12星座全体の運勢

「見せるための花はいらない」 

すでに青葉若葉が目に鮮やかになってきましたが、暦の上で夏の始まりを告げる「立夏」にほど近い5月1日には、おうし座10度(数えで11度)で新月を迎えていきます。 

おうし座11度のサビアンシンボルは「花の畝に水を撒く女」。みずからを耕し、ケアすること、洗練させることを象徴する度数であり、さらに今回の新月は「理想と刷新」の天王星と重なる形で起きていきますから、自分を取り巻く世界を変えるためにいつも以上に大胆な態度表明を行ないやすいタイミングといえます。 

それを踏まえた上で、今回の新月のテーマをあえて一言でいうならば、「見せるための花はいらない」ということになるのではないでしょうか。 

例えばイチジクの花は、花が見えないまま、いきなり果実が育ち始め、花はその果実の真ん中に隠れていますが、人間に置き換えてみるとそのような人は滅多に見かけないはずです。 

というのも、いまの社会ではいかに自分をよく見せ、市場価値や評価を高められるか、高くもしくは長く買ってもらうかということが過剰に重視されており、結果的に自意識にがんじがらめになったり、生い茂る雑草のような自分の目立たない側面を過小評価したり、身体的ないし精神的な健康ということが疎かになったりして、美しいとは本来どういうことなのか、ますます分からなくなっているように感じるからです。 

その意味で、今回の新月ではどんなに常識に反してもいい、モテなくても見向きもされなくていい、他ならぬ自分自身を喜ばすための時間を確保し、そうした取り組みに方向性を切り替えていくために、どれだけそれ以外の部分、すなわち「誰かに見せるための花」やそのための手間ひまを、思い切って切り捨てることができるかが問われていくでしょう。 
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蠍座(さそり座)

今期のさそり座のキーワードは、「サービス行為としての悪口」。

蠍座のイラスト
「若者の未来の自由は、親を切り捨て、古い家族関係を崩すことから始まる―。愛情過多の父母、精神的に乳離れできない子どもにとって、ほんとうに必要なことは何なのか?」 
 
そう銘打たれた寺山修司の『家出のすすめ』が1972年に刊行されてから、今年でちょうど50年がたちました。50年といえば、47歳で没した寺山本人の人生よりも長い月日であり、これは寺山がすでに現代人にとって父の世代から祖父の世代の人物となったことの証しでもあるように思います。 
 
本書は表題にもなっている「家出のすすめ」のほか、「悪徳のすすめ」「反俗のすすめ」「自立のすすめ」という4つの章からなっていますが、このうち「悪徳」の箇所から目を引いた一節を引用しておきます。 
 
だいたい、他人の悪口をいうというのは、サービス行為であります。いいながら、自分もすこしは爽快な気分になりますが、いわれる相手がつねに主役であり、いっている自分が脇役であるということを思えば、「いわれている当人」ほど爽快な気分とはいえません。キリストは「右の頬を打たれたら、左の頬をさし出せ」と言ったそうですが、これは右手で百円もらったら、左の手もさし出せ」というのと論理的におなじであり、かなり物欲しい教えであるようにおもわれます。だから、悪口をいわれたら、悪口をもってこたえねばならない。それが友情であり、義理というものであります。」 
 
寺山は「友情」という言葉を使っていますが、何かと世間の評判やSNSでのちょっとした言動がフューチャーされがちな現代においては、こうした意味での友情はきわめて成り立ちにくいものとなってしまったように思います。 
 
代わりに、互いの傷をなめあうジメジメとした沼のような集まりや、当たり障りのない世間話や自己愛を担保するための社交辞令ばかりが飛び交う“大人”の集まりが目立ちつつも、じつは「心は孤独な現代人」というオチに回収され続けている訳ですが、それもこれも、寺山が言うところの「物欲しい教え」を卑しいとか美しくないと感じる感覚や美意識がすっかり麻痺してしまっているからなのかも知れません。 
 
その意味で、5月1日にさそり座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のおうし座で新月を迎えていく今期のあなたもまた、無意識のうちになれ合いに陥っていた関係性を脱し、あるべき大人の交友をするべく、「悪口にたいして悪口でこたえる」くらいの潔さを発揮していきたいものです。 
 
 
参考:寺山修司『家出のすすめ』(角川文庫) 
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<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ