Sexy Zoneデビュー10周年記念インタビュー特集 - 5人で積み重ねてきた歴史の答え合わせ
デビュー10周年を迎えたSexy Zone。彼らの魅力をひもとくインタビュー特集
2021年11月16日のSexy Zoneデビュー10周年を記念して、MORE誌上で“セクゾ祭り”を開催!!!!! 盛りだくさんのコンテンツでひもとく彼らの個性とキャラクター、5人で積み重ねてきた歴史の答え合わせ、10年分のSexy Zoneの“ONE BY ONE”な魅力の数々。これを読めば、彼らのことがもっともっと大好きになる♡
【Sexy Zone 10thインタビュー】中島健人
中島健人を構成する「10のキーワード」
なかじま・けんと●1994年3月13日生まれ、東京都出身。2011年にSexy Zoneとしてデビュー後、音楽業だけでなく俳優としても活躍。主演ドラマ『彼女はキレイだった』(フジテレビ系・火曜21:00〜)が7月6日よりスタート!
中島健人を構成する「10のキーワード」
【1】負けず嫌い
「力が入るとから回ってしまうから今は“抜く”ことも意識しているけれど、大事なものに対してはやっぱり思う。『絶対に負けたくない』って」(中島健人、以下同)
中島健人を構成する「10のキーワード」
【2】ドジ男子
「必死に『ないない!』と探しているものはたいてい目の前か、かばんの中にある。よく転ぶ、つまずく、ぶつかる、オッチョコチョイ。プライベートの中島健人は抜けている」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【3】没入力
「中島健人は0か100かの男。スイッチが入るとゾーンに入る、周りが見えなくなる、時間を忘れて没入する」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【4】王子様
「厳しい母から叩き込まれたレディファースト精神」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【5】プライド
「プライドは高いと思う。でもそれは、ジャニーズ、グループ、作品……。“自分が大切にしているもの”に対して持つ誇り。自分を守るためのよけいなプライドはずいぶん前に捨てました(笑)」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【6】怠け者
「歩いた先々で電気もテレビも全部つけっぱなし。昼なのに間接照明がついたままの部屋でベッドに寝転びゲームをし続け、玄関先に置いてもらったデリバリーを30分放置。0か100かの男はスイッチが切れると急にダメになる」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【7】キング·オブ·ホスピタリティ
「いつなんどきも周りにいる人のことが気になってしまう。この性格は昔から。『気遣いができる』とほめられることもあるけど疲れることも。そんな自分がたまに面倒臭い」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【8】ハリウッド
「子供の頃から映画が好き。家族と観てきたハリウッド作品は中島健人をつくってきたもののひとつ。ハリウッドはいつかたどり着きたい場所」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【9】収集癖
「幼い頃から集めている『遊戯王カード』をはじめ、好きなものを収集し続けるくせがある。マグカップ、映画のパンフレット、今までもらったファンレターも大事にとってありますからね」
中島健人を構成する「10のキーワード」
【10】ロマンティック
「今では仲のよい粗品さん(霜降り明星)と初めて食事をした時も、バラの花をプレゼント。男女問わず喜びを贈るのが中島健人の人生のマナー」
中島健人のロングインタビュー
中島健人さんが語る、グループへの熱い思い
甘いルックスと甘い言葉、完璧なパフォーマンス、そして、ユーモアあふれるおちゃめな素顔で世の女性たちを虜にする現代の“王子様”。ステージ上はもちろんのこと、ドラマや映画やバラエティ番組でも圧倒的な存在感を放ち、最年長メンバーとしてグループを牽引してきた中島健人さん。彼がSexy Zoneとしてデビューしたのは17歳の頃。当時の記憶を振り返ってもらうと、まず飛び出したのがこの言葉だった。
中島「2011年9月29日、帝国劇場で行った結成&デビュー会見。それがSexy Zoneの始まりだったんですけど。そこで思ったのは“オレはなんでここにいるんだろう。こんなはずじゃなかった”。それが当時の自分の正直な感想だったんですよ」
中島「2011年9月29日、帝国劇場で行った結成&デビュー会見。それがSexy Zoneの始まりだったんですけど。そこで思ったのは“オレはなんでここにいるんだろう。こんなはずじゃなかった”。それが当時の自分の正直な感想だったんですよ」
「こんなはずじゃなかった」その思いからすべては始まった
中島さんがジャニーズ事務所に入ったのは14歳の頃。所属して間もなく、菊池風磨、松村北斗、髙地優吾と共にB.I.Shadowとして活躍するように。『Myojo』の投票企画「あなたが選ぶJr.大賞」では2年連続で1位を受賞。中島さんはデビュー前から注目を集める存在だった。
中島「偉そうな言葉に聞こえてしまうかもしれないけど……。自分でも、そのために死ぬほど努力もしていた。オレ、Sexy Zoneの前に中山優馬 w/B.I.ShadowやNYC boysとしてCDデビューしているんですけど。そこでの立ち位置は端っこか後列で。正式デビューする時は真ん中に立ちたい、その強い思いを糧に突き進んできたんですよ。なのに、デビュー時自分が立っていたのはまたもや後列。しかも、目の前にいるのはついこないだ事務所に入ったばかりの“可愛い後輩”だった年下3人。17歳の自分にはその現実を受け入れることができなくて……。悔しくて、悔しくて、何度も家でひとりで泣きましたからね」
平均年齢約14歳、ジャニーズ史上最年少グループとして華々しくデビューしたSexy Zoneだが、世間の注目度とは裏腹に「メンバーの関係性はガタガタでした」とデビュー当時を振り返る。
中島「話し合おうと思っても、松島(聡)は13歳、(佐藤)勝利は14歳、最年少のマリウス(葉)に関しては11歳。Jr.経験も短く、年も離れていて話し合いすらまともにできなくて。今でこそみんな大人になって年齢差を感じることはなくなったけど、当時はそれをすごく大きく感じた。さらに、菊池(風磨)に関しては反抗期の真っ最中(笑)。そういうオレも同じでまだまだ未熟で幼かった。今思えば、年下チームも大変な思いをしていたと思うんですよ。経験もノウハウも少ないままデビューしてしまったからこそ戸惑うことも多かっただろうし、勝利に関してはまったくかみあわないグループのセンターという重荷を背負わされて苦しい思いをしていたと思う。大人になった今ならそれがわかるんだけど。当時は自分の悔しさばかりに目がいって、メンバーのことまで考える余裕が自分にはなかったんですよね」
念願のデビューを果たしたものの「この先、どうなってしまうのか。どうしたらいいのかすらもわからない」そんな不安を感じる毎日。
中島「デビュー当時の映像を観てもらえればわかると思うんですけど。あの頃のオレ、無理して笑ってるんですよ。それが伝わってしまったのか、ジャニーさんから“ユーの笑顔、気持ち悪いよ”と言われて落ち込んだこともあったりして……。何をしてもうまくいかない、それがオレにとっての“Sexy Zone創成期”でした」
ずっと後ろ向きだった気持ちが前を向き始めたのは、デビューから約1年半後、ドラマ『BAD BOYS J』の主役を演じた時だった。
中島「初めて作品の真ん中に立ったことで、それまでグループの立ち位置にこだわっていた自分を捨てることができたというか。前とか後ろとか関係なく、自分が立っている場所で輝けばいいんだって、そう思えるようになったんですよ。そこで、自分ではなくグループのことをあらためて真剣に考えるように。このままだとグループはダメになる、自分にできることはなんなのか……。そこで、決意したんです。最年長である自分がしっかり引っぱっていこう、グループのことを、メンバーのことを、より多くの人に知ってもらうために自分が“入口”になろうと。外に出る時はその思いで戦うことを心に決めたんです。Sexy Zoneという名刺を大量に抱え、多くの人にばらまくために」
中島「偉そうな言葉に聞こえてしまうかもしれないけど……。自分でも、そのために死ぬほど努力もしていた。オレ、Sexy Zoneの前に中山優馬 w/B.I.ShadowやNYC boysとしてCDデビューしているんですけど。そこでの立ち位置は端っこか後列で。正式デビューする時は真ん中に立ちたい、その強い思いを糧に突き進んできたんですよ。なのに、デビュー時自分が立っていたのはまたもや後列。しかも、目の前にいるのはついこないだ事務所に入ったばかりの“可愛い後輩”だった年下3人。17歳の自分にはその現実を受け入れることができなくて……。悔しくて、悔しくて、何度も家でひとりで泣きましたからね」
平均年齢約14歳、ジャニーズ史上最年少グループとして華々しくデビューしたSexy Zoneだが、世間の注目度とは裏腹に「メンバーの関係性はガタガタでした」とデビュー当時を振り返る。
中島「話し合おうと思っても、松島(聡)は13歳、(佐藤)勝利は14歳、最年少のマリウス(葉)に関しては11歳。Jr.経験も短く、年も離れていて話し合いすらまともにできなくて。今でこそみんな大人になって年齢差を感じることはなくなったけど、当時はそれをすごく大きく感じた。さらに、菊池(風磨)に関しては反抗期の真っ最中(笑)。そういうオレも同じでまだまだ未熟で幼かった。今思えば、年下チームも大変な思いをしていたと思うんですよ。経験もノウハウも少ないままデビューしてしまったからこそ戸惑うことも多かっただろうし、勝利に関してはまったくかみあわないグループのセンターという重荷を背負わされて苦しい思いをしていたと思う。大人になった今ならそれがわかるんだけど。当時は自分の悔しさばかりに目がいって、メンバーのことまで考える余裕が自分にはなかったんですよね」
念願のデビューを果たしたものの「この先、どうなってしまうのか。どうしたらいいのかすらもわからない」そんな不安を感じる毎日。
中島「デビュー当時の映像を観てもらえればわかると思うんですけど。あの頃のオレ、無理して笑ってるんですよ。それが伝わってしまったのか、ジャニーさんから“ユーの笑顔、気持ち悪いよ”と言われて落ち込んだこともあったりして……。何をしてもうまくいかない、それがオレにとっての“Sexy Zone創成期”でした」
ずっと後ろ向きだった気持ちが前を向き始めたのは、デビューから約1年半後、ドラマ『BAD BOYS J』の主役を演じた時だった。
中島「初めて作品の真ん中に立ったことで、それまでグループの立ち位置にこだわっていた自分を捨てることができたというか。前とか後ろとか関係なく、自分が立っている場所で輝けばいいんだって、そう思えるようになったんですよ。そこで、自分ではなくグループのことをあらためて真剣に考えるように。このままだとグループはダメになる、自分にできることはなんなのか……。そこで、決意したんです。最年長である自分がしっかり引っぱっていこう、グループのことを、メンバーのことを、より多くの人に知ってもらうために自分が“入口”になろうと。外に出る時はその思いで戦うことを心に決めたんです。Sexy Zoneという名刺を大量に抱え、多くの人にばらまくために」
自分の個性を探し見つけた「セクシーサンキュー!」
その言葉どおり、そこからの中島さんはドラマからバラエティ番組までジャンルレスに活躍。特に注目を集めたのが“王子様”なキャラクターと「セクシーサンキュー」をはじめとする唯一無二の語彙センスだった。
中島「ちなみに、このキャラはすでにデビュー前からあったもの。ジャニーズJr.時代から“『iPod touch』を買ったから、今日はみんなの愛にタッチしちゃうぞ”とか、そんなことばかり言っていましたからね(笑)。誕生のきっかけは、コンサートの前説に出た時にジャニーさんから言われた“ユーつまらないよ、もっと自分を出しなよ”という言葉。そこで、自分ってなんだろうと考えた時にあふれ出てきたのがこのキャラで。ジャニーズJr.の仲間からは“変なヤツ”という目で見られることもあったけど、そんなオレをジャニーさんや先輩たちは面白がってくれたんですよ」
実は「セクシーサンキュー」にもこんな誕生秘話が。
中島「初めてそれを口にしたのは新聞社の方々とのインタビュー会で。“セクシー時代にはどんな言葉がはやりますか?”という質問にこう答えたのが最初なんです。でも、会場はシーンとしちゃってだだスベり(笑)。笑ったのはジャニーさんだけだったんだけど、使い続けていたらそれが自分の武器になっていたんですよ」
誰かと同じではなく自分だけの何かを探し築き上げた個性。それが多くの人に伝わるきっかけになったのが、デビュー直後に行った8万人握手会。初めて会った喜びを口にする女の子に対して「夢の中で会ったじゃん」、靴が脱げてしまった子には「気をつけて、シンデレラ!」、甘い言葉をひとりひとりに投げかけた、その神対応は今でも語られる伝説に。
中島「握手会ってひとり1秒くらいで終わってしまうんですよね。でも、その1秒のためにみんなは何時間も並んでくれるわけで。その感謝の思いもこめて、ひとりひとりの1秒を“特別な一秒”にしたかった。自分としては当たり前のことをしていただけなんだけど、ネットやSNSでそれが広がって。気づいたらそれが自分の個性になっていた。この個性を築き上げたのは自分だけの力じゃなく、ファンのみんなのおかげでもあるんです
中島「ちなみに、このキャラはすでにデビュー前からあったもの。ジャニーズJr.時代から“『iPod touch』を買ったから、今日はみんなの愛にタッチしちゃうぞ”とか、そんなことばかり言っていましたからね(笑)。誕生のきっかけは、コンサートの前説に出た時にジャニーさんから言われた“ユーつまらないよ、もっと自分を出しなよ”という言葉。そこで、自分ってなんだろうと考えた時にあふれ出てきたのがこのキャラで。ジャニーズJr.の仲間からは“変なヤツ”という目で見られることもあったけど、そんなオレをジャニーさんや先輩たちは面白がってくれたんですよ」
実は「セクシーサンキュー」にもこんな誕生秘話が。
中島「初めてそれを口にしたのは新聞社の方々とのインタビュー会で。“セクシー時代にはどんな言葉がはやりますか?”という質問にこう答えたのが最初なんです。でも、会場はシーンとしちゃってだだスベり(笑)。笑ったのはジャニーさんだけだったんだけど、使い続けていたらそれが自分の武器になっていたんですよ」
誰かと同じではなく自分だけの何かを探し築き上げた個性。それが多くの人に伝わるきっかけになったのが、デビュー直後に行った8万人握手会。初めて会った喜びを口にする女の子に対して「夢の中で会ったじゃん」、靴が脱げてしまった子には「気をつけて、シンデレラ!」、甘い言葉をひとりひとりに投げかけた、その神対応は今でも語られる伝説に。
中島「握手会ってひとり1秒くらいで終わってしまうんですよね。でも、その1秒のためにみんなは何時間も並んでくれるわけで。その感謝の思いもこめて、ひとりひとりの1秒を“特別な一秒”にしたかった。自分としては当たり前のことをしていただけなんだけど、ネットやSNSでそれが広がって。気づいたらそれが自分の個性になっていた。この個性を築き上げたのは自分だけの力じゃなく、ファンのみんなのおかげでもあるんです
すべては「グループのため」爪あとを残すのに必死だった
そんな唯一無二の個性を武器に活躍の場をグンと広げた中島さんだが、常に心の中にあったのは「グループのため」という思いだった。
中島「とにかく爪あとを残すのに必死で、ひとつひとつの仕事に全力で挑みました。その裏にあったのは、Sexy Zoneの名刺を配りたいという強い思いだったんだけど……。それがメンバーにうまく伝わらず悩んだ時期もありました。彼らにはオレがひとりで突っ走っているように見えたのかもしれない。でもオレはオレで〝こんなに頑張っているのに、なんでわかってくれないんだよ〟と思ってしまう部分もあったりして……」
そこで飛び出したのが「今だから言えるけど、オレね、当時はメンバーのことが嫌いだったんです。〝嫌い〟という言葉は語弊があるかもしれないけど……。温度が違う、合わない、そう感じることが多かったんですよね」という言葉だった。
中島「あの頃は、生まれた溝を埋めるための話し合いができるような関係性でもなかったし、オレもまた思いをうまく伝える方法がわからずに自分の理想ばかりを押しつけていたのかもしれない。きっと、メンバーはメンバーでそんなオレに不満を持っていただろうなって、これもまた大人になった今ならわかるんだけど。当時は理解してもらえないことが、悔しかったしつらかったんだよね」
そんなグループ内の関係性が変化したのは、それぞれが自分のフィールドで活躍するようになってから。
中島「そこでやっと、お互いの大変さやそれぞれの思いを感じ取れるようになったのかもしれないし、それぞれが大人になったというのも大きいと思う。ちゃんと話し合うことができるようになって……。そこからなんだと思うんですよ、本当の意味でグループの関係性がよくなっていったのは」
そんな過去があるからこそ「今のメンバーの活躍がうれしくてしかたがない」と中島さんは言葉を続ける。
中島「ドラマ『青野くんに触りたいから死にたい』で勝利が主役を演じます、ドラマ『コタローは1人暮らし』に松島が出ます、そんな知らせを聞くたびに、オレね、今でもちょっと泣きそうになるんですよ。うれしくて。今、メンバーのことを好きかと聞かれたら……オレにとってメンバーはもう、好きとか嫌いとかそんな小さな次元で考える存在ではなくて。ただ、言えるのは誇りに思っているということ。ね、うちのメンバー面白いでしょ、みんなもっと気づいてよって、オレの中にあるのは今もそんな気持ちなんです」
中島「とにかく爪あとを残すのに必死で、ひとつひとつの仕事に全力で挑みました。その裏にあったのは、Sexy Zoneの名刺を配りたいという強い思いだったんだけど……。それがメンバーにうまく伝わらず悩んだ時期もありました。彼らにはオレがひとりで突っ走っているように見えたのかもしれない。でもオレはオレで〝こんなに頑張っているのに、なんでわかってくれないんだよ〟と思ってしまう部分もあったりして……」
そこで飛び出したのが「今だから言えるけど、オレね、当時はメンバーのことが嫌いだったんです。〝嫌い〟という言葉は語弊があるかもしれないけど……。温度が違う、合わない、そう感じることが多かったんですよね」という言葉だった。
中島「あの頃は、生まれた溝を埋めるための話し合いができるような関係性でもなかったし、オレもまた思いをうまく伝える方法がわからずに自分の理想ばかりを押しつけていたのかもしれない。きっと、メンバーはメンバーでそんなオレに不満を持っていただろうなって、これもまた大人になった今ならわかるんだけど。当時は理解してもらえないことが、悔しかったしつらかったんだよね」
そんなグループ内の関係性が変化したのは、それぞれが自分のフィールドで活躍するようになってから。
中島「そこでやっと、お互いの大変さやそれぞれの思いを感じ取れるようになったのかもしれないし、それぞれが大人になったというのも大きいと思う。ちゃんと話し合うことができるようになって……。そこからなんだと思うんですよ、本当の意味でグループの関係性がよくなっていったのは」
そんな過去があるからこそ「今のメンバーの活躍がうれしくてしかたがない」と中島さんは言葉を続ける。
中島「ドラマ『青野くんに触りたいから死にたい』で勝利が主役を演じます、ドラマ『コタローは1人暮らし』に松島が出ます、そんな知らせを聞くたびに、オレね、今でもちょっと泣きそうになるんですよ。うれしくて。今、メンバーのことを好きかと聞かれたら……オレにとってメンバーはもう、好きとか嫌いとかそんな小さな次元で考える存在ではなくて。ただ、言えるのは誇りに思っているということ。ね、うちのメンバー面白いでしょ、みんなもっと気づいてよって、オレの中にあるのは今もそんな気持ちなんです」
オレはパパ、菊池はママ。5人は“家族”なんだと思う
中島「B.I.Shadowの頃から、約13年間ずっと一緒に人生を歩んできた、オレにとって菊池は人生の相棒のような存在。オレの喜怒哀楽を隣でずっと見てきた人だから。たまに思うんですよ、中島健人をいちばん知っているのは彼なんじゃないかなって。それだけに、彼に対しては特別な思いがある。そして、そんな菊池がバラエティ番組を中心に、ウイットに富んだ才能を生かしている姿は本当にうれしくもあって。年下3人に関してはまた菊池に対する思いとは違う思いがオレの中にある。なんだろう、Jr.経験が浅いままデビューした彼らの成長過程を身近で見てきただけに、少し父親のような目線で見てしまうことがあるというか。松島は本当に才能豊かで。そのなかでもアイドル能力がずば抜けて高い。出会った頃はお猿さんみたいだったのに、今ではイケ散らかしちゃって、色気まで漂わせていますからね(笑)。ベイビーだったマリウスも今では“カッコいいな”と見とれるほどの立派な大人に。インテリジェンスな姿勢や知識を武器に自分の道を見つけて歩んでいるなって思う。勝利はセンターという重荷を背負わされたうえに、上と下にはさまれて、いろんなことと戦ってきたから。本当に強くなったなって思う……。その成長を感じるたびに感慨深い思いでいっぱいになることもあって」
そして「勝利からも言われたことがあるんですよ。“ケンティはパパだよね”って。その理由を尋ねたら“いつも仕事頑張ってるから”って。それを聞いて的を射ているなと思った」と中島さんは笑う。
中島「で、オレがパパなら、そのママはやっぱり菊池なんだよね。メンバーのケアをしてくれていたり、オレの知らないところでグループを支えてくれていたのはやっぱり彼で……。Sexy Zoneってグループであり家族だったんだと思うんですよ。よく“親も最初から親だったわけじゃない。子供と一緒に成長していく”って言うけど、新米パパと新米ママだったオレと菊池もきっと同じなんだと思う。で、10年後にようやく家族らしい家族になれたっていう。そこがSexy Zoneの面白いところだよね(笑)」
今はそんな家族と一緒に過ごす時間が、とても心地いいそうだ。
中島「以前は“全部、自分で背負わなきゃ”と思っていたものを、今ではメンバーが分担して背負ってくれていると思えるようになった。さらには、それぞれが担っている役割がどんどん豊かに大きくなっている気がする。そこには信頼感しかない。だからこそ今、オレの中に自分のことに集中できる余裕が生まれて。30歳までの3年間は攻めまくりたいと思っているんですよ。10周年を目前に控えた今、グループとしても、個人としても、新しいスタート地点に立ったような気持ちで。“これから”が本当に楽しみなんです」
最後に、あらためて「中島健人にとってSexy Zoneとは?」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
中島「やっぱり家族なのかな。でも、今はもう親子ではなく横並び、友達みたいな兄弟になっていると思う。年下メンバーを頼ることもあれば、彼らに教えてもらうことも多いしね。昔は同年代のグループをうらやましく思ったこともあるけれど、そうじゃなかったから、悩み迷った時期があるからこそ今の自分がいる。今は心から思っていますから。Sexy Zoneでよかったって」
そして「勝利からも言われたことがあるんですよ。“ケンティはパパだよね”って。その理由を尋ねたら“いつも仕事頑張ってるから”って。それを聞いて的を射ているなと思った」と中島さんは笑う。
中島「で、オレがパパなら、そのママはやっぱり菊池なんだよね。メンバーのケアをしてくれていたり、オレの知らないところでグループを支えてくれていたのはやっぱり彼で……。Sexy Zoneってグループであり家族だったんだと思うんですよ。よく“親も最初から親だったわけじゃない。子供と一緒に成長していく”って言うけど、新米パパと新米ママだったオレと菊池もきっと同じなんだと思う。で、10年後にようやく家族らしい家族になれたっていう。そこがSexy Zoneの面白いところだよね(笑)」
今はそんな家族と一緒に過ごす時間が、とても心地いいそうだ。
中島「以前は“全部、自分で背負わなきゃ”と思っていたものを、今ではメンバーが分担して背負ってくれていると思えるようになった。さらには、それぞれが担っている役割がどんどん豊かに大きくなっている気がする。そこには信頼感しかない。だからこそ今、オレの中に自分のことに集中できる余裕が生まれて。30歳までの3年間は攻めまくりたいと思っているんですよ。10周年を目前に控えた今、グループとしても、個人としても、新しいスタート地点に立ったような気持ちで。“これから”が本当に楽しみなんです」
最後に、あらためて「中島健人にとってSexy Zoneとは?」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
中島「やっぱり家族なのかな。でも、今はもう親子ではなく横並び、友達みたいな兄弟になっていると思う。年下メンバーを頼ることもあれば、彼らに教えてもらうことも多いしね。昔は同年代のグループをうらやましく思ったこともあるけれど、そうじゃなかったから、悩み迷った時期があるからこそ今の自分がいる。今は心から思っていますから。Sexy Zoneでよかったって」
【Sexy Zone 10thインタビュー】佐藤勝利
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
さとう・しょうり●1996年10月30日生まれ、東京都出身。Sexy Zoneの頼れるセンター。主演を務めるWOWOWオリジナルドラマ『青野くんに触りたいから死にたい』が2022年春に放送予定など、俳優としても活躍の幅を広げる
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【1】生真面目
「周りから『真面目だな』と言われることがある。『もっと柔軟になれたら』と思うことはあるけれど、自分を曲げることはやっぱりできない」(佐藤勝利、以下同)
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【2】同志
「一緒に戦う人がいるから前に進める。いつだって僕に力を届けてくれる存在」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【3】面倒くさがり
「グループ、作品、楽曲……ベクトルが好きなものに向いている時は頑張れるけど、本当の僕は面倒くさがり屋」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【4】ブレない芯
「今も昔も“大切なもの”は変わらない。変えることはできないし、変えたいとも思わない」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【5】家族
「“当たり前”だけど“大切なもの”」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【6】笑い
「“笑い”にはものすごく知力を感じる。誰かを笑顔にできる、楽しませることができる、僕もそんな人でありたいと願う」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【7】美学
「“人と同じ”は好きじゃない。自分だけの何かを探しながら、自分の道を自分の足で歩いていきたい」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【8】探究心
「小さい頃から『なんで?』を繰り返す子供だった。そんな僕に母は『疑問を持つことはよいことだ』と言ってくれた。大人になった今も僕はたくさんの『なんで?』を抱えて生きている」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【9】ハマる力
「心ひかれたものに対してはとことんハマる傾向がある。『なんでできないんだろう』、『どうしたらできるんだろう』もっと先へ、もっと奥へ、僕の興味は終わりがない」
佐藤勝利を構成する「10のキーワード」
【10】センター
「佐藤勝利の存在意義。今も昔もこれからも、ずっと大切にしていきたいもの」
佐藤勝利のロングインタビュー
佐藤勝利さんが語る、グループへの熱い思い
佐藤「僕、芸能界にはまったく興味がなかったんです。この世界に入る前は音楽番組すらまともに観たことがなかったし、自分の外見を気にしたこともなかった。そんな自分がまさかエンターテインメントの世界に飛び込むことになるなんて、本当に想像もしていなかったんですよ」
デビューから約10年、Sexy Zoneのセンターとして、ステージの真ん中で圧倒的な輝きを放ち続けてきた佐藤勝利さん。彼の物語はそんな意外な言葉からスタートした。
佐藤「ジャニーズ事務所のオーディションも自分からではなく、母に半ば無理やり連れていかれて参加したんです。ただ、その会場でスイッチが入った。扉を開けた先は夢や目標に向かって突き進む人たちの強い意志と熱気にあふれていて。幼い僕にとって、初めて目にしたその光景はとても衝撃的でした。そんな人たちの前で何もできない自分が悔しかった、負けたくない、勝ちたいと思った……。その思いがこの世界に飛び込む大きなきっかけになったんです」
まったく興味のなかった世界に足を踏み入れたのは「ジャニーさんの存在も大きい」と佐藤さんは続ける。
佐藤「僕は幼い頃から“誰かと同じ”が好きじゃなくて。変わっているもの、面白いもの、普通じゃないものが好きでした。そんな僕の興味を引いたのがジャニーさんだったんです。今までつくり上げてきたものも唯一無二なら、ジャニーさんという存在も唯一無二。すごいな、面白いな、変わっている人だなって(笑)。そんな大人に出会ったのが初めてだったので。何を考えているのか、気になったし知りたかった。また、ジャニーさんはそれまでエンタメに触れたことがなかった僕にいろんな世界を見せてくれたんです。そのひとつひとつが僕にとっては衝撃的で、それもまた僕の好奇心や探究心をかき立てたんですよね」
デビューから約10年、Sexy Zoneのセンターとして、ステージの真ん中で圧倒的な輝きを放ち続けてきた佐藤勝利さん。彼の物語はそんな意外な言葉からスタートした。
佐藤「ジャニーズ事務所のオーディションも自分からではなく、母に半ば無理やり連れていかれて参加したんです。ただ、その会場でスイッチが入った。扉を開けた先は夢や目標に向かって突き進む人たちの強い意志と熱気にあふれていて。幼い僕にとって、初めて目にしたその光景はとても衝撃的でした。そんな人たちの前で何もできない自分が悔しかった、負けたくない、勝ちたいと思った……。その思いがこの世界に飛び込む大きなきっかけになったんです」
まったく興味のなかった世界に足を踏み入れたのは「ジャニーさんの存在も大きい」と佐藤さんは続ける。
佐藤「僕は幼い頃から“誰かと同じ”が好きじゃなくて。変わっているもの、面白いもの、普通じゃないものが好きでした。そんな僕の興味を引いたのがジャニーさんだったんです。今までつくり上げてきたものも唯一無二なら、ジャニーさんという存在も唯一無二。すごいな、面白いな、変わっている人だなって(笑)。そんな大人に出会ったのが初めてだったので。何を考えているのか、気になったし知りたかった。また、ジャニーさんはそれまでエンタメに触れたことがなかった僕にいろんな世界を見せてくれたんです。そのひとつひとつが僕にとっては衝撃的で、それもまた僕の好奇心や探究心をかき立てたんですよね」
デビューして砕け散った幼さゆえの“根拠なき自信”
14歳の誕生日にジャニーズ事務所に入所、そして、その11カ月後にはSexy Zoneが結成。異例とも言えるスピードでデビューへの階段を駆け上がった佐藤さん。
佐藤「周りからは“早い”と言われたけど、デビューが決まった時に僕は正直あまり驚かなかったんです。その理由は“自分はデビューできる”と信じていたから。強気というか、無邪気というか、当時の僕は妙に根拠のない自信を持っていて。センターを任された時も同じ。ジャニーさんから“YOUは真ん中だよ”と言われ続けていたのもあって、なんの疑問も持たずに“そうですよね”とすんなり受け入れている自分がいたんですよ。今振り返れば、そんなふうに思えたのはきっと、無知だったからなんだと思う。よくも悪くも何も知らなかったからこそ、ある意味、純粋にすべてを受け入れることができたというか。でも、それは決して悪いことではなくて。あの頃の写真を見返すと、当時の僕はすごく“強い目”をしているんですよ。まあ、それも経験を積み重ねる中で自分の無力さを痛感して、しだいに変わっていくんですけどね(笑)」
未知なる世界に飛び込んだ佐藤さんを支えていた“無知ゆえの根拠なき自信”。しかし、それはデビューして間もなく砕け散ることになる。
佐藤「デビューするということは、グループ名の看板を背負い、佐藤勝利という名前を掲げ、表舞台で勝負すること。もちろん、何をするにも評価を伴うようになるわけで。そこで、僕は自分が何もできないということを痛感することになるんです。今でも忘れられないのが、サポーターを務めさせていただいたバレーボール大会の生放送。時間内にコメントを収めることも、VTRの振りすらまともにできなくて。進行を間違えてあわや放送事故が起きそうになったことも。僕だけでなく最年長のケンティ(中島健人)まで一緒に怒られてしまい落ち込むこともあったし……。初めてのドラマ『ハングリー!』も挫折の嵐でした。求められることに応えることができない、柔軟に対応できない、まともな芝居ができない。それはもう、かなり落ち込んで。15歳ながらに思いましたからね。もうドラマの仕事は来ないかもしれない、僕の人生終わったなって」
佐藤「周りからは“早い”と言われたけど、デビューが決まった時に僕は正直あまり驚かなかったんです。その理由は“自分はデビューできる”と信じていたから。強気というか、無邪気というか、当時の僕は妙に根拠のない自信を持っていて。センターを任された時も同じ。ジャニーさんから“YOUは真ん中だよ”と言われ続けていたのもあって、なんの疑問も持たずに“そうですよね”とすんなり受け入れている自分がいたんですよ。今振り返れば、そんなふうに思えたのはきっと、無知だったからなんだと思う。よくも悪くも何も知らなかったからこそ、ある意味、純粋にすべてを受け入れることができたというか。でも、それは決して悪いことではなくて。あの頃の写真を見返すと、当時の僕はすごく“強い目”をしているんですよ。まあ、それも経験を積み重ねる中で自分の無力さを痛感して、しだいに変わっていくんですけどね(笑)」
未知なる世界に飛び込んだ佐藤さんを支えていた“無知ゆえの根拠なき自信”。しかし、それはデビューして間もなく砕け散ることになる。
佐藤「デビューするということは、グループ名の看板を背負い、佐藤勝利という名前を掲げ、表舞台で勝負すること。もちろん、何をするにも評価を伴うようになるわけで。そこで、僕は自分が何もできないということを痛感することになるんです。今でも忘れられないのが、サポーターを務めさせていただいたバレーボール大会の生放送。時間内にコメントを収めることも、VTRの振りすらまともにできなくて。進行を間違えてあわや放送事故が起きそうになったことも。僕だけでなく最年長のケンティ(中島健人)まで一緒に怒られてしまい落ち込むこともあったし……。初めてのドラマ『ハングリー!』も挫折の嵐でした。求められることに応えることができない、柔軟に対応できない、まともな芝居ができない。それはもう、かなり落ち込んで。15歳ながらに思いましたからね。もうドラマの仕事は来ないかもしれない、僕の人生終わったなって」
気づけば攻撃から守備へ。臆病になっている自分がいた
センターポジションと華やかな経歴ゆえに“恵まれたアイドル”というイメージを持たれがちな佐藤さんだが、実はその歩みの裏側にはたくさんの苦悩や葛藤が存在している。
佐藤「今でこそ、松島(聡)とは親友みたいに仲がいいんだけど。実はデビュー前後、彼と少しバチバチしていた時期があったんですよ。年齢が近い彼に対しては負けたくないという想いもあったし、ある意味、ライバルみたいな存在だったのかもしれない。一時期、ジャニーズJr.の間で“すごい歌がうまいヤツがいる”と話題になったことがあって。それが松島だったんですよね。さらに、彼はダンスのうまさでもすでに注目を集めていて。それが悔しかったんだと思う。歌もダンスもできない、そんなコンプレックスが僕の中にずっとあったから……」
ここで、佐藤さんが続けたのが「僕は決して器用な人間ではないんです」という言葉だった。
佐藤「自分はいろんなものが足りない、できないことがたくさんある、それを自覚するようになってからはグループの中での意識も変わりました。ひと言で言うと“攻撃”ではなく“守備”に回るようになったというか。メンバーはよく僕のことを“グループを俯瞰することのできる、Sexy Zoneのバランサー”と言ってくれるんですけど。それは、僕にできることがそこしかなかったからなんです。歌やダンスがうまければ、もっと前に出て攻撃に徹することもできたかもしれない。でも、僕にはその力がない。だからこそ、欠けている能力を補填するように守備に徹したというか。それが正解だったのか不正解だったのか、今でもよくわからないけれど……。あの頃の僕にとっては、それが“自分がグループの中でできること”の最大級のベストだったんです」
年上メンバーと年下メンバーの懸け橋となり、ときにはグループの意見を事務所に伝える役割を担うことも。自分よりも常にグループのことを考え優先して考えて動く、それが当時の佐藤さんの姿だった。
佐藤「ひとりではなく仲間と何かをつくりたい、仲間と力を合わせて前に進みたい。単純に“集合体が好き”っていうもともとの性格も影響しているんだろうけど。そうすることで、自分がグループにいる意味を、存在意義を、つくりたかったんだと思うんです。そうやって、あの頃の僕は自分を保っていたんだと思う。でも、それが少し行きすぎてしまったというか。“引くのが美学”みたいなものが自分の中に生まれ、それが悪いくせとなって身についてしまい……。しだいに気づくわけですよ、“このままじゃダメだな”って」
当時、初めて会う人によく言われたのが「勝利君は話すと意志があるし、内側に秘めた炎を持っている人なんだね」そんな言葉だった。
佐藤「つまりそれは、僕という人間が周りにちゃんと伝わっていないということなんです。“引く美学”と言ったら美しく聞こえるかもしれないけど、実際は臆病なだけ。また、その自分の中で勝手につくり上げた美学を貫けば貫くほど、さらに臆病になっていくんですよね。自分はベンチからバッターを見守るばかりで、バッターボックスに立とうとしないから、いざそこに立った時にはうまくボールを打つことができない。だからこそ、思いきりバットを振るのがどんどん怖くなってしまって……。
そんな僕が変われたのは、時間もあるし、経験もあるし、ジャニーさんが亡くなったのもきっと大きいんだと思う。今まではジャニーさんが思い描く理想を目指していたけれど、これからは自分たちが思う理想を描き出していかなければいけない、そんな思いも背中を押してくれた気がします。それまではから振りするのが怖くて、バントばかりしていた僕ですが、しだいに大きくバットを振ることができるように。ホームランを打つためには思いきりバットを振らなくてはいけない。から振りしてしまう可能性もあるけれど、それを恐れずにまずは自分らしく思いきりバットを振ってみようって」
佐藤「今でこそ、松島(聡)とは親友みたいに仲がいいんだけど。実はデビュー前後、彼と少しバチバチしていた時期があったんですよ。年齢が近い彼に対しては負けたくないという想いもあったし、ある意味、ライバルみたいな存在だったのかもしれない。一時期、ジャニーズJr.の間で“すごい歌がうまいヤツがいる”と話題になったことがあって。それが松島だったんですよね。さらに、彼はダンスのうまさでもすでに注目を集めていて。それが悔しかったんだと思う。歌もダンスもできない、そんなコンプレックスが僕の中にずっとあったから……」
ここで、佐藤さんが続けたのが「僕は決して器用な人間ではないんです」という言葉だった。
佐藤「自分はいろんなものが足りない、できないことがたくさんある、それを自覚するようになってからはグループの中での意識も変わりました。ひと言で言うと“攻撃”ではなく“守備”に回るようになったというか。メンバーはよく僕のことを“グループを俯瞰することのできる、Sexy Zoneのバランサー”と言ってくれるんですけど。それは、僕にできることがそこしかなかったからなんです。歌やダンスがうまければ、もっと前に出て攻撃に徹することもできたかもしれない。でも、僕にはその力がない。だからこそ、欠けている能力を補填するように守備に徹したというか。それが正解だったのか不正解だったのか、今でもよくわからないけれど……。あの頃の僕にとっては、それが“自分がグループの中でできること”の最大級のベストだったんです」
年上メンバーと年下メンバーの懸け橋となり、ときにはグループの意見を事務所に伝える役割を担うことも。自分よりも常にグループのことを考え優先して考えて動く、それが当時の佐藤さんの姿だった。
佐藤「ひとりではなく仲間と何かをつくりたい、仲間と力を合わせて前に進みたい。単純に“集合体が好き”っていうもともとの性格も影響しているんだろうけど。そうすることで、自分がグループにいる意味を、存在意義を、つくりたかったんだと思うんです。そうやって、あの頃の僕は自分を保っていたんだと思う。でも、それが少し行きすぎてしまったというか。“引くのが美学”みたいなものが自分の中に生まれ、それが悪いくせとなって身についてしまい……。しだいに気づくわけですよ、“このままじゃダメだな”って」
当時、初めて会う人によく言われたのが「勝利君は話すと意志があるし、内側に秘めた炎を持っている人なんだね」そんな言葉だった。
佐藤「つまりそれは、僕という人間が周りにちゃんと伝わっていないということなんです。“引く美学”と言ったら美しく聞こえるかもしれないけど、実際は臆病なだけ。また、その自分の中で勝手につくり上げた美学を貫けば貫くほど、さらに臆病になっていくんですよね。自分はベンチからバッターを見守るばかりで、バッターボックスに立とうとしないから、いざそこに立った時にはうまくボールを打つことができない。だからこそ、思いきりバットを振るのがどんどん怖くなってしまって……。
そんな僕が変われたのは、時間もあるし、経験もあるし、ジャニーさんが亡くなったのもきっと大きいんだと思う。今まではジャニーさんが思い描く理想を目指していたけれど、これからは自分たちが思う理想を描き出していかなければいけない、そんな思いも背中を押してくれた気がします。それまではから振りするのが怖くて、バントばかりしていた僕ですが、しだいに大きくバットを振ることができるように。ホームランを打つためには思いきりバットを振らなくてはいけない。から振りしてしまう可能性もあるけれど、それを恐れずにまずは自分らしく思いきりバットを振ってみようって」
Sexy Zoneがいるから僕は今ここに立っている
そう語りながら「そもそも“みんなと同じ”が好きじゃない僕は安全策や平均点を狙うようなタイプではないのにね。自分らしく歩けるようになるまで、ずいぶん時間がかかってしまいました」と笑った佐藤さん。
佐藤「デビュー前の話になるんですけど。僕はジャニーズのこともよくわからないままこの世界に飛び込んだので。入所してから、レンタルCDショップに通って、そこで借りることができるジャニーズの先輩たちの楽曲を1から100までほぼ全部聴いたんです。知らないと何も始まらない、ジャニーズになれないと思ったから。
僕はその場でポンとできないタイプというか。準備をして、学んで、理解して、納得しないと前に進むことができない。妙に生真面目なところがあるというか。また、この仕事には“こうすればそれっぽく見える”というテクニックがたくさん存在すると思うんだけど。僕はそれを選択したくなくて。そんな僕に対して“もっと上手にやればいいのに”ともどかしく感じる人もいるかもしれない。でも、僕はそれができないし、したくない。それは、今も昔もブレずに変わらない僕の美学でもあるんだけど……。僕が何よりしたくないのが、その美学に反することをグループに持ち込むことなんです。Sexy Zoneが好きだから、心からいいグループだと思っているから、ひとりではなくこの5人で“勝ちたい”とずっと思い続けているから」
そこで佐藤さんから飛び出したのが「自分では想像もしていなかった芸能界という世界に今もい続けているのは、Sexy Zoneがそこにいるからなんです」という言葉だった。
佐藤「Sexy Zoneはよくも悪くも型にハマらない、枠にとらわれない、個性豊かなメンバーが集まっているグループで。僕はそこがこのグループの面白いところだと思っていたし、最大の魅力だと感じていた。結成当初はまだふわっとした感覚だったけど、5人で共に歩めば歩むほど、それはどんどん確信に変わっていった。うまくいかなかったり、結果を出せないこともあったけど、僕は自分のその感覚を間違っていないと思ったし信じてきた。その熱が自分の中にずっとあったからこそ、今までも何が起きようとも走り続けることができたんです。『この5人で勝ちたい』。それが僕の原動力のすべて。勝ちたいからこそ、自分らしくない歩き方をしたこともあった。本来は面倒くさがり屋な僕が歌やダンスを頑張るのも、自分が評価されたいからではなく、グループの一員として戦いたいからなんです。誤解を恐れずに言うと、今もまだ僕は芸能界にも自分にもあまり興味がなくて。Sexy Zoneにしか興味がないんです。デビューするのが早かったのもあるかもしれないけど、ある意味、僕にとってSexy Zoneは人生そのもので。たまに思うんです、ひとりでやっていくことになったら、続かないかもしれないって。それくらい、自分にとっては当たり前のものであり大切なものなんです」
佐藤さんが見ているのは常に“ひとり”ではなく“5人”の未来。その歩み方は「これからもきっと変わらないと思う」とまっすぐな目で語る。
佐藤「僕が勝つことにこだわるのはこの名前もあるのかな。“勝利”は亡き父がつけてくれた名前。僕は姉とふたりの兄がいるんですけど、忙しい父が出産に立ち会えたのは末っ子の僕だけで。その感動と衝撃がこの名前になったらしいんです。生まれたこと、そのものが人生の勝利だと。その人生を僕は同志と共に歩んでいきたい。喜びも悔しさも分けあいながら、その歩みをかけがえのないものにしていきたいなって思うんです」
佐藤「デビュー前の話になるんですけど。僕はジャニーズのこともよくわからないままこの世界に飛び込んだので。入所してから、レンタルCDショップに通って、そこで借りることができるジャニーズの先輩たちの楽曲を1から100までほぼ全部聴いたんです。知らないと何も始まらない、ジャニーズになれないと思ったから。
僕はその場でポンとできないタイプというか。準備をして、学んで、理解して、納得しないと前に進むことができない。妙に生真面目なところがあるというか。また、この仕事には“こうすればそれっぽく見える”というテクニックがたくさん存在すると思うんだけど。僕はそれを選択したくなくて。そんな僕に対して“もっと上手にやればいいのに”ともどかしく感じる人もいるかもしれない。でも、僕はそれができないし、したくない。それは、今も昔もブレずに変わらない僕の美学でもあるんだけど……。僕が何よりしたくないのが、その美学に反することをグループに持ち込むことなんです。Sexy Zoneが好きだから、心からいいグループだと思っているから、ひとりではなくこの5人で“勝ちたい”とずっと思い続けているから」
そこで佐藤さんから飛び出したのが「自分では想像もしていなかった芸能界という世界に今もい続けているのは、Sexy Zoneがそこにいるからなんです」という言葉だった。
佐藤「Sexy Zoneはよくも悪くも型にハマらない、枠にとらわれない、個性豊かなメンバーが集まっているグループで。僕はそこがこのグループの面白いところだと思っていたし、最大の魅力だと感じていた。結成当初はまだふわっとした感覚だったけど、5人で共に歩めば歩むほど、それはどんどん確信に変わっていった。うまくいかなかったり、結果を出せないこともあったけど、僕は自分のその感覚を間違っていないと思ったし信じてきた。その熱が自分の中にずっとあったからこそ、今までも何が起きようとも走り続けることができたんです。『この5人で勝ちたい』。それが僕の原動力のすべて。勝ちたいからこそ、自分らしくない歩き方をしたこともあった。本来は面倒くさがり屋な僕が歌やダンスを頑張るのも、自分が評価されたいからではなく、グループの一員として戦いたいからなんです。誤解を恐れずに言うと、今もまだ僕は芸能界にも自分にもあまり興味がなくて。Sexy Zoneにしか興味がないんです。デビューするのが早かったのもあるかもしれないけど、ある意味、僕にとってSexy Zoneは人生そのもので。たまに思うんです、ひとりでやっていくことになったら、続かないかもしれないって。それくらい、自分にとっては当たり前のものであり大切なものなんです」
佐藤さんが見ているのは常に“ひとり”ではなく“5人”の未来。その歩み方は「これからもきっと変わらないと思う」とまっすぐな目で語る。
佐藤「僕が勝つことにこだわるのはこの名前もあるのかな。“勝利”は亡き父がつけてくれた名前。僕は姉とふたりの兄がいるんですけど、忙しい父が出産に立ち会えたのは末っ子の僕だけで。その感動と衝撃がこの名前になったらしいんです。生まれたこと、そのものが人生の勝利だと。その人生を僕は同志と共に歩んでいきたい。喜びも悔しさも分けあいながら、その歩みをかけがえのないものにしていきたいなって思うんです」
【Sexy Zone 10thインタビュー】松島 聡
松島 聡を構成する「10のキーワード」
まつしま・そう●1997年11月27日生まれ、静岡県出身。メンバーからも“ダンスの要”と言われるほどの表現力で、グループを支える存在。ドラマ『コタローは1人暮らし』では連続ドラマに初出演するなど、俳優としても活躍する
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【1】笑顔
「昔はうまく笑えないのがコンプレックスだった。でも、笑えるようになった時、笑顔は僕の武器になった。笑顔は伝染する。見てくれる人を幸せにしたい」(松島聡、以下同)
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【2】好奇心旺盛
「よく言えば“好奇心旺盛”、悪く言えば“三日坊主”。興味があちこちに飛び火してなかなか定まらないけれどいろんなものに触れ、吸収することができるから、けっこう楽しい」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【3】観察力
「人の行動や話し方を見ながら想像を膨らませてしまう。これはもうクセみたいなもので『観察力に長けているからものまねに向いている』とものまね芸人のホリさんから言われたこともあったりして」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【4】末っ子気質
「周りから『甘えん坊』だとよく言われる。年上の人といると、より“弟感”が増すらしい僕は姉がいる末っ子っなんですけど。本当はお兄ちゃんが欲しかったんです。そう思うようになったきっかけは風磨君。あんなお兄ちゃんが欲しかったし、今でも欲しい(笑)」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【5】アート
「僕が愛してやまないもの。可能性が無限大。ルールがなく自由に表現できるアートはジャニーズにもよく似ている」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【6】「嫌い」
「僕が絶対に使わない言葉。『嫌い』はすべてをシャットダウンして自分の可能性すらゼロにしてしまうから」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【7】A型
「カバンの中も部屋も常にきれい。朝は必ず掃除機をかける几帳面な性格は父親譲り」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【8】人見知り
「『誰とでも仲よくできる』イメージを持たれるのはきっと、人見知りがゆえに頑張って話そうとしてしまうから」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【9】和洋折衷
「和と洋の融合は素晴らしくて最強。それは世界でひとりのシンメ(立ち位置が左右対称のメンバー)であるマリウスが僕に教えてくれたこと」
松島 聡を構成する「10のキーワード」
【10】ありがとう
「ひとりでできる仕事もなければひとりで生きていくこともできない。たとえ、直接伝えることができなくても心の中に『ありがとう』を忘れずに抱ける自分でありたい」
松島 聡のロングインタビュー
松島 聡さんが語る、グループへの熱い思い
松島「僕がジャニーズ事務所に入ろうと思ったのは、姉が見せてくれたHey! Say! JUMPさんのライブDVDがきっかけなんです。そこで、“こんな世界があるんだ!”と衝撃を受けて。“僕もあの世界の一員になりたい!”と好奇心の赴くままに自分で履歴書を送ったんですよ」
松島さんがジャニーズ事務所に入所したのは13歳の頃。その一枚のDVDに出合うまで「芸能界のことはもちろん、ジャニーズのこともよく知らなかった」と振り返る。
松島「だからね、入所当時の僕の夢は Hey! Say! JUMPさんのバックダンサーになることだったんです。自分がアイドルとしてデビューすることではなくて(笑)。そもそも、ジャニーズJr.の中から選ばれた人がデビューするという仕組みすら知らなかったので。自分がデビューできるなんて想像もしていなかったからこそ“あの世界の一員になりたい”という願いが叶っただけで大満足。よくも悪くも野心や欲が全然なくて。みんなと歌ったり踊れる毎日がただただ楽しくてしかたなかったんですよね」
そんな松島さんの人生が一変したのが、2011年9月29日に行われたSexy Zoneの結成会見。それは彼がジャニーズ事務所に入所してから、わずか数カ月後の出来事だった。
松島「たしか、その日はKis‐My‐Ft2さんの舞台に出演していて。楽屋に戻ったら衣装が5着並んでいたんです。わけもわからずその衣装に着替えると“今からステージに立つよ。そこで、フラッシュをたくさん浴びると思うけど驚かないでね。胸を張って堂々と自分の名前を言うんだよ”と言われて……。そこで初めて知ったんですよ、自分がSexy Zoneというグループの一員になることを。でも、実は僕自身はあまり驚いていなくて。これもまた無知ゆえなんですけど、“バックダンサーの新しいユニットが生まれた”くらいにしか思っていなくて。華やかな結成会見も“世間を楽しませるためにジャニーさんが考えた新しい演出かな”と思っていたんです(笑)。家に帰ると家族は“大変なことになった”とアワアワしているし、翌日の学校も大騒ぎだったんですけど、そこでも僕はまだ“次のJUMP兄さんたちのコンサートもバックで踊れたらいいな”しか考えていなかったっていうね(笑)」
松島さんがジャニーズ事務所に入所したのは13歳の頃。その一枚のDVDに出合うまで「芸能界のことはもちろん、ジャニーズのこともよく知らなかった」と振り返る。
松島「だからね、入所当時の僕の夢は Hey! Say! JUMPさんのバックダンサーになることだったんです。自分がアイドルとしてデビューすることではなくて(笑)。そもそも、ジャニーズJr.の中から選ばれた人がデビューするという仕組みすら知らなかったので。自分がデビューできるなんて想像もしていなかったからこそ“あの世界の一員になりたい”という願いが叶っただけで大満足。よくも悪くも野心や欲が全然なくて。みんなと歌ったり踊れる毎日がただただ楽しくてしかたなかったんですよね」
そんな松島さんの人生が一変したのが、2011年9月29日に行われたSexy Zoneの結成会見。それは彼がジャニーズ事務所に入所してから、わずか数カ月後の出来事だった。
松島「たしか、その日はKis‐My‐Ft2さんの舞台に出演していて。楽屋に戻ったら衣装が5着並んでいたんです。わけもわからずその衣装に着替えると“今からステージに立つよ。そこで、フラッシュをたくさん浴びると思うけど驚かないでね。胸を張って堂々と自分の名前を言うんだよ”と言われて……。そこで初めて知ったんですよ、自分がSexy Zoneというグループの一員になることを。でも、実は僕自身はあまり驚いていなくて。これもまた無知ゆえなんですけど、“バックダンサーの新しいユニットが生まれた”くらいにしか思っていなくて。華やかな結成会見も“世間を楽しませるためにジャニーさんが考えた新しい演出かな”と思っていたんです(笑)。家に帰ると家族は“大変なことになった”とアワアワしているし、翌日の学校も大騒ぎだったんですけど、そこでも僕はまだ“次のJUMP兄さんたちのコンサートもバックで踊れたらいいな”しか考えていなかったっていうね(笑)」
入所後、数カ月でデビュー。“戸惑い”でいっぱいだった
松島「ただ“楽しい”だけだった毎日に“戸惑い”や“不安”が生まれ始めたのは、やっぱりデビューしてからなのかな。まず、僕は入所して一年もたたないうちにデビューしたので、圧倒的に経験が足りなかったんだよね。何が正解なのか、何が間違っているのか、何がわからないのかすらもわからない。もちろん、そんな未熟な僕をメンバーはサポートしてくれるんだけど……。罪悪感みたいなものがずっと自分の中にあったかな。そもそも、僕はデビューを目指してこの世界に飛び込んだわけではなかったから。本気でデビューを目指し頑張っている仲間たちに対して“申し訳ない”って、どこか後ろめたさを感じてしまう自分がいたんですよね」
ステージの上に立つたびに感じていたのは「自分はここにいていいのか」という思い。「あの頃は、自分に自信を持つことができなかった」と松島さんは振り返る。
松島「当時の僕からするとメンバーさえも“すごい人たち”だったんですよ。まず、ケンティ(中島健人)や(菊池)風磨君は大先輩であり、僕にとってはいつも優しくしてくれる“大好きなお兄さん”でもあって。ふたりのいる楽屋に遊びにいくのが楽しみでしかたがなかった。マリウス(葉)もジャニーズJr.の中では生粋の愛されキャラで。ドイツから日本にやってきた彼がリハ室に入ってくると、全員がマリウスだ! って駆け寄り先輩までもが笑顔になる、そんな光景を目にして“いったい、この子は何者なんだ?”と。驚いた初対面の記憶は今も鮮明に残っていますからね(笑)。(佐藤)勝利もまたジャニーズJr.の中では特別な存在でした。ビジュアルも存在感も圧倒的で、みんなから一目おかれる人だったんです。だからこそ、そんなメンバーについていくために、当時の僕はいつも必死で……」
そこで飛び出したのが、デビュー当初のこんなエピソードだった。
松島「あの頃の僕は勝利とぶつかることが多かったんです。今振り返ると、年齢も近いし、どこかライバル視してしまう自分がいたのかな。どんなに頑張っても追いつけない、彼のいる場所に届かない気がして。勝利の持っているものすべてが羨ましかったし、悔しかったんだよね」
実は、以前のインタビューで同じエピソードを語っていた勝利君。そこで彼が言った「歌もダンスも、自分にはない才能を持っている松島が羨ましかった」という言葉を伝えると「勝利もそうだったんだ……。なんかうれしいな」と松島さんは感慨深げに呟き照れくさそうに笑った。
ステージの上に立つたびに感じていたのは「自分はここにいていいのか」という思い。「あの頃は、自分に自信を持つことができなかった」と松島さんは振り返る。
松島「当時の僕からするとメンバーさえも“すごい人たち”だったんですよ。まず、ケンティ(中島健人)や(菊池)風磨君は大先輩であり、僕にとってはいつも優しくしてくれる“大好きなお兄さん”でもあって。ふたりのいる楽屋に遊びにいくのが楽しみでしかたがなかった。マリウス(葉)もジャニーズJr.の中では生粋の愛されキャラで。ドイツから日本にやってきた彼がリハ室に入ってくると、全員がマリウスだ! って駆け寄り先輩までもが笑顔になる、そんな光景を目にして“いったい、この子は何者なんだ?”と。驚いた初対面の記憶は今も鮮明に残っていますからね(笑)。(佐藤)勝利もまたジャニーズJr.の中では特別な存在でした。ビジュアルも存在感も圧倒的で、みんなから一目おかれる人だったんです。だからこそ、そんなメンバーについていくために、当時の僕はいつも必死で……」
そこで飛び出したのが、デビュー当初のこんなエピソードだった。
松島「あの頃の僕は勝利とぶつかることが多かったんです。今振り返ると、年齢も近いし、どこかライバル視してしまう自分がいたのかな。どんなに頑張っても追いつけない、彼のいる場所に届かない気がして。勝利の持っているものすべてが羨ましかったし、悔しかったんだよね」
実は、以前のインタビューで同じエピソードを語っていた勝利君。そこで彼が言った「歌もダンスも、自分にはない才能を持っている松島が羨ましかった」という言葉を伝えると「勝利もそうだったんだ……。なんかうれしいな」と松島さんは感慨深げに呟き照れくさそうに笑った。
ステージを降りなかったのは大切な仲間がそばにいたから
松島「実はあの頃、何度も思ったことがあるんですよ。もう、やめたほうがいいんじゃないかって。僕はこのステージに立つべき人間じゃないのかもしれないって。それでもやめずに続けたのは、支えてくれる大切な人がいつもそばにいたからなんだと思う。メンバーはもちろんだけど、僕にとってマリウスはとても大きな存在で。シンメであるのと同時に、経験が少ない環境も同じで、共有できるものがたくさんあったというか。何度も助けられたし、一緒にいくつもの壁も乗り越えてきた、僕たちの間には強い絆があって。うまく言葉にできないんですけど、マリが隣にいるだけで僕は安心できるし、頑張ろうという気持ちになれるんですよ。今でもたまに思うんです、マリがいなかったら、最初の数年で僕は諦めてしまっていたかもしれないなって」
過去にはそんなマリウスさんと離れて活動した時期も。その時もまた「支えてくれたのは周りの大切な人たちだった」と松島さんは続ける。
松島「僕とマリはSexy Zoneから少し離れてそれぞれ別のユニットで活動していた時期があるんです。それは、ジャニーさんが経験の浅い僕たちを成長させるために用意してくれた時間だったと思うんですけど。正直最初は戸惑ったし、不安だった。でもそんな僕を救ってくれたのが、同じユニットのメンバーである松倉海斗と松田元太(2人ともTravis Japan)だったんです。ふたりからの“また聡と一緒にやれてすごくうれしい”というまっすぐな言葉は、仲間たちに対して申し訳ない気持ちを抱えていた僕の心にとても強く響いた。そう言ってくれるふたりの存在が“ここで諦めちゃダメだ”と僕の背中を押してくれた。ふたりの思いに応えたい、このユニットを盛り上げたい、そのためにもジャニーズJr.歴の長いふたりからいろんなことを教えてもらおうって」
実際、ふたりと過ごした時間は「大切な経験になったし、とても大きなプラスになった」と振り返る。
松島「Sexy Zoneに戻り5人で活動するようになった時も、デビュー当時とは違って堂々とステージに立てる自分がいたし。自分の中にたくさんの引出しを蓄えることができたからこそ、その引出しを早く開けてグループに貢献したいという気持ちがさらに高まった。今でもふたりには本当に感謝しているんです」
ずっと自信を持つことができなかった松島さんのSexy Zone創成期。
松島「でもね、5人で活動するようになってから、自信を持てるようになったのかと聞かれたら……。それはまた別の話で。僕が本当の意味で100%自分に自信を持てるようになったのはきっと休養期間を終えてから。実は本当に最近の話なんです」
過去にはそんなマリウスさんと離れて活動した時期も。その時もまた「支えてくれたのは周りの大切な人たちだった」と松島さんは続ける。
松島「僕とマリはSexy Zoneから少し離れてそれぞれ別のユニットで活動していた時期があるんです。それは、ジャニーさんが経験の浅い僕たちを成長させるために用意してくれた時間だったと思うんですけど。正直最初は戸惑ったし、不安だった。でもそんな僕を救ってくれたのが、同じユニットのメンバーである松倉海斗と松田元太(2人ともTravis Japan)だったんです。ふたりからの“また聡と一緒にやれてすごくうれしい”というまっすぐな言葉は、仲間たちに対して申し訳ない気持ちを抱えていた僕の心にとても強く響いた。そう言ってくれるふたりの存在が“ここで諦めちゃダメだ”と僕の背中を押してくれた。ふたりの思いに応えたい、このユニットを盛り上げたい、そのためにもジャニーズJr.歴の長いふたりからいろんなことを教えてもらおうって」
実際、ふたりと過ごした時間は「大切な経験になったし、とても大きなプラスになった」と振り返る。
松島「Sexy Zoneに戻り5人で活動するようになった時も、デビュー当時とは違って堂々とステージに立てる自分がいたし。自分の中にたくさんの引出しを蓄えることができたからこそ、その引出しを早く開けてグループに貢献したいという気持ちがさらに高まった。今でもふたりには本当に感謝しているんです」
ずっと自信を持つことができなかった松島さんのSexy Zone創成期。
松島「でもね、5人で活動するようになってから、自信を持てるようになったのかと聞かれたら……。それはまた別の話で。僕が本当の意味で100%自分に自信を持てるようになったのはきっと休養期間を終えてから。実は本当に最近の話なんです」
“ありのままの自分”がいい。もう嘘をつくのはやめました
松島さんが病気療養のため活動休止を発表したのは、2018年の出来事。仕事から離れ心と体を休めることに専念していた彼がステージに戻ってきたのはその約2年後、2020年の夏だった。
松島「ここで伝えておきたいのが、僕がお休みしたのは仕事のせいだけじゃないってことなんです。それまでの僕の中には見ないふりをしていたことやふたをしてしまっていたことがたくさんあって。それが積み重なってパンクしてしまったのが、あの頃の僕だったんです。自分と向きあえていなかったからこそ、僕には時間が必要だった、それが僕にとっての休養期間で。実際、時間をかけて自分と向きあったことで、心が整理されたし、自分とのつきあい方もわかるようになって、すごく強くなれたとも思う。そしてそれが今の自分の大きな自信にもなっていて」
休養期間を経て、松島さんの中ではさまざまな変化があったそうだ。
松島「変わったと感じることはいろいろあるけど。いちばんはやっぱり“ありのままの自分”で周りと接することができるようになったことなのかな。以前の僕は遠慮ぎみだったというか。自信がないからこそ“嘘”が多かった気がするんです。たとえば、相手を傷つけないために自分の意見を引っこめたり、心の中では違うと思いながらも相手の意見に賛同してしまったり……。でも、嘘が多い関係は長続きしないし、何も生み出さないし、自分の負担にもなってしまうんだよね。違うことは違う、うれしいことはうれしい、メンバーに対する愛情もちゃんと“好き”と言葉にして伝える。復帰後の僕はものすごく素直になれていると思う。そして、それは仕事に対する姿勢にも通じていて。僕ね、デビュー当時は自分のキャラクターがよくわからなかったんです。僕たちはジャニーさんから“自分で考えなさい、自分で行動しなさい、他人と同じことをするのをやめなさい”と育てられた。でもそれが僕には難しくて。誰ともかぶらない“自分”を見つけるために、生意気にイキってみたり、おバカを突き通してみたり、可愛い弟キャラを演じてみたり。でも、それって結局は“自分”じゃないんだよね。だから、復帰後はもう迷走するのをやめました。そこもまた“ありのままの自分”でいいじゃんって。遠回りしたけれど“自分らしくいることがいちばんの個性なんだ”って、ようやく気づくことができました」
松島「ここで伝えておきたいのが、僕がお休みしたのは仕事のせいだけじゃないってことなんです。それまでの僕の中には見ないふりをしていたことやふたをしてしまっていたことがたくさんあって。それが積み重なってパンクしてしまったのが、あの頃の僕だったんです。自分と向きあえていなかったからこそ、僕には時間が必要だった、それが僕にとっての休養期間で。実際、時間をかけて自分と向きあったことで、心が整理されたし、自分とのつきあい方もわかるようになって、すごく強くなれたとも思う。そしてそれが今の自分の大きな自信にもなっていて」
休養期間を経て、松島さんの中ではさまざまな変化があったそうだ。
松島「変わったと感じることはいろいろあるけど。いちばんはやっぱり“ありのままの自分”で周りと接することができるようになったことなのかな。以前の僕は遠慮ぎみだったというか。自信がないからこそ“嘘”が多かった気がするんです。たとえば、相手を傷つけないために自分の意見を引っこめたり、心の中では違うと思いながらも相手の意見に賛同してしまったり……。でも、嘘が多い関係は長続きしないし、何も生み出さないし、自分の負担にもなってしまうんだよね。違うことは違う、うれしいことはうれしい、メンバーに対する愛情もちゃんと“好き”と言葉にして伝える。復帰後の僕はものすごく素直になれていると思う。そして、それは仕事に対する姿勢にも通じていて。僕ね、デビュー当時は自分のキャラクターがよくわからなかったんです。僕たちはジャニーさんから“自分で考えなさい、自分で行動しなさい、他人と同じことをするのをやめなさい”と育てられた。でもそれが僕には難しくて。誰ともかぶらない“自分”を見つけるために、生意気にイキってみたり、おバカを突き通してみたり、可愛い弟キャラを演じてみたり。でも、それって結局は“自分”じゃないんだよね。だから、復帰後はもう迷走するのをやめました。そこもまた“ありのままの自分”でいいじゃんって。遠回りしたけれど“自分らしくいることがいちばんの個性なんだ”って、ようやく気づくことができました」
遠回りしたかもしれないけど大切なものをたくさん見つけた
今の彼は無理せず背伸びせずありのままの自分で毎日を楽しんでいる。
松島「実は僕、今まで目標を持つことができなかったんです。そもそも“バックダンサーになりたい”からすべては始まっているので。その夢を叶えてからは、自分がどこにいるのかも何を目指しているのかもわからないまま、激流の中をグルグル回っていた。でも、今はちゃんとその目標も持つことができている。自分の固定観念を捨てて、スタッフのみなさんが用意してくれた世界に染まる、カメラの前に立つ被写体の仕事をもっとしたいし。自分ではない誰かを演じる役者の仕事ももっと追求したい。僕はやっぱり“表現”が好きなんです。自分らしく歩めるようになってから、あらためてそこに気づくことができた。実はこんな欲が出てきたのは初めてのことで。それがすごくうれしかったりして」
自分の武器や個性や願いがわからないと進む道が見えない。自信がないと「したい」、「やりたい」が言えない。それができている「今の自分はすごく好き」と彼は言葉を続ける。
松島「本当の意味での僕のスタートラインは復帰した昨年だと思うんです。そこから、やっと自分らしい人生が始まった。だから、僕はまだ1歳なんですよ(笑)。でも、それは決して悪いことではなくて。10年やってきているのに、まだまだ新鮮に感じることがたくさんある。それってすごく幸せなことだと思うんだよね」
グルリと遠回りしてしまったかもしれない。でも「だからこそ、見つけたものもたくさんある」と微笑む。
松島「人生にはいろんな道があるから。正直、違うプランを考えたこともあるんです。でも、やっぱり違う道を歩く自分は自分じゃないと思った。ジャニーズ人生しか、5人で歩む未来しか、僕は考えることができなかった……。休養中、家のテレビで4人を観た時もそこに自分がいないことが寂しかった、4人に会いたかった、また一緒にものづくりをしたいと思った。そこでも強く感じたけど、僕にとってはSexy Zoneって“当たり前”な存在なんです。考えない日はないし、夢にも出てくるし、家族の会話にも出てくる。人生の、日常の、体の一部みたいな感覚で。今も昔も頼れる存在のケンティと風磨君も、今では親友のような勝利も、強い絆で結ばれているマリウスも大切な僕の一部。だからね、今はマリがお休みしているけど寂しくはないんです。遠く離れていたとしても、いつも感じるし、いつも僕の中にいるから。そう思えるのはきっと、決して平坦ではない道のりを一緒に歩んできた10年があるからこそ。こんな関係はなかなか築けないと思う。だからね、やっぱり僕は5人で歩む未来しか考えられないんですよ」
松島「実は僕、今まで目標を持つことができなかったんです。そもそも“バックダンサーになりたい”からすべては始まっているので。その夢を叶えてからは、自分がどこにいるのかも何を目指しているのかもわからないまま、激流の中をグルグル回っていた。でも、今はちゃんとその目標も持つことができている。自分の固定観念を捨てて、スタッフのみなさんが用意してくれた世界に染まる、カメラの前に立つ被写体の仕事をもっとしたいし。自分ではない誰かを演じる役者の仕事ももっと追求したい。僕はやっぱり“表現”が好きなんです。自分らしく歩めるようになってから、あらためてそこに気づくことができた。実はこんな欲が出てきたのは初めてのことで。それがすごくうれしかったりして」
自分の武器や個性や願いがわからないと進む道が見えない。自信がないと「したい」、「やりたい」が言えない。それができている「今の自分はすごく好き」と彼は言葉を続ける。
松島「本当の意味での僕のスタートラインは復帰した昨年だと思うんです。そこから、やっと自分らしい人生が始まった。だから、僕はまだ1歳なんですよ(笑)。でも、それは決して悪いことではなくて。10年やってきているのに、まだまだ新鮮に感じることがたくさんある。それってすごく幸せなことだと思うんだよね」
グルリと遠回りしてしまったかもしれない。でも「だからこそ、見つけたものもたくさんある」と微笑む。
松島「人生にはいろんな道があるから。正直、違うプランを考えたこともあるんです。でも、やっぱり違う道を歩く自分は自分じゃないと思った。ジャニーズ人生しか、5人で歩む未来しか、僕は考えることができなかった……。休養中、家のテレビで4人を観た時もそこに自分がいないことが寂しかった、4人に会いたかった、また一緒にものづくりをしたいと思った。そこでも強く感じたけど、僕にとってはSexy Zoneって“当たり前”な存在なんです。考えない日はないし、夢にも出てくるし、家族の会話にも出てくる。人生の、日常の、体の一部みたいな感覚で。今も昔も頼れる存在のケンティと風磨君も、今では親友のような勝利も、強い絆で結ばれているマリウスも大切な僕の一部。だからね、今はマリがお休みしているけど寂しくはないんです。遠く離れていたとしても、いつも感じるし、いつも僕の中にいるから。そう思えるのはきっと、決して平坦ではない道のりを一緒に歩んできた10年があるからこそ。こんな関係はなかなか築けないと思う。だからね、やっぱり僕は5人で歩む未来しか考えられないんですよ」
【Sexy Zone 10thインタビュー】菊池風磨
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
きくち・ふうま●1995年3月7日生まれ、東京都出身。Sexy Zoneとして2011年にデビュー。音楽業のほか、俳優としても活躍。『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』(フジテレビ系・土曜20:00〜)でのギャップある姿が話題に
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【1】あまのじゃく
「『ダメ』と言われることほどやりたくなるし、みんなが同じ方向を向くのなら逆に進みたくなる。周りと“違う”のは決して悪いことばかりじゃない」(菊池風磨、以下同)
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【2】キレイ好き
「散らかっている家に帰ると気持ちがなえる。気持ちよく家に帰りたいじゃないですか。だからこそ、家を出る前に部屋はほぼ完璧な状態に。ホテルみたいですからね、僕の部屋」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【3】等身大
「“芸能人”という枠の中に自分をとじ込めたくはない。高校生の時は高校生らしいことを大学生の時は大学生らしいことを26歳の今は26歳らしいことを。ひとりの人間としてシンプルに“今できること”をちゃんと楽しみながら生きていきたい」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【4】嘘がつけない
「嘘はつこうと思えばつけるのかもしれないけど、そんな自分を客観的に見て恥ずかしくなってしまう。だから、嘘はつけないし、つかないし、お世辞や気の利いたことも言えないんですよ」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【5】米が好き
「食事は米がなければ始まらない。最期の晩餐に食べたいのは焼肉と米。白米は菊池風磨のエネルギー源である」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【6】家族
「振り返ると、若い頃はダメな息子だったと思う。そんな自分を見放さず愛し続けてくれた家族はかけがえのない大切なもの。大人になった今は少しずつ“守られるもの”から“守っていくもの”に変わっている気がする」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【7】友達
「友達に恥じるような人生は送りたくない。背すじを伸ばしてくれる存在であり、人生を正してくれる存在であり、いつも背中を押してくれる存在」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【8】緑
「菊池風磨は無類の夏好き。その理由のひとつが『生い茂る緑が好きだから』。自分が緑に癒されることを2021年の夏に気づきました」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【9】ニュートラル
「常に物ごとを俯瞰し客観的に判断する、どっちかというと冷静なタイプ。基本、ニュートラルな人間だからこそドキドキを求めてしまうんだと思う」
菊池風磨を構成する「10のキーワード」
【10】高揚感
「とにかく、何においても、ドキドキしていたい。胸を高鳴らせながら生きていきたい。そんな自分にこの仕事は向いていると思っている」
菊池風磨のロングインタビュー
菊池風磨さんが語る、グループへの熱い思い
菊池「もの心ついた頃、幼い僕に強烈な印象を与えたのが嵐さんだったんです。そして、“嵐みたいになりたい”と憧れたのがジャニーズ事務所を目指すきっかけで。中学生になってから、自分で履歴書を送ったんですよ」
入所後間もなく中島健人、松村北斗、髙地優吾と共にB.I.Shadowとして活躍するなど、多くの人の注目を集めながら華やかなスタートを切った菊池さんのジャニーズJr.時代。
菊池「今振り返ると、本当に恵まれていたなって思うんだけど。あの頃の僕はやたらと根拠のない自信に満ちあふれていて。それこそ“自分は絶対にデビューする”って、疑うことなく信じていましたからね(笑)。で、実際にその3年後にそれは現実になるんですけど……。ただ、そのデビューは自分が思い描いていたものとはまったく違うものだったんですよ」
入所後間もなく中島健人、松村北斗、髙地優吾と共にB.I.Shadowとして活躍するなど、多くの人の注目を集めながら華やかなスタートを切った菊池さんのジャニーズJr.時代。
菊池「今振り返ると、本当に恵まれていたなって思うんだけど。あの頃の僕はやたらと根拠のない自信に満ちあふれていて。それこそ“自分は絶対にデビューする”って、疑うことなく信じていましたからね(笑)。で、実際にその3年後にそれは現実になるんですけど……。ただ、そのデビューは自分が思い描いていたものとはまったく違うものだったんですよ」
複雑な気持ちを抱えて立ったグループ結成会見のステージ
2011年9月29日、当時出演していた舞台会場から帝国劇場へと呼び出され「そこで初めて自分がSexy Zoneの一員になることを知った」という菊池さん。結成会見のステージの上で感じていたのは喜びと戸惑いと不安……。「とにかく複雑な心境だった」と当時を振り返る。
菊池「根拠なき自信があったとはいえ、死ぬ気で頑張らないと続けることはできなかったし、芸能活動をするうえで犠牲にしたものもあった。それまでの自分はデビューを目指して必死に突き進んでいたわけですから、その夢が叶ったことはうれしいんです、うれしくないわけがないんです。ただ、デビューに関しては、同年代でグループをつくり上げていくんだろうなって、自分は勝手にそんな未来を思い描いていたから。まず、メンバーに対する驚きがあったんですよね。ずっと一緒に活動していた中島のことはもちろん知っていたけど、入所して間もない年下メンバーに対しては“この子たちは誰だ?”が正直な感想で。深く関わったことのないメンバーといきなり結成会見の舞台に立っていることも、バラを持って歌い踊っている自分も、Sexy Zoneというグループ名すらも、最初はなかなか受け入れることができなくて……。自分が目指していた場所はここなのか? これが正解なのか? 自問自答してしまう自分もいたんですよ」
そして続いたのが「お世話になった先輩方や、一緒に活動していたB. I. Shadowのメンバーより先にデビューすることに対しても、後ろめたい気持ちもあったし。そう感じてしまうことすらも申し訳ないと思った」という言葉。さまざまな感情が入り乱れたスタート。当時は自分の気持ちをうまく整理することができず、悩んでしまうことも多かったそうだ。
菊池「でもそれが“贅沢な悩み”だということもわかっていたから。誰にも相談できなかったし言えなかった。かといってまだ幼かった自分にはそれを解決する力もなくて。その不安な気持ちが態度に出てしまうこともあったりして。楽屋にいる時に誰とも話さなかったり、イヤホンをつけて自分の世界にとじこもったり……。振り返ると、本当によくない態度を取っていたなと思うんだけど。当時はそうすることでしか自分を保つことができなかったんだよね。ただただ、毎日いら立っていたし、何よりもいちばん、そんな自分にいら立っていた。それを“思春期”とか“反抗期”とかいう言葉で説明できたらいいんだけど、そんな単純なものではなくて。時間がたった今でもうまく言葉で説明できないくらい、あの頃は、心の中がグチャグチャだった」
菊池「根拠なき自信があったとはいえ、死ぬ気で頑張らないと続けることはできなかったし、芸能活動をするうえで犠牲にしたものもあった。それまでの自分はデビューを目指して必死に突き進んでいたわけですから、その夢が叶ったことはうれしいんです、うれしくないわけがないんです。ただ、デビューに関しては、同年代でグループをつくり上げていくんだろうなって、自分は勝手にそんな未来を思い描いていたから。まず、メンバーに対する驚きがあったんですよね。ずっと一緒に活動していた中島のことはもちろん知っていたけど、入所して間もない年下メンバーに対しては“この子たちは誰だ?”が正直な感想で。深く関わったことのないメンバーといきなり結成会見の舞台に立っていることも、バラを持って歌い踊っている自分も、Sexy Zoneというグループ名すらも、最初はなかなか受け入れることができなくて……。自分が目指していた場所はここなのか? これが正解なのか? 自問自答してしまう自分もいたんですよ」
そして続いたのが「お世話になった先輩方や、一緒に活動していたB. I. Shadowのメンバーより先にデビューすることに対しても、後ろめたい気持ちもあったし。そう感じてしまうことすらも申し訳ないと思った」という言葉。さまざまな感情が入り乱れたスタート。当時は自分の気持ちをうまく整理することができず、悩んでしまうことも多かったそうだ。
菊池「でもそれが“贅沢な悩み”だということもわかっていたから。誰にも相談できなかったし言えなかった。かといってまだ幼かった自分にはそれを解決する力もなくて。その不安な気持ちが態度に出てしまうこともあったりして。楽屋にいる時に誰とも話さなかったり、イヤホンをつけて自分の世界にとじこもったり……。振り返ると、本当によくない態度を取っていたなと思うんだけど。当時はそうすることでしか自分を保つことができなかったんだよね。ただただ、毎日いら立っていたし、何よりもいちばん、そんな自分にいら立っていた。それを“思春期”とか“反抗期”とかいう言葉で説明できたらいいんだけど、そんな単純なものではなくて。時間がたった今でもうまく言葉で説明できないくらい、あの頃は、心の中がグチャグチャだった」
ほかのグループが眩しく見えた。悔しかったし羨ましかった
そんな闇の中から抜け出すことができたのはデビューから2年たった頃。ふいに訪れた“夏休み”が大きなきっかけだったそうだ。
菊池「18歳の夏、映画の撮影が予定よりも早く終わって。2〜3週間ぽっかり時間があいたんですよ。そこで友達や仲間と過ごした時間が自分にとってはすごく大きくて。その仲間というのがSixTONESのメンバーなんです。彼らはジャニーズJr.時代を共に過ごしてきたほぼ同期で。今もずっと仲がいいんですけど。オレね、実はあの6人がすごく羨ましかったんですよ。当時、すでにSixTONESの前身といえるグループがあったんですけど、そこで彼らは共に挫折を経験したり、一緒に壁を乗り越えたり、ときにぶつかりあいながらもみんなが一丸となって前に進んでいて。なんかね、そばで見ていると『週刊少年ジャンプ』を読んでいるような気持ちになるというか、それくらい本当に素敵な仲間たちなんですよ。そんな彼らの姿が腐っていたオレの目にはキラキラと輝いて見えた……。今でこそ、Sexy Zoneはこの5人だからこそのよさがあると本気で思っているんだけど。あの頃は彼らが眩しくて眩しくて……。立つ場所は違ってもお互いに“頑張ろう”と鼓舞しあえる大切な仲間であるんだけど、同時に、嫉妬的な悔しさや苦しいほどの羨望を彼らに抱いたこともあったんですよ」
眩しく見えたのは高校時代や大学時代の友達も同じ。
菊池「友達はみんな大学でキャンパスライフを謳歌していて。その中で、将来の夢や目標を見つけ、そこに向かってそれぞれが突き進んでいた。その姿もまたすごく眩しくて……。そこで思ったんですよ。オレはこのままじゃダメだって。仲間や友達が叶えようとしている夢を自分はひとつ叶えているのに、ウダウダしているのが情けなく思えた。この人たちに恥じるような生き方はしたくないと思った。だからこそ、あの時オレは決意したんです、腹をくくって目の前の仕事とちゃんと向きあおうって」
自分の中でパチンとスイッチが切り替わる音がした。
菊池「それまでは、グループやメンバーだけでなく、何より自分と向きあえていなかったんだよね。自問自答しながらも、答えを出したら何かが変わってしまいそうな気がして、ずっと目を背けていたというか。でも、それじゃあ何も変わらない。まずは逃げずに向きあおう、覚悟を決めて前に進もうって。そこからなんです、僕の中で意識が変わり始めたのは」
なかでも、彼を大きく変えるきっかけになったのが、コンサートの構成を担うようになったこと。
菊池「そのきっかけは2015年から3年連続で行ったソロライブなんです。それぞれが自分で構成や演出を考えたそのライブで、僕は初めて“なんだこれ、めちゃくちゃ面白いじゃん”って手応えを感じることができて。グループのコンサート構成も手がけてみたい、その思いを最初に伝えたのが中島なんです。2017年、3年続いたソロライブが終わろうとしているその時に、初めて中島のステージを観にいって。そこでいろんな話をしながら“やらせてほしい”と伝えたら“いいじゃん、やりなよ”と受け入れてくれて。ほかのメンバーにもその気持ちをひとりひとり伝えた。オレが自分から“何かしたい”と思ったのも、それを言葉にして伝えたのも、それが初めてだったから。メンバーはきっと驚いていたんじゃないかな」
菊池「18歳の夏、映画の撮影が予定よりも早く終わって。2〜3週間ぽっかり時間があいたんですよ。そこで友達や仲間と過ごした時間が自分にとってはすごく大きくて。その仲間というのがSixTONESのメンバーなんです。彼らはジャニーズJr.時代を共に過ごしてきたほぼ同期で。今もずっと仲がいいんですけど。オレね、実はあの6人がすごく羨ましかったんですよ。当時、すでにSixTONESの前身といえるグループがあったんですけど、そこで彼らは共に挫折を経験したり、一緒に壁を乗り越えたり、ときにぶつかりあいながらもみんなが一丸となって前に進んでいて。なんかね、そばで見ていると『週刊少年ジャンプ』を読んでいるような気持ちになるというか、それくらい本当に素敵な仲間たちなんですよ。そんな彼らの姿が腐っていたオレの目にはキラキラと輝いて見えた……。今でこそ、Sexy Zoneはこの5人だからこそのよさがあると本気で思っているんだけど。あの頃は彼らが眩しくて眩しくて……。立つ場所は違ってもお互いに“頑張ろう”と鼓舞しあえる大切な仲間であるんだけど、同時に、嫉妬的な悔しさや苦しいほどの羨望を彼らに抱いたこともあったんですよ」
眩しく見えたのは高校時代や大学時代の友達も同じ。
菊池「友達はみんな大学でキャンパスライフを謳歌していて。その中で、将来の夢や目標を見つけ、そこに向かってそれぞれが突き進んでいた。その姿もまたすごく眩しくて……。そこで思ったんですよ。オレはこのままじゃダメだって。仲間や友達が叶えようとしている夢を自分はひとつ叶えているのに、ウダウダしているのが情けなく思えた。この人たちに恥じるような生き方はしたくないと思った。だからこそ、あの時オレは決意したんです、腹をくくって目の前の仕事とちゃんと向きあおうって」
自分の中でパチンとスイッチが切り替わる音がした。
菊池「それまでは、グループやメンバーだけでなく、何より自分と向きあえていなかったんだよね。自問自答しながらも、答えを出したら何かが変わってしまいそうな気がして、ずっと目を背けていたというか。でも、それじゃあ何も変わらない。まずは逃げずに向きあおう、覚悟を決めて前に進もうって。そこからなんです、僕の中で意識が変わり始めたのは」
なかでも、彼を大きく変えるきっかけになったのが、コンサートの構成を担うようになったこと。
菊池「そのきっかけは2015年から3年連続で行ったソロライブなんです。それぞれが自分で構成や演出を考えたそのライブで、僕は初めて“なんだこれ、めちゃくちゃ面白いじゃん”って手応えを感じることができて。グループのコンサート構成も手がけてみたい、その思いを最初に伝えたのが中島なんです。2017年、3年続いたソロライブが終わろうとしているその時に、初めて中島のステージを観にいって。そこでいろんな話をしながら“やらせてほしい”と伝えたら“いいじゃん、やりなよ”と受け入れてくれて。ほかのメンバーにもその気持ちをひとりひとり伝えた。オレが自分から“何かしたい”と思ったのも、それを言葉にして伝えたのも、それが初めてだったから。メンバーはきっと驚いていたんじゃないかな」
「中島のライブに行け」先輩の言葉が僕を変えた
周りにも自分にも嘘がつけないまっすぐな性格だからこそ、心の中に生まれるさまざまな思いを無視することができなかった。迷い悩みながらも、いつだって正直に自分の思いと向きあい、一歩一歩前に進んできた。そんな自分の歩みを振り返りながら「前に進めたのは自分ひとりの力じゃなくて、支えてくれる人たちがいたからなんです」と彼は言葉を続ける。
菊池「腐っていた時期も、ちゃんと叱ってくれたり、ダメなものはダメって言ってくれたり、そんなオレを見捨てずに向きあってくれる大人が周りにいた。その存在に救われたことも何度もあったし。ずっと誰にも言えなかった自分の思いや悩みを話せる先輩と出会えたのも大きかった。そのひとりが(櫻井)翔君で。18歳の時に初めて食事に連れていってもらったんですけど。同じ大学の先輩後輩という関係でもあったので、最初は学業の相談をしていたんですよ。そこから少しずつ個人的な話やグループの相談もするようになっていったんですよね。ドラマ共演をきっかけに可愛がってくれたのが山下(智久)君。最初は僕のことを“生意気そうなヤツ”と思ったらしいんですけど(笑)。どこか自分と似ている気がすると言ってくれて。そんな山下君が引きあわせてくれたのが村上(信五)君なんです。この3人の先輩たちがいなければ今の自分はいないと言っても過言ではないほど、いろんな話を聞いてもらったし、たくさんのアドバイスももらってきた。それこそ、中島のソロライブを観にいけと言ってくれたのも、実は山下君なんですよ。“自分は若くて気づけなかったことがたくさんある。そんな昔の自分に伝えるような気持ちで言うから聞いてくれ。おまえは中島のライブに行くべきだ。メンバーともっとちゃんと向きあうべきだ”って。あの山下君の言葉があったから自分は変わることができた。だからこそ、今でも本当に感謝していて」
菊池「腐っていた時期も、ちゃんと叱ってくれたり、ダメなものはダメって言ってくれたり、そんなオレを見捨てずに向きあってくれる大人が周りにいた。その存在に救われたことも何度もあったし。ずっと誰にも言えなかった自分の思いや悩みを話せる先輩と出会えたのも大きかった。そのひとりが(櫻井)翔君で。18歳の時に初めて食事に連れていってもらったんですけど。同じ大学の先輩後輩という関係でもあったので、最初は学業の相談をしていたんですよ。そこから少しずつ個人的な話やグループの相談もするようになっていったんですよね。ドラマ共演をきっかけに可愛がってくれたのが山下(智久)君。最初は僕のことを“生意気そうなヤツ”と思ったらしいんですけど(笑)。どこか自分と似ている気がすると言ってくれて。そんな山下君が引きあわせてくれたのが村上(信五)君なんです。この3人の先輩たちがいなければ今の自分はいないと言っても過言ではないほど、いろんな話を聞いてもらったし、たくさんのアドバイスももらってきた。それこそ、中島のソロライブを観にいけと言ってくれたのも、実は山下君なんですよ。“自分は若くて気づけなかったことがたくさんある。そんな昔の自分に伝えるような気持ちで言うから聞いてくれ。おまえは中島のライブに行くべきだ。メンバーともっとちゃんと向きあうべきだ”って。あの山下君の言葉があったから自分は変わることができた。だからこそ、今でも本当に感謝していて」
思いどおりになんかならない だからSexy Zoneは面白い
グループと向きあいコンサートの構成を考える、そんな作業を積み重ねることで「メンバーやSexy Zoneの魅力をあらためて深く知ることができた」と菊池さんは語る。
菊池「(佐藤)勝利は“内気な子”、松島(聡)は“ずうずうしい子”、マリウス(葉)は“裕福な子”。デビュー当時、年下メンバーに関してはひとくくりで“子供”って感じだったんですけど(笑)。勝利は内気な分、誰よりもいろんなことを考えていて。言葉にせずとも、自分の中の正解に向かい理論立てて進んでいく人なんだとわかったし。松島のずうずうしいほどの人懐っこさもひとつの武器で。彼だからこそ、メンバーが落ち込んでいる時や元気がない時、心の内を開いてあげることができるんですよね。マリウスは僕たちが思っている以上に人の幸せを願っていて。他人を心から愛することができる人。だからこそ、自分のことももっと愛してほしいなと思うような人。ただの“裕福な子”じゃないこともわかりました(笑)。中島は……正直、最初は変なヤツだなって思ったんですよ。でも、途中で気づくんだよね。“こいつ、スゲーな”って。“変わってる”ってネガティブにとらえられがちだけど、実はすごいことで。人と違うからこそできることもたくさんある、ある意味、めちゃくちゃオンリーワンなんですよね。その証拠に、この世に中島健人みたいな男、ほかにいないでしょ!?(笑)」
照れ屋の菊池さんがメンバーに贈る、なんとも彼らしい最上級のほめ言葉の数々(笑)。真を突いた言葉を引き出そうとすると、その思いを見透かしたようにひょうひょうと交わし「Sexy Zoneに関してはうまく言葉にできないことが多いんですよ。無理に言葉にしようと思えばできないこともないけど、それはなんか違う気がするし。それをしてしまったら、オレじゃなくなる気がするんです」と笑う。そんな彼にあらためてデビュー10周年を迎える今の心境を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
菊池「うれしいこともあったし、感動することもあった。ただ、楽しかったかと聞かれたら……すべての時間はそうじゃないかも(笑)。でも、だからこそ、続けてこられたのかなって思うんですよ。10年前、10年後の自分たちの姿が想像できなかったように、この先のことも想像できない。思いどおりになんかならないのがSexy Zoneの面白いところで。まあ、同時に大変なところでもあるんだけど(笑)。それでも前に進み続ける、今の僕のモチベーションは……。ひと言で言うと“売れてみたい”ってことなのかな。グループで売れるっていうのはどんなものか知りたい、その場所にたどり着いた人にしかできないことも絶対にあると思うしね。これからもきっとこのグループはいろんなことがあると思うんだけど。いつか5人で見てみたいんだよね。売れなきゃ見られない風景ってヤツを」
菊池「(佐藤)勝利は“内気な子”、松島(聡)は“ずうずうしい子”、マリウス(葉)は“裕福な子”。デビュー当時、年下メンバーに関してはひとくくりで“子供”って感じだったんですけど(笑)。勝利は内気な分、誰よりもいろんなことを考えていて。言葉にせずとも、自分の中の正解に向かい理論立てて進んでいく人なんだとわかったし。松島のずうずうしいほどの人懐っこさもひとつの武器で。彼だからこそ、メンバーが落ち込んでいる時や元気がない時、心の内を開いてあげることができるんですよね。マリウスは僕たちが思っている以上に人の幸せを願っていて。他人を心から愛することができる人。だからこそ、自分のことももっと愛してほしいなと思うような人。ただの“裕福な子”じゃないこともわかりました(笑)。中島は……正直、最初は変なヤツだなって思ったんですよ。でも、途中で気づくんだよね。“こいつ、スゲーな”って。“変わってる”ってネガティブにとらえられがちだけど、実はすごいことで。人と違うからこそできることもたくさんある、ある意味、めちゃくちゃオンリーワンなんですよね。その証拠に、この世に中島健人みたいな男、ほかにいないでしょ!?(笑)」
照れ屋の菊池さんがメンバーに贈る、なんとも彼らしい最上級のほめ言葉の数々(笑)。真を突いた言葉を引き出そうとすると、その思いを見透かしたようにひょうひょうと交わし「Sexy Zoneに関してはうまく言葉にできないことが多いんですよ。無理に言葉にしようと思えばできないこともないけど、それはなんか違う気がするし。それをしてしまったら、オレじゃなくなる気がするんです」と笑う。そんな彼にあらためてデビュー10周年を迎える今の心境を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
菊池「うれしいこともあったし、感動することもあった。ただ、楽しかったかと聞かれたら……すべての時間はそうじゃないかも(笑)。でも、だからこそ、続けてこられたのかなって思うんですよ。10年前、10年後の自分たちの姿が想像できなかったように、この先のことも想像できない。思いどおりになんかならないのがSexy Zoneの面白いところで。まあ、同時に大変なところでもあるんだけど(笑)。それでも前に進み続ける、今の僕のモチベーションは……。ひと言で言うと“売れてみたい”ってことなのかな。グループで売れるっていうのはどんなものか知りたい、その場所にたどり着いた人にしかできないことも絶対にあると思うしね。これからもきっとこのグループはいろんなことがあると思うんだけど。いつか5人で見てみたいんだよね。売れなきゃ見られない風景ってヤツを」
【Sexy Zone 10th対談】お互い、どう見えてた?
Sexy Zone松島聡×佐藤勝利
——「僕が勝利に話しかけたのは雑誌で見るより大人びた姿がすごく気になったんだよね」(松島)
——「お互いに“君づけ”をやめてタメグチで話すようになった時“友達感”が増した気がする」(佐藤)
——「お互いに“君づけ”をやめてタメグチで話すようになった時“友達感”が増した気がする」(佐藤)
仕事もプライベートも一緒に過ごすふたりは“親友”
佐藤 ジャニーズ事務所のオーディションって少し変わっていて。バックダンサーのリハーサルとか、先輩Jr.のいる場所に呼ばれて一緒に踊ったりするんですよ。僕と松島が初めて出会ったのは、そんなオーディション会場だったんだよね。
松島 勝利は僕よりも数カ月前に入所していて。当時はすでに雑誌に出たり、ユニットを組んだり、注目を集めている存在だった。そんな勝利に僕から話しかけたの、覚えている?
佐藤 いきなり「佐藤勝利君ですよね?」って話しかけてきたんだよね。しかも、まったく臆することなく、満面の笑みで。「驚異的なコミュニケーション能力の持ち主だな!!」って驚いたの、今でも覚えている(笑)。
松島 勝利は僕よりも数カ月前に入所していて。当時はすでに雑誌に出たり、ユニットを組んだり、注目を集めている存在だった。そんな勝利に僕から話しかけたの、覚えている?
佐藤 いきなり「佐藤勝利君ですよね?」って話しかけてきたんだよね。しかも、まったく臆することなく、満面の笑みで。「驚異的なコミュニケーション能力の持ち主だな!!」って驚いたの、今でも覚えている(笑)。
「LINEが冷たい」まさかの理由で大喧嘩(笑)
——初めての出会いから1年もたたないうちにデビューが決定。「そこまでの関係についてはほぼ記憶がない」とふたりは声を揃える。
佐藤 ただ、入所してきてすぐに聡ちゃんの噂がウワッと広まったのは覚えているんだよね。「すごく歌のうまい子が入ってきたぞ」って。
松島 それ、あとから聞いてうれしかったなぁ。でも、僕個人はダンスを頑張っていたから。まさか歌が評価されているとは、当時は想像もしていなかったんだけどね(笑)。
——今では親友のように仲のいいふたりだけど、過去には互いの存在を意識するあまりバチバチした時期も。MOREのソロインタビューで「自分にはないものを持っている、それがうらやましかった」とお互い語っていたふたり。
佐藤 ストレートに表現すると嫉妬心。当時はまだ子供だったっていうのもあるけど、それだけ、大きな存在だったんですよね。僕たちの距離が縮むきっかけは……。雑誌で“君づけ”をやめるっていう企画があって。それをきっかけに敬語からタメグチになったっていうのも大きいのかな。そこから“友達感”がグンと増した気がする。言葉って、大事だよね。
松島 マリウスと僕はSexy Zoneから離れて活動した時期があるんですけど。僕はそれも大きかったな。離れて気づけたことがたくさんあって。そのひとつがメンバーの存在の大切さ。当時『Sexy Zone CHANNEL』っていう番組をやっていて。唯一、そこが5人で集まれる場所で。勝利はもちろん、みんなに会えるのがすごくうれしかったんだよね。
佐藤 ただ、入所してきてすぐに聡ちゃんの噂がウワッと広まったのは覚えているんだよね。「すごく歌のうまい子が入ってきたぞ」って。
松島 それ、あとから聞いてうれしかったなぁ。でも、僕個人はダンスを頑張っていたから。まさか歌が評価されているとは、当時は想像もしていなかったんだけどね(笑)。
——今では親友のように仲のいいふたりだけど、過去には互いの存在を意識するあまりバチバチした時期も。MOREのソロインタビューで「自分にはないものを持っている、それがうらやましかった」とお互い語っていたふたり。
佐藤 ストレートに表現すると嫉妬心。当時はまだ子供だったっていうのもあるけど、それだけ、大きな存在だったんですよね。僕たちの距離が縮むきっかけは……。雑誌で“君づけ”をやめるっていう企画があって。それをきっかけに敬語からタメグチになったっていうのも大きいのかな。そこから“友達感”がグンと増した気がする。言葉って、大事だよね。
松島 マリウスと僕はSexy Zoneから離れて活動した時期があるんですけど。僕はそれも大きかったな。離れて気づけたことがたくさんあって。そのひとつがメンバーの存在の大切さ。当時『Sexy Zone CHANNEL』っていう番組をやっていて。唯一、そこが5人で集まれる場所で。勝利はもちろん、みんなに会えるのがすごくうれしかったんだよね。
Sexy Zone中島健人×菊池風磨
——「絶対にデビューしてやる! ってジャニーズJr.時代はハングリーでシャカリキだったよな、オレたち」(菊池)
——「ふたりで歩いた夜のN.Y.の街。隣に菊池がいることがすごくうれしかったんだよね」(中島)
——「ふたりで歩いた夜のN.Y.の街。隣に菊池がいることがすごくうれしかったんだよね」(中島)
ずっと一緒に歩んできた強い絆で結ばれたふたり
中島 菊池との初対面は今でも覚えている。場所はオーディション会場で、1週間遅れて参加したんだよね。
菊池 家のファックスが壊れているのに気づかなくてね(笑)。なんとか参加できたものの、先に参加していた仲間たちと比べると完全に出遅れた感が満載で。「もうダメだ」って半ば投げやりに。で、ヘラヘラしていたら、それを“笑顔で頑張っている”と勘違いされたみたいで。急に最前列に位置替えされて。そこで、隣にいたのが中島だったんですよ。
——幼いふたりが初めて交わした言葉は「そのサンドイッチっておいしいよね」だったとか(笑)。
菊池 それ、オレだ。たしかに言った記憶があるわ。でも、その前に中島が声をかけてくれたんだよ。振付けについて「これ、どうするんだっけ」みたいな。でも、遅れて参加したオレにわかるはずがなくて。「いや、ちょっとわからないっす」って答えた気がする。あの頃は敬語で(笑)。
菊池 家のファックスが壊れているのに気づかなくてね(笑)。なんとか参加できたものの、先に参加していた仲間たちと比べると完全に出遅れた感が満載で。「もうダメだ」って半ば投げやりに。で、ヘラヘラしていたら、それを“笑顔で頑張っている”と勘違いされたみたいで。急に最前列に位置替えされて。そこで、隣にいたのが中島だったんですよ。
——幼いふたりが初めて交わした言葉は「そのサンドイッチっておいしいよね」だったとか(笑)。
菊池 それ、オレだ。たしかに言った記憶があるわ。でも、その前に中島が声をかけてくれたんだよ。振付けについて「これ、どうするんだっけ」みたいな。でも、遅れて参加したオレにわかるはずがなくて。「いや、ちょっとわからないっす」って答えた気がする。あの頃は敬語で(笑)。
楽しさも、悔しさも、想い出を共有してきた
——入所時期もほぼ同じなら、ジャニーズJr.時代は同じユニットで活動した時期も。デビュー前から濃い時間を共に過ごしてきたふたり。
中島 ふたりで原宿に行ったのを覚えている? 竹下通り歩いて、買物して、最終的に男ふたりでカフェに入ってパフェ的なものを食べたの。
菊池 それ、覚えてるわ(笑)。
中島 あの頃は、誕生日が近いから、プレゼント交換をすることもあって。オレがハットをプレゼントしたら、お返しに羽根のついたキーチェーンをくれたんだよね。
菊池 中島は一緒に過ごした時間が長いだけに想い出がたくさんあるんだけど。一緒に悔しい思いを経験したり、壁を乗り越えてきたっていう感覚もオレはあるかな。たとえば、初めて先輩のバックとして関西を回った時。当時は若くてイキっていたから「オレたちが東京Jr.代表だ!!」くらいの気持ちで行くわけですよ。
中島 でも、そこにいる関西ジャニーズJr.はオレたちに目もくれず。
菊池 衣装にファーとかついていて。
中島 布の量が雲泥の差。こっちはベストで袖すらないっていう(笑)。
菊池 そんな小さな挫折を一緒に何度も味わったりしてね(笑)。
中島 ふたりで原宿に行ったのを覚えている? 竹下通り歩いて、買物して、最終的に男ふたりでカフェに入ってパフェ的なものを食べたの。
菊池 それ、覚えてるわ(笑)。
中島 あの頃は、誕生日が近いから、プレゼント交換をすることもあって。オレがハットをプレゼントしたら、お返しに羽根のついたキーチェーンをくれたんだよね。
菊池 中島は一緒に過ごした時間が長いだけに想い出がたくさんあるんだけど。一緒に悔しい思いを経験したり、壁を乗り越えてきたっていう感覚もオレはあるかな。たとえば、初めて先輩のバックとして関西を回った時。当時は若くてイキっていたから「オレたちが東京Jr.代表だ!!」くらいの気持ちで行くわけですよ。
中島 でも、そこにいる関西ジャニーズJr.はオレたちに目もくれず。
菊池 衣装にファーとかついていて。
中島 布の量が雲泥の差。こっちはベストで袖すらないっていう(笑)。
菊池 そんな小さな挫折を一緒に何度も味わったりしてね(笑)。
今も昔もずっと“同志”
中島 どうしたら目立てるか、どんなアピールをしたらいいのか、デビューを目指し熱を上げている……。Jr.の後輩たちの姿を目にすると、昔のオレと菊池を思い出すんだよね。
——同じ目標に向かって突き進む“同志”だったふたり。しかし、Sexy Zoneのメンバーとして向きあうようになってからは、距離が生まれてしまったこともあったそう。
中島 デビュー当時はお互いに自分のことで精いっぱいで。何を目指せばいいのか、どこに立てばいいのか、ふたりの関係値もどうしたらいいのかわからなかったんだよね。でも、そんな時期を経て今はまたJr.時代のような関係に戻ってきている気がする。
——誰よりも近くにいる特別な存在だからこそ、その関係性に悩むこともあった。でも、今も昔も“同志”であることはずっと変わらない。
中島 デビューして間もない頃、菊池と(佐藤)勝利と3人でN. Y.に行ったんだよね。そこでオレたち、幼い勝利を部屋に残してホテルを抜け出したんですよ。
菊池 で、ふたりでタイムズスクエアに行って、ファストフード店に入ったりして。あれ、楽しかったなぁ。
中島 ひとり旅でタイムズスクエアを訪れた時、真っ先に思い出したのもあの夜のこと。菊池とふたりでN. Y.の街を歩いたっていうのが、なんかうれしくて。オレの中では今でも特別な想い出として残っているんだよね。
菊池 ふふっ、うれしいねぇ。
中島 やっぱり年齢が近いからかな。“5人の想い出”もたくさんあるけれど、それとはまた違う想い出が菊池との間にはあるんですよ。
——あらためて絆を感じることができた“10年分の答え合わせ”。最後に、お互いに“10年分のありがとう”を伝えてほしいとお願いすると……。
中島 最近は「元気を届けてくれてありがとう」だよね。菊池の出ているバラエティ番組はよくチェックしていて。普通に菊池風磨ファンだから、オレ(笑)。それを観ていても本当に面白いなって思うし、笑わせてもらうし、すごいなって思ってる。
菊池 それを言うなら、オレだって「中島健人はカッコいいな」と思っているよ。やっぱり、ドラマをはじめソロ仕事をしている時って、グループの中にいる時とは違う目線で見ることができるから。それを目にするたびに思うもんね。「中島、角度わかってるなぁ」って(笑)。
——同じ目標に向かって突き進む“同志”だったふたり。しかし、Sexy Zoneのメンバーとして向きあうようになってからは、距離が生まれてしまったこともあったそう。
中島 デビュー当時はお互いに自分のことで精いっぱいで。何を目指せばいいのか、どこに立てばいいのか、ふたりの関係値もどうしたらいいのかわからなかったんだよね。でも、そんな時期を経て今はまたJr.時代のような関係に戻ってきている気がする。
——誰よりも近くにいる特別な存在だからこそ、その関係性に悩むこともあった。でも、今も昔も“同志”であることはずっと変わらない。
中島 デビューして間もない頃、菊池と(佐藤)勝利と3人でN. Y.に行ったんだよね。そこでオレたち、幼い勝利を部屋に残してホテルを抜け出したんですよ。
菊池 で、ふたりでタイムズスクエアに行って、ファストフード店に入ったりして。あれ、楽しかったなぁ。
中島 ひとり旅でタイムズスクエアを訪れた時、真っ先に思い出したのもあの夜のこと。菊池とふたりでN. Y.の街を歩いたっていうのが、なんかうれしくて。オレの中では今でも特別な想い出として残っているんだよね。
菊池 ふふっ、うれしいねぇ。
中島 やっぱり年齢が近いからかな。“5人の想い出”もたくさんあるけれど、それとはまた違う想い出が菊池との間にはあるんですよ。
——あらためて絆を感じることができた“10年分の答え合わせ”。最後に、お互いに“10年分のありがとう”を伝えてほしいとお願いすると……。
中島 最近は「元気を届けてくれてありがとう」だよね。菊池の出ているバラエティ番組はよくチェックしていて。普通に菊池風磨ファンだから、オレ(笑)。それを観ていても本当に面白いなって思うし、笑わせてもらうし、すごいなって思ってる。
菊池 それを言うなら、オレだって「中島健人はカッコいいな」と思っているよ。やっぱり、ドラマをはじめソロ仕事をしている時って、グループの中にいる時とは違う目線で見ることができるから。それを目にするたびに思うもんね。「中島、角度わかってるなぁ」って(笑)。
メンバーと関わりのある「あの人」が語る!Sexy Zoneの魅力とは?
セクゾの魅力、ひと言で説明させてください。
共演経験、親交のあるあの人から、ファンの方々(通称セクラバ)まで。より彼らを知るみなさんに、最大の魅力を教えてもらいました。
あの人が語る、中島健人の魅力
「ジャニーズの未来背負い男」
by ノブさん(千鳥)
「アイドルの面では、本気で東山(紀之)さんを目指しているんだろうなという覚悟と努力が見られて、そのまま突き進んでほしいです。王道として。バラエティの面では、ちゃんと準備して振られた時の答えを用意してきているのを見てエライなと思っています。クイズ番組で優勝した時も、笑いだけ取って負けて帰るんじゃなく、主演俳優として、優勝して作品宣伝するぞという覚悟がすごかった。びっくりするくらい、回答ボタン連打してましたよ!」(ノブさん)
「いつもたくさんの言葉が体の中に詰まっている人。ときどき、その言葉のダムはあふれ出し僕らの体にまで流れてきます」
by 深川栄洋さん(Netflix映画『桜のような僕の恋人』監督)
「撮影前に彼と何度か映画や役について話をしました。そのたびに、監督の僕が彼に話す分量よりも多くの言葉が彼から返ってきました。若い俳優の中ではとても珍しいことです。撮影が進み、彼の体をパンパンにしていた言葉は口から出てこなくなりました。言葉は、ひとつの呼吸、ひとつの言葉、ひとつの芝居に変化していったようです」(深川さん)
「強い意志と大きな愛を持ってまっすぐに突き進む努力と愛の人」
by セクラバ
「継続は力なりを体現! 社会人として尊敬」
by セクラバ
by ノブさん(千鳥)
「アイドルの面では、本気で東山(紀之)さんを目指しているんだろうなという覚悟と努力が見られて、そのまま突き進んでほしいです。王道として。バラエティの面では、ちゃんと準備して振られた時の答えを用意してきているのを見てエライなと思っています。クイズ番組で優勝した時も、笑いだけ取って負けて帰るんじゃなく、主演俳優として、優勝して作品宣伝するぞという覚悟がすごかった。びっくりするくらい、回答ボタン連打してましたよ!」(ノブさん)
「いつもたくさんの言葉が体の中に詰まっている人。ときどき、その言葉のダムはあふれ出し僕らの体にまで流れてきます」
by 深川栄洋さん(Netflix映画『桜のような僕の恋人』監督)
「撮影前に彼と何度か映画や役について話をしました。そのたびに、監督の僕が彼に話す分量よりも多くの言葉が彼から返ってきました。若い俳優の中ではとても珍しいことです。撮影が進み、彼の体をパンパンにしていた言葉は口から出てこなくなりました。言葉は、ひとつの呼吸、ひとつの言葉、ひとつの芝居に変化していったようです」(深川さん)
「強い意志と大きな愛を持ってまっすぐに突き進む努力と愛の人」
by セクラバ
「継続は力なりを体現! 社会人として尊敬」
by セクラバ
あの人が語る、菊池風磨の魅力
「見た目は筋肉ボーイ、でも中身はケアを忘れない気遣い人」
by ヒロミさん
「体を鍛えていて男っぽいから、アイドルの時はもちろんカッコいいんだろうけど。バラエティではちゃんと『これで大丈夫ですか?』とスタッフさんや周りへのケアを忘れない。年上の人たちともいつの間にかスルッと打ち解けていたり……今の芸能界では珍しいタイプだよね。筋肉いじり、たくさんしてごめんね(笑)」(ヒロミさん)
「空間把握能力に長けた男」
by 村上信五さん(関ジャニ∞)
「とてつもなくちょうどいい、地元の後輩みたいなやつなんです」(村上さん)
「広い視野を持ってグループのことを考える、頼れる頭脳」
by セクラバ
「包容力とワードセンスに秀でた最強兄貴」
by セクラバ
by ヒロミさん
「体を鍛えていて男っぽいから、アイドルの時はもちろんカッコいいんだろうけど。バラエティではちゃんと『これで大丈夫ですか?』とスタッフさんや周りへのケアを忘れない。年上の人たちともいつの間にかスルッと打ち解けていたり……今の芸能界では珍しいタイプだよね。筋肉いじり、たくさんしてごめんね(笑)」(ヒロミさん)
「空間把握能力に長けた男」
by 村上信五さん(関ジャニ∞)
「とてつもなくちょうどいい、地元の後輩みたいなやつなんです」(村上さん)
「広い視野を持ってグループのことを考える、頼れる頭脳」
by セクラバ
「包容力とワードセンスに秀でた最強兄貴」
by セクラバ
あの人が語る、佐藤勝利の魅力
「完璧すぎるイケメン、なのに何やってもどこか抜けてるのが絶妙にダサくて、本当にいいんだよね」
by ヒロミさん
「勝利は顔可愛いし、誰もが認めるイケメン。なのに泳げなかったり意外なところで失敗したり……。弱いところ、完璧じゃないところもちゃんと人に見せられる。これってすごいこと。勝利に限らず、これはセクゾのいいところだよね。それにそこを乗り越えてくるのもさすがアイドル。だって番組の企画で、まったく泳げなくて最高にブサイクに泳いでたのが、最後にはダイビングできるようになってたからね。弱点を克服して、成し遂げられる人はなかなかいないと感心しています」(ヒロミさん)
「子供少年くん」
by 長谷川 忍さん(シソンヌ)
「周りからどう見られているかわかっている、自分が求められているひと言やキャラを瞬時にできる。すごいし、気持ち悪いなぁと思ってます(いい意味で笑)」(長谷川さん)
「可愛いのに裏ではプロ意識高めボーイ」
by じろうさん(シソンヌ)
「以前自分が脚本を担当したお笑い要素強めのドラマに出ていただいたのですが、ボケ方への不安をひとつひとつ丁寧に聞きにきてくれました。真剣に向きあってくれてることにとても感動し、すごいな、プロだなと思ってます」(じろうさん)
「まっすぐ可愛いブレない国宝センター」
by セクラバ
by ヒロミさん
「勝利は顔可愛いし、誰もが認めるイケメン。なのに泳げなかったり意外なところで失敗したり……。弱いところ、完璧じゃないところもちゃんと人に見せられる。これってすごいこと。勝利に限らず、これはセクゾのいいところだよね。それにそこを乗り越えてくるのもさすがアイドル。だって番組の企画で、まったく泳げなくて最高にブサイクに泳いでたのが、最後にはダイビングできるようになってたからね。弱点を克服して、成し遂げられる人はなかなかいないと感心しています」(ヒロミさん)
「子供少年くん」
by 長谷川 忍さん(シソンヌ)
「周りからどう見られているかわかっている、自分が求められているひと言やキャラを瞬時にできる。すごいし、気持ち悪いなぁと思ってます(いい意味で笑)」(長谷川さん)
「可愛いのに裏ではプロ意識高めボーイ」
by じろうさん(シソンヌ)
「以前自分が脚本を担当したお笑い要素強めのドラマに出ていただいたのですが、ボケ方への不安をひとつひとつ丁寧に聞きにきてくれました。真剣に向きあってくれてることにとても感動し、すごいな、プロだなと思ってます」(じろうさん)
「まっすぐ可愛いブレない国宝センター」
by セクラバ
あの人が語る、松島 聡の魅力
「ベリーベリーゴッドヒューマン」
by 松田元太さん(Travis Japan)
「聡ちゃんは命の恩人です。同期のオレたち、最初は何もわからない同士で不安だったよね。でもSexy Zoneとしてデビューした聡ちゃんは、本当にカッコよくてオレにとってヒーローだよ。その後に“Sexy松”で一緒に活動していた時、センター松島聡は本当にカッコよかった。つらい顔、弱音、何ひとつ見せずに引っぱってってくれてたよね。おかげでオレらも少しずつ強くなれて、いろんな景色を見られて。今、素敵な時間を過ごせてるよ。本当にありがとう。唯一の同期だもん。戦友だもん。家族だもん。“Sexy松”だもん。もう命の恩人以上にいい言葉があるなら早く辞書にのせなー!! って感じよ(笑)。一緒にいた時間が長いからわかるけど、気を使いすぎちゃうのが聡ちゃん。いい人すぎんのよ!! もっとSexy Zoneという家族を信じて、頼って、甘えて、これからも聡ちゃんらしくだね!! これからもよろしくね!!」(松田さん)
「穏やかで心地いい木漏れ日」
by 松倉海斗さん(Travis Japan)
「ふたりっきりで夢の国や横浜デートをしたり、好きなアーティストさんのライブを観にいったり……。そして何より、同じユニット“Sexy松”で活動していた時期もあった刺激しあえる幼なじみであり親友です。p.s.ご時世落ち着いたら、大人のサシメシ行きたいね」(松倉さん)
「天性の愛され力を持ち、見たものすべてを虜にする努力家」
by セクラバ
「癒しのパワースポット」
by セクラバ
by 松田元太さん(Travis Japan)
「聡ちゃんは命の恩人です。同期のオレたち、最初は何もわからない同士で不安だったよね。でもSexy Zoneとしてデビューした聡ちゃんは、本当にカッコよくてオレにとってヒーローだよ。その後に“Sexy松”で一緒に活動していた時、センター松島聡は本当にカッコよかった。つらい顔、弱音、何ひとつ見せずに引っぱってってくれてたよね。おかげでオレらも少しずつ強くなれて、いろんな景色を見られて。今、素敵な時間を過ごせてるよ。本当にありがとう。唯一の同期だもん。戦友だもん。家族だもん。“Sexy松”だもん。もう命の恩人以上にいい言葉があるなら早く辞書にのせなー!! って感じよ(笑)。一緒にいた時間が長いからわかるけど、気を使いすぎちゃうのが聡ちゃん。いい人すぎんのよ!! もっとSexy Zoneという家族を信じて、頼って、甘えて、これからも聡ちゃんらしくだね!! これからもよろしくね!!」(松田さん)
「穏やかで心地いい木漏れ日」
by 松倉海斗さん(Travis Japan)
「ふたりっきりで夢の国や横浜デートをしたり、好きなアーティストさんのライブを観にいったり……。そして何より、同じユニット“Sexy松”で活動していた時期もあった刺激しあえる幼なじみであり親友です。p.s.ご時世落ち着いたら、大人のサシメシ行きたいね」(松倉さん)
「天性の愛され力を持ち、見たものすべてを虜にする努力家」
by セクラバ
「癒しのパワースポット」
by セクラバ
あの人が語る、マリウス葉の魅力
「そよ風のような優しさを運んでくれるやわらかな人」
by 国分太一さん(TOKIO)
「同じ仕事じゃなくても楽屋を見つけたら必ず顔を出してくれる、人なつっこい後輩です。そのうえ、しっかりと自分のペースを持っているのがすごいところ。だからこそ地道に自分で決めた道を歩んでほしいし、彼の持つ、そよ風のような優しさで、みんなを包み込んでほしいと思っています」(国分さん)
「可愛い星スター」
by 藤ヶ谷太輔さん(Kis-My-Ft2)
「数年前のお正月、一緒に海外へ旅行に行った時に感じたことは、マリは『さまざまな分野への興味、知識』があるということ。世界史、建物、人々、文化、食事などいつも感心させられています。それでいて、謙虚で探究心があり、いつも輝いています! 仲間たちで集まる時は、もちろんマリよりみんな年上なことが多いですが、マリに聞いていろいろと教えてもらうことがほとんどです。そして旅行中には夜寝ないで“想い出のアルバム”を作ってくれていたみたいで最終日の朝、『たいぴー、海外連れてきてくれてありがとう! 楽しかった! また一緒に行こうね!』って渡してくれました。時差などで疲れているのに、睡眠時間を削ってアルバムを作ってくれていたんです。今でも大切にしています」(藤ヶ谷さん)
「数カ国語を操る甘えん坊末っ子」
by セクラバ
「知性と美しさを兼ね備え、華麗なる成長を遂げた大天使」
by セクラバ
by 国分太一さん(TOKIO)
「同じ仕事じゃなくても楽屋を見つけたら必ず顔を出してくれる、人なつっこい後輩です。そのうえ、しっかりと自分のペースを持っているのがすごいところ。だからこそ地道に自分で決めた道を歩んでほしいし、彼の持つ、そよ風のような優しさで、みんなを包み込んでほしいと思っています」(国分さん)
「可愛い星スター」
by 藤ヶ谷太輔さん(Kis-My-Ft2)
「数年前のお正月、一緒に海外へ旅行に行った時に感じたことは、マリは『さまざまな分野への興味、知識』があるということ。世界史、建物、人々、文化、食事などいつも感心させられています。それでいて、謙虚で探究心があり、いつも輝いています! 仲間たちで集まる時は、もちろんマリよりみんな年上なことが多いですが、マリに聞いていろいろと教えてもらうことがほとんどです。そして旅行中には夜寝ないで“想い出のアルバム”を作ってくれていたみたいで最終日の朝、『たいぴー、海外連れてきてくれてありがとう! 楽しかった! また一緒に行こうね!』って渡してくれました。時差などで疲れているのに、睡眠時間を削ってアルバムを作ってくれていたんです。今でも大切にしています」(藤ヶ谷さん)
「数カ国語を操る甘えん坊末っ子」
by セクラバ
「知性と美しさを兼ね備え、華麗なる成長を遂げた大天使」
by セクラバ
「Sexy Zone検定」でメンバーが問題を解く!
メンバーから10年の歴史にまつわる問題を出題
【問題 2011年の握手会にて、目の前で転んだファンに対して中島健人が発した以下の言葉の空欄を埋めよ。「気をつけて( )」】
菊池 シンデレラ。
松島 シンデレラ。
佐藤 お姫様。
中島・菊池・松島 えっ……!?
佐藤 あれ、正解は?(笑)。
菊池 デレラ一択でしょ!!(笑)。
松島 シンデレラ。
佐藤 お姫様。
中島・菊池・松島 えっ……!?
佐藤 あれ、正解は?(笑)。
菊池 デレラ一択でしょ!!(笑)。
【問題 Sexy Zoneが唯一5人で行ったことのある飲食店は?】
全員 ラーメン屋さん!!
佐藤 これは僕からの出題なんだけど、さすがに間違える人はいないね。
中島 ちなみに、あの店もう閉まっちゃったの、知ってる?
松島 あの原宿にあった店?
菊池 そうなんだ……。僕たちの想い出の地は消えました(笑)。
佐藤 これは僕からの出題なんだけど、さすがに間違える人はいないね。
中島 ちなみに、あの店もう閉まっちゃったの、知ってる?
松島 あの原宿にあった店?
菊池 そうなんだ……。僕たちの想い出の地は消えました(笑)。
【問題 松島聡が声変わりをしたきっかけは? ただし、歌番組とする。】
佐藤 『FNS歌謡祭』。
中島 『ザ少年倶楽部』。
菊池 知るか、そんなもん!!(笑)。
松島 正解者は……勝利!!
佐藤 やっぱり。なんか松島が騒いでいたのを覚えているんだよね。
松島 声が出にくくて「風邪をひいたのかな」と思ったら、そのまま声変わりに突入したんだよね。
中島 『ザ少年倶楽部』。
菊池 知るか、そんなもん!!(笑)。
松島 正解者は……勝利!!
佐藤 やっぱり。なんか松島が騒いでいたのを覚えているんだよね。
松島 声が出にくくて「風邪をひいたのかな」と思ったら、そのまま声変わりに突入したんだよね。
【問題 菊池風磨の嫌いな食べ物は?】
中島 え、ショートケーキ?
松島 いや、これは風磨君らしい引っかけ問題でしょ。答えはなし!!
佐藤 右に同じ!!
菊池 松島と勝利が正解。
松島 ショートケーキって、風磨君が好きなやつじゃん(笑)。
中島 実は違ったら面白いなぁと思って(笑)。ちなみに、オレが嫌いなものは何か知ってる?
菊池 え、なすでしょ?
中島 惜しい! 最近は食べられるようになったから、なす。
松島 いや、これは風磨君らしい引っかけ問題でしょ。答えはなし!!
佐藤 右に同じ!!
菊池 松島と勝利が正解。
松島 ショートケーキって、風磨君が好きなやつじゃん(笑)。
中島 実は違ったら面白いなぁと思って(笑)。ちなみに、オレが嫌いなものは何か知ってる?
菊池 え、なすでしょ?
中島 惜しい! 最近は食べられるようになったから、なす。
【問題 佐藤勝利が運転免許を取得するまでにかかった時間は?】
中島 6年。とりあえず、長かったのは覚えているんだよなぁ。
菊池 5年。そうそう。「お金のムダだな」って何度も思った(笑)。
松島 4年。もう取れないんじゃないかって時に取れた気がする。
佐藤 正解は……4年です!!
菊池 5年。そうそう。「お金のムダだな」って何度も思った(笑)。
松島 4年。もう取れないんじゃないかって時に取れた気がする。
佐藤 正解は……4年です!!
【問題 以下の選択肢から、松島聡が実際にしたことのある髪型を選べ。】ア)超短髪のライン入り刈り上げ イ)乳首より下の金髪のロン毛 ウ)前髪パッツンのおかっぱ
中島 え、わからない。どれも見たことがないんですけど(笑)。
菊池 可能性としてアリなのは……。
佐藤 「ウ」じゃない?
松島 正解は「イ」の金髪のロン毛!! 療養期間中に伸びちゃって、復帰前に染めてみたの。
中島 それ、写真ないの?
松島 それが、ないんだよ。
菊池 うわ、あったら絶対に面白いのに。なんで撮らないんだよ!!(笑)。
菊池 可能性としてアリなのは……。
佐藤 「ウ」じゃない?
松島 正解は「イ」の金髪のロン毛!! 療養期間中に伸びちゃって、復帰前に染めてみたの。
中島 それ、写真ないの?
松島 それが、ないんだよ。
菊池 うわ、あったら絶対に面白いのに。なんで撮らないんだよ!!(笑)。
【問題 Sexy Zoneはバラを持ってデビューしたが、なぜほかの花ではなかったのか? その理由を答えよ。】
菊池 そんなの、ジャニーさんの“気分”でしょ(笑)。
中島 “たまたま”でしょ(笑)。
松島 “なんとなく”でしょ(笑)。
佐藤 たしか、楽屋に飾られていた花がバラで。それを見てジャニーさんが決めたんだよね。
菊池 ある意味、全員正解(笑)。
中島 “たまたま”でしょ(笑)。
松島 “なんとなく”でしょ(笑)。
佐藤 たしか、楽屋に飾られていた花がバラで。それを見てジャニーさんが決めたんだよね。
菊池 ある意味、全員正解(笑)。
【問題 中島健人のスマホの待ち受け画像。最新の2個前のものは?】
松島 オスカー像の写真。
菊池 『夏のハイドレンジア』のジャケット写真。
佐藤 絶対に作品にまつわるものだと思うんだよね。
中島 正解は織田信長。選んだ理由は「天下を取りたいから」。
菊池 そこか。織田信成さんと悩んだんだよなぁ(嘘)。
中島 ちなみにオレは全員の待ち受け画面わかるよ。菊池は『ドラえもん』、勝利はワンちゃん、松島は……コロコロ変えるんだよなぁ。
松島 最近は変えてないよ。
中島 ビスケット(愛犬)?
松島 違う、すいか♡
菊池 『夏のハイドレンジア』のジャケット写真。
佐藤 絶対に作品にまつわるものだと思うんだよね。
中島 正解は織田信長。選んだ理由は「天下を取りたいから」。
菊池 そこか。織田信成さんと悩んだんだよなぁ(嘘)。
中島 ちなみにオレは全員の待ち受け画面わかるよ。菊池は『ドラえもん』、勝利はワンちゃん、松島は……コロコロ変えるんだよなぁ。
松島 最近は変えてないよ。
中島 ビスケット(愛犬)?
松島 違う、すいか♡
セクラバからの質問にメンバーがお答え
セクラバからの10年の歴史にまつわる質問に、たっぷり答えてもらいました♡
【問題 Sexy Zoneのルーティンや暗黙のルールはありますか?】
中島 髪色じゃない? 打ち合わせしているわけじゃないけど、かぶらないように意識しているよね。たまに仕事の関係でかぶることもあるけど。それが、シングル『麒麟の子』の時の菊池とオレね。オレが曲のイメージに合わせて金髪にしたら、菊池も舞台『ハムレット』の役づくりで金髪にしていたっていう。
菊池 あったねぇ。
佐藤 あと「食べ物の恨みは怖い」とみんな理解しているので。「食べ物は早い者勝ち」で恨みっこなし。それも5人の暗黙のルール(笑)。
菊池 あったねぇ。
佐藤 あと「食べ物の恨みは怖い」とみんな理解しているので。「食べ物は早い者勝ち」で恨みっこなし。それも5人の暗黙のルール(笑)。
【問題 自分たちのグループ名が決定した時の感想は? 『Sexy Zone』という名前は気に入っていますか?】
佐藤 気に入っているとか、気に入っていないとか、そういう意識はないかな。生まれた時から自分についている名前と同じで。もう“当たり前”のものになっているから。
中島 もう、その名前のもとに生きている感じだからね。
菊池 いや、オレは「マジか?」って思ったよ(笑)。今でも(堂本)光一君に会うたびにイジられるからね。「おまえんとこ、すごいグループ名だよな」って(笑)。で、松島はどうよ、どう思ったのよ?
松島 えっ、なんだろう。グループ名を聞いてまず思ったのは……。「横文字でカッコいいな」。
中島・菊池・佐藤 (爆笑)
松島 その意味とか、全然わかってなかったから(笑)。
中島 もう、その名前のもとに生きている感じだからね。
菊池 いや、オレは「マジか?」って思ったよ(笑)。今でも(堂本)光一君に会うたびにイジられるからね。「おまえんとこ、すごいグループ名だよな」って(笑)。で、松島はどうよ、どう思ったのよ?
松島 えっ、なんだろう。グループ名を聞いてまず思ったのは……。「横文字でカッコいいな」。
中島・菊池・佐藤 (爆笑)
松島 その意味とか、全然わかってなかったから(笑)。
【問題 10年のつきあいがあるからこそ“オレだけが知っている、メンバーの魅力”を教えてください】
菊池 最近、中島がよく乗っている車にオレが乗る機会があったんだけど。スッゲーいい香りがするんだよね。で、マネージャーさんに「なんで、こんないい香りするの?」って聞いたら、中島は現場に入る前に香水をつけるのがルーティンらしくて。
中島 そうなんだよ。
菊池 で、そこでマネージャーさんからさらに「その香りに負けないように、車内にも芳香剤を置いているんです」って、意味のわからない返事が返ってきて(笑)。まったく納得できなかったんだけど。
全員 ははははは!(笑)。
中島 うちのマネージャーさん、訳わからなくてスミマセン(笑)。でも、それでいうと、菊池の移動車にはよくトレーニングウエアが置いてあるよね。それ見て、いつも思うんだよね。「努力家だよな」って。
菊池 いや、そんなことないです。僕、努力アレルギーなんで(笑)。
中島 って、本人はこういうこと言うとイヤがると思うんだけど(笑)。あと、菊池は後輩に優しい。「風磨君からアドバイスもらった」って話、いろんな人から聞くからね。だから「菊池の言うことは聞いちゃいけないよ」ってちゃんと言ってる(笑)。
菊池 それは正解(笑)。
佐藤 風磨君は“お兄ちゃん”っぽいところがあるんだよね♡
松島 後輩の子に服をあげたりもしているしね♡
菊池 いや、そんなことないから。オレ、後輩にクソ冷たいから!!
中島 そうなんだよ。
菊池 で、そこでマネージャーさんからさらに「その香りに負けないように、車内にも芳香剤を置いているんです」って、意味のわからない返事が返ってきて(笑)。まったく納得できなかったんだけど。
全員 ははははは!(笑)。
中島 うちのマネージャーさん、訳わからなくてスミマセン(笑)。でも、それでいうと、菊池の移動車にはよくトレーニングウエアが置いてあるよね。それ見て、いつも思うんだよね。「努力家だよな」って。
菊池 いや、そんなことないです。僕、努力アレルギーなんで(笑)。
中島 って、本人はこういうこと言うとイヤがると思うんだけど(笑)。あと、菊池は後輩に優しい。「風磨君からアドバイスもらった」って話、いろんな人から聞くからね。だから「菊池の言うことは聞いちゃいけないよ」ってちゃんと言ってる(笑)。
菊池 それは正解(笑)。
佐藤 風磨君は“お兄ちゃん”っぽいところがあるんだよね♡
松島 後輩の子に服をあげたりもしているしね♡
菊池 いや、そんなことないから。オレ、後輩にクソ冷たいから!!
【問題 デビューからの約10年間で“忘れられない日”とは? 記憶に残っている一日を教えてください】
中島 オレは5周年ライブの横浜アリーナ最終日。あの“サプライズローズ”が今でも強く想い出に残っているかな。ファンのみんなとスタッフが協力しあい、サプライズでバラを用意してくれたんだよね。会場に真っ赤なバラがあふれて……あの景色は忘れることができないよね。
佐藤 僕は初めての『NHK紅白歌合戦』かな。うれしかったけど、全員、めちゃくちゃ緊張していて……。
中島 青い衣装で円陣組んだよね。
菊池 組んだ、組んだ。オレは初めてのアリーナコンサートかな。ジャニーズ事務所に入って初めて、先輩のバックダンサーとして立ったステージが横浜アリーナだったんだよね。それだけに、感慨深いものがあった。
松島 僕は最近になっちゃうけど、昨年の『THE MUSIC DAY』。療養後、初めて出させていただいた番組で。緊張してあまり覚えていないんだけど。すごくうれしかったし、新しい一日が始まった気がして。
佐藤 僕は初めての『NHK紅白歌合戦』かな。うれしかったけど、全員、めちゃくちゃ緊張していて……。
中島 青い衣装で円陣組んだよね。
菊池 組んだ、組んだ。オレは初めてのアリーナコンサートかな。ジャニーズ事務所に入って初めて、先輩のバックダンサーとして立ったステージが横浜アリーナだったんだよね。それだけに、感慨深いものがあった。
松島 僕は最近になっちゃうけど、昨年の『THE MUSIC DAY』。療養後、初めて出させていただいた番組で。緊張してあまり覚えていないんだけど。すごくうれしかったし、新しい一日が始まった気がして。
【問題 デビューしてからの10年を四文字熟語で表現してください】
佐藤 覚えたてのいい四文字熟語があるんだけど。それが「捲土重来」。〝一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すこと〟を意味しているんだけど。これって、すごくSexy Zoneぽくない? これからも、そんなふうに歩いていけたらという願いもこめて……。
菊池 じゃあ、オレは「令和到来」。
佐藤 いや、それ「捲土重来」に音を重ねただけでしょ(笑)。
中島 「拍手喝采」。
佐藤 いや、それも大事だけど(笑)。
松島 「健人頂戴」。
菊池 みんなが欲しがる中島健人(笑)。
松島 でも、中島健人は僕だけのもの!!(笑)。
佐藤 真面目に答えた僕が恥ずかしいじゃん!!(笑)。
菊池 じゃあ、オレは「令和到来」。
佐藤 いや、それ「捲土重来」に音を重ねただけでしょ(笑)。
中島 「拍手喝采」。
佐藤 いや、それも大事だけど(笑)。
松島 「健人頂戴」。
菊池 みんなが欲しがる中島健人(笑)。
松島 でも、中島健人は僕だけのもの!!(笑)。
佐藤 真面目に答えた僕が恥ずかしいじゃん!!(笑)。
【問題 デビュー10周年の今、“もう一度行きたい場所”はありますか?】
佐藤 僕はN. Y.かな。さっきもケンティ(中島)と風磨君が対談で話していたけど、前に行った時は3人だったから。今度は5人で行きたいなって。
松島 ちなみに、なんで勝利はふたりと一緒にホテルを抜け出さなかったの? 誘われなかったの?
佐藤 いや、誘われたんだけど、もちろんキッパリ断ったよね。だって、怖いじゃん!!(笑)。僕より年上とはいえ、当時のふたりはまだ10代だったから。日本では頼りがいがあると思ってたけど、それがN. Y.だとまた違うわけで。さすがに命は預けられないって思ったよね。Sexy Zoneという看板を残すためにも、せめて僕だけでも生きて帰ろうって(笑)。
中島 そうだったんだ(笑)。
松島 全員、無事に生きて帰ってきてよかったよ(笑)。
松島 ちなみに、なんで勝利はふたりと一緒にホテルを抜け出さなかったの? 誘われなかったの?
佐藤 いや、誘われたんだけど、もちろんキッパリ断ったよね。だって、怖いじゃん!!(笑)。僕より年上とはいえ、当時のふたりはまだ10代だったから。日本では頼りがいがあると思ってたけど、それがN. Y.だとまた違うわけで。さすがに命は預けられないって思ったよね。Sexy Zoneという看板を残すためにも、せめて僕だけでも生きて帰ろうって(笑)。
中島 そうだったんだ(笑)。
松島 全員、無事に生きて帰ってきてよかったよ(笑)。
【問題 菊池風磨以外のメンバーの服が溶ける予定はありますか?】
菊池 何言ってんの!! ないよ!! あるわけないだろう!!
中島 いや、すごいね。『芸能人が本気で考えた! ドッキリGP』における菊池風磨の“服が溶けるシリーズ”、かなり浸透しているね(笑)。
松島 僕、この間ゲスト出演して、現場にいたからわかるんだけど。すごいのがさ、あれね、本当に丸出しなんですよ。大事なところが出ちゃっているんですよ(笑)。
中島 いや、マジであれは面白いし、心から尊敬する(笑)。
菊池 ただ、ここで松島にひとつ言っておきたいことがある。それは「いつものオレはもう少しデカい」。あの時、冷水かぶったから、寒くてちょっと小さくなっていたから(笑)。
佐藤 どうでもいい情報だから、MOREを通して伝えるべき情報じゃないからね、それ(笑)。
中島 いや、すごいね。『芸能人が本気で考えた! ドッキリGP』における菊池風磨の“服が溶けるシリーズ”、かなり浸透しているね(笑)。
松島 僕、この間ゲスト出演して、現場にいたからわかるんだけど。すごいのがさ、あれね、本当に丸出しなんですよ。大事なところが出ちゃっているんですよ(笑)。
中島 いや、マジであれは面白いし、心から尊敬する(笑)。
菊池 ただ、ここで松島にひとつ言っておきたいことがある。それは「いつものオレはもう少しデカい」。あの時、冷水かぶったから、寒くてちょっと小さくなっていたから(笑)。
佐藤 どうでもいい情報だから、MOREを通して伝えるべき情報じゃないからね、それ(笑)。
【問題 メンバーに対して「不思議だな」と思うこと、10年一緒に過ごした今でもありますか?】
菊池 たしか、ドバイに行った時だったと思うんだけど。中島が松島に抱きついて寝ていたことあったよね。あれ、なんだったの?(笑)。
中島 あったねぇ。
松島 なんでそうなったんだっけ?
中島 オレが指輪をなくして、ふたりで探しにいったんだよ。おかげで見つけることができたんだけど。その喜びと共に疲れて寝ちゃったんだよね。で、オレは抱き枕がないと眠れないタイプだから。聡ちゃんを枕の代わりに……(笑)。
菊池 そんな展開ある!?
中島 なんかね、ちょうどいいサイズ感だったんだよね(笑)。
佐藤 えっ、じゃあ今もツアー先とかで抱き枕がなかったら……。
中島 もちろん抱き締めて寝るよ♡
中島 あったねぇ。
松島 なんでそうなったんだっけ?
中島 オレが指輪をなくして、ふたりで探しにいったんだよ。おかげで見つけることができたんだけど。その喜びと共に疲れて寝ちゃったんだよね。で、オレは抱き枕がないと眠れないタイプだから。聡ちゃんを枕の代わりに……(笑)。
菊池 そんな展開ある!?
中島 なんかね、ちょうどいいサイズ感だったんだよね(笑)。
佐藤 えっ、じゃあ今もツアー先とかで抱き枕がなかったら……。
中島 もちろん抱き締めて寝るよ♡
【問題 メンバーに対して「可愛いな」と思うところを教えてください】
佐藤 聡ちゃんの“絶対に理解していないのに、理解しているふりして相づちを打っている”のがわかりやすすぎるところ(笑)。
松島 えっ、どんな感じ?
佐藤 メンバーといる時はあまり出ないんだけど。バラエティ番組のワイプに映っている時にそれがよく現れるんだよね。たとえば、前に『秘密のケンミンSHOW極』に出演した時も、地元の静岡のラーメンが出てきたんだけど。ワイプの中で「わー、知っている!!」ってリアクションをしていたんですよ。だから、静岡にいた時によく食べていたのかなぁと思ったら……。いざそれを実食した時のコメントが「僕、初めて食べました!!」で(笑)。
中島・菊池 はははは!(爆笑)。
佐藤 そういうところが、たまらなく可愛い。ワイプの中の松島聡、かなりの注目ポイントです(笑)。
松島 やめて!! みんなも気になっちゃうじゃん!!(笑)。
松島 えっ、どんな感じ?
佐藤 メンバーといる時はあまり出ないんだけど。バラエティ番組のワイプに映っている時にそれがよく現れるんだよね。たとえば、前に『秘密のケンミンSHOW極』に出演した時も、地元の静岡のラーメンが出てきたんだけど。ワイプの中で「わー、知っている!!」ってリアクションをしていたんですよ。だから、静岡にいた時によく食べていたのかなぁと思ったら……。いざそれを実食した時のコメントが「僕、初めて食べました!!」で(笑)。
中島・菊池 はははは!(爆笑)。
佐藤 そういうところが、たまらなく可愛い。ワイプの中の松島聡、かなりの注目ポイントです(笑)。
松島 やめて!! みんなも気になっちゃうじゃん!!(笑)。
【問題 心に残っている“メンバーの名言”を教えてください】
松島 僕は菊池風磨が5周年のライブで言った「やっぱり、この場所が好きだな」かな。
中島 菊池風磨がソロコンで言った「オレの夢はSexy Zoneです」。
佐藤 「オレたちにとっては何回かの一回かもしれないけど、お客さんにとっては一回きりのライブ。それをちゃんと理解してやろう」。僕も菊池風磨の言葉ですね。
菊池 いや、なんなの、この“菊池風磨”縛り(笑)。
中島 で、菊池風磨が思う菊池風磨の名言とは?
菊池 そんなのないわ!!(笑)。
中島 菊池風磨がソロコンで言った「オレの夢はSexy Zoneです」。
佐藤 「オレたちにとっては何回かの一回かもしれないけど、お客さんにとっては一回きりのライブ。それをちゃんと理解してやろう」。僕も菊池風磨の言葉ですね。
菊池 いや、なんなの、この“菊池風磨”縛り(笑)。
中島 で、菊池風磨が思う菊池風磨の名言とは?
菊池 そんなのないわ!!(笑)。
【問題 無人島にメンバーを連れていくなら? ひとり選んでください】
中島 菊池風磨かな。その理由は「やっぱり、笑っていたいから」♡
松島 菊池風磨ですね。やっぱり、彼は頼りがいのある男だから♡
佐藤 僕も菊池風磨ですね。守ってくれそうだし、裸でも大丈夫だし、火とかおこせそうじゃないですか♡
菊池 オレも菊池風磨ですね。なぜなら。カッコいいから♡ って、そろそろ“菊池縛り”やめて!!(笑)。
松島 菊池風磨ですね。やっぱり、彼は頼りがいのある男だから♡
佐藤 僕も菊池風磨ですね。守ってくれそうだし、裸でも大丈夫だし、火とかおこせそうじゃないですか♡
菊池 オレも菊池風磨ですね。なぜなら。カッコいいから♡ って、そろそろ“菊池縛り”やめて!!(笑)。
【問題 10年前、デビュー当時のメンバーにひとり会えるとしたら、誰に会いたいですか?】
菊池 オレはマリウスだな。この10年、全員成長しているけど、マリウスの場合はリアルに子供から大人に。その変化が大きいからこそ、あの頃の小さくて可愛いマリウスにもう一度会いたいなって思うよね。
松島 僕はケンティか風磨君。どうしたら大学に行けるか聞きたい。
佐藤 いや、それは今でも聞けると思うんだけど(笑)。僕もケンティと風磨君だな。ふたりとの年齢差って永遠に縮まらないけど、10年前に戻れるならそれをひっくり返せる。
菊池 で、16、17歳のオレたちに今の勝利が会いにいったら……。
佐藤 ボッコボコにするよね(笑)。というのは嘘だけど「敬語使えよ」とかは言ってみたい(笑)。
中島 オレは勝利かな。『With you』の振付けの角度を直したい。「それ、おかしいぞ」って(笑)。
松島 僕はケンティか風磨君。どうしたら大学に行けるか聞きたい。
佐藤 いや、それは今でも聞けると思うんだけど(笑)。僕もケンティと風磨君だな。ふたりとの年齢差って永遠に縮まらないけど、10年前に戻れるならそれをひっくり返せる。
菊池 で、16、17歳のオレたちに今の勝利が会いにいったら……。
佐藤 ボッコボコにするよね(笑)。というのは嘘だけど「敬語使えよ」とかは言ってみたい(笑)。
中島 オレは勝利かな。『With you』の振付けの角度を直したい。「それ、おかしいぞ」って(笑)。
【問題 5年後の“15周年”までに叶えたい目標はありますか?】
松島 みんなで同時にソロCMやりたい。それぞれのキャラを生かしたCMに出演できたらいいなって思う。
中島 誰がどのCMやる?
松島 ケンティはコスメ、勝利は車かお酒、かな。風磨君は食べ物系。回鍋肉とか調味料のCMとか……。
菊池 わかりました、食べましょう、山田涼介さんばりにおいしくいただいちゃいましょう(笑)。
松島 で、マリウスは柔軟剤。
中島 いいね、白いタオルに囲まれている笑顔のマリウス、浮かぶわぁ。
佐藤 聡ちゃんは?
松島 えっ、僕は……(悩)。
菊池 いや、そこは「お茶です」でしょう!? 「静岡出身だからいつかお茶のCMをしたい」っていつも言っているでしょう!!(笑)。
松島 じゃあ、お茶で♡
中島 誰がどのCMやる?
松島 ケンティはコスメ、勝利は車かお酒、かな。風磨君は食べ物系。回鍋肉とか調味料のCMとか……。
菊池 わかりました、食べましょう、山田涼介さんばりにおいしくいただいちゃいましょう(笑)。
松島 で、マリウスは柔軟剤。
中島 いいね、白いタオルに囲まれている笑顔のマリウス、浮かぶわぁ。
佐藤 聡ちゃんは?
松島 えっ、僕は……(悩)。
菊池 いや、そこは「お茶です」でしょう!? 「静岡出身だからいつかお茶のCMをしたい」っていつも言っているでしょう!!(笑)。
松島 じゃあ、お茶で♡
【問題 デビュー10周年おめでとうございます。今のSexy Zoneにキャッチフレーズをつけてください】
菊池 じゃあ、ここは名言メーカーの中島さんにお願いします。
中島 「国民的セクシー」。もう間もなく、きっともうすぐ……。ここから、そうなれたらいいなという思いもこめて。これからも、Sexy Zoneをよろしくお願いします!!
中島 「国民的セクシー」。もう間もなく、きっともうすぐ……。ここから、そうなれたらいいなという思いもこめて。これからも、Sexy Zoneをよろしくお願いします!!
▼実際にメンバーがチャレンジした問題用紙を公開中!
この企画内でメンバーが実際にチャレンジした問題用紙を、セクラバのみなさんからの熱いご要望にお応えして、公開しちゃいます! こちらから、早速あなたの“習熟度”をチェックしてみて!! 問題に取り組みながら、Sexy Zoneの10年の歴史を味わってくださいね♡