憧れの先輩に聞く、“私が選んだ今とこれから” 

hitomiさん48歳 「自分の選択に納得できていれば、どんな逆境も乗り越えられる」

等身大の歌詞で多くの人の心に寄り添うシンガーソングライターのhitomiさんにインタビュー。CDデビューの夢を叶えた18歳から現在に至るまで変わることなく輝きを放ち続ける秘訣には、どんな時も挑戦を恐れず、心の声に正直に歩んできた時間がありました。

hitomiさん
hitomiさん

「自分の人生を生きる」と信じて、夢に向かって一直線だった10代

「嘘のない世界をつくるためのメッセージを届けられる人になりたい」。小学生になるかならないかの頃、そんな想いが芽生え始めた私にとっての手段が“歌うこと”でした。その夢を叶えるために履歴書を送った先のひとつが、ディスコで開催されたコンテスト。ただ、コンテストの対象年齢は18歳以上だったので、まだ16歳だった私は参加できなくて。そこで退けられた履歴書がたまたまプロデュース業をしたいと考えられていた小室哲哉さんの目にとまって、ある日突然、運営の方を通して「コンテストには出られないけど小室さんがビデオレターを送ってほしいそうです」という連絡をいただきました。当時の音楽シーンはバンド全盛期で、私が好きだったジャンルもロック。でも、とりあえず歌うことができれば、導入部分は何だっていいだろうと(笑)。そんな気持ちで、思い切ってこの世界に飛び込みました。

行動力は、昔からあるほうだったと思います。しかも、私が10代や20代だった時代は、よしとされるのが根性論だったんですよね。何事も「お前の根性、見せてみろ!」みたいな(笑)。その考え方が今の若い人たちに通用するかはわからないけど、やりたいことに向かって突き進むには「自分の人生を生きる」って思うことが大切なんじゃないかな。他人に動かされるんじゃなくて、自分が自分の選択に納得すること。15歳になった娘を見ていても、「これは自らすすんでやるんだね」っていうことと「これはやる気がないんだな」っていうことの差が本当にハッキリしているんです。人間の行動力は周りがとやかく言ったところで変えられないから、親は子供を見守るしかないんだなって、日々思わされています(笑)。

hitomiさん

突っ走ったからこその失敗も。私には、あの20代が必要だった

18歳の時に、小室さんプロデュースのシングルでCDデビュー。その頃のことを振り返ると、小室さんがプロデューサーとして世の中に影響を与えていくスピード感と勢いに圧倒されながら、「私って何なんだろう?」という気持ちが次第に大きくなっていったことを覚えています。プロデュースされる側の人間として自分をどう表現するべきなのかを考えるうちに、生意気にも、どこかお人形になったような感覚に陥ってしまったんですよね。

22歳の頃、小室さんのもとを離れてからは、ギターを習い始めて自作の曲をなんとか形にしたり、セルフプロデュースをすると決めてCDのジャケ写も人間臭さみたいなものにこだわるようになりました。全速力で走り続けてきたことで『LOVE 2000』や『SAMURAI DRIVE』といったみなさんに聴いていただける曲をつくることはできたんですけど、そのいっぽうですごく空虚な気持ちになってしまったことも事実。そこで、子供の頃に抱いていた「自分の歌で世の中を変えていきたい」と同じくらいの夢だった「幸せな家庭を持ちたい」にフォーカスを当てるようになっていって、26歳の時に1回目の結婚をしました。

そんな私の20代をひと言で表すとしたら……いろいろあったなって。小室さんから離れてセルフプロデュースを始めて、みなさんに聴いていただける曲ができて、そこからまたCDが売れなくなる経験もしたし、結婚はしたもののうまくいかなくて……決して美しくはない時間でした。20代って、突っ走っちゃうし、突っ走れちゃうんですよね。やると決めたら一直線に進んでしまう性格の私は、特に(笑)。今の自分なら、「もうちょっと落ち着いて物事を考えようね」って声をかけるかもしれない。でも、突っ走ったからこその失敗を通して気づけたこともたくさんあったので、私にはあの20代が必要だったのかなとも思うんです。

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つい頑張りすぎてしまう“お母さん業”は、ときどき休むことも大切に

30歳になった時、私のもとに飛び込んできたのは役者のオファーでした。歌手と役者は同じ表現する仕事でありながら、やるべきことは正反対。hitomiだけを表現すればいい歌手業に対して、別の誰かを演じる役者業ではhitomiはまったくいらないんですよね。戸惑うことだらけで大変な日々ではあったけど、役者の勉強を始めてみたら、それまでは強くて負けず嫌いなhitomiのイメージを貫くことに必死だった私が「だらしない自分でもいいんだ」と思えるようになったことは大きかったです。肩の荷をちょっとずつ降ろせたことで人としてやわらかくなって、歌い方や表現の仕方も変わっていったんじゃないかと思います。

48歳になった今は、4人の子供を持つ母親。息子が通う小学校で運動会のようなイベントがある時は学校周辺のパトロールをしますし、今朝も5時起きでプレスクールに通っている3歳の息子のお弁当をつくってから仕事場に来ました(笑)。“お母さん業”って、つい頑張りすぎちゃうところがあると思うんですけど、それで体調を崩したら元も子もないから、疲れたらサボることも大事。うちの場合は子供が起きている時間は家じゅう大運動会で自分のことなんてまったく考えられないので、夜中に起きてひとりでお風呂に入りながらボーッとしたり本を読んだりして、心の声に耳を傾ける時間をつくるようにしています。たまには、アイスの“ピノ”やカップラーメンを食べて、暴飲暴食もしますよ(笑)。

これからも、歌手業やタレント業に関しては、楽しめる範囲でできることをしていきたい。今は子育てという大きな仕事があるので、ほかを頑張りすぎて子供たちの一瞬一瞬や成長を見逃すことがないように、毎日を過ごしていけたらと思っています。

hitomiさん

あの頃の私へ、伝えたいこと

ずっと夢中になれるものに出会ってほしい

20代〜30代の間は、仕事も趣味も興味のあることは何でも挑戦してみるべき。違うと感じたらやめることも、ひとつの方法だと思います。そして、私にとっての歌のように、続けたくなる何かに出会ってほしいです。

20代のころ

20代のころ

20代のころのhitomiさん

20代のころ

20代のころのhitomiさん

20代のころ

20代のころのhitomiさん

20代のころ

2001年のノンノのカバー画像

ノンノ2001年12月号・撮影/吉村春海

2001年のノンノのカバー

ノンノ2001年5月号・撮影/吉村春海

hitomi’s 48years

18歳 小室哲哉氏プロデュースのシングル『Let’s Play Winter』でCDデビュー

19歳 3rdシングル『CANDY GIRL』が39万枚の大ヒット

23歳 初のベストアルバム『h』が約50万枚を売り上げる

24歳 17枚目のシングル『LOVE 2000』を発売し
   自身最大のロングヒット作となる

26歳 結婚

31歳 映画『悪夢探偵』で長編映画初出演 

32歳 再婚、第一子出産

38歳 再々婚、第二子出産

40歳 第三子出産

44歳 第四子出産

hitomi

ひとみ●1976年1月26日生まれ。1994年11月21日にCDデビューし、数多くのヒット曲を持つ。2019年には『LOVE 2000』を今の気持ちにリメイクした『LOVE 2020』をリリースした。今年11月にデビュー30周年を控え、オフィシャルファンクラブ『frontier』を開設するなど、多方面で活躍中。オフィシャルサイト■https://hitomilovelife.net/

撮影/川原崎宣喜 ヘア&メイク/松田美穂(アルール) 取材・原文/吉川由希子