ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』

がんばったのにまだ週の半分……。ため息が出そうな水曜日のあなたを解放するエッセイ連載。

vol.03 わたしも思い込みを溶かします

ブレイディみかこさん連載『心を溶かす、水曜日』
誰しも愚かにはなりたくないと思って生きている。確かに、愚かなふりをしたほうが突破できる局面はある。が、それにしたってあくまでも「ふり」であり、本当に愚かになりたいと思っている人はあまりいないだろう。

人を愚かにしてしまう大きな要因の一つが、「思い込み」だ。「固定観念」と言い換えることもできる。これは大まかに分けると二つに分かれ、一つ目は、世間的にそういうことになっているから、あるいは、一般的にそういうことだと言われているから、というもの。そして二つ目は、個人的な経験によって自分の中に育んでいる「思い込み」だ。が、はっきり言って前者よりも後者のほうが、よっぽど厄介で根深い。

例えば、このわたしがその恰好の例である。MORE読者世代のみなさんとオンラインで話したとき、ベンチャー企業で働いているDさんが、職場で社内恋愛禁止令が出ていると言った。彼女の職場では、社長自らが社内恋愛をして、恋愛関係が破綻したときに貴重な戦力だった女性社員が辞めてしまった。そのときに困ったので、それ以降、「社内恋愛はするな」というオフレが出ているという。

いまどき、なんという時代錯誤な。そんな人間の恋する権利をふみにじることをするなんて、私の住む英国ではバカバカしいと言われるに違いない。とっさにそう思った。が、息巻いてネット検索をしていたら、複数の英語のサイトでこの問題についての記事を見つけてしまったのである。どれも同じような内容で、米国では社内恋愛を禁じたり制限したりする企業が多いが、英国では人権に関する法に触れるので会社側がそんなことをするのは難しい。しかしながら、できればそうしたいと思っている企業が少なくない、と書かれていたのだ。

え、と驚いたが、実はもっとびっくりしたのは、2年前に行われたオンライン調査の結果だった。どうやら英国では、Z世代と呼ばれる若い人々の多くが社内恋愛を禁止すべきと考えているらしい。18歳から22歳までの人々の71%が社内で恋人を見つけることは適切ではないと答えたそうで、特に男性のほうがその傾向が強いようだ。男性の60%、女性の47%が、オフィスでいいなと思う人がいても、それをそこから先に発展させるのには躊躇すると答えたそうだ。

とは言え、その理由は、仕事に支障が出るからとか、倫理的に間違っているとかいうものではなかった。英国のZ世代の男性たちは、シングルの同僚に対して無神経だから社内恋愛はすべきではないと考えているという。つまり、同僚に不快な思いを与えたくないのである。さらに、性的目的で自分を食い物にしようとしているのではないかと女性に思われることを恐れ、男性はなかなか声がかけられないらしい。

なんというか、英国の若い男性たちはとても繊細なのである(女性のほうが気にする人が少ないところが面白い)。

「社内恋愛禁止なんて英国ではバカバカしいと言われる」というのは、わたし自身の誤った思い込みでした。すみません、反省します。

というわけで、週の真ん中の水曜日あたり、わたしもゆっくり熱いバスにつかって自分の頭の中の思い込みを溶かしてみたいと思う。海外に行くと、日本で培った思い込みがことごとく打ち壊されるが、海外生活が長くなると、今度は海外で培った思い込みも壊されることに直面する。

新たな世代は新たな考え方をするからである。

けれども社内恋愛の問題はけっこう厄介で、そうは言っても社内で恋愛の相手を見つけたと答えた人の数は、BARと答えた人に次いで2位になり、いまや主流と思われていたオンラインよりも多かったらしい。「わかっちゃいるけど……」というのが本音のところだろうか。

PROFILE

ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数
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イラスト/Aki Ishibashi