12星座全体の運勢

「見せるための花はいらない」 

すでに青葉若葉が目に鮮やかになってきましたが、暦の上で夏の始まりを告げる「立夏」にほど近い5月1日には、おうし座10度(数えで11度)で新月を迎えていきます。 

おうし座11度のサビアンシンボルは「花の畝に水を撒く女」。みずからを耕し、ケアすること、洗練させることを象徴する度数であり、さらに今回の新月は「理想と刷新」の天王星と重なる形で起きていきますから、自分を取り巻く世界を変えるためにいつも以上に大胆な態度表明を行ないやすいタイミングといえます。 

それを踏まえた上で、今回の新月のテーマをあえて一言でいうならば、「見せるための花はいらない」ということになるのではないでしょうか。 

例えばイチジクの花は、花が見えないまま、いきなり果実が育ち始め、花はその果実の真ん中に隠れていますが、人間に置き換えてみるとそのような人は滅多に見かけないはずです。 

というのも、いまの社会ではいかに自分をよく見せ、市場価値や評価を高められるか、高くもしくは長く買ってもらうかということが過剰に重視されており、結果的に自意識にがんじがらめになったり、生い茂る雑草のような自分の目立たない側面を過小評価したり、身体的ないし精神的な健康ということが疎かになったりして、美しいとは本来どういうことなのか、ますます分からなくなっているように感じるからです。 

その意味で、今回の新月ではどんなに常識に反してもいい、モテなくても見向きもされなくていい、他ならぬ自分自身を喜ばすための時間を確保し、そうした取り組みに方向性を切り替えていくために、どれだけそれ以外の部分、すなわち「誰かに見せるための花」やそのための手間ひまを、思い切って切り捨てることができるかが問われていくでしょう。 
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乙女座(おとめ座)

今期のおとめ座のキーワードは、「ギリシャ悲劇的な意志観」。

乙女座のイラスト
悲劇というのは、主人公が何らかの抗しがたい運命に巻き込まれ、自分の思うとおりに行為できないものですが、その意味で、現代人の多くはしらずしらずのうちに何らかの形で悲劇を生きているのかも知れません。 
 
こうしたいけど、なかなかできない。または、何気なくやってしまったことが思いがけない結果をもたらしてしまう。仕事であれ婚活であれ人間関係であれ、私たちは日々、手綱のきかない暴れ馬のような現実に振り回されているかのようです。 
 
ただ、興味深いことに悲劇が盛んに作られ、語られた古代ギリシャには、今日の近代的な自立した人間像を共有している私たちがイメージするような意味での意志の概念をあらわす言葉さえありませんでした。その点について、ギリシャ学者のヴェルナンは『ギリシャ思想の起原』において、悲劇における登場人物たちには加害者である側面と被害者である側面が混ざり合っているけれど、それらは決して混同されることなくその両方の側面があるのだという、大変重要な指摘をしています。 
 
もちろん近代的な考え方ではそんな矛盾した立場は認められませんが、ヴェルナンは運命の強制力と人間の自由意志の力の両方を肯定していくところこそが、ギリシャ悲劇の不思議さであり、魅力なのだと考えたていたのです。 
 
例えば、『オイディプス王』において、オイディプスはダイモーン(神霊)によって引き起こされた自身の身に起きた不幸(そうとは知らずに父を殺し、母を娶った)と自分で引き起こした不幸(目を潰した)について、同時に語りつつも、決してそのどちらか一方を他方のせいにしたりはしませんでした。 
 
コロス:おお、恐ろしいことをなされたお人、どうしてこのようにお目を損なわれた。いかなる神がそそのかした。 
オイディプス:アポロンだ、友よ、アポロンだ、この、おれのにがいにがい苦しみを成就させたのは。だが眼をえぐったのは、誰でもない、不幸なこのおれの手だ。なにとて眼明きであることがあろう、眼が見えたとて何一つ楽しいものが見えぬおれに。」 
 
同様に、5月1日におとめ座から数えて「探求」を意味する9番目のおうし座で新月を迎えていく今期のあなたもまた、自身の現実や人生に対して、神霊的な力によってある種運命的にもたらされた側面を認めていくことによって、かえって自分自身の選択によってもたらした側面やもたらしていけるだろう未来がはっきりとしてくるはずです。 
 
 
参考:J.P.ヴェルナン、吉田敦彦訳、『ギリシャ思想の起原』(みすず書房) 
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<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ