ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』

がんばったのにまだ週の半分……。ため息が出そうな水曜日のあなたを解放するエッセイ連載。

vol.10 仕事を休みたくなる日

ブレイディみかこさん連載『心を溶かす、水曜日』

MORE読者世代の方々との座談会に、外資系の某エンタメ企業で働くNさんが出席していたときのことだ。彼女が日々痛感しているのは、日本と米国の物価の違いだという。米国本社の人々は、日本国内での値段設定の低さが理解できず、もっと上げろと迫ってくるらしい。「でも米国と同じ水準の値段にしてしまうと、日本では高すぎます。ふだん生活している分には感じませんが、日本ってなんでも安いんだなあって……」とNさんは語っていた。

最近よく話題になる経済指標に「ビッグマック指数」というのがある。世界各国で売られているビッグマックの値段を比較したものだ。2023年1月時点で、日本のビッグマックの値段は450円だが、米国では695・73円。スイスでは900円超えだ。

「安いことはいいこと」と思うかもしれない。でも、ちょっと考えてみよう。米国やスイスで700円や900円のハンバーガーを食べても人々が生活していけるのは、それだけの給料を貰っているからだ。逆に、物が安い国は、賃金も低い。

昨年ぐらいから、転職情報メディアや若者向けのライフスタイル誌から取材の申し込みが来るようになった。どうしたんだろうと不思議に思っていた。これらはすべて「海外で働いた経験を若い人たちに話してください」という依頼だ。同じ業種でも、海外で働けばもっと給料が貰えるということに気づき、海外で働きたいと思う若者が増えているらしいのだ。そういえば、座談会のNさんも、「これからは海外で働くことも視野に入れておかねばと思います」と言っていた。漠然とNさんのように考えていた人たちが、コロナ禍が終わりかけた今、本気で行動を起こそうとしているのかもしれない。

日本のテレビ局も海外に出稼ぎに出る若者たちについて報じているようで、ある番組のサイトを見ていると、出稼ぎに出た人々の声が掲載されていた。「お休みを取りたいときも、来週から1週間旅行に行きたいと言ったら、『行ってらっしゃい』みたいな感じ」、「自分の意見を言えるし、それを受け止める姿勢がある人が多い」などの声があり、英語で仕事をしなければならない点を差し引いても「日本よりストレスは少なめ」というコメントも上がっていた。

高い賃金を求めて日本から出た人々が、おカネ以外のものも手にしているようだ。それは、「あれは無理」、「これもダメ出しされる」と思い込んでいたことが、海外の職場では「それもアリ」、「ふつうにOK」だったりする事実への覚醒だろう。ネットや本で「よその国のお仕事事情」を読むのと、現地で体験するのとではまるで違う。海外出稼ぎ組が日本に帰るとき、きっとこうした人々は、第二の黒船となって日本のシステムを変える世代になるのではないだろうか。

最近の座談会で「水曜日はみなさんにとってどんな日ですか?」と質問すると、「一番休みたくなる日」という答えが多く返ってきた。でも、ネガティブな気分になる日は、そうなる理由を真面目に考えてみるきっかけにもなる。休みが取りづらい、ハラスメントがある、自分の考えが言えず息苦しい、金銭的にも精神的にも報われない……。本当はきちんと理由があるのではないだろうか。週の半ばで疲れているから休みたくなるんだと自分で思い込もうとしても、何か理不尽な状況があり、それが耐えがたくなってきているのかもしれない。

だけど、その理不尽は「しかたがないこと」じゃない。

今いる場所では「しかたがない」と言われていたとしても、そんな理不尽はそもそも存在しない場所だってある。そういう場所を求めて飛び出していくきっかけを与えてくれるのが、仕事を休みたくなる日かもしれないのだ。水曜日はジャンプするためのスプリングボードにだってなれる日だ。

PROFILE

ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数

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イラスト/Aki Ishibashi ※MORE2023年6月号掲載