、「timeless」の最後を「sz」に
しました。
ファンネームは「secondz(セコンズ)」
菊池 僕らの時間を動かしてくれる、秒を刻んでくれる
「secondz=ファンのみなさん」という意味を込めました。
佐藤 セコンズ? だよね?
松島 ファンのみなさんはセカンズとセコンズどっちが呼びやすいかな?
菊池 インスタで募集するのは?
佐藤 じゃあ配信終了後にしようか
菊池 旧Sexy Zoneのアカウントで募集させていただきます。
新グループ初のアリーナツアーも決定!
「timelesz」に改名後、初となるツアーが決定! 今年6月から北海道を皮切りに7都市全25公演。新たなるスタートをきった佐藤勝利・菊池風磨・松島聡がお届けするステージをお楽しみに!
詳細はFAMILY CLUB Official Siteで掲載。
「WE ARE!」 出演決定!
4月10日に東京ドーム、5月29日、30日京セラドーム大阪で行われる「WE ARE! Let’s get the party STARTO!!」に、timeleszの“映像”出演が決定!
※佐藤勝利さんは「Endless SHOCK」出演のため、グループパフォーマンスは映像での出演
※菊池風磨さん、松島聡さんは、佐藤勝利さんの想いと共に、会場に登場
「timelesz オーディション」開催決定!
なんと……timeleszの新メンバーを決める「timeleszオーディション」の開催が決定! 詳細発表と応募の開始は5月を予定。詳細などは以下のURLから随時発信予定。ぜひチェックしてみて。
【Sexy Zone】雑誌『MORE』歴代表紙プレイバック!
2023年 1月号
2021年 12月号
2020年 9月号
2019年 11月号
【Sexy Zone】初の3大ドームツアー、東京公演はクリスマス!
我らがSexy Zoneが念願の3大ドームツアー「SEXY ZONE LIVE TOUR 2023 Chapter Ⅱ in DOME」を公演! 2023年12月2、3日の福岡PayPayドーム公演を皮切りに、12月16、17日の京セラドーム大阪公演、そして12月24、25、26日とクリスマスをSexy Zoneと過ごせる東京ドーム公演が開催。熱狂に包まれたライブの様子をお届け!
クリスマスコスチュームを拝める場面も♡
アリーナツアー「SEXY ZONE LIVE TOUR 2023 Chapter Ⅱ」を、さらにパワーアップした内容である今回のドームツアー。アルバムのアートワークコンセプトである、”音楽のある夜の街に繰り出すSexy Zone”から、夜の東京の街をイメージしたセットを踏襲した会場が印象的でした。そんな熱気に包まれる中、Sexy Zoneの歴史を物語るヒット曲を次々と披露。MC中には、メンバーたちが各々好きなクリスマスコスチュームを選び被りながらパフォーマンスするというシーンも。
メンバーのコメントをどうぞ!
佐藤勝利さんのコメント
「昨年の2大ドームツアーから、3大ドームツアーにステップアップ出来たことが、僕たちとしてもファンの皆さんと一緒に一歩一歩、大きなことが成し遂げられているのだという嬉しい実感がありました。そして、“Sexy Zone”というグループ名でのライブは最後になると思うので、大きな区切りとして、内容としても様々なことが出来たライブになったと思います。デビュー曲「Sexy Zone」をパフォーマンスすること、“Sexy Rose”のセリフを言うことが、全7公演のドームツアー中、1公演ずつカウントダウンする感覚がして、感慨深い気持ちもありました」
中島健人さんのコメント
「昨年は2大ドーム、今年は3大ドームと規模を大きくすることが出来たのは、セクシーラバーズのおかげですし、リハの段階から涙しそうでした。“Sexy Zone”という名前を背負ってコンサートするのも、これで最後になるので、新たな進化をするためのエネルギーを充分に蓄えることの出来た3大ドームツアーだったと思います。国外のアーティストも公演を希望する日本のドームツアーを、日本人としてライブが出来たことはすごくうれしいですし、グループの一員としてドームを盛り上げることがすごく楽しいと改めて再認識することが出来たライブでした。ここまでみんなにアイドルにしていただいた分、より最強のアイドルを目指して行こうと思います。“Sexy Zone”という名前が変わっても、一生Sexy とは付き合っていくつもりなので、No Sexy No Lifeで来年も頑張ります!」
菊池風磨さんのコメント
「ドームツアーが、まさか2年連続で出来ると思っていなかったので、すごく嬉しい気持ちとプレッシャーがありました。昨年は、デビュー11年で初のドームツアーができ、素敵なライブが出来たと思っていたので、今回はそれを超えなければならないという意味で重圧がありました。今年は本当に駆け抜けるような1年でした。グループとしてはシングル3枚、アルバム1枚をリリースできましたし、その総決算としてドームに立つことができたことを本当に嬉しく思います。2024年はグループ名を変えての活動になるので、重要な“名前”というところを自分たちなりに意見を出し合いながら、心新たにまた一歩踏み出せたらなと思っています」
松島聡さんのコメント
「まず今回のドームツアーは、東京・大阪に加えて福岡でドームライブが実現したのが、今までで叶わなかったことが叶えられたという意味で、すごく大きいことでした。また、“Sexy Zone”というグループ名でドームに立つツアーを行うのが最後だと思うので、気持ちの入り方もすごく違いました。毎年、集大成の気持ちでステージに立っていましたが、今回は“Sexy Zone”として最後のステージのつもりでライブを作ってきたので、それに相応しいライブだったと皆さんに思ってもらえるライブになっているのではないかと思います」
MORE企画【Sexy Zone検定】あなたは全問正解できる?
メンバーが考えた問題&セクラバからの質問を解いてみて! あなたはセクゾのことをどれくらい知ってる?
MORE2021年12月号で行われた、祝! Sexy Zoneデビュー10周年特別企画『ONE BY ONE』。
その企画内でメンバーが実際にチャレンジした問題用紙を、セクラバのみなさんからの熱いご要望にお応えして、公開しちゃいます! 早速あなたの“習熟度”をチェックしてみて!!
問題に取り組みながら、Sexy Zoneの10年の歴史を味わってくださいね♡
問題の答えはこちらから見ることができます♡
【2020年版】夏をテーマにメンバーを深堀り!おもしろトーク&プライベート秘話も
#グループでいちばんの夏男
佐藤 それ、僕じゃなくて完全にドラマのイメージでしょ(笑)。僕からすると、夏男は間違いなく風磨君のイメージだよ。
マリウス 僕も同じ!! 毎年、友達と海に行ったり、BBQしたり、夏を思いきり楽しんでいるから。ただ、僕はそこに一度も誘われたことがないんだよね……。
菊池 いやいや、そこはやっぱり完全にプライベートゾーンだから。こっちもさ、考えるわけですよ。「貴重な休日までメンバーを誘うのは申し訳ないかな」って。
マリウス えぇ〜全然うれしいけど、誘ってくれてもいいけど♡
佐藤 ちなみに、僕は風磨君と海に行ったことあるよ。
マリウス ……!!(衝撃)
菊池 デビュー前に一度だけね。たしか、急に次の日が休みになって。「今から連絡を回しても人が集まらないかもしれないから」って、その場にいたジャニーズJr . 全員に声をかけたんだよ。で、集まった中に勝利と松島(聡)がいて。
マリウス ……♡(安堵)
中島 ちなみにさ、その“菊池風磨と過ごす夏の休日”ってどんな感じになるわけ? さっきも「海に行く時は前日入りだ」って個別インタビューで答えていたけど。その詳細、ちょっと気になるよね。
菊池 それ、聞いちゃいますか。まず、おっしゃるとおり前日からすべては始まるんですよ。なぜなら、朝の5時には家を出るから。でも、仲間が集まると眠れない、寝なきゃいけないのに誰も寝ない(笑)。で、それでも頑張って早起きして、運転を交代しながら8時には海に到着。そこから、ひたすら日焼けしたり、ボディボードをしたり、海遊びを思いきり楽しんで。
佐藤 昼食は海の家?
菊池 そこは決まってんの。コンビニって決まってんの。海の家は混むから(笑)。で、帰りの時間を考えて17時には海を出て近場の店で海鮮食べたり。そして、帰ると思いきや……今度は近場の温泉へ。余すことなく夏の一日を楽しみ、結果、東京に戻るのはたいてい夜中の12時超え(笑)。
中島 アクティブ!(笑)。
菊池 こうやって話しながら思ったけど。いちばんの夏男、間違いなくオレだわ(笑)。
#夏を感じる瞬間
菊池 それはやっぱ“匂い”を感じた時だよね。解明しようと思えばできそうなんだけど、そこはあえてしたくないというか。夏って、なんか特別な“匂い”があってさ。梅雨明けに、あのなんともいえない“匂い”を感じた時の、オレのテンションの上がり方、半端ないからね(笑)。
中島 今日の菊池さん、饒舌。夏の話になると、急に饒舌(笑)。
菊池 あと、なんともいえない“せつなさ”も夏の魅力のひとつだよね。昼間が長い分、夕方をよりせつなく感じるというか。子供の頃はそこに「夏休みがまた一日終わってしまう」せつなさも加わって……。「限りある時間を生きているんだな」って、生まれて初めて感じたのも、そんな夏休みの夕方だった気がするな。夏はね、人生の一日一日を、その大切さをあらためて感じる季節なんですよ。だからこそ、夏のオレは予定をカツカツに詰めるわけ! 夏をムダにしたくないわけ!
マリウス 僕が夏を感じるのは“湿気”かなぁ。髪の毛をセットしても数分後にはクルッとなっちゃうし、常に肌がべたついて毛穴が開きっぱなしな気がするし……。ヨーロッパのカラッとした夏を経験しながら育った僕としては、正直、この湿気はちょっと苦手。
佐藤 その気持ちはわかる。湿気は僕も苦手。海外だとさ、公園で芝生に寝転がって本を読んでいる人とかいるけど。日本でそれをすると、芝が汗ばんだ皮膚にまとわりついてくるし……。
マリウス すぐに蚊も寄ってくるでしょ〜。僕、O型だからスゴク刺されるんだよねぇ(笑)。
菊池 いやいや、それも日本の夏の醍醐味でしょ!!
マリウス またさ、僕は夏にあまりよい想い出がなくて。スイスを家族で旅行した時も、山登りしたらお母さんがソーセージを忘れてきて。山頂でパンだけ焼いて食べることになったり。で、少しでもテンションを上げようと走ったら、転んで牛のフンに手をついてしまったことがあったり……。
中島 はははは!! それ、夏のせいじゃない気もするけど(笑)。
佐藤 僕も好きと嫌いが半々。「好き」でいうと、冷たい麺類をおいしく食べられるところ。ただ、それは暑さで食欲が落ちて「面倒くさい。数分で食事を終わらせたい。じゃあ、そうめんでいっか」っていう。ネガティブな思いの裏返しだったりするんだけどね(笑)。
マリウス ケンティは? 夏は好き? それとも嫌い?
中島 オレ? そうだなぁ、普通かな。とりあえず、夏の女の子はいいよね。身につける布の量が減るからね。脚フェチとしましてはボトムの丈が短くなるっていう、最高の季節ではありますね♡
#ひんやりする話
中島 ちなみにマリウスは、自称“霊感がある男”なんだよね。
マリウス そうなの。子供の頃、何かいるのを感じたり、火の玉を見たり、それを両親に話したら「実は……」的な話題が返ってきたり。そういうことがよくあって。だからね、スゴク怖がりなの。ホラー映画も怪談も、誰より大きな声で叫ぶし。結果、怖がりつつもいちばん楽しんでいるのは僕っていう説もあるけど(笑)。
中島 オレは霊感はゼロ。皆無だね。ただ、怪談は好き。聴くのも、話すのも、怖がらせるのも好き♡
佐藤 怖い話は楽しいよね。まあ、本気度高めのお化け屋敷は心臓に悪いから。個人的には積極的に参加したくないけど。
マリウス 風磨君は?
菊池 霊的なものは信じてないですね。ただ、見たことはある。で、周りから「おはらいに行け」と言われて。行ったら行ったで「取りつかれています」と言われたこともある。でも、信じてない(笑)。
マリウス 風磨君って、怖いものとかあるの?
菊池 あるよある。それをあえてひとつ挙げるなら……時の流れ、ですかねぇ(遠い目)。
#この夏、メンバーとシェアしたいもの
菊池 うん、そうだね。
佐藤 コンサートもしたいよね。残念ながら、今年はツアーが中止になってしまったから、早くみんなに会える場所に立ちたい、その気持ちはスゴク強い。今はまだ難しいかもしれないけど「その日を楽しみにする気持ち」をメンバーはもちろん、待ってくれているみんなとシェアしたいよね。
菊池 で、マリウスはどうよ。シェアしたいこと、ないの?
マリウス 僕は……メンバー全員と一緒に、ホットパンツをはきたいかな。最近、丈がひざ上の短いホットパンツにハマってて。海外の海辺とかリゾート地とかでは、みんな普通にはいているアイテムなのに、日本ではみんな恥ずかしいのかなぁ……あまりはいている人を見ないよね。だからこそ、全員でホットパンツの魅力をシェアしてはいてはやらせたいな♡
菊池 ごめん、それに関しては辞退させていただきます(笑)。
Sexy Zone 佐藤勝利の“休日”のハナシ
佐藤勝利「実は僕、昔は休日が苦手だったんです」
「休みたい」と思うことも少なかったし。
それどころか、忙しい仲間を見て気持ちが焦って
しまったりしてね。
休日を楽しめるようになったのは
「仕事のスタイルは人それぞれ」と
理解できるようになってから。
ときにダラダラ、ときに熱中、
好きなことを好きに楽しむ。
僕にとっての休日は、“心と体をチャージする時間”。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
僕、家電が大好きで。
こないだ、最新式の加湿空気清浄機を買ったんですよ。
『コイツをちゃんと理解することから始めよう』と、
あぐらを組んで床に座り、
空気清浄機とじっと向きあって過ごした。
それが僕の最近の休日(笑)。
また、そいつが機械好きの僕の、男心を刺激する
近未来的なカタチをしていてさ。
時間を忘れてつい熱中。
愛犬のチャイにほえられてわれに返ったっていうね(笑)。
何をする時も常に隣にいるチャイは僕の可愛い側近。
そして、家でダラダラしがちな僕を
『散歩に行こうよ』と外に連れ出してくれる、
休日のよき相棒。
Sexy Zone 中島健人の“料理”のハナシ
中島健人「料理はリズム、食材は音符、音楽を奏でるように過程も楽しみたい」
すべてキッチンに並べてから料理をスタートさせるの。
その理由は「スムーズに手際よく進めたいから」。
大事なのは結果だけじゃない。
料理はリズム、
食材は音符、
音楽を奏でるように過程も楽しみたい。
一緒に台所に立つ女の子の手際が悪かったら?
誰かと作る料理はピアノでいうところの“連弾”。
主旋律はちゃんとリードするからご安心を♡
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
最近はドラマ『未満警察 ミッドナイトランナー』の
現場で食事することが多くて。
スタッフの方々が用意してくれるロケ弁が
いつもおいしいんだよね。
ただ、それでもやっぱり
『あったかいごはんが食べたい』時はあって。
そういう時は食堂へ。
アクションで消耗した体力を取り戻すべく、
主に焼肉定食などをガッツリいただいております。
ここ最近は“誰かが作ってくれたごはん”を
食べる機会が増えたけど、
ステイホーム期間中は“オレ料理”のレパートリーが
ぐっと増えた。
今、誰かに振る舞うとしたら……
韓国ドラマの見すぎにより磨かれた豚キムチ(笑)。
これはけっこー自信あり!
まず作る前に調味料をきっちり量るから。
細かな分量までちゃんと決まっているから。
そういうところはね、
意外と完璧主義なんですよ、オレ(笑)。
Sexy Zone マリウス葉の“趣味”のハナシ
マリウス葉「自分以外の何かに心を配る毎日は豊かになった気がする」
新しい挑戦が続いている、僕の毎日。
体を動かす目的で乗り始めた自転車も
気づけば生活の一部に。
早朝の誰もいない都会はどこかもの悲しかったり、
車だと気づかないような狭い路地に入ると
古い町並みや緑が広がっていたり……
東京の意外な一面を垣間見ることができて。
それもまた僕の新たな“お気に入りの時間”に。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
植物を育てることも僕が新たに始めたこと。
ドイツに帰ることもあれば
仕事で家を留守にすることも多いから
『何かを育てること』とはずっと無縁。
そんな僕がステイホーム期間中に
『今なら』と遂に始めたの。
友達から『植物を育てると人生変わるよ』と
言われたことも。
今はまだ変わった実感はないけど、
日々成長する姿は時間の経過を教えてくれる。
『枯れていないかな』、『元気かな』と
自分以外の何かに心を配る毎日は
豊かになった気がする。
なのに、肝心のその植物の名前を
忘れてしまったっていうね(笑)。
確か、
盆栽みたいな小さな木だったはずなんだけど……
巨大になったらどうしよう(笑)。
Sexy Zone 菊池風磨の“ナイトルーティン”のハナシ
菊池風磨「夏は食後のアイスも“夜のお楽しみ”のひとつ」
そんな僕が家に帰ってまず直行するのが
風呂場。
身も心もさっぱりと
「あとは寝るだけ」状態で
夕食とお酒をゆっくり楽しみたいからこそ
夜時間は風呂に入ることから始まる。
ただ、自分で料理する時は帰宅後すぐに台所へ。
風呂は料理を作り終えてからになるかな。
とにかくね、
気持ちよく夕食を食べたいんですよ(笑)。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
季節問わず、基本的に休日は
予定を隙間なくカツカツに組むのが大好き。
特に夏はそのカツカツ具合が加速。
メシ休憩も入れないから、
食事が夜だけになっちゃうこと、
けっこう多いんです。
そうなると夕食が大事になってくるわけで。
ゆえに『気持ちよくいただく』に
こだわるっていうね。
家でゆっくり楽しむ食事やお酒もだけど、
夏は食後のアイスも
“夜のお楽しみ”のひとつ。
アイスは新商品に手を出すタイプ。
コンビニに行くたび『アレもコレも』に。
こういうとこ、
小学生の頃から変わんない。
今日もうちの冷凍庫、
新商品だらけですからね(笑)。
【ロングインタビュー】中島健人「今だから言える、メンバーへの思い」
2021年11月16日、デビュー10周年を迎えたSexy Zone。彼らは何を思い考えながら歩いてきたのか——。メンバーそれぞれが、10年の軌跡を振り返るロングインタビューを実施。第1回は最年長メンバーである中島健人さんが登場し、グループへの熱い思いを語ってくれました。
2021年MORE8月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
中島健人さんロングインタビュー
中島「2011年9月29日、帝国劇場で行った結成&デビュー会見。それがSexy Zoneの始まりだったんですけど。そこで思ったのは“オレはなんでここにいるんだろう。こんなはずじゃなかった”。それが当時の自分の正直な感想だったんですよ」
「こんなはずじゃなかった」その思いからすべては始まった
中島「偉そうな言葉に聞こえてしまうかもしれないけど……。自分でも、そのために死ぬほど努力もしていた。オレ、Sexy Zoneの前に中山優馬 w/B.I.ShadowやNYC boysとしてCDデビューしているんですけど。そこでの立ち位置は端っこか後列で。正式デビューする時は真ん中に立ちたい、その強い思いを糧に突き進んできたんですよ。なのに、デビュー時自分が立っていたのはまたもや後列。しかも、目の前にいるのはついこないだ事務所に入ったばかりの“可愛い後輩”だった年下3人。17歳の自分にはその現実を受け入れることができなくて……。悔しくて、悔しくて、何度も家でひとりで泣きましたからね」
平均年齢約14歳、ジャニーズ史上最年少グループとして華々しくデビューしたSexy Zoneだが、世間の注目度とは裏腹に「メンバーの関係性はガタガタでした」とデビュー当時を振り返る。
中島「話し合おうと思っても、松島(聡)は13歳、(佐藤)勝利は14歳、最年少のマリウス(葉)に関しては11歳。Jr.経験も短く、年も離れていて話し合いすらまともにできなくて。今でこそみんな大人になって年齢差を感じることはなくなったけど、当時はそれをすごく大きく感じた。さらに、菊池(風磨)に関しては反抗期の真っ最中(笑)。そういうオレも同じでまだまだ未熟で幼かった。今思えば、年下チームも大変な思いをしていたと思うんですよ。経験もノウハウも少ないままデビューしてしまったからこそ戸惑うことも多かっただろうし、勝利に関してはまったくかみあわないグループのセンターという重荷を背負わされて苦しい思いをしていたと思う。大人になった今ならそれがわかるんだけど。当時は自分の悔しさばかりに目がいって、メンバーのことまで考える余裕が自分にはなかったんですよね」
念願のデビューを果たしたものの「この先、どうなってしまうのか。どうしたらいいのかすらもわからない」そんな不安を感じる毎日。
中島「デビュー当時の映像を観てもらえればわかると思うんですけど。あの頃のオレ、無理して笑ってるんですよ。それが伝わってしまったのか、ジャニーさんから“ユーの笑顔、気持ち悪いよ”と言われて落ち込んだこともあったりして……。何をしてもうまくいかない、それがオレにとっての“Sexy Zone創成期”でした」
ずっと後ろ向きだった気持ちが前を向き始めたのは、デビューから約1年半後、ドラマ『BAD BOYS J』の主役を演じた時だった。
中島「初めて作品の真ん中に立ったことで、それまでグループの立ち位置にこだわっていた自分を捨てることができたというか。前とか後ろとか関係なく、自分が立っている場所で輝けばいいんだって、そう思えるようになったんですよ。そこで、自分ではなくグループのことをあらためて真剣に考えるように。このままだとグループはダメになる、自分にできることはなんなのか……。そこで、決意したんです。最年長である自分がしっかり引っぱっていこう、グループのことを、メンバーのことを、より多くの人に知ってもらうために自分が“入口”になろうと。外に出る時はその思いで戦うことを心に決めたんです。Sexy Zoneという名刺を大量に抱え、多くの人にばらまくために」
自分の個性を探し見つけた「セクシーサンキュー!」
中島「ちなみに、このキャラはすでにデビュー前からあったもの。ジャニーズJr.時代から“『iPod touch』を買ったから、今日はみんなの愛にタッチしちゃうぞ”とか、そんなことばかり言っていましたからね(笑)。誕生のきっかけは、コンサートの前説に出た時にジャニーさんから言われた“ユーつまらないよ、もっと自分を出しなよ”という言葉。そこで、自分ってなんだろうと考えた時にあふれ出てきたのがこのキャラで。ジャニーズJr.の仲間からは“変なヤツ”という目で見られることもあったけど、そんなオレをジャニーさんや先輩たちは面白がってくれたんですよ」
実は「セクシーサンキュー」にもこんな誕生秘話が。
中島「初めてそれを口にしたのは新聞社の方々とのインタビュー会で。“セクシー時代にはどんな言葉がはやりますか?”という質問にこう答えたのが最初なんです。でも、会場はシーンとしちゃってだだスベり(笑)。笑ったのはジャニーさんだけだったんだけど、使い続けていたらそれが自分の武器になっていたんですよ」
誰かと同じではなく自分だけの何かを探し築き上げた個性。それが多くの人に伝わるきっかけになったのが、デビュー直後に行った8万人握手会。初めて会った喜びを口にする女の子に対して「夢の中で会ったじゃん」、靴が脱げてしまった子には「気をつけて、シンデレラ!」、甘い言葉をひとりひとりに投げかけた、その神対応は今でも語られる伝説に。
中島「握手会ってひとり1秒くらいで終わってしまうんですよね。でも、その1秒のためにみんなは何時間も並んでくれるわけで。その感謝の思いもこめて、ひとりひとりの1秒を“特別な一秒”にしたかった。自分としては当たり前のことをしていただけなんだけど、ネットやSNSでそれが広がって。気づいたらそれが自分の個性になっていた。この個性を築き上げたのは自分だけの力じゃなく、ファンのみんなのおかげでもあるんです」
すべては「グループのため」爪あとを残すのに必死だった
中島「とにかく爪あとを残すのに必死で、ひとつひとつの仕事に全力で挑みました。その裏にあったのは、Sexy Zoneの名刺を配りたいという強い思いだったんだけど……。それがメンバーにうまく伝わらず悩んだ時期もありました。彼らにはオレがひとりで突っ走っているように見えたのかもしれない。でもオレはオレで〝こんなに頑張っているのに、なんでわかってくれないんだよ〟と思ってしまう部分もあったりして……」
そこで飛び出したのが「今だから言えるけど、オレね、当時はメンバーのことが嫌いだったんです。〝嫌い〟という言葉は語弊があるかもしれないけど……。温度が違う、合わない、そう感じることが多かったんですよね」という言葉だった。
中島「あの頃は、生まれた溝を埋めるための話し合いができるような関係性でもなかったし、オレもまた思いをうまく伝える方法がわからずに自分の理想ばかりを押しつけていたのかもしれない。きっと、メンバーはメンバーでそんなオレに不満を持っていただろうなって、これもまた大人になった今ならわかるんだけど。当時は理解してもらえないことが、悔しかったしつらかったんだよね」
そんなグループ内の関係性が変化したのは、それぞれが自分のフィールドで活躍するようになってから。
中島「そこでやっと、お互いの大変さやそれぞれの思いを感じ取れるようになったのかもしれないし、それぞれが大人になったというのも大きいと思う。ちゃんと話し合うことができるようになって……。そこからなんだと思うんですよ、本当の意味でグループの関係性がよくなっていったのは」
そんな過去があるからこそ「今のメンバーの活躍がうれしくてしかたがない」と中島さんは言葉を続ける。
中島「ドラマ『青野くんに触りたいから死にたい』で勝利が主役を演じます、ドラマ『コタローは1人暮らし』に松島が出ます、そんな知らせを聞くたびに、オレね、今でもちょっと泣きそうになるんですよ。うれしくて。今、メンバーのことを好きかと聞かれたら……オレにとってメンバーはもう、好きとか嫌いとかそんな小さな次元で考える存在ではなくて。ただ、言えるのは誇りに思っているということ。ね、うちのメンバー面白いでしょ、みんなもっと気づいてよって、オレの中にあるのは今もそんな気持ちなんです」
オレはパパ、菊池はママ。5人は“家族”なんだと思う
そして「勝利からも言われたことがあるんですよ。“ケンティはパパだよね”って。その理由を尋ねたら“いつも仕事頑張ってるから”って。それを聞いて的を射ているなと思った」と中島さんは笑う。
中島「で、オレがパパなら、そのママはやっぱり菊池なんだよね。メンバーのケアをしてくれていたり、オレの知らないところでグループを支えてくれていたのはやっぱり彼で……。Sexy Zoneってグループであり家族だったんだと思うんですよ。よく“親も最初から親だったわけじゃない。子供と一緒に成長していく”って言うけど、新米パパと新米ママだったオレと菊池もきっと同じなんだと思う。で、10年後にようやく家族らしい家族になれたっていう。そこがSexy Zoneの面白いところだよね(笑)」
今はそんな家族と一緒に過ごす時間が、とても心地いいそうだ。
中島「以前は“全部、自分で背負わなきゃ”と思っていたものを、今ではメンバーが分担して背負ってくれていると思えるようになった。さらには、それぞれが担っている役割がどんどん豊かに大きくなっている気がする。そこには信頼感しかない。だからこそ今、オレの中に自分のことに集中できる余裕が生まれて。30歳までの3年間は攻めまくりたいと思っているんですよ。10周年を目前に控えた今、グループとしても、個人としても、新しいスタート地点に立ったような気持ちで。“これから”が本当に楽しみなんです」
最後に、あらためて「中島健人にとってSexy Zoneとは?」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
中島「やっぱり家族なのかな。でも、今はもう親子ではなく横並び、友達みたいな兄弟になっていると思う。年下メンバーを頼ることもあれば、彼らに教えてもらうことも多いしね。昔は同年代のグループをうらやましく思ったこともあるけれど、そうじゃなかったから、悩み迷った時期があるからこそ今の自分がいる。今は心から思っていますから。Sexy Zoneでよかったって」
【ロングインタビュー】佐藤勝利「原動力は"メンバー5人で見る未来"」
2021年11月16日、デビュー10周年を迎えたSexy Zone。メンバーそれぞれが10年の軌跡を振り返るロングインタビュー、第2回は結成当初からグループのセンターとして活躍し、ステージの真ん中で輝きを放ち続けてきた、佐藤勝利さん。彼は今、何を思い、10年の歩みをどう振り返るのか? そこから見えてきたのは、華やかな舞台裏で抱えていた苦悩と葛藤そして、グループへのあふれんばかりの熱い想いと愛だった——。
2021年MORE9月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
佐藤勝利さんロングインタビュー
デビューから約10年、Sexy Zoneのセンターとして、ステージの真ん中で圧倒的な輝きを放ち続けてきた佐藤勝利さん。彼の物語はそんな意外な言葉からスタートした。
佐藤「ジャニーズ事務所のオーディションも自分からではなく、母に半ば無理やり連れていかれて参加したんです。ただ、その会場でスイッチが入った。扉を開けた先は夢や目標に向かって突き進む人たちの強い意志と熱気にあふれていて。幼い僕にとって、初めて目にしたその光景はとても衝撃的でした。そんな人たちの前で何もできない自分が悔しかった、負けたくない、勝ちたいと思った……。その思いがこの世界に飛び込む大きなきっかけになったんです」
まったく興味のなかった世界に足を踏み入れたのは「ジャニーさんの存在も大きい」と佐藤さんは続ける。
佐藤「僕は幼い頃から“誰かと同じ”が好きじゃなくて。変わっているもの、面白いもの、普通じゃないものが好きでした。そんな僕の興味を引いたのがジャニーさんだったんです。今までつくり上げてきたものも唯一無二なら、ジャニーさんという存在も唯一無二。すごいな、面白いな、変わっている人だなって(笑)。そんな大人に出会ったのが初めてだったので。何を考えているのか、気になったし知りたかった。また、ジャニーさんはそれまでエンタメに触れたことがなかった僕にいろんな世界を見せてくれたんです。そのひとつひとつが僕にとっては衝撃的で、それもまた僕の好奇心や探究心をかき立てたんですよね」
デビューして砕け散った幼さゆえの“根拠なき自信”
佐藤「周りからは“早い”と言われたけど、デビューが決まった時に僕は正直あまり驚かなかったんです。その理由は“自分はデビューできる”と信じていたから。強気というか、無邪気というか、当時の僕は妙に根拠のない自信を持っていて。センターを任された時も同じ。ジャニーさんから“YOUは真ん中だよ”と言われ続けていたのもあって、なんの疑問も持たずに“そうですよね”とすんなり受け入れている自分がいたんですよ。今振り返れば、そんなふうに思えたのはきっと、無知だったからなんだと思う。よくも悪くも何も知らなかったからこそ、ある意味、純粋にすべてを受け入れることができたというか。でも、それは決して悪いことではなくて。あの頃の写真を見返すと、当時の僕はすごく“強い目”をしているんですよ。まあ、それも経験を積み重ねる中で自分の無力さを痛感して、しだいに変わっていくんですけどね(笑)」
未知なる世界に飛び込んだ佐藤さんを支えていた“無知ゆえの根拠なき自信”。しかし、それはデビューして間もなく砕け散ることになる。
佐藤「デビューするということは、グループ名の看板を背負い、佐藤勝利という名前を掲げ、表舞台で勝負すること。もちろん、何をするにも評価を伴うようになるわけで。そこで、僕は自分が何もできないということを痛感することになるんです。今でも忘れられないのが、サポーターを務めさせていただいたバレーボール大会の生放送。時間内にコメントを収めることも、VTRの振りすらまともにできなくて。進行を間違えてあわや放送事故が起きそうになったことも。僕だけでなく最年長のケンティ(中島健人)まで一緒に怒られてしまい落ち込むこともあったし……。初めてのドラマ『ハングリー!』も挫折の嵐でした。求められることに応えることができない、柔軟に対応できない、まともな芝居ができない。それはもう、かなり落ち込んで。15歳ながらに思いましたからね。もうドラマの仕事は来ないかもしれない、僕の人生終わったなって」
気づけば攻撃から守備へ。臆病になっている自分がいた
佐藤「今でこそ、松島(聡)とは親友みたいに仲がいいんだけど。実はデビュー前後、彼と少しバチバチしていた時期があったんですよ。年齢が近い彼に対しては負けたくないという想いもあったし、ある意味、ライバルみたいな存在だったのかもしれない。一時期、ジャニーズJr.の間で“すごい歌がうまいヤツがいる”と話題になったことがあって。それが松島だったんですよね。さらに、彼はダンスのうまさでもすでに注目を集めていて。それが悔しかったんだと思う。歌もダンスもできない、そんなコンプレックスが僕の中にずっとあったから……」
ここで、佐藤さんが続けたのが「僕は決して器用な人間ではないんです」という言葉だった。
佐藤「自分はいろんなものが足りない、できないことがたくさんある、それを自覚するようになってからはグループの中での意識も変わりました。ひと言で言うと“攻撃”ではなく“守備”に回るようになったというか。メンバーはよく僕のことを“グループを俯瞰することのできる、Sexy Zoneのバランサー”と言ってくれるんですけど。それは、僕にできることがそこしかなかったからなんです。歌やダンスがうまければ、もっと前に出て攻撃に徹することもできたかもしれない。でも、僕にはその力がない。だからこそ、欠けている能力を補填するように守備に徹したというか。それが正解だったのか不正解だったのか、今でもよくわからないけれど……。あの頃の僕にとっては、それが“自分がグループの中でできること”の最大級のベストだったんです」
年上メンバーと年下メンバーの懸け橋となり、ときにはグループの意見を事務所に伝える役割を担うことも。自分よりも常にグループのことを考え優先して考えて動く、それが当時の佐藤さんの姿だった。
佐藤「ひとりではなく仲間と何かをつくりたい、仲間と力を合わせて前に進みたい。単純に“集合体が好き”っていうもともとの性格も影響しているんだろうけど。そうすることで、自分がグループにいる意味を、存在意義を、つくりたかったんだと思うんです。そうやって、あの頃の僕は自分を保っていたんだと思う。でも、それが少し行きすぎてしまったというか。“引くのが美学”みたいなものが自分の中に生まれ、それが悪いくせとなって身についてしまい……。しだいに気づくわけですよ、“このままじゃダメだな”って」
当時、初めて会う人によく言われたのが「勝利君は話すと意志があるし、内側に秘めた炎を持っている人なんだね」そんな言葉だった。
佐藤「つまりそれは、僕という人間が周りにちゃんと伝わっていないということなんです。“引く美学”と言ったら美しく聞こえるかもしれないけど、実際は臆病なだけ。また、その自分の中で勝手につくり上げた美学を貫けば貫くほど、さらに臆病になっていくんですよね。自分はベンチからバッターを見守るばかりで、バッターボックスに立とうとしないから、いざそこに立った時にはうまくボールを打つことができない。だからこそ、思いきりバットを振るのがどんどん怖くなってしまって……。
そんな僕が変われたのは、時間もあるし、経験もあるし、ジャニーさんが亡くなったのもきっと大きいんだと思う。今まではジャニーさんが思い描く理想を目指していたけれど、これからは自分たちが思う理想を描き出していかなければいけない、そんな思いも背中を押してくれた気がします。それまではから振りするのが怖くて、バントばかりしていた僕ですが、しだいに大きくバットを振ることができるように。ホームランを打つためには思いきりバットを振らなくてはいけない。から振りしてしまう可能性もあるけれど、それを恐れずにまずは自分らしく思いきりバットを振ってみようって」
Sexy Zoneがいるから僕は今ここに立っている
佐藤「デビュー前の話になるんですけど。僕はジャニーズのこともよくわからないままこの世界に飛び込んだので。入所してから、レンタルCDショップに通って、そこで借りることができるジャニーズの先輩たちの楽曲を1から100までほぼ全部聴いたんです。知らないと何も始まらない、ジャニーズになれないと思ったから。
僕はその場でポンとできないタイプというか。準備をして、学んで、理解して、納得しないと前に進むことができない。妙に生真面目なところがあるというか。また、この仕事には“こうすればそれっぽく見える”というテクニックがたくさん存在すると思うんだけど。僕はそれを選択したくなくて。そんな僕に対して“もっと上手にやればいいのに”ともどかしく感じる人もいるかもしれない。でも、僕はそれができないし、したくない。それは、今も昔もブレずに変わらない僕の美学でもあるんだけど……。僕が何よりしたくないのが、その美学に反することをグループに持ち込むことなんです。Sexy Zoneが好きだから、心からいいグループだと思っているから、ひとりではなくこの5人で“勝ちたい”とずっと思い続けているから」
そこで佐藤さんから飛び出したのが「自分では想像もしていなかった芸能界という世界に今もい続けているのは、Sexy Zoneがそこにいるからなんです」という言葉だった。
佐藤「Sexy Zoneはよくも悪くも型にハマらない、枠にとらわれない、個性豊かなメンバーが集まっているグループで。僕はそこがこのグループの面白いところだと思っていたし、最大の魅力だと感じていた。結成当初はまだふわっとした感覚だったけど、5人で共に歩めば歩むほど、それはどんどん確信に変わっていった。うまくいかなかったり、結果を出せないこともあったけど、僕は自分のその感覚を間違っていないと思ったし信じてきた。その熱が自分の中にずっとあったからこそ、今までも何が起きようとも走り続けることができたんです。『この5人で勝ちたい』。それが僕の原動力のすべて。勝ちたいからこそ、自分らしくない歩き方をしたこともあった。本来は面倒くさがり屋な僕が歌やダンスを頑張るのも、自分が評価されたいからではなく、グループの一員として戦いたいからなんです。誤解を恐れずに言うと、今もまだ僕は芸能界にも自分にもあまり興味がなくて。Sexy Zoneにしか興味がないんです。デビューするのが早かったのもあるかもしれないけど、ある意味、僕にとってSexy Zoneは人生そのもので。たまに思うんです、ひとりでやっていくことになったら、続かないかもしれないって。それくらい、自分にとっては当たり前のものであり大切なものなんです」
佐藤さんが見ているのは常に“ひとり”ではなく“5人”の未来。その歩み方は「これからもきっと変わらないと思う」とまっすぐな目で語る。
佐藤「僕が勝つことにこだわるのはこの名前もあるのかな。“勝利”は亡き父がつけてくれた名前。僕は姉とふたりの兄がいるんですけど、忙しい父が出産に立ち会えたのは末っ子の僕だけで。その感動と衝撃がこの名前になったらしいんです。生まれたこと、そのものが人生の勝利だと。その人生を僕は同志と共に歩んでいきたい。喜びも悔しさも分けあいながら、その歩みをかけがえのないものにしていきたいなって思うんです」
【ロングインタビュー】菊池風磨「5人で見てみたいんだよね。売れなきゃ見られない風景ってヤツを」
ヤンチャに見えて冷静沈着。ひょうひょうとして常に的確。ニュートラルな視点とまっすぐな男気あふれる包容力で個性豊かなメンバーが集まるグループをひとつにまとめ支えてきた彼は、何を感じ何を思い、どんなことを考えながら歩いてきたのか。2021年11月16日、デビュー10周年を迎えたSexy Zone連載の拡大版、第4回は菊池風磨さんが登場。その歩みをロングインタビューで振り返る。
2021年MORE11月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
菊池風磨さんロングインタビュー
入所後間もなく中島健人、松村北斗、髙地優吾と共にB.I.Shadowとして活躍するなど、多くの人の注目を集めながら華やかなスタートを切った菊池さんのジャニーズJr.時代。
菊池「今振り返ると、本当に恵まれていたなって思うんだけど。あの頃の僕はやたらと根拠のない自信に満ちあふれていて。それこそ“自分は絶対にデビューする”って、疑うことなく信じていましたからね(笑)。で、実際にその3年後にそれは現実になるんですけど……。ただ、そのデビューは自分が思い描いていたものとはまったく違うものだったんですよ」
複雑な気持ちを抱えて立ったグループ結成会見のステージ
菊池「根拠なき自信があったとはいえ、死ぬ気で頑張らないと続けることはできなかったし、芸能活動をするうえで犠牲にしたものもあった。それまでの自分はデビューを目指して必死に突き進んでいたわけですから、その夢が叶ったことはうれしいんです、うれしくないわけがないんです。ただ、デビューに関しては、同年代でグループをつくり上げていくんだろうなって、自分は勝手にそんな未来を思い描いていたから。まず、メンバーに対する驚きがあったんですよね。ずっと一緒に活動していた中島のことはもちろん知っていたけど、入所して間もない年下メンバーに対しては“この子たちは誰だ?”が正直な感想で。深く関わったことのないメンバーといきなり結成会見の舞台に立っていることも、バラを持って歌い踊っている自分も、Sexy Zoneというグループ名すらも、最初はなかなか受け入れることができなくて……。自分が目指していた場所はここなのか? これが正解なのか? 自問自答してしまう自分もいたんですよ」
そして続いたのが「お世話になった先輩方や、一緒に活動していたB. I. Shadowのメンバーより先にデビューすることに対しても、後ろめたい気持ちもあったし。そう感じてしまうことすらも申し訳ないと思った」という言葉。さまざまな感情が入り乱れたスタート。当時は自分の気持ちをうまく整理することができず、悩んでしまうことも多かったそうだ。
菊池「でもそれが“贅沢な悩み”だということもわかっていたから。誰にも相談できなかったし言えなかった。かといってまだ幼かった自分にはそれを解決する力もなくて。その不安な気持ちが態度に出てしまうこともあったりして。楽屋にいる時に誰とも話さなかったり、イヤホンをつけて自分の世界にとじこもったり……。振り返ると、本当によくない態度を取っていたなと思うんだけど。当時はそうすることでしか自分を保つことができなかったんだよね。ただただ、毎日いら立っていたし、何よりもいちばん、そんな自分にいら立っていた。それを“思春期”とか“反抗期”とかいう言葉で説明できたらいいんだけど、そんな単純なものではなくて。時間がたった今でもうまく言葉で説明できないくらい、あの頃は、心の中がグチャグチャだった」
ほかのグループが眩しく見えた。悔しかったし羨ましかった
菊池「18歳の夏、映画の撮影が予定よりも早く終わって。2〜3週間ぽっかり時間があいたんですよ。そこで友達や仲間と過ごした時間が自分にとってはすごく大きくて。その仲間というのがSixTONESのメンバーなんです。彼らはジャニーズJr.時代を共に過ごしてきたほぼ同期で。今もずっと仲がいいんですけど。オレね、実はあの6人がすごく羨ましかったんですよ。当時、すでにSixTONESの前身といえるグループがあったんですけど、そこで彼らは共に挫折を経験したり、一緒に壁を乗り越えたり、ときにぶつかりあいながらもみんなが一丸となって前に進んでいて。なんかね、そばで見ていると『週刊少年ジャンプ』を読んでいるような気持ちになるというか、それくらい本当に素敵な仲間たちなんですよ。そんな彼らの姿が腐っていたオレの目にはキラキラと輝いて見えた……。今でこそ、Sexy Zoneはこの5人だからこそのよさがあると本気で思っているんだけど。あの頃は彼らが眩しくて眩しくて……。立つ場所は違ってもお互いに“頑張ろう”と鼓舞しあえる大切な仲間であるんだけど、同時に、嫉妬的な悔しさや苦しいほどの羨望を彼らに抱いたこともあったんですよ」
眩しく見えたのは高校時代や大学時代の友達も同じ。
菊池「友達はみんな大学でキャンパスライフを謳歌していて。その中で、将来の夢や目標を見つけ、そこに向かってそれぞれが突き進んでいた。その姿もまたすごく眩しくて……。そこで思ったんですよ。オレはこのままじゃダメだって。仲間や友達が叶えようとしている夢を自分はひとつ叶えているのに、ウダウダしているのが情けなく思えた。この人たちに恥じるような生き方はしたくないと思った。だからこそ、あの時オレは決意したんです、腹をくくって目の前の仕事とちゃんと向きあおうって」
自分の中でパチンとスイッチが切り替わる音がした。
菊池「それまでは、グループやメンバーだけでなく、何より自分と向きあえていなかったんだよね。自問自答しながらも、答えを出したら何かが変わってしまいそうな気がして、ずっと目を背けていたというか。でも、それじゃあ何も変わらない。まずは逃げずに向きあおう、覚悟を決めて前に進もうって。そこからなんです、僕の中で意識が変わり始めたのは」
なかでも、彼を大きく変えるきっかけになったのが、コンサートの構成を担うようになったこと。
菊池「そのきっかけは2015年から3年連続で行ったソロライブなんです。それぞれが自分で構成や演出を考えたそのライブで、僕は初めて“なんだこれ、めちゃくちゃ面白いじゃん”って手応えを感じることができて。グループのコンサート構成も手がけてみたい、その思いを最初に伝えたのが中島なんです。2017年、3年続いたソロライブが終わろうとしているその時に、初めて中島のステージを観にいって。そこでいろんな話をしながら“やらせてほしい”と伝えたら“いいじゃん、やりなよ”と受け入れてくれて。ほかのメンバーにもその気持ちをひとりひとり伝えた。オレが自分から“何かしたい”と思ったのも、それを言葉にして伝えたのも、それが初めてだったから。メンバーはきっと驚いていたんじゃないかな」
「中島のライブに行け」先輩の言葉が僕を変えた
菊池「腐っていた時期も、ちゃんと叱ってくれたり、ダメなものはダメって言ってくれたり、そんなオレを見捨てずに向きあってくれる大人が周りにいた。その存在に救われたことも何度もあったし。ずっと誰にも言えなかった自分の思いや悩みを話せる先輩と出会えたのも大きかった。そのひとりが(櫻井)翔君で。18歳の時に初めて食事に連れていってもらったんですけど。同じ大学の先輩後輩という関係でもあったので、最初は学業の相談をしていたんですよ。そこから少しずつ個人的な話やグループの相談もするようになっていったんですよね。ドラマ共演をきっかけに可愛がってくれたのが山下(智久)君。最初は僕のことを“生意気そうなヤツ”と思ったらしいんですけど(笑)。どこか自分と似ている気がすると言ってくれて。そんな山下君が引きあわせてくれたのが村上(信五)君なんです。この3人の先輩たちがいなければ今の自分はいないと言っても過言ではないほど、いろんな話を聞いてもらったし、たくさんのアドバイスももらってきた。それこそ、中島のソロライブを観にいけと言ってくれたのも、実は山下君なんですよ。“自分は若くて気づけなかったことがたくさんある。そんな昔の自分に伝えるような気持ちで言うから聞いてくれ。おまえは中島のライブに行くべきだ。メンバーともっとちゃんと向きあうべきだ”って。あの山下君の言葉があったから自分は変わることができた。だからこそ、今でも本当に感謝していて」
思いどおりになんかならない だからSexy Zoneは面白い
菊池「(佐藤)勝利は“内気な子”、松島(聡)は“ずうずうしい子”、マリウス(葉)は“裕福な子”。デビュー当時、年下メンバーに関してはひとくくりで“子供”って感じだったんですけど(笑)。勝利は内気な分、誰よりもいろんなことを考えていて。言葉にせずとも、自分の中の正解に向かい理論立てて進んでいく人なんだとわかったし。松島のずうずうしいほどの人懐っこさもひとつの武器で。彼だからこそ、メンバーが落ち込んでいる時や元気がない時、心の内を開いてあげることができるんですよね。マリウスは僕たちが思っている以上に人の幸せを願っていて。他人を心から愛することができる人。だからこそ、自分のことももっと愛してほしいなと思うような人。ただの“裕福な子”じゃないこともわかりました(笑)。中島は……正直、最初は変なヤツだなって思ったんですよ。でも、途中で気づくんだよね。“こいつ、スゲーな”って。“変わってる”ってネガティブにとらえられがちだけど、実はすごいことで。人と違うからこそできることもたくさんある、ある意味、めちゃくちゃオンリーワンなんですよね。その証拠に、この世に中島健人みたいな男、ほかにいないでしょ!?(笑)」
照れ屋の菊池さんがメンバーに贈る、なんとも彼らしい最上級のほめ言葉の数々(笑)。真を突いた言葉を引き出そうとすると、その思いを見透かしたようにひょうひょうと交わし「Sexy Zoneに関してはうまく言葉にできないことが多いんですよ。無理に言葉にしようと思えばできないこともないけど、それはなんか違う気がするし。それをしてしまったら、オレじゃなくなる気がするんです」と笑う。そんな彼にあらためてデビュー10周年を迎える今の心境を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
菊池「うれしいこともあったし、感動することもあった。ただ、楽しかったかと聞かれたら……すべての時間はそうじゃないかも(笑)。でも、だからこそ、続けてこられたのかなって思うんですよ。10年前、10年後の自分たちの姿が想像できなかったように、この先のことも想像できない。思いどおりになんかならないのがSexy Zoneの面白いところで。まあ、同時に大変なところでもあるんだけど(笑)。それでも前に進み続ける、今の僕のモチベーションは……。ひと言で言うと“売れてみたい”ってことなのかな。グループで売れるっていうのはどんなものか知りたい、その場所にたどり着いた人にしかできないことも絶対にあると思うしね。これからもきっとこのグループはいろんなことがあると思うんだけど。いつか5人で見てみたいんだよね。売れなきゃ見られない風景ってヤツを」
【ロングインタビュー】松島聡「遠回りしたからこそ“5人で歩む未来”へ」
見る人を幸せにする笑顔、メンバーも絶賛するアイドル性、そして、才能と努力で築き上げた表現力を武器にステージの上で眩しいほどの輝きを放つ松島聡さん。「ここに来るまで何度も諦めそうになったことがあった」と本人が語る言葉そのままに、彼の人生にはよくも悪くもたくさんのドラマがあった。舞台裏で抱えていた苦悩、暗闇の中から救い出してくれた光、迷い、悩み、遠回りしながらたどり着いた“ありのままの自分”。松島さんが語る10年の歩み。2021年11月16日、デビュー10周年を迎えたSexy Zone。連載特別版として、メンバーそれぞれが10年の軌跡を振り返るロングインタビュー。
2021年MORE10月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
松島聡さんロングインタビュー
松島さんがジャニーズ事務所に入所したのは13歳の頃。その一枚のDVDに出合うまで「芸能界のことはもちろん、ジャニーズのこともよく知らなかった」と振り返る。
松島「だからね、入所当時の僕の夢は Hey! Say! JUMPさんのバックダンサーになることだったんです。自分がアイドルとしてデビューすることではなくて(笑)。そもそも、ジャニーズJr.の中から選ばれた人がデビューするという仕組みすら知らなかったので。自分がデビューできるなんて想像もしていなかったからこそ“あの世界の一員になりたい”という願いが叶っただけで大満足。よくも悪くも野心や欲が全然なくて。みんなと歌ったり踊れる毎日がただただ楽しくてしかたなかったんですよね」
そんな松島さんの人生が一変したのが、2011年9月29日に行われたSexy Zoneの結成会見。それは彼がジャニーズ事務所に入所してから、わずか数カ月後の出来事だった。
松島「たしか、その日はKis‐My‐Ft2さんの舞台に出演していて。楽屋に戻ったら衣装が5着並んでいたんです。わけもわからずその衣装に着替えると“今からステージに立つよ。そこで、フラッシュをたくさん浴びると思うけど驚かないでね。胸を張って堂々と自分の名前を言うんだよ”と言われて……。そこで初めて知ったんですよ、自分がSexy Zoneというグループの一員になることを。でも、実は僕自身はあまり驚いていなくて。これもまた無知ゆえなんですけど、“バックダンサーの新しいユニットが生まれた”くらいにしか思っていなくて。華やかな結成会見も“世間を楽しませるためにジャニーさんが考えた新しい演出かな”と思っていたんです(笑)。家に帰ると家族は“大変なことになった”とアワアワしているし、翌日の学校も大騒ぎだったんですけど、そこでも僕はまだ“次のJUMP兄さんたちのコンサートもバックで踊れたらいいな”しか考えていなかったっていうね(笑)」
入所後、数カ月でデビュー。“戸惑い”でいっぱいだった
ステージの上に立つたびに感じていたのは「自分はここにいていいのか」という思い。「あの頃は、自分に自信を持つことができなかった」と松島さんは振り返る。
松島「当時の僕からするとメンバーさえも“すごい人たち”だったんですよ。まず、ケンティ(中島健人)や(菊池)風磨君は大先輩であり、僕にとってはいつも優しくしてくれる“大好きなお兄さん”でもあって。ふたりのいる楽屋に遊びにいくのが楽しみでしかたがなかった。マリウス(葉)もジャニーズJr.の中では生粋の愛されキャラで。ドイツから日本にやってきた彼がリハ室に入ってくると、全員がマリウスだ! って駆け寄り先輩までもが笑顔になる、そんな光景を目にして“いったい、この子は何者なんだ?”と。驚いた初対面の記憶は今も鮮明に残っていますからね(笑)。(佐藤)勝利もまたジャニーズJr.の中では特別な存在でした。ビジュアルも存在感も圧倒的で、みんなから一目おかれる人だったんです。だからこそ、そんなメンバーについていくために、当時の僕はいつも必死で……」
そこで飛び出したのが、デビュー当初のこんなエピソードだった。
松島「あの頃の僕は勝利とぶつかることが多かったんです。今振り返ると、年齢も近いし、どこかライバル視してしまう自分がいたのかな。どんなに頑張っても追いつけない、彼のいる場所に届かない気がして。勝利の持っているものすべてが羨ましかったし、悔しかったんだよね」
実は、前号のインタビューで同じエピソードを語っていた勝利君。そこで彼が言った「歌もダンスも、自分にはない才能を持っている松島が羨ましかった」という言葉を伝えると「勝利もそうだったんだ……。なんかうれしいな」と松島さんは感慨深げに呟き照れくさそうに笑った。
ステージを降りなかったのは大切な仲間がそばにいたから
過去にはそんなマリウスさんと離れて活動した時期も。その時もまた「支えてくれたのは周りの大切な人たちだった」と松島さんは続ける。
松島「僕とマリはSexy Zoneから少し離れてそれぞれ別のユニットで活動していた時期があるんです。それは、ジャニーさんが経験の浅い僕たちを成長させるために用意してくれた時間だったと思うんですけど。正直最初は戸惑ったし、不安だった。でもそんな僕を救ってくれたのが、同じユニットのメンバーである松倉海斗と松田元太(2人ともTravis Japan)だったんです。ふたりからの“また聡と一緒にやれてすごくうれしい”というまっすぐな言葉は、仲間たちに対して申し訳ない気持ちを抱えていた僕の心にとても強く響いた。そう言ってくれるふたりの存在が“ここで諦めちゃダメだ”と僕の背中を押してくれた。ふたりの思いに応えたい、このユニットを盛り上げたい、そのためにもジャニーズJr.歴の長いふたりからいろんなことを教えてもらおうって」
実際、ふたりと過ごした時間は「大切な経験になったし、とても大きなプラスになった」と振り返る。
松島「Sexy Zoneに戻り5人で活動するようになった時も、デビュー当時とは違って堂々とステージに立てる自分がいたし。自分の中にたくさんの引出しを蓄えることができたからこそ、その引出しを早く開けてグループに貢献したいという気持ちがさらに高まった。今でもふたりには本当に感謝しているんです」
ずっと自信を持つことができなかった松島さんのSexy Zone創成期。
松島「でもね、5人で活動するようになってから、自信を持てるようになったのかと聞かれたら……。それはまた別の話で。僕が本当の意味で100%自分に自信を持てるようになったのはきっと休養期間を終えてから。実は本当に最近の話なんです」
“ありのままの自分”がいい。もう嘘をつくのはやめました
松島「ここで伝えておきたいのが、僕がお休みしたのは仕事のせいだけじゃないってことなんです。それまでの僕の中には見ないふりをしていたことやふたをしてしまっていたことがたくさんあって。それが積み重なってパンクしてしまったのが、あの頃の僕だったんです。自分と向きあえていなかったからこそ、僕には時間が必要だった、それが僕にとっての休養期間で。実際、時間をかけて自分と向きあったことで、心が整理されたし、自分とのつきあい方もわかるようになって、すごく強くなれたとも思う。そしてそれが今の自分の大きな自信にもなっていて」
休養期間を経て、松島さんの中ではさまざまな変化があったそうだ。
松島「変わったと感じることはいろいろあるけど。いちばんはやっぱり“ありのままの自分”で周りと接することができるようになったことなのかな。以前の僕は遠慮ぎみだったというか。自信がないからこそ“嘘”が多かった気がするんです。たとえば、相手を傷つけないために自分の意見を引っこめたり、心の中では違うと思いながらも相手の意見に賛同してしまったり……。でも、嘘が多い関係は長続きしないし、何も生み出さないし、自分の負担にもなってしまうんだよね。違うことは違う、うれしいことはうれしい、メンバーに対する愛情もちゃんと“好き”と言葉にして伝える。復帰後の僕はものすごく素直になれていると思う。そして、それは仕事に対する姿勢にも通じていて。僕ね、デビュー当時は自分のキャラクターがよくわからなかったんです。僕たちはジャニーさんから“自分で考えなさい、自分で行動しなさい、他人と同じことをするのをやめなさい”と育てられた。でもそれが僕には難しくて。誰ともかぶらない“自分”を見つけるために、生意気にイキってみたり、おバカを突き通してみたり、可愛い弟キャラを演じてみたり。でも、それって結局は“自分”じゃないんだよね。だから、復帰後はもう迷走するのをやめました。そこもまた“ありのままの自分”でいいじゃんって。遠回りしたけれど“自分らしくいることがいちばんの個性なんだ”って、ようやく気づくことができました」
遠回りしたかもしれないけど大切なものをたくさん見つけた
松島「実は僕、今まで目標を持つことができなかったんです。そもそも“バックダンサーになりたい”からすべては始まっているので。その夢を叶えてからは、自分がどこにいるのかも何を目指しているのかもわからないまま、激流の中をグルグル回っていた。でも、今はちゃんとその目標も持つことができている。自分の固定観念を捨てて、スタッフのみなさんが用意してくれた世界に染まる、カメラの前に立つ被写体の仕事をもっとしたいし。自分ではない誰かを演じる役者の仕事ももっと追求したい。僕はやっぱり“表現”が好きなんです。自分らしく歩めるようになってから、あらためてそこに気づくことができた。実はこんな欲が出てきたのは初めてのことで。それがすごくうれしかったりして」
自分の武器や個性や願いがわからないと進む道が見えない。自信がないと「したい」、「やりたい」が言えない。それができている「今の自分はすごく好き」と彼は言葉を続ける。
松島「本当の意味での僕のスタートラインは復帰した昨年だと思うんです。そこから、やっと自分らしい人生が始まった。だから、僕はまだ1歳なんですよ(笑)。でも、それは決して悪いことではなくて。10年やってきているのに、まだまだ新鮮に感じることがたくさんある。それってすごく幸せなことだと思うんだよね」
グルリと遠回りしてしまったかもしれない。でも「だからこそ、見つけたものもたくさんある」と微笑む。
松島「人生にはいろんな道があるから。正直、違うプランを考えたこともあるんです。でも、やっぱり違う道を歩く自分は自分じゃないと思った。ジャニーズ人生しか、5人で歩む未来しか、僕は考えることができなかった……。休養中、家のテレビで4人を観た時もそこに自分がいないことが寂しかった、4人に会いたかった、また一緒にものづくりをしたいと思った。そこでも強く感じたけど、僕にとってはSexy Zoneって“当たり前”な存在なんです。考えない日はないし、夢にも出てくるし、家族の会話にも出てくる。人生の、日常の、体の一部みたいな感覚で。今も昔も頼れる存在のケンティと風磨君も、今では親友のような勝利も、強い絆で結ばれているマリウスも大切な僕の一部。だからね、今はマリがお休みしているけど寂しくはないんです。遠く離れていたとしても、いつも感じるし、いつも僕の中にいるから。そう思えるのはきっと、決して平坦ではない道のりを一緒に歩んできた10年があるからこそ。こんな関係はなかなか築けないと思う。だからね、やっぱり僕は5人で歩む未来しか考えられないんですよ」
【Sexy Zone対談】中島健人×菊池風磨
祝! デビュー10周年特別企画
2021年11月16日、デビュー10周年を迎えたSexy Zone。それを記念して、MORE誌上で“セクゾ祭り”を開催!!!!! 盛りだくさんのコンテンツでひもとく彼らの個性とキャラクター、5人で積み重ねてきた歴史の答え合わせ、10年分のSexy Zoneの“ONE BY ONE”な魅力の数々。これを読めば、彼らのことがもっともっと大好きになる♡
2021年MORE12月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
Sexy Zone
2011年にデビューし、来る11月16日に記念すべきデビュー10周年を迎える国民的アイドルグループ。メンバーそれぞれが音楽業のほか、俳優業、バラエティ番組などでも活躍中
【中島健人×菊池風磨】ふたりのストーリー。「お互い、どう見えてた?」の答え合わせ
——「ふたりで歩いた夜のN.Y.の街。隣に菊池がいることがすごくうれしかったんだよね」(中島)
ずっと一緒に歩んできた強い絆で結ばれたふたり
菊池 家のファックスが壊れているのに気づかなくてね(笑)。なんとか参加できたものの、先に参加していた仲間たちと比べると完全に出遅れた感が満載で。「もうダメだ」って半ば投げやりに。で、ヘラヘラしていたら、それを“笑顔で頑張っている”と勘違いされたみたいで。急に最前列に位置替えされて。そこで、隣にいたのが中島だったんですよ。
——幼いふたりが初めて交わした言葉は「そのサンドイッチっておいしいよね」だったとか(笑)。
菊池 それ、オレだ。たしかに言った記憶があるわ。でも、その前に中島が声をかけてくれたんだよ。振付けについて「これ、どうするんだっけ」みたいな。でも、遅れて参加したオレにわかるはずがなくて。「いや、ちょっとわからないっす」って答えた気がする。あの頃は敬語で(笑)。
楽しさも、悔しさも、想い出を共有してきた
中島 ふたりで原宿に行ったのを覚えている? 竹下通り歩いて、買物して、最終的に男ふたりでカフェに入ってパフェ的なものを食べたの。
菊池 それ、覚えてるわ(笑)。
中島 あの頃は、誕生日が近いから、プレゼント交換をすることもあって。オレがハットをプレゼントしたら、お返しに羽根のついたキーチェーンをくれたんだよね。
菊池 中島は一緒に過ごした時間が長いだけに想い出がたくさんあるんだけど。一緒に悔しい思いを経験したり、壁を乗り越えてきたっていう感覚もオレはあるかな。たとえば、初めて先輩のバックとして関西を回った時。当時は若くてイキっていたから「オレたちが東京Jr.代表だ!!」くらいの気持ちで行くわけですよ。
中島 でも、そこにいる関西ジャニーズJr.はオレたちに目もくれず。
菊池 衣装にファーとかついていて。
中島 布の量が雲泥の差。こっちはベストで袖すらないっていう(笑)。
菊池 そんな小さな挫折を一緒に何度も味わったりしてね(笑)。
今も昔もずっと“同志”
——同じ目標に向かって突き進む“同志”だったふたり。しかし、Sexy Zoneのメンバーとして向きあうようになってからは、距離が生まれてしまったこともあったそう。
中島 デビュー当時はお互いに自分のことで精いっぱいで。何を目指せばいいのか、どこに立てばいいのか、ふたりの関係値もどうしたらいいのかわからなかったんだよね。でも、そんな時期を経て今はまたJr.時代のような関係に戻ってきている気がする。
——誰よりも近くにいる特別な存在だからこそ、その関係性に悩むこともあった。でも、今も昔も“同志”であることはずっと変わらない。
中島 デビューして間もない頃、菊池と(佐藤)勝利と3人でN. Y.に行ったんだよね。そこでオレたち、幼い勝利を部屋に残してホテルを抜け出したんですよ。
菊池 で、ふたりでタイムズスクエアに行って、ファストフード店に入ったりして。あれ、楽しかったなぁ。
中島 ひとり旅でタイムズスクエアを訪れた時、真っ先に思い出したのもあの夜のこと。菊池とふたりでN. Y.の街を歩いたっていうのが、なんかうれしくて。オレの中では今でも特別な想い出として残っているんだよね。
菊池 ふふっ、うれしいねぇ。
中島 やっぱり年齢が近いからかな。“5人の想い出”もたくさんあるけれど、それとはまた違う想い出が菊池との間にはあるんですよ。
——あらためて絆を感じることができた“10年分の答え合わせ”。最後に、お互いに“10年分のありがとう”を伝えてほしいとお願いすると……。
中島 最近は「元気を届けてくれてありがとう」だよね。菊池の出ているバラエティ番組はよくチェックしていて。普通に菊池風磨ファンだから、オレ(笑)。それを観ていても本当に面白いなって思うし、笑わせてもらうし、すごいなって思ってる。
菊池 それを言うなら、オレだって「中島健人はカッコいいな」と思っているよ。やっぱり、ドラマをはじめソロ仕事をしている時って、グループの中にいる時とは違う目線で見ることができるから。それを目にするたびに思うもんね。「中島、角度わかってるなぁ」って(笑)。
【Sexy Zone対談】佐藤勝利×松島 聡
祝! デビュー10周年特別企画
2021年11月16日、デビュー10周年を迎えたSexy Zone。それを記念して、MORE誌上で“セクゾ祭り”を開催!!!!! 盛りだくさんのコンテンツでひもとく彼らの個性とキャラクター、5人で積み重ねてきた歴史の答え合わせ、10年分のSexy Zoneの“ONE BY ONE”な魅力の数々。これを読めば、彼らのことがもっともっと大好きになる♡
2021年MORE12月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
Sexy Zone
2011年にデビューし、来る11月16日に記念すべきデビュー10周年を迎える国民的アイドルグループ。メンバーそれぞれが音楽業のほか、俳優業、バラエティ番組などでも活躍中
【佐藤勝利×松島 聡】ふたりのストーリー。「お互い、どう見えてた?」の答え合わせ
——「お互いに“君づけ”をやめてタメグチで話すようになった時“友達感”が増した気がする」(佐藤)
仕事もプライベートも一緒に過ごすふたりは“親友”
松島 勝利は僕よりも数カ月前に入所していて。当時はすでに雑誌に出たり、ユニットを組んだり、注目を集めている存在だった。そんな勝利に僕から話しかけたの、覚えている?
佐藤 いきなり「佐藤勝利君ですよね?」って話しかけてきたんだよね。しかも、まったく臆することなく、満面の笑みで。「驚異的なコミュニケーション能力の持ち主だな!!」って驚いたの、今でも覚えている(笑)。
勝利のことが、松島のことが「ずっとうらやましかった」
佐藤 ただ、入所してきてすぐに聡ちゃんの噂がウワッと広まったのは覚えているんだよね。「すごく歌のうまい子が入ってきたぞ」って。
松島 それ、あとから聞いてうれしかったなぁ。でも、僕個人はダンスを頑張っていたから。まさか歌が評価されているとは、当時は想像もしていなかったんだけどね(笑)。
——今では親友のように仲のいいふたりだけど、過去には互いの存在を意識するあまりバチバチした時期も。MOREのソロインタビューで「自分にはないものを持っている、それがうらやましかった」とお互い語っていたふたり。
佐藤 ストレートに表現すると嫉妬心。当時はまだ子供だったっていうのもあるけど、それだけ、大きな存在だったんですよね。僕たちの距離が縮むきっかけは……。雑誌で“君づけ”をやめるっていう企画があって。それをきっかけに敬語からタメグチになったっていうのも大きいのかな。そこから“友達感”がグンと増した気がする。言葉って、大事だよね。
松島 マリウスと僕はSexy Zoneから離れて活動した時期があるんですけど。僕はそれも大きかったな。離れて気づけたことがたくさんあって。そのひとつがメンバーの存在の大切さ。当時『Sexy Zone CHANNEL』っていう番組をやっていて。唯一、そこが5人で集まれる場所で。勝利はもちろん、みんなに会えるのがすごくうれしかったんだよね。
「LINEが冷たい」まさかの理由で大喧嘩(笑)
佐藤 実は、5周年のツアー中に松島とガチ喧嘩したことがあるんですよ。「LINEの文面が冷たい」っていうカップルのような理由で(笑)。僕は気持ちを言葉にするのがうまくないし、友達に絵文字を使ったりするタイプなんだけど。そこで、松島から送られてきたのが「その文面じゃ気持ちが伝わらない!!」。恋人かよっていう怒りのLINEで(笑)。もう文章を打つのが面倒臭くて、直接電話をかけて喧嘩したんだよね。
松島 そういうこともあったね。いや、本当に面倒臭くてゴメン(笑)。でも、そうなれるのは心を許しているからこそ。こないだ、舞台で共演した(桐山)照史君がこんなことを言っていたの。「長年一緒にやっていると“この人じゃないとダメ”になってくる。年々、メンバーの代わりはいないんだと実感する」って。デビュー10周年の今、僕が感じているのもまさにそれで。なかでも、勝利にはなんでも話せてしまうんだよね。だからこそ、最近は抑えるようにもしている。面倒臭い人にならないように、重くならないように。
佐藤 はははは!! プライベートでも「そこ遠慮しないんだ!!」と思いきや、急に「そこ遠慮するんだ!!」になる。聡ちゃんはアクセルとブレーキの踏み方がすごく変なんだよ(笑)。
松島 本当、そこが難しい!! こう見えて僕、実はコミュニケーション能力低めなんです(笑)。